42 生きる子どもたち その1
手鏡に導かれて見つけたその場所は、高い塀に囲まれていた。
「……たぶん、刑務所だよね」
自信はないけどたぶん刑務所。初めて見るから違うかもしれないけど、あれがもし学校だったらそれこそ終末だろって感じ。
しかもそこには〝人間〟がいる。だって、炊事のようなちっちゃい煙が上がってるんだもん。
「まぁ、とりあえず行ってみるしかないんだけど」
ここまで来て確かめないという選択肢はない。
焼け残った建物や、それを呑み込んで伸び立つ巨大樹木を越えて、そちらへ近づいていくとようやくその刑務所らしき場所の様子が見えてきた。
「……襲われてるなぁ」
焼けた街の境となる川までくると、遠くに元はクリーム色だった外壁に幾つもの傷がついているのが見えた。おそらくあの場所も巨大動物に襲われた。よく見れば外壁のコンクリートに穴が開いていて、内側から鉄板のようなもので塞いでいる。
正直言って……。
「よく生き残っているよね……」
いや、生き残っていることは良いことなのだけど、機動隊とか軍隊ならともかく、普通の人間でよく勝てたもんだよね。猿とか鹿とか、壁を簡単に越えられる奴がいなかったのは幸運だったのかもしれない
川はそれほど大きくはなかったので、幅が狭くなっているところを見つけて、勢いつけて跳び越えた。
そのまま刑務所のほうへ近づいていくと建物の上階で影のようなものが動いて、塀の向こうからなにか人の声のようなものが微かに聞こえた。
これは……私のことに気づいたかな?
入り口は道路らしき場所から奥まった場所にある。そこに金網だった残骸と検問らしき建物があったので、下手に近づくと刺激するかもしれないから、その場に荷物を置いてその上に腰掛けながら相手の出方を待つことにした。
そうしてしばらく待っていると……。
「――おーいっ! そこの人! どこから来た!?」
バリケードで塞がれた入り口のある灰色の建物の窓が開いて、男性らしき声と姿が見えた。
おお……本当に人がいた! 婆ちゃんに続いて二人目だ。……良かった。ウータンみたいな変なのじゃなくて。
「東の方! 山を越えた電波塔!」
私がそう叫び返すと、その人だけじゃなくて窓の奥に数人の人影が動くのが見える。
「女っ!? いや、子ども!? ちょ、ちょっと待て!」
窓の男性がさらに叫ぶと、中にいる人たちと何やら話し合っているようだった。
「とりあえず、そこを動くな! 動くなよ!」
「……分かったぁ!」
とりあえず敵意がないことを示すように手を振り返すと、男性が奥へ引っ込んだ。
「……なんだかなぁ」
もしかして人間を警戒している? 私も無条件で受け入れてもらえるとは思っていなかったけれども、婆ちゃんの次に会った人間からこれだけ警戒されると、自分の中の浮かれていた気持ちが萎んでいくのが分かる。
さらに少し……と言っても十分少々だけど、そのくらい経ってから入り口のバリケードの奥から何かをどかすようにして数名の男たちが姿を現した。
先頭に立つ四十歳くらいの筋肉質のおじさん。
初老のがたいの良い目つきの鋭い男性。
少し脅えたような態度の眼鏡を掛けた三十代くらいのお兄さん。
眼鏡の兄さんは警棒のようなものを持っていたけど、残りの二人はあきらかに私を警戒するように黒光りするそれを私へ向ける。
「猟銃……?」
年嵩の二人が猟銃らしきものを持ち、それどころか筋肉質のおじさんは腰に拳銃のようなものも下げていた。
もしかして警察の人? その三人は近づいてくると十メートルほど離れた位置で足を止める。
「……あんた、外国人か? なんでこんな所にいる?」
初老の男性が困惑したようにそう呟き、その隣の眼鏡の兄さんは、私の格好を見て驚いたように不躾な視線を向けてきた。
「おやっさん、外国人でも若い女ですよ! ガキじゃない」
「わかっとるから落ち着け!」
窓にいた人は、この眼鏡の兄さんか。その人の、まるで若い女をひさしぶりに見たような言い方に、少しおかしなものを感じながら会話を続ける。
「ここにいるのは、花火が上がったからだよ。ここじゃないの?」
私がそう言うと、初老の男性と眼鏡の兄さんが苦虫を噛みつぶしたような顔をして、そこに筋肉質のおじさんが銃を構えながら一歩前に出る。
「……それなら確かにここの物だ。十年前の押収物だから、下手をすれば打ち上げる前に爆発する恐れがあった。……あいつらめ」
……あいつら? 打ち上げたのは本意ではなかったのか。ラジオを聞いた誰かが勝手に打ち上げたのかな?
なんで刑務所に花火があるのかと思ったら、押収物だったらしい。どんな状況? 脱税でもしたのかな? おじさんは銃とか必要な物をとりあえず警察署のほうから持ってきていたそうだ。
それを打ち上げた人とか気になるけど、それよりも……。
「……女の人はいないの?」
眼鏡の兄さんが私の脚やお腹をジロジロと見てくる。見ているのを隠そうとしているのか微かに視線を外しているけどバレバレだよ。
「女性はいる。あんたほど若い人はいないが、少々精神を病んでいる人もいるので、会わせることはできない」
「まぁいいけど……」
精神を病んでいる……? まぁこんな世界だから仕方ない……のかな?
「少し、話を聞いてもいい?」
「……いいだろう」
世間話……と言うより尋問かもしれない。その流れで少しだけ話を聞くと、ここには二十三人が暮らしているらしい。思った通り、筋肉質のおじさんは警察の人だった。
最初に巨大動物が襲ってきたとき、ここの所長がしたのは収容者の解放だった。本当なら司法の指示を受けなくてはいけないらしいけど、署長は緊急事態として独自の判断をすることにしたらしい。
日本に罪人はいても極悪人は滅多にいない。粋がっていた人も何ヶ月か収監されれば、真面目に働くようになる。だから署長は人命救助や被害者の収容先として刑務所を使うことを考え、その手伝いをさせようと収容者を解放したが、数日で半数の人が逃げてしまったそうだ。
「受け入れた一般人もいたが、ここに政府の救援が来ないことを理解した者たちは、署長を含めて南へ避難していった」
やはり南に避難していることで正解みたい。その頃はまだテレビも動いていて、政府が避難場所を掲示していた。
「それじゃ、ここに残ったのは?」
「動ける体力のない人たちや、その家族だ。それと収監者の中にも、逃げずに手伝いで残ってくれた者がいる」
そこでおじさんがチラリと初老の男性を見ると、彼は憮然とした顔で横を向く。
この人が刑務所にいた人か……。昔の任侠みたいな感じの人なのかも。
「それより、嬢ちゃん。その……変な格好はなんだ?」
初老の男性が話題を変えるように私へそう言って、眼鏡の兄さんがまた私の脚を見つめてくるのが分かった。
「まだ寒いのに、そんなコスプレみたいな格好で……え?」
私を見ていた眼鏡兄さんが声をあげる。
「ちょっとその尻尾……動いている!?」
その声に驚いた二人が私の動く尻尾に気づいて、目を見開いた。
「まさか……それ、本物か?」
筋肉質のおじさんがそう言って銃を私へ向ける。
ああ~~……やっぱりそうなるか。誤魔化せるとは思っていなかったから私も覚悟を決めて立ち上がると、二人が銃を構えた。
「うん……一応、自前だよ」
バチンッ、と尻尾が地面を打つ。
「馬鹿な……こんなことが」
「に、人間じゃないのかよ……それじゃ、その角も!」
初老の男性と眼鏡兄さんが驚愕するように一歩下がり、筋肉質のおじさんが険しい顔で私へ銃を向けた。
「動くなっ!」
「…………」
警戒する三人から、先ほどまであった和やかな雰囲気は消えて、脅えるような強い警戒心とわずかな敵愾心のようなものが感じたれた。
まぁ、予想はしていたけど。
「一応、話を聞いて……」
「近づくなっ!」
――ダンッ!!
おじさんが持つ猟銃が私の足下の地面を穿つように吹き飛ばす。
「……俺たちはお前のようなバケモノを受け入れない。お前に理性があるのなら、すぐにここから立ち去ってくれ」
おじさんが歯を食いしばるように言う。
私の〝竜の目〟に微かに見える〝感情〟……。後悔? 苦悩? 恐怖?
「……分かった」
私は武器を構える三人の前で荷物を拾うと、角槍を担いで背を向ける。
あんな銃程度で今の私の鱗を貫けるとは思えないけど、これ以上関わり合うのも面倒だ。全面降伏して土下座してまで交流したいわけじゃない。
私は武器を構える三人に背を向けて、何も言わずに歩き出す。そのまま来た道を引き返す私を、あの三人はかなり離れるまで警戒するように見つめていた。
分かってはいたけど……
「きっついなぁ……ねぇ、婆ちゃん」
せっかくの熊肉分けてやんないよ、バ~~カッ!
さてどうしよう? 人間に会うという目的は達したけど、成果はほとんどなかった。
一応、集団の人間には受け入れてもらえないと分かったことは収穫か。
それよりもあの人たちは色々不審な点がある。もうどうでもいいんだけど、花火を打ち上げた人がどうなったのかだけは、ちょっと気になった。
これから何処に行こう? 最初の目的通り南に向かうのでも、現在地を確かめないといけないからまずは今晩の寝床を決めようかな。
そう考えたそのとき――
――ガサッ。
「やあ、尻尾の姉ちゃん! 今夜の寝るとこいるなら」
「うちに来なよ、角のお姉ちゃん!」
突然近くの木の枝にぶら下がるように現れたのは、薄汚れてほつれた衣服を着た、まだ十歳にもなっていなさそうな、男の子と女の子だった。
突然現れた子どもたち。
ツバキはその子たちと接触する。




