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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第三章 海ノ国編
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第百二話 入洛

 天候を問わず、昼夜を問わず。


 錫ノ国の帆船団を見つけたときから、アサヒとカナトは走り続けた。


 一刻も早く都に戻るため、休息は最低限に。それでも戦える気力は残しておこうと話しながら。多少無茶をしたかもしれないが、その無茶を出来たのも二人の性格が合っていたからかもしれない。カナトはともかく、アサヒもまたこういった状況になれば突き進むような性分だった。


 その甲斐あって、都シラズメには常識で考えるよりも大幅に早く着こうとしていた。


 途中、都に近い村々や港町を覗けば入港した錫ノ国の帆船団を見ることができた。錫ノ国の兵もいるにはいたが、二人は極力の戦闘を避けるように身を隠して進んだ。


 覗いた町村の様子が行きと変わりないことを不思議に感じたアサヒだったが、カナトの話では革新派が手引きしたのではないかということだった。「売国奴」と吐き捨てるカナトの様子は、良くも悪くも真っ直ぐな彼らしい反応だった。


 そうして都まであと半日足らずの移動となった二人を待ち構えていたのは、都を囲む錫ノ国の包囲陣。


 都が包囲されていることに気付いた二人は今、錫ノ国が構えた一つの野営地の様子を林の中から観察していた。所構わずうろつく監視兵の多さにアサヒは顔をしかめる。


「ここは突っ切らないにしても、都に入ろうとするならば必ず見つかるな」


「ああ。しかし……ただ都を落とすにしても、これだけ包囲が厳重なのは異様だ。標的の一行を取り逃さないようにする為だろうか」


「……だろうな」


 カナトの言う標的の一行とはアサヒたちのことだ。

 アサヒはカナトの見えないところでそっと息を吐いた。


 アサヒは自ら包囲陣の中に飛び込むことに躊躇はしていなかった。何といっても都内にはハツメがいるだろうから。ただ、都に入りハツメと合流できたとしても、そこからこの包囲陣を突破しなければならない。そのことには不安を抱かずにはいられなかった。

 とはいえ、それも戦況次第でどうなるかは分からないのだ。


 まずはこの包囲陣をかいくぐって都に入らねば。


 こめかみに手を添え考えるアサヒに、カナトは一つ提案をする。


「アサヒ。都に入る方法だが、ハクジの砦から入るのはどうだろうか」


「ハクジの砦から?」


「そうだ。都の主要な出入り口といえばシラズメをつくる傾斜の中腹や海岸沿いの道が殆どだが、そこは既に固められているはずだ」


 真剣な表情で耳を傾けるアサヒに、カナトは続ける。


「一般には知られていないが、都の山側からハクジの砦に入る道がある。全く兵に会わないとは言えないが、知られにくいのは間違いない。ハクジの砦に入れれば俺はそこで反乱軍に合流できるし、お前もそこから都に入れるだろう」


 鎮魂祭でミヅハが話していた通り、やはりあの砦には反乱軍が潜んでいたらしい。彼からの警告ともとれた言葉がアサヒの頭に蘇る。

 反乱軍とは極力関わり合いになりたくない。だが、他に案がないのも事実。


「そんなに簡単に入れてもらえるのか」


「大丈夫だ。俺の顔がある」


 カナトはアサヒの目を見てきっぱりと言った。


「一番の不安はそのときの戦況だ。上手く入り込んだ時点で砦と都の中がどうなっているかだが……そんな風に考えていたらきりがないな」


 どうだアサヒ、とカナトが問う。彼にとってはその方法が最善なはずだから、こうして聞いてもらえるのはアサヒにとっては少し意外で、そしてありがたいと思った。


「分かった。カナトの言う通りにしよう」


 アサヒがそう言うと、カナトはにっと笑った。




 こうして山側から都に入ることを決めた二人は、木々の間をくぐりながら野営地から離れていく。都を迂回するように距離を進んでも監視兵はあちらこちらにいた。


 山を登る途中に都周辺の一角を見渡せば、やはり主要な道は厳重に押さえられていた。ハクジの砦から入るというひとまずの選択は誤ってはいないようだった。


 とはいえ、都の裏側にも敵兵はいる。それは小さな岩場となっている砦の裏口付近に着いても同様だった。


 日が照る野営地を出発した二人は夜通し移動を続け、着いた頃には明け方となっていた。

 朝霧が覆う森の中、今二人の視線の先にいるのは十人前後からなる一個分隊。


 先に発見したアサヒとカナトは木の幹の裏に身を潜めると、互いに目を合わせ頷いた。




 その兵士は決して油断をしていたわけではなかった。


 都の裏側、普通なら警戒などいらないような何もないところではあったが、自分たちが任された場所に違いはない。それに上からは重々言われていた。


 標的の一行を取り逃がすなと。


 この命令は都攻略のための作戦と共に、自分を含め最下位にあたる一般兵一人一人に通達されているものだ。

 その重みを分からないほどこの兵士も馬鹿ではない。階級は下とはいえ、伊達に錫ノ国が誇る国軍に身を置いてはいなかった。


 だから決して警戒を怠っていたわけではない。


 相手の方が何枚も上手だったのだ。


 相手は一個分隊の不意をつき、予想を超える速度でこちらに迫ってきた。


 突然の襲撃に面食らう同僚に肉薄したのは、袴姿の若い男。


 彼は腰を落とすとそのまま同僚の胸を一突きし、素早く剣を引き抜く。抜いた瞬間、彼の白い頬に鮮血が飛び散った。


 ようやく遅れて剣を抜く周りの同僚たち。もちろんこの兵士もだ。


 だが互いに剣を持ったとしても、実力差は明白だった。彼の鮮やかな剣さばきに、仲間は次々と倒れていく。刃の入り乱れる空間で生じた風が、彼の黒髪をさらりと揺らす。


 この男、もしや――


 もう分隊の人数も自分を入れて半分もいない。それでも、と兵士が口を開いた瞬間。


 頭上から降りかかる殺気。


 はっと見上げれば、木の上からもう一人。両手で剣を振りかざした青年が飛び降りてきていた。


 都の中からではなく、外から来るとは。


 もう間に合わないその距離に、兵士はぐっと目を閉じた。

お読み頂きありがとうございます。

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