ジェーン・ドウ
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──ジェーン・ドウ
「でさ。これに入っている情報ってなんだと思う?」
七海は宇宙海賊ポセイドンのアジトになっていたオービタルシティ・ホープからシャトルに乗り移りながらそう尋ねる。
「さあ? 調べてみるか?」
「できればそうしておきたい。気になるだろ?」
「気にならないといえば嘘になるな」
七海が記憶デバイスを手でくるくる回しながら尋ねるのにアドラーがそう返す。
「私が開いてみよう」
アドラーはそう言い、記憶デバイスをBCIポートに接続。
「ふむ。流石に暗号化されいるな。これは手こずりそうだ」
『おっとー? ハッカーから手に入れた情報を分析してるの?』
「ああ。一応把握しておこうと思ってな」
『あたしも手伝うよ』
「頼む。かなり高度に暗号化されている」
李麗華がここで出てきてアドラーにそう提案する。
『では、データを拝借して』
李麗華はそう言うとデータの解析を開始。
『高度ではあるけど古い暗号モデルだね。このタイプならあたしが組んだ限定AIで解析できるよ』
「流石だな」
李麗華はそう言って分析だけを目的にした限定AIで、キャッチ=22の持っていた暗号データを解析していく。
『オーケー。一部のデータ解析の結果が出たよ。これはある科学者の人物像だね。えーっと。エーミール・ハイデッガーさんだって』
「何の学者だ?」
『人物像によれば精神科学。特に電子薬物が脳に及ぼす影響の調査を行っている学者さんで……おやおや、メティス・メディカルの技術者だ』
「メティス・メディカル?」
『地球のメガコーポ。医薬・食品・ナノテク部門の覇者だよ』
「へえ」
メティス・メディカルは地球のメガコーポだそうだ。
だが、不可解なのはどうして地球のメガコーポの技術者の情報を、火星のハッカーであるキャッチ=22が地球企業に売ろうとしていたのか。
『うーん。残りのデータは解析できなさそう』
「難しいのか?」
『やろうと思えば強引にできるけど、オリジナルのデータに解析したってログがついちゃうんだ。そうなるとあたしたちがデータを盗み見たことが、このデータを受け取るだろうスカーフェイスたちにばれる』
「そこまでのリスクがあるならやらないでいいさ」
李麗華のアバターが眉を歪めて悩むように言うのに、七海は気軽にそう返した。
「しかし、電子薬物の専門家の情報をギャングとハッカーが狙っていたとは。新手の電子ドラッグでも作ろうと思ったのか……」
「電子ドラッグってなんだ?」
「BCI手術を受けている人間は脳に直接信号を送ることができる。それを悪用したものだ。脳に直接オールドドラッグを投与したときと同じ信号を送り込み、脳を興奮させたり、逆に鎮静させたりする」
「へえ。電子タバコみたいなもんか」
「微妙に違う気がするが」
七海がいい加減なことを言うのにアドラーは苦笑い。
「七海。これからBCI手術を受けるとしても、電子ドラッグは絶対にやるなよ。あれは敗者の慰めだ。ビッグになる人間がそういうものには頼らない」
「オーケー。もちろんだ、相棒」
アドラーの警告に七海が頷く時には、七海たちが乗るシャトルは火星の大気圏を抜け、地上に迫っていた。
「どこに着陸するんだ?」
「李麗華からナビを受けている。廃棄された飛行場のひとつに着陸する」
流石にフィリップ・K・ディック国際航空宇宙港に着陸するわけにはいかない。このシャトルの本来の持ち主が激怒して待ち構えているかもしれないのだ。
そこで七海たちはアマチュア飛行家たちが連中のために利用していたが、最終的には廃棄された飛行場へと着陸した。
「ただいま、火星。なんだかんだで地面があるのはいいことだ」
『おかえり、七海。それでね。そっちに車を回しているから、それで指定された場所に向かって。スカーフェイスから連絡があって、お土産の引き渡し場所が通知されてきたから』
「早速だな。向かうとしよう」
李麗華からそう連絡があり、七海たちが待つと、一台のSUVが走り込んできた。無人のそれは七海たちの前に止まり、扉を開いた。
『乗って。それだよ』
「私が運転しよう。七海はお土産を頼む」
アドラーが運転席に乗り込み、七海は助手席に腰かけ、SUVが出発。
七海たちを乗せたSUVは火星の荒れた道路を走り、オポチュニティ地区に入る。それから暫く走るとスカーフェイスが指定した取引場所が見えてきた。
それは最初の仕事と同じような廃工場で、七海たちがそこに近づくと武装したドローンが飛んできて七海とアドラーをスキャン。それで問題はなかったのか、廃工場のゲートが開かれる。
そして、七海たちは廃工場の敷地内でスカーフェイスを確認するとSUVから降りた。
「ハッカーは始末したようだな」
「ああ。問題なく。それからこれがお土産だ」
「それが、か。少し待て。客が来る」
七海がお土産の記憶デバイスを見せて言うのに、それを確認したスカーフェイスがそう言ってくる。
その時だ。重低音の反重力エンジンの音が響いてくると、上空から七海が見た空を飛ぶ車両が姿を見せた。
「パワードリフト機か。どうやら大物がご登場のようだな」
「うへえ」
アドラーが言ったパワード・リフト機は反重力エンジンを響かせたまま、ゆっくりと地上に降り、それから分厚い装甲車のような扉が開いた。
そこから現れたのは濡れ羽色の髪を長く腰の辺りまで伸ばし、喪服のような派手さのない黒いドレス姿の女性だった。瞳の色は赤いものの、黒というのがとても印象的に残る人物である。
その女性は七海たちを見るとにこりと微笑んでみせた。
「スカーフェイスさん。そちらの方々がデータを?」
「ああ。七海、こっちの女性はジェーン・ドウだ。今はそれだけ分かっていればいい。彼女にお土産を渡せ」
ジェーン・ドウと呼ばれた女性が尋ねるのにスカーフェイスが七海にそう命じる。
「はいよ。これがお土産だ」
「ええ。確かに受け取りました。ありがとうございます。七海将人さん、ですね。我々は今回の仕事の成功を高く評価しています。そうであるが故にこれからもご縁がありますことを願っております」
「それは何よりで。俺たちはウィザーズっていうチームだ。覚えておいてくれよ」
「もちろんです。それでは失礼をいたします」
七海がそう言い、ジェーン・ドウはお土産を受け取ると、丁寧に礼をしてパワード・リフト機に乗り込む。
「それではごきげんよう、皆さま」
そしてジェーン・ドウはパワード・リフト機で去った。
「わざわざ自己紹介したのはいい判断だと思えないな」
ジェーン・ドウが去るとスカーフェイスがそう呟く。
「どうして?」
「分からんかね。あれは企業のフィクサーだ。ばりばりに企業と繋がっている」
「ふむ?」
七海には企業がどうのと言われてもいまいちぱっとしない。
「ジェーン・ドウ。まさに企業のフィクサーか。お前もろくでもない人間と取引したんだな、スカーフェイス」
「俺が自分から望んで連中を呼んだと思うか? 向こうからお土産を寄越せって言われたんだよ。そうしないと……分かるだろう?」
「ろくなことにはならないな」
スカーフェイスがお手上げと言うように言い、アドラーはため息。
「なあなあ。企業ってそんなに取引するとやべえやつらなの? 怖いんだけど!」
「ああ。やばいやつらだよ。怖いぐらいはちょうどいい。慇懃無礼に振る舞いつつも、こちらを使い倒して、尻の毛までむしっていくような連中だからな」
「マジかよ」
「マジだよ」
七海が呻くのにアドラーがそう言う。
「それはともあれ、だ。まずは今回の報酬を支払おう。企業が介入しただけあって、報酬はいいぞ。8万ノヴァだ。受け取れ」
「うひょー。これは一気に儲かったな」
七海たちは未だに棺桶ホテル暮らしだったが、それが改善できそうなほどの金が報酬として支払われた。
「しかし、気を付けろよ、七海、アドラー、それから李麗華。企業のフィクサーはお前たちに目を付けたぞ。これからどう扱われるか、備えておくことだ」
「ああ。気を付けておくよ」
スカーフェイスに警告され、七海はそう頷くと廃工場をアドラーと去った。
「さて、これで棺桶ホテル暮らしもどうにかなりそうだな。それから俺もついにBCI手術が受けられそうだ」
「私が安全なクリニックを探しておいてやろう」
「頼む、アドラー」
七海も目的のひとつはBCI手術を受けることだった。ARデバイスも便利なのだが、やはり様々なデータをやり取りするならばBCI手術は欠かせないだろう。
「それから住処を定めないとな。どこか物件を借りようぜ。やっとこさ、俺たちがビッグになるビジョンが見えてきたじゃないか」
「ああ。このまま上り詰めようぜ、相棒」
そしてアドラーと七海がグータッチ。
彼らは廃工場を去ると、報酬を分けに李麗華のマンションを目指した。
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