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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第三章 海ノ国編
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第九十九話 谷の娘と少年

「時間がないからこのまま話すよ。お前が何を知ってて何を知らないかも聞いていられないから、僕が一方的に話す。お前は適当に相槌を打って、僕の話を聞き逃さなければいい」


 ミヅハは少し焦った様子で、しかし一句一句ははっきりと言う。

 普段はみられない少年の様子にハツメも緊張を覚えつつ、ゆっくりと頷いた。


「まずは天宝珠(あまのほうじゅ)ができた理由からだけど。順番にいくよ」


 両腕を胸の辺りで組んだミヅハは真剣な表情で続ける。


神宝(かんだから)は全て谷ノ地で生まれた。最初にできたのは天比礼(あまのひれ)だ。花ノ神は自身の演舞で生まれた糸を谷ノ民に紡がせ織らせることで、天比礼(あまのひれ)をつくった」


 谷ノ民が神宝(かんだから)(さわ)れる法則はここからきていると思う、とミヅハは付け加えた。


「そうしてつくられた天比礼(あまのひれ)を持って花ノ神は谷ノ地を出て行ったわけなんだけど。それを受けてかどうかはともかく、今度は山ノ神が新たな地に発とうとしたんだ」


 高い所が好きだった山ノ神はそれで山を登ったのだったな、とハツメは思い出す。


「それを許さないとしたのが火ノ神でさ。山ノ神は誇り高くて少し気難しかったらしいから、気性の激しい火ノ神と衝突することがしょっちゅうだった。それでも花ノ神のときと同様、いなくなるのが嫌だったんだね。喧嘩の末に火ノ神が山ノ神を切って、その傷からしたたり落ちた血が天剣(あまのつるぎ)になる。結局その剣を持って山ノ神は出て行ったんだけど」


 これで谷ノ地を出たのは花ノ神と山ノ神。次にいなくなったのは海ノ神だ。

 ミヅハの話に耳を傾けながら考えるハツメ。彼もまたハツメの反応を見ながら話し続ける。


「残されたのは火ノ神と海ノ神だね。二柱がいなくなった火ノ神は相当に荒れたらしい。知らないけど、四柱が揃ってないと嫌だったのかな。まあそうして心を病んでいく火ノ神を、海ノ神はしばらくは支えていたんだ。でも、ついには見ていられなくなって、海ノ神は火ノ神を置いて谷ノ地を出て行った」


 その話を聞きながら、ハツメは四神神話から垣間見えるそれぞれの神の性格について考えていた。完璧だと思っていた神々にも、人のような個性があって、喜怒哀楽があるのだと。


 それは火ノ神と山ノ神の喧嘩を知ってから思っていたことだったが、こうしてまとめて神話を聞くと一層人間臭く思えた。


「海ノ神が発つときに、後悔と哀しみで流した涙が天宝珠(あまのほうじゅ)だよ。それを持って、海ノ神はここに来た」


「じゃあやっぱり、天宝珠(あまのほうじゅ)はここにあるのね」


「うん。ただ、海ノ神は海にいるはずなんだ。天宝珠(あまのほうじゅ)を持ったまま海の中で、魂の流れを見守っていると僕は思ってる」


 海の中。ハツメは先程の夢を思い出した。

 あのとき呼ばれたのは、海の中からだった。


「……どうすれば手に入るのかしら」


「海に入口はない。海ノ神に祈るしかないんじゃない? 海辺かどっかで、天宝珠(あまのほうじゅ)を欲してみなよ」


 天宝珠(あまのほうじゅ)を、欲する。

 邪を癒す力を手にするのかと思うと、ハツメは顔を強張らせずにはいられなかった。


「どうしたの? 欲しくないの? 神宝(かんだから)


 ハツメの暗い顔を見て、ミヅハが眉をひそめる。


 花ノ国の青狼蘭の儀のときは、天比礼(あまのひれ)の使い方が分からないでもなかった。

 でもその後に振るった力は残酷なもので。ハツメは今でもあの光景を引きずっていた。


 結局、神宝(かんだから)の真の力は争いの中でしか使わないものなのではないかと、彼女は考えていた。


 ミヅハならと、ハツメは口を開く。


神宝(かんだから)でいう『邪』って何? これまで力を使って、現実を見てきたけれど、結局使う者から見た悪意でしかなかったわ。私が『邪』と決めつけて力を振るうことは、許されることなのかしら」


「どうして僕に聞くのさ」


「……あなたが錫ノ国の人だから」


 まぁそうだよね、とミヅハは息を吐いた。その様子は呆れているわけでも苛立っているわけでもなかった。


「でも僕が、イチルたちは『邪』じゃないよって言ったらやめるわけ? 自分で考えるしかないよね」


「そうよね……ごめんなさい」


 ミヅハの言う通りだ。

 ハツメは項垂(うなだ)れるように頭を下げた。ミヅハだってそんなこと聞かれても、困るではないか。


「ハツメ」


 下を向くハツメにミヅハはそっと声を掛ける。


「錫ノ国の大陸統一に関しては、正直僕はなんとも思ってないんだ。あいつらの考え方はともかく、それが国に何をもたらすかは別だから」


 組んでいた腕を外した彼は、片方の手でハツメの手を取り、きゅっと握る。


「錫ノ国にも行くんでしょ? ならあそこがどういうところか、自分で見て決めればいい。……僕としては、天宝珠(あまのほうじゅ)は持って行って欲しいんだけど」


「……うん、持っていく。ありがとう、ミヅハ」


 ミヅハに握られた手を見つめて、ハツメは答えた。


「僕は四神信仰を守りたいだけで、お前を谷の娘として話してるだけだから」


 ハツメが顔を上げれば、別にお前の為じゃない、と少年は話す。握った手はそのままで。


「でも、一応こうして話すようになったんだし。簡単に死なないでよね。……僕じゃイチルを止められないから」


「ミヅハはこれからどうするの?」


「迎えが来てるんだ。ここへは抜け出してきた。まいてきたから安心して」


 そう言ってミヅハはハツメの手を離す。少年の手はハツメのよりも少し小さかった。


「ルリが心配していたわ」


「……あいつには、これから会いに行くつもりだよ」


 ミヅハの声が小さく、沈んだ。少年は物悲しげに外を見やる。


「もう行かなきゃ。じゃあねハツメ。お互い生きてたら、また会えるといいね」


「私のこと切り札だって言ってたけど……」


「もう! ……本当のことくらい、もう分かってるだろ」


「うん。ありがとう、ミヅハ」


 笑うハツメに少年はふん、と鼻を鳴らした。

 少し照れた彼だったが、すぐに元の冷静な顔に戻るとハツメの寝所を後にする。


 先ほどハツメが寝床についたときよりも雨は強まっている。軒下で傘を差した彼は、足元を濡らしながらルリの元へ駆けて行った。

お読み頂きありがとうございます。

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