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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第三章 海ノ国編
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第百一話 同腹の兄弟

 都から半日足らず北上したところ。海の見える小高い丘に、錫ノ国は一つ野営を構えようとしていた。


 一般兵がいそいそと設営を進める中、天幕の中で椅子に腰掛けるミヅハは開け放たれた一面から辺りを見やる。


 膨大な兵数の割には野営の規模はそれほど大きくない。あくまでこれは漸次的なもので、イチルは早々に入洛するつもりなのだろう。実際都に押し入ることなど簡単だ。元からその気になれば、海ノ国など造作もなく支配下におけたのだから。


 冬明けの戦から一年も経っていない山ノ国は手を出せないだろうし、花ノ国にも何か手を打ったに違いない。


 他の二国に干渉されないこの戦は、始める前から錫ノ国の勝ちだ。


 ミヅハがそんなことを考えながら慌ただしく動く周囲を眺めていると、次第に人がはけてきた。


 遠くからこちらへ近付く三つの影が見える。


 その真ん中。過剰な肉は削ぎ落としていながらも華奢過ぎない、人型の理想形のようなその輪郭を、ミヅハはよく知っていた。


 大将二人を伴い現れたのは、ミヅハと両親を同じくする兄だった。


「お待ちしてました、イチル様」


 ミヅハの近くで待機していたリンドウが頭を下げると、彼の主は隣のカリンに軍帽を預けた後で軽く手を挙げる。


「前入りでお仕事ありがとう、リンドウくん」


「いえいえ、楽しませて頂きました」


 下唇を指先でなぞりながら含み笑いをするリンドウに、イチルは「それは良かった」と苦笑した。


 ミヅハがその様子をじとりと眺めていると、楽し気な兄はその視線に気付いたようだ。ミヅハが前に錫ノ国に帰ったのは二年前。久しく見ていなかった実の弟の姿に、イチルは他人の愛玩動物に接するような表情をつくった。


「久しぶり、ミヅハ」


「あの女の人形なのは相変わらずみたいだね」


 ただクロユリの命令を聞くだけの人形。何を考えているか分からない実の兄は、ミヅハにとって見ていて気持ちの良い存在ではなかった。


「あれ、機嫌悪い? 突然迎えに行かせたの、気に入らなかったのかな」


 そう言ってイチルが小さく首を傾けると、金色の前髪の隙間から覗く焦茶色の瞳が深みを帯びた。何も言わない刺々しい態度のミヅハに彼は続ける。


「人形って言うけど、私も大陸統一は悪くないと思うんだよね。……それに、文字通り母様のお人形さんだったミヅハには言われたくないな。本当に、よく留学なんて許可が出たよね。羨ましいよ」


「苦労したからね」


「そう。まあいいんだけど。久しぶりだからこのまま話そうか、ミヅハ」


 不機嫌さを隠さないミヅハと、穏やかな表情で余裕を保つイチル。同腹の兄弟はどちらもその対照的な態度を崩さない。


 海からの吹きすさぶ風が天幕の中まで入り込み、その場にいる全員の足元を抜けていった。


 カリンと同様、主に続いて来ていたエンジュに、リンドウは小声で話し掛ける。


「兄弟仲悪いんすか?」


「いや。あれがお二人の普通のやり取りだ」


「どちらもめっちゃ毒吐いてますけど……」


 リンドウの言う通りだ。同腹の御兄弟はミヅハの方であるのに、異母弟の第二王子とはえらい違いだとエンジュも感じていた。




 厚い敷物に机、椅子と一式が整った天幕の中、イチルはミヅハに向かい合うようにして椅子に腰かけた。


 人払いは終え、天幕は閉めている。今この中にいるのは二人の王子と、大将であるカリンとエンジュ、あとはリンドウか。王子以外の三人は天幕の入り口辺りで控え、何やら小声で会話していた。


「お前が執着してるのが実は生きてた第二王子だってこと、ついさっきまで知らなかったよ」


 イチルが椅子に腰掛けると同時に、ミヅハは兄を睨んだ。


「ああ、聞いたんだね。アザミくんから?」


 彼もここにいるみたいだもんね、そう言って微笑みながらイチルは脚を組む。優雅な動作も相まって一見穏やかそうに見えるが、目が笑っていない。アザミがいたのはイチルの命令外だということをミヅハは頭に入れた。


「そんなところだよ。どうして死んだはずの第二王子に執着するのさ。やっぱりあの異能を持っているわけ?」


「異能? ああ、ヒダカもあの力を持ってるかってこと? ……気にしたことなかったな」


 顎に片手を添え目を見開くイチル。目の色は変わらない。意外なほど、欲の欠片も見えない。ただ純粋にこれまで気付かなかった自分に驚いているようだった。


「考えたことないの? じゃあどうして……」


 どうして執着するのかとミヅハが質問を繰り返す前に、イチルは話し出した。


「父様と一緒にしないでくれる? 私はあの異能になんか興味はない。神宝(かんだから)にも興味はない。ただ邪魔だから消えてくれれば良いなって思ってるだけ」


 特に谷の娘はヒダカといるから、とイチルはぼそりと呟いた。


「……ヒダカはね。そんなんじゃないんだ。異能の力があろうがなかろうがどうでもいい。ただ私の元で生きてくれたら良いんだよ」


 徐々にイチルの声が甘ったるくなっていく。彼の目は、話し相手のミヅハでもないどこか一点を焦がすように見つめていた。


「早く会いたい。今度はもう絶対に手放さない。もうヒダカを失うなんて、耐えられない。大事に大事に宮殿に入れておかないと……」


 自身の熱に浮かされたような兄の姿を見て、ミヅハは何とも形容しがたい感情に襲われる。怒りでも哀しみでもない(もや)が、首を絞めるようにまとわりつく。どう払おうとしてもその息苦しい靄を晴らせず、彼は苦しそうに言葉を紡いだ。


「……お前も狂ってるよ、イチル」


 掠れがかった弟の声は、意外にも兄の耳に届いた。


「何とでも言ってくれて構わないよ。ヒダカさえ手に入るなら万人に嫌われてもいい」


 そう言ってイチルは甘く微笑むと、「じゃあまたね」と席を立つ。その後ミヅハには一瞥もくれないまま、彼は入り口に控えていた三人を引き連れて天幕の外へと消えていった。


 理性は残っているのだ。第二王子に執着しているのも自覚していて、それでも止められない。

 その様が父親そっくりで、ミヅハは薄ら寒くなった。


 ミヅハは椅子の背もたれに全身の体重を預けた。この天幕の中だけ薄暗い。久し振りの晴天だというのに、彼は日陰にいることしかできない。


 ここにいれば、自分は神宝(かんだから)探しの駒としていい様に扱われるだろう。早く終わらせることはできるが、それが自分の安寧に繋がるとは到底思えない。


 現実から目を反らすように、ミヅハはきつく目を閉じた。

お読み頂きありがとうございます。

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