53 生きる子どもたち その12
幾重もの鱗を羽毛のように広げた翼から〝熱〟を噴き出し、大空に舞い上がる。
ずっと……〝飛べる〟気がしていた。
でも、飛び方が分からなかった。
巣の中で大空を見つめ続ける雛鳥のように、その意味さえ分からず空を見上げていた。
ゴォオオオオオオオオオオオオ――ッ!
「…………」
まだ冷たい風が頬を叩き、真っ赤な翼が空を切る。
今はまだ細かい制御も滞空もできず、真っ直ぐに飛ぶだけしかできない。でも、それでいい。それが〝竜〟の飛び方だと私の〝血〟が教えてくれた。
「……見えたっ!」
森が抉られるように真っ直ぐに続く〝道〟の先に、膨大な土煙に紛れて巨大な象の影が垣間見えた。
子どもたちの所へ行かせるものかっ。
手脚や背中に生えた真っ赤な鱗が鋭利に逆立ち、視界が変わるように竜の瞳へ変化する。闘争本能を漲らせるように尖った牙を剥き、戦いを始める合図のように〝竜の咆吼〟を放った。
「――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!」
間近で鳴る雷鳴の如き轟音が大気を震わせるように響き渡り、周囲の山々からまだ生き残っていた小鳥たちが一斉に飛び出して墜落していく。
それでも花火の光と音で興奮した巨大象は止まらない。私は咆哮をあげたまま巨大象を睨みつけて、声に〝熱〟を込めた。
「――ぁあああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
――〝竜の息〟――巨大な熱線が、閃光となって巨大象へ飛んでいく。
「――ッ」
今までの最大火力の反動で、高速で飛んでいた速度が落ちて失速しかけて高度も落ちたが、〝竜の息〟が直撃した巨大象の動きも見るからに減退した。
でもまだ倒せていない。墜落しかけていた私は二メートル以上もある真っ赤な翼をはためかせ、長く伸びた尾を振ることで態勢を整え、再び大空に舞い上がる。
倒せていないけど痛手を負わせたはず。私はこの機を逃すまいとさらに翼に〝熱〟を込め、速度を上げて一気に巨大象へ追い縋った。
巨大象が駆け抜けた土埃の中に飛び込むと、そこは〝竜の息〟で焼かれた灼熱の地獄と化していた。でも、そこに見える巨大な影はまだ動いている。
私はさらに近づくために翼を羽ばたいて速度を上げる。巨大象の背の上を跳び越えるとき、大きく抉れた背中の傷が見えた。これは……
「……届いてない?」
その瞬間――
『パォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
突然、巨大象が叫びをあげ、巨大象を追い抜かそうとした前方から、まるで列車のような巨大な柱が飛んできた。
「くっ――」
翼をひるがえして避ける私の横ギリギリをすり抜けるように〝柱〟が飛んでいく。
違う! 柱じゃない!
その柱のようなモノは蛇のようにうねると躱したはずの私を、背中にとまった小鳥を追い払うようにその〝鼻〟で吹き飛ばした。
「――ッ」
高速列車にでも跳ね飛ばされたように、小さな私の身体は翼を羽ばたかせる間もなく、周囲の森に叩き落とされ、巨大樹木をへし折りながら大地へ叩きつけられる。
「……ぐっ」
――パキ、パキンッ――
咄嗟に身体を覆って盾とした翼から大量の欠けた鱗が崩れ落ちて、新たな鱗に生え替わる。
「痛ぅ……」
再生を始めた翼と腕でのし掛かっていた巨大樹木を押しのけ、口の中に溜まった血を吐き出す私の瞳に、叩き落とした私には目もくれずそのまま走り去っていく巨大象の影が映る。
巨大象の上を飛ぶとき微かに見えた。私の渾身の〝竜の息〟も分厚い皮と脂肪で肉に届いていなかった。
痛みはあっても微かな痛痒だけ……。背中の脂肪が煮だっていても、それをした私を、虫を払い落とすように落としただけ。
どうしようもない? 到着する前に追い抜かして、子どもたちを連れて逃げるしかない? 全員連れて飛べる? 飛べなかったら? 速度が出ずに追いつかれたら? でも――
「諦めない!」
大量に食らった巨大馬の血肉を消費するように、翼に〝熱〟を込め、鱗の隙間から炎を噴き出すように私は再び大空に舞い上がる。
「――っ」
いっきに雲の高さまで昇る。あまりの速さと高度に皮膚と髪に霜が張り付き、即座に降下するように前方へ飛ぶ空気との摩擦熱に溶け、そのまま燃え上がる流星となって空を飛んだ。
「居たっ!」
追いついた! でも、巨大象はすでに刑務所跡の廃墟を踏み潰し、まっすぐその先にある小学校に向かっていた。
巨体のせいであまりにも速い。ここから追い抜かすことが出来たとしても、私の発する高熱で子どもたちを焼いてしまう。
巨大象を止めるしかない。止めるには巨大象を倒すしかない。
でも――どうする!?
「〝熱〟か……」
その瞬間、思いついた愚かな手段に自分の頭を疑う。
〝竜の息〟では倒せなかった。でも、傷つけることは出来た。それならわずかに希望はある。
私は角槍を前に構える。
大きく息を吸い、わずかに躊躇いそうになる心を、巨大馬と戦ったときを思い出して〝竜〟の本能に身を任せた。
「行くっ!!」
ドォオオオオオンッ!!
背中の翼がロケットのように炎を噴き上げた。壁のように立ち塞がる大気を打ち破る音が遙か後方から聞こえてくる。
あまりの速度に一瞬で迫る巨大象の背中。槍の先が灼熱して、大気との摩擦で切っ先が揺れ、私は目を細めて目標を見定めた。
「――そこっ!」
私は翼を小さくたたんで前に構えた角槍を〝鏃〟のように構える。
「――――――――――――――ッ!!」
響き渡る〝竜の咆吼〟の中、先を駆け抜ける巨大象……その背中の〝疵〟に私は灼熱の〝矢〟となって突き刺さった。
***
――ドドドドドドドドドドドドドドドドッ!
「……じ、地震?」
小学校にいる子どもたち。花椿が大人たちを救いに行き、子どもたちは彼女の帰りを待っていたが、そこに地震のような揺れが襲い、リンとアキが小さな子を机の下に誘導する。
「お前ら、出てくるなよ! リン、こいつら頼むっ」
「アキは!?」
「ちょっと外を見る!」
そう言ってアキは、パラパラと降る古い天井材に、机の一つを傘のように両手で抱えて外へと走り出した。
「……なんか変だ」
アキはこの地震が普通ではないように思えた。
もし現代人の経験があれば、この揺れが地震と言うよりも何かが近づいてくる『震動』だと気づけたかもしれないが、平和だった頃を知らないアキはそれに気づけなかった。
小刻みに震えるような揺れ。それと合わせるように響く音……。
そうして外に出たアキは、その揺れがある方角から響いているように感じられ、そちらに目を凝らした瞬間、遠くから立ち上る黄砂のような土煙と、その中にいる巨大な影に気づいた。
「……リンっ! 巨大象だ!! こっちに来る!」
幼児たちを抱きしめていたリンが、アキの悲鳴のような声に顔を青くして顔を上げる。
「こんなときに……みんな、行くよ!」
「う、うん!」
せかされて寝ぼけ眼で返事するヒナが他の二人の手を引く。
教室の天井がポロポロと落ちてくる中を、リンは子どもたちに毛布を被せてアキのところへ向かうと、そこで見たものは、おぞましいまでの速さでこちらへ迫る、怪獣のように巨大な象の姿だった。
「なんで……」
「リンっ! 早く逃げるぞ!」
へたり込んだリンをアキが立たせようと腕を掴む。でも、今から逃げても避けられるとは思えなかった。たとえ今から逃げ出しても数十メートルも行かないうちに巨大象に踏み潰されるか、破壊されて破裂するように飛んでくる瓦礫に巻き込まれる。
もし数分早く気づいて逃げ出せたとしても、動くものを追ってくるかもしれない。
せめて5分……いや、10分は逃げる時間がないと安全圏まで逃げ切れない。たった数秒で倍近く大きく見える巨大象の姿を、子どもたちは恐怖する感覚さえ麻痺して、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
でも……
そのとき――
――……キィイイイイイイイイイイイイイイイイインッ!!
知識があれば、それを『ジェット機の飛行音』のように聞こえたはずだ。高速で接近する燃えさかる発光体は、巨大象の背後から迫るとその背中に突き刺さる。
ドォオンッ!!
「きゃああああああああ!?」
「掴まれ!」
雷鳴のような轟音が響き、リンが悲鳴をあげながらも幼児たちに覆い被さり、それをアキが抱きしめた。
『パォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!』
巨大象の咆吼が大気を震わせ、小学校の残っていた窓ガラスに罅を入れる。
ズズンッ……。
それまで振動を響かせていた巨大象の動きが見るからに遅くなり、それに気づいたアキがリンたちの肩を揺さぶる。
「分かんないけど、今のうちに――」
「待って……あれ……」
……ズズンッ。
何かが突き刺さった巨大象の背中から大量の蒸気が上がり、脚を止めた巨大象の全身からも湯気が立ちのぼる。口から沸騰するような血を吐いた巨大象が、小学校の目の前でゆっくりと崩れ落ちた。
ドドォン……ッ!!
「ひっ」
倒れた震動に小学校のガラスが割れ、天井が崩れ落ちてヒナやリクが悲鳴をあげる。
「なに……が……?」
「あれっ!」
こちらまで熱気が届くような湯気を上げる巨大象。沸騰していたその背中の疵から巨大な炎が吹き上げ、そこから姿を現したのは……。
「ツバキ……ねーちゃん?」
血塗れで真っ赤な翼と長い尾を生やし、悪魔のような姿をして全身から炎を巻き上げる花椿の姿だった。
完全に”人”ではない姿をさらした花椿。
子どもたちの反応は?




