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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第一章 山ノ国編
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第十話 トウヤ

 突然放たれた一矢に、ハツメも男たちもぴたりと固まる。


「可愛らしい少女に向かって、失礼はどちらだ。品性の欠片も感じられぬな」


 まるで歌うような、抑揚のきいた口調だ。ハツメは声のした方を見上げると、瓦屋根に一人の男が座っていた。手には弓を携えている。


「ああ? なんだお前?」


 瓦屋根の男はひらりと地上に降りる。


「俺は山ノ国主に仕える神官ぞ。恐喝の罪で罰せられたくなければ即刻立ち去るがよい」


 自信に満ちた表情だ。


 知らぬ間に人だかりも出来ていて、男たちは分が悪いと気付いたらしい。逃げるように立ち去った。


「さぁ、周りの皆も仕事や休暇に戻るがよい。ここは俺が引き受けるぞ」


 ざわざわと皆戻っていく。

 どうやら助けられたようだ。


「さて、道端でお困りの可愛らしい少女よ。俺の名はトウヤと申す。其方の名を、教えてくれぬか」


 一瞬悩んだ後、ハツメです、と答えた。


「良い名だな。ではハツメ嬢、その男は私が背負おう。これからどうするつもりだったのだ?」


「呉服屋に行く予定でした。でも、初対面の方にこの人は背負わせられないです」


「俺を信用したまえ。今は男の顔色も良いし、何もしないと約束する。背負ったまま付いて行くぞ」


 トウヤという男はそう言うとひょいとアサヒを背負い、呉服屋へ歩いて行く。


「ちょ、ちょっと!」


 ハツメは慌てて追いかけるのだった。


 わざわざ買い物に付き合うなんて、変人か、はたまた演技でもしている悪人か。ハツメはじっと男を観察する。


 歳はハツメよりやや年上か。手入れのされた青みがかった黒髪は前髪を真ん中で分け、流している。吊り上がった眉、自信のありそうな目付きが印象的な色男だった。話し方といい動作といい品が良いという言葉がしっくりくる。


「さぁ、着いたぞ」


 トウヤと共にのれんをくぐる。


「あら、トウヤ様! ……隣の子はもしかするとお嬢さんかしら。 男装までさせて逢いびきなんて、妬けちゃうわぁ」


「そうだったら良かったのだが、人助けだ。ほら、男を背負っているだろう」


 売り子の女性と軽口を叩いている。そこそこ有名なのだろうか。


「お嬢さん、何を用立てだい?」


 売り子はにかっと笑顔で問いかける。


「出来るだけ安くて、普段使いできる女物が欲しいです」


 ここの呉服屋は仕立屋に行ったり自分で仕立てをしなくても良いように、仕立て売りというものを行っているそうだ。すぐに出来るようなので、そのまま待つ。


「ええと、トウヤさん、助けて頂いてありがとうございました」


「呼び捨てで良いし、敬語も必要ないぞ」


 戸惑うハツメにトウヤはもう一度、必要ないと言う。


「じゃあトウヤ、本当にありがとう。ええと、トウヤは山ノ国の神官なの?」


「ああそうだ。人助けは仕事のようなものだからな。気にするな」


 仕立てまで終えた着物を受け取り、宿へ戻る。トウヤは結局宿までアサヒを背負ってくれた。


 宿へ戻ると、シンが先に戻っていた。


「シン、実はアサヒが――」


 ハツメが言い終わるよりも早く、


 シンは剣を抜き、


 アサヒを背負うトウヤの喉元にぴたりと剣先を合わせていた。


 ひやりとした緊張感が部屋を覆う。


「おお。随分と物騒な挨拶だな」


 トウヤの笑みは崩れない。


「何者だ」


 シンは鋭い目でトウヤを睨む。


「山ノ国の神官だ。まずはこの男を降ろそうではないか」


「怪しい動きはするなよ」


 普段のシンと全く違う。

 しかし、普段というのはあくまでハツメの印象だ。アサヒとハツメに対して丁寧なだけで、これがいつものシンなのかもしれないな、とハツメは思い直した。


「ふむ、では改めて。俺は山ノ国主に仕える神官、トウヤと申す。神官証もあるぞ」


 トウヤはそう言って金属の札を見せる。


「本物のようだな」


「当然だ。その男を背負ってきた理由だが、まぁ意識を失う現場に居合わせてな。最近は怪しい輩も増えているから、人助けだ」


「意識を……」


 シンはまじまじとアサヒを見る。


「この話は確かです。アサヒが倒れ込んだ直後変な男たちに絡まれて、助けて頂いたのです。ただ、こんなことになってしまって、本当にごめんなさい」


 これは間違いなく面倒事に入る。ハツメは自分の我儘に付き合わせた所為で、アサヒにもシンにも、ついでにトウヤにも迷惑を掛けてしまったと反省していた。


「ハツメ様、顔をお上げ下さい。これは誰の所為でもありませんよ」


 遅かれ早かれ神官に会うとは思っていました、とシンは言う。


「その通りだハツメ嬢」


 トウヤは立ち上がる。


「最近怪しい輩が増えているというのも、無視できなくてな。……今度はこちらから聞かせて頂こう。其方らはどこから来た?」


 怪しまれていたのは、ハツメたちだった。


 トウヤの笑みに挑発の色が宿る。

 シンは何か答えようと口を開くが、トウヤの手に制される。


「お主程の手練れだと誤魔化されそうだからな。ハツメ嬢、答えてくれ」


 何と言えば良いのだ。言葉が見つからない。


「ではもっと簡単に聞こう」


 ずいっとトウヤがハツメに近付き、顔を近づける。


「其方らは、谷ノ国の人間か? それとも、錫ノ国の人間か?」

お読み頂きありがとうございます。

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