45 生きる子どもたち その4
「文字を覚えたいのは、お勉強がしたいの」
次の日、アキとリンに付きあって食料を摂りに来た。色々聞きたいことはあったのだけど、その前にリンから昨夜の『文字を覚えたい』という理由を教えてくれた。
「うん、教えるのは問題ないよ」
「やったっ」
私があらためて承諾すると、リンが小さく飛び跳ねるように喜びを表す。
小学校にはまだ読める本がいっぱい残っていた。置きっぱなしにしていた子どももいて、教科書は全学年分揃っているはず。
「オレは別に……」
でも〝お勉強〟という言葉にアキが難色を示すと、リンが目を見開いて詰め寄った。
「なに言ってるの、アキ! 食べられる草とか、危ない動物とか分かるんだよ」
「わ、わかったよ……」
……もう尻に敷かれているのか。まだ幼いから男女の差とかあまり意識してなさそうだけど、本能的に逆らってはいけないと察しているのか。
「オレたち、ひらがなくらいしか読めないもんなぁ」
それでもアキは少し嬉しそうだった。お勉強は苦手でも、知らないことを知るのは楽しいことだからね。
そんなたわいのないことを話ながら私たちは森で野菜を探す。
子どもたちが主に食料を採りに来ている〝森〟とは、昔からある山林ではなく、元は農家の畑だったところが樹木に呑み込まれた場所だった。
もちろん野生化しなかったり、採光とかの問題で育ちの悪いものもあるけど、探してみると結構色々な野菜があった。逆に山菜や自然薯などの元から山にある野菜はほとんど見ない。
「ツバキおねーちゃん、これが〝トマト〟でいいんだよね?」
「たぶん、そう」
私も〝知識〟で知っているだけで実物を見たことがなかったので自信はないけど、表面にうっすらと産毛が生えた青臭い実はトマトだと思う。
「あ、これ、ピーマンかな?」
「うげ……」
私がピーマンらしき野菜を見つけるとアキだけでなくリンも顔を強張らせる。
確かに子どもが嫌いそうな野菜だけど、リンまで顔を顰めていたので味見をすると、〝知識〟で知っているほんのりとした甘さはなく、野生化したせいかガチで苦いだけの野菜になっていて驚いた。
でも一番驚いたのは、二人の身体能力だ。
十数メートルもある樹木にするすると登って、五メートル以上離れた隣の枝に飛び移る様子には肝が冷えた。リンは二階建て程度の高さなら平気で飛び降りるし、アキは一抱えもある石も普通に持ち上げていた。
本当に〝普通〟じゃない……。
今の世界で生きていくには必要な力かもしれないけど、古い人間がそれを受け入れることができるのか、難しいとは思う。
それから小さい子が好きそうな木イチゴっぽい物を摘んで、幼児たちがお留守番している小学校へ帰る途中、露骨にならないように色々聞いてみる。
「みんなは、いつからあそこに住んでいるの?」
子どもたちは追い出されたか捨てられた。下手なことを聞くと傷を抉るようなことになるので慎重に訊ねると、二人はポツポツと思い出すように話してくれた。
「オレとリンが五歳の時だっけ?」
「私は四歳だったよ。それまではあそこにいたんだよ」
リンが遠くに見える刑務所跡に視線を向けて、少しだけ複雑そうな顔をした。
二人はあの刑務所跡での生活を語らない。幼すぎてよく覚えていないのかもしれないし、思い出したくないのかもしれない。
でも……きっとそこでの生活は、〝幸せ〟だったと思う。
他の避難民たちと一緒に南へ行くことができず、この土地に取り残されてしまった大人たちにとって、新しく生まれた〝子ども〟は本当に宝だったはず。
「みんなの他に、子どもはいなかったの?」
少子化でも子どもがいなかったとは思えない。子どもがいる家族なら、多少無理をしてでも安全を求めて南へ向かったかもしれないけど、まだ赤ん坊なら旅ができずに残った人もいたはずだ。
「う~ん、どうだっけ? オレがすっげぇ小さい頃はいたような……」
「うんとね、大きくなったから出ていったんだって、聞いたよ」
二人が小さい頃は他にも子どもがいた。リンの記憶によると、その子が旅に耐えられるようになった時点で、刑務所跡から出ていったらしい。
確かに沢山の人がいる政府が指定した避難所があるのなら、そちらのほうがいいと思う。そっちのほうが比較的安全に子どもを育てることができる。
でも、本当に……?
一家族か二家族、旅ができると言っても十歳程度の子どもを連れて、巨大動物がいる世界を旅するの? 自動車があればいける? 十年で道路さえも埋まってしまったのに、子どものいる両親がそんな決断をしたの?
「それにしても、二人ともそんな小さな頃から二人だったの? 大丈夫だった?」
五歳と四歳。そんな幼児を追い出すなんて、本当に死ねと言っているようなものだ。二人は子どもとは思えない身体能力を持っているけど、それでも平気なはずがない。
でも、そんな言いようもない想いを抱いた私に二人は首を振る。
「二人じゃないよ?」
「え……」
まさか当時一歳のヒナや乳児のリクもいたのかと息を呑む。
「そうじゃなくて、知らない〝ねーちゃん〟がいたんだ」
「うん、その〝おねーちゃん〟が私とアキに色々教えてくれたんだよ」
「へ? ねーちゃん?」
交互に話す二人の話を要約すると、刑務所跡の集落から離れた場所に放り出されて、途方に暮れて泣いていた二人の許へ、いきなり〝おねーちゃん〟が現れたらしい。
知らないねーちゃんと言うことは、刑務所跡に避難していた人じゃない。その人は二人を抱き上げると、小学校まで連れて行き、食料の採り方や生きる術を教えてくれたそうだ。
二人が簡単に尻尾や角がある怪しい私を信用したのは、私がその〝ねーちゃん〟と年格好が似ていたからだと思った。
「今、その人は?」
「いつの間にかいなくなってたよ」
「変な〝ねーちゃん〟だったからなぁ」
二人がどこか呆れたように、懐かしそうな雰囲気でそう呟いた。
とにかく二人から言わせるとその人は〝変なねーちゃん〟だったらしい。
何をするにも他人事のような感じで、放置、放任、当たり前。手は貸してくれるけど、基本はアキやリンにやらせて、飢えそうなら突然山のような食べ物を持ってくる。
一日、二日消えて、ふらっと戻ってくる。泣いていても甘やかしてはくれないけど、寂しいと寄り添ってくれる。
そのうち、何日かいなくなることが増えて、二年くらいしてアキとリンが二人でもなんとか生きられるようになった頃、帰ってこなくなった。
その頃には二人とも彼女はそんなもんだと割り切り、さほど悲しくはなかったそうだ。
「一番〝変〟だったのは、いっつも綺麗な服を着ていたの!」
「そうそう! 色々貰ったけど、全部綺麗だった!」
服も食器も靴も、彼女から渡された物は、廃墟にある薄汚れた物ではなくて全部〝新品〟だったみたい。
手付かずのスーパーでもあればそれもあり得るかもしれないけど、彼女はいつも同じ黒い服に黒いスカートを穿いていて、ピカピカの靴を履いていた。
「……確かに変な人だね」
どういうことなんだろ? 色々と謎だ。
「なに言ってんだ? ツバキねーちゃんだって、いきなり現れたよ?」
「あ、そうか」
子どもたちからすれば、私だっていきなり現れて大量の肉を抱えた変な人だった。
「角や尻尾があるツバキおねーちゃんほどじゃないよね」
「だな」
私が一番〝変〟な人だった!?
それでも信用してくれたのだから、やっぱりこの子たちはいい子だな。
でも、真新しい物をくれるって……もしかして森にあった新品の手鏡って、その人が置いていった……とか? 私がこの場所に気づくように?
それって……本当に人間?
彼女の容姿と服装は……学校に制服? それはあの電波塔のある森で見た気がした、女の子の幽霊とどこか似ていた。
まさか、本当に幽霊? それとも実在している人?
やたらと謎が多いな……その女の子。
「ただいまぁ」
「「「おかえり~」」」
小学校に戻るとヒナ、リク、ソラの三人がわらわらと飛び出してきた。
一応これまでのことから大丈夫だと思っていても、三人の無事な姿を見るとホッとする。
この子たちも〝普通〟じゃない。アキやリンの話だとこの三人が一緒になってから、大きな怪我もなく病気になったこともない。
まだ幼いから身体能力はアキやリンほどじゃないけど、声をかけて姿を見せるまで気配すら感じなかった。
この子たちにも色々教えたい。私も学んだわけじゃなく生まれつき知っていた〝知識〟でしかないけど、大人から拒絶された子どもたちに何かしてあげたかった。
「ただいま、みんな」
そう言って私も飛びついてきた幼児たちを三人纏めて抱きしめた。
謎の少女の正体はなんなのか?
子どもたちとの関係は?
次回はお勉強と迫り来るもの。




