後日談・ディディエ編《後編》
父の即位十周年記念式典には近隣諸国から来賓が集まる。母の母国であるカルターレガンからは多数やってきて、その中にはバルナバスとベアトリクスの兄妹もいた。
会うのは七ヶ月ぶりだが、元々が疎遠だから、こんな短期間でもう再会かという気分だった。
バルナバスは相変わらず、軽い調子で令嬢たちを侍らせている。
私に会うとニヤニヤして
「少しは大人になったか?」なんて言った。「リュシアンなしでの社交は大変だろう」
図星だった。この数ヶ月で、以前の私がどれほど彼の助けに頼り、しかもそれに気がついていなかったかを嫌と言うほど知らされたのだ。
この兄妹に『考えが甘い王子』と軽蔑されるのも仕方ない、と認めざるを得なかった。
「うちのベアトリクスのほうが余程しっかりしているよ」とバルナバスは笑った。
そのベアトリクスは、以前よりもかなり大人びたようだった。年もひとつとったそうだが、背も伸び雰囲気も違う。けれど変わらず我が儘なようではあった。
そしてまだ婚約は決まっていないらしい。
前回は淡い恋の邪魔をしてしまったから、まだエルネストを思っているのなら、今回はひと肌脱ぐべきだろうか。
そんなことを考えていたら、まるでデジャブのような光景に出くわした。
場所は違うが庭園に出る扉のそばで、ベアトリクスが彼に散策の付き添いを頼んでいたのだ。
はっとして足を止めると私に気がついたベアトリクスは、キツイ目つきで睨んできた。
エルネストは今回も仕事中だとの理由で断っていた。
「エルネスト。何の仕事中だ」と尋ねると、彼の隊は個々に別れて王宮内の巡回中だという。
「それならば巡回を兼ねて……」
と言いかけて気がついた。真冬だ。庭は寒いのではないか。
「……温室を案内してやってくれ。前回に約束したのだが果たせなかった。私は母に呼ばれている。王宮内は来客が多いから、おかしな客に彼女が絡まれないよう頼む」
エルネストは怪訝な顔をしながらも承知して、驚いた表情のベアトリクスを連れて行った。
これで前回の罪滅ぼしになっただろうか。
それともまた、独りよがりの自己満足だろうか。
ダメだっならば後でバルナバスが責めにくるだろう。
◇◇
そろそろ晩餐の時刻だと自室を出ると、ベアトリクスに出くわした。
「あら、奇遇ね」と彼女はツンと鼻を天に向ける。
「このあたりは私の部屋しかないが」
「そうなの。通る階を間違えたようね」
ベアトリクスはそばにいた侍女に、気をつけなさい、なんて注意をし侍女は澄ました顔で、申し訳ありませんと謝る。
「温室は楽しめたか?」
尋ねると、我が儘姫の顔はみるみる赤くなった。
そしてそっぽを向くと
「最高に楽しかったわ。これで前回のことは許してあげる」
と言って、何故か怒っているかのような態度で去って行った。
「よく分からん」
彼女の後ろ姿を見ながらそう呟くと、
「ディディエに必要なのは経験だが、まずは恋愛小説を読んで学ぶといい」と声が返ってきた。
バルナバスだ。急に現れた。ということは柱の陰にでも隠れていたのだろう。
「妹のストーカーか」
「違う」笑うバルナバスの後ろにひょこりと私付きの若い侍女が赤い顔で現れて、こちらにペコリと頭を下げると早足で去って行った。
「……」
「気にするな」とバルナバス。
「……何をしているんだ、お前は」
「向こうから声をかけてきたから、少し一緒に歩いてやったのさ」
柱の陰を歩くのかと言おうとして、やめた。空しい。
「ベアトリクスは何故、怒っているのだ?」
ふたりで晩餐に向かうことにして、ツッコむ代わりに尋ねる。
「怒ってなどいない。恥ずかしさを隠すために、そんな風に装っているだけだ」
「そうなのか? 意味が分からん」
バルナバスは憐れむような顔をした。
「私が十七の頃はもっと女心がわかったぞ。そんな風だから、ど」
「関係ないだろっ」
「どうしようもない、と言おうとしたのだが」
腹立つ従兄はくっくと笑う。
「とにかく恋愛小説を読め。お前じゃ経験を積めと言うと、ろくでもない女に捕まってしまいそうだからな」
「そんなことはない。私の初恋は素晴らしい令嬢だった」
変わり者だったけれど、と胸の裡でだけ付け足す。
「ピュア王子」
バルナバスが背中を叩いた。またからかっているのかと思ったが、そんな表情ではないように見えた。
「だが王に必要なのは、美しい初恋じゃない。現実を見ろ。叔母上が嘆いていたぞ。お前が一向に婚約者を決めないと言ってな」
思わずため息がこぼれた。
十八の誕生日までには決めなければならない。それが王族の風習だからだ。だがアニエスより夢中になれる令嬢も、素晴らしいと思える令嬢もみつからない。ならば王の妻に相応しい令嬢を選ぼうと考えてみても、気が乗らない。
このままだとイヴェットと婚約させられそうだ。だが彼女には、絶対に回避してと命じられている。
父の式典のために各地から集まった客の中に、適した相手がいると助かるのだが。
「そういうお前こそ、どうなんだ。もう二十歳なのにいつまでもふらふらと」
「私の結婚は父が決める」とバルナバス。「一番王家に益がある婚姻を考え中だ」
「お前も大変だな」
「王子ならば当然のことだ。ディディエの考えが甘い」
「……」
「とはいえ、王家といってもそれぞれに考えも伝統も違うからな」
そこから真面目に、それぞれの王家や国の話となった。やはりバルナバスが軽く見えるのは上辺だけで、中身はそうではないらしい。
食堂に着くとベアトリクスがツンとした顔をしてラリベルテの王女と話していた。
さっきはあんなに真っ赤な顔をしていたのに。
そう考えるとあの我が儘王女も、存外可愛い。
◇◇
来賓をもてなす舞踏会。ラリベルテの大公たちと話していると彼が、
「リュシアン殿にお会いするのを楽しみにしていたのですが、いやはや残念」と言い出した。「遠方に公務で行かれているとか」
それは我が王室の公式発表ではあるが、嘘であるのはみな知っている。大公は年配ゆえか、彼の噂を知らないようだ。場に微妙な空気が漂う。
「手紙で伝えますよ。彼もきっと残念がっているでしょう」
そう答えつつ、あなたの国におりますけどねと心の中で伝える。しかも騎士団員なんてものをしているらしいから見かけているかもしれませんよ、とも。
「私も早く公務を終えて戻ってきてもらいたいのですが、彼はあちらの生活を楽しんでいるようでしてね。いつ帰ってきてくれることやら」
なるほどなるほどと、大公がうなずく。
「叔父様も公務で外国生活が長かったのですよね」
とラリベルテの王女アネットがさりげなく話題を変えた。
彼女は十七歳で婚約者はいない。ほんの少しだけふくよかで丸みを帯びた顔は、愛玩動物のような可愛らしさがある。そしてふくよかさの賜物なのか、胸元はかなり立派で、目のやり場に困るほどだ。
のんびりした性格なのか、話し方もおっとりしていて、誰かさんとは正反対だ。
気もきくようだし一応、婚約者候補に入れよう。
そんなことを考えていると、またしても両脇に令嬢を侍らせているバルナバスがそばを通りすぎた。
あいつはいつもいつも、なぜモテるのだ。自分の国でもないのに。
だがほうっておいてそのまま歓談を続けていると、しばらくしてベアトリクスがやって来た。失礼しますと淑やかに一言声をかけて割り入ってきて、私に
「兄を見ませんでしたか」と尋ねた。
「それなら先ほど」
あちらのほうにと彼が向かった先を示したが、人は多く、彼の姿は見えない。
「ありがとう。探してみます」と彼女は言って場を離れようとした。
と、アネットが私が見て
「こちらは構いません。ベアトリクス様おひとりでは難儀でしょう」
と言った。
「では失礼して」
ベアトリクスと会話の輪を抜ける。
「バルナバスがどうかしたのか」
「大叔父が大激怒よ。こんな場で見境いなく令嬢といちゃついているって」
大叔父とはカルターレガンの前国王の弟である大公だ。かなりの老齢だがかくしゃくとして、未だ大きな発言力があるらしい。
「だが、いちゃついているのは確かだ」
「あれで兄様だって婚約が決まるまでと割りきっているのよ。見苦しくはあるけれど、短い自由を満喫したっていいはずだわ」
ベアトリクスはちらりと私を見た。
「王族なのに惚れた腫れたで相手を選べるこの国が羨ましいわ」
「私はフラれたけどね」
ベアトリクスは急に足を止めた。
「そうなの?」
「知らなかったのか。てっきりバルナバスから聞いているかと思った」
「兄様は他人の恋路については口が固いのよ。だけど残念だったわね」とベアトリクス。「やっぱり鈍感無神経を直したほうがいいのよ」
「……エルネストも相当だと思うが」
とたんに我が儘王女の顔が赤くなった。なんでこんなところだけ、素直なのだろう。
バルナバスの行方をひとに尋ね歩くうちに、広間を出た。
これは見つからないのではと思っていると、柱の陰からキャッキャウフフと聞こえてきた。通りすぎるふりをして覗き見ると探し人が両脇に令嬢をかかえて、いちゃついていた。
「兄様」
ベアトリクスが静かに呼びかけると、令嬢たちは我に返って気まずげな顔をうつ向けた。
「大叔父様から伝言があります」
「そうか」バルナバスは笑顔を令嬢たちに向けた。「すまないが、外してもらえるかな」
彼女たちがそそくさと去ると、バルナバスは
「どうせ、控えろと言うのだろう?」と言った。
用件を分かっていたらしい。
「あの口うるさささえなければ好人物なのに」
「大叔父様がうるさくするのは兄様だけでしょう」
兄妹がやいやいと言い合う。
「ところで何故、ピュア王子がいる?」
「その言い方はやめろ!」
ベアトリクスが首をかしげている。「鈍感王子なら分かるけれど」
「どちらもやめてくれ、無節操王子に我が儘姫」
と、ベアトリクスの顔が真っ赤になった。我が儘と言われたからといって恥ずかしがるはずはない。視線を追うと、廊下の先に部下を連れたエルネストがいた。こちらに向かってきている。巡回中だ。来賓が多数訪れているから、近衛兵は総出で警備に当たっているのだ。
バルナバスも柱の陰から出て来て、妹が何を見ているか確認すると、ふむと一言、それから広間のほうを見た。
「ベアトリクス」とバルナバスは言って妹の手をとり、突然踊り始めた。
「え、兄様!?」
広間からは始まったばかりのワルツが聞こえてきてはいるが、もちろんこんなところで踊っている者などいない。廊下を行き交う者が驚いている。
「うん、広間より空いているから踊りやすいな」
とバルナバスが何故か大きな声で言う。
それから。
ふたりの近衛のそばまで行くと突然止まり、
「後を頼む」
とベアトリクスを無理やりエルネストに押し付けた。そうして付近にいたご婦人になにやら話しかけ、その腰に手を回して行ってしまった。
残されたのは呆然としたベアトリクスとエルネスト。ワルツはまだ続いている。
「た……頼まれていましたよ」
部下が困惑しつつ、促す。
「え」とエルネスト。おずおずと「あ……踊りますか?」とベアトリクスに声を掛けた。
「結構よ!」
そう答えた彼女はツカツカと戻ってきて、何故か私の腕を取って広間に向かった。
「いいのか?」
「だって、おかしいじゃない!」
小声で返すベアトリクスは真っ赤な顔をして泣きそうで、
――そんな彼女は、可愛かった。
◇◇
「なかなか強引なことをするな」
舞踏会の翌日、たまたま顔を合わせたバルナバスにそう言うと、彼は何のことか分からなそうな表情を数秒したあとに、
「ああ。ベアトリクスのことか」
と手を打った。
「あれがモテる秘訣とは到底思えないね」
嫌みを言ってやる。
「可愛い妹の思い出作り」とバルナバス。「国に戻ったら、婚約だからな」
「ベアトリクスが?」
そう、とバルナバス。「ハゲデブ中年国王と」
「決まっているのか?」
「ほぼ。春には輿入れとなるだろう。彼女は覚悟を決めているが、それと初恋は別だろ? あんなろくでなしに嫁がせる前に、少しは恋を楽しませてやりたい」
あの我が儘生意気王女が、ろくでなしに嫁ぐ。以前だったら、お似合いだと思ったかもしれない。だがあんな表情を見せられたら複雑な気分だ。エルネストと結婚なんて不可能な話だが、それでもなんとかしてやりたいという気持ちになる。
「ひとつだけ」とバルナバスが言った。「あの男との結婚を免れる方法があるにはあるのだがね」
◇◇
サロンの前を通りかかると、中から令嬢たちの声が聞こえてきた。見るとイヴェットやジョルジェットをはじめとした我が国の若い令嬢たちと、近隣諸国から来た王女や令嬢たちが集まっている。盛大なお茶会のようだ。
ベアトリクスはツンとしながらも令嬢たちとよく話し、楽しそうにしている。
そういえばイヴェットとも趣味を通して仲良くなったと聞いている。『我が儘ではあるけれど、慣れれば可愛いものだわ』と彼女は話していた。
ぼんやりと見ていたら気が付かれて、令嬢たちが騒ぎ始めた。私はちゃんとモテるのだ。王子の肩書きがある限り。
「ああ、すまない」ざわめく令嬢たちを落ち着かせてから、彼女を見た。
「ベアトリクス。いいか?」
彼女は不思議そうに目を瞬かせてから、うなずいて周りに丁寧に断りを入れて席を立った。
我が儘であっても、きちんとしてはいるのだ。
出て来た彼女を誘って、少し離れた別の部屋に入った。
「何のご用かしら」
ツンと上を向いた鼻。険しい目。
「結婚しないか?」
ベアトリクスの顔から険が消えて、呆けた表情になった。
「バルナバスから聞いた。このままなら、ろくでなしのハゲデブ中年国王と婚約させられるのだろう? 私もあと二か月の間に相手を決めないとイヴェットと婚約することになる。彼女には、絶対に回避してくれと厳命されているのだ」
「……ああ。だからイヴェットはアネット姫にあなたを勧めていたのね。彼女、困っていたわ」
ベアトリクスが間の抜けた声で言う。
「お互い利害が一致するだろう?」
「そうだけど」
彼女はまだ私の言葉を信じていないような様子だ。
「私と結婚すれば、エルネストにも常に会える」
そう言ったとたんに、胸がツキンと傷んだ。
――今のはなんだ。
予想外の痛みに戸惑う。
「私は結婚したら、きちんと全てを胸にしまうわ! そんなこずるい人間ではないわよ!」
ベアトリクスは怒りの表情だ。
――可愛い。
湧き上がった気持ちに、自覚した。どうやら私は彼女を好きになっているらしい。
また、他の男を好きな女に惚れるなんて、間抜けにもほどがある。だが今回は、逃さない。
「私とてもちろん、許すのはプラトニックまでだ」
そう告げた声が自分でも驚くほど嫉妬にまみれていて、ベアトリクスも目を見開いたまま硬直した。
それから一瞬にして赤面した彼女は、
「まあ。そんなに私と結婚したいのなら、してあげてもいいけど」とあらぬ方を見ながら小さな声で言った。
「だけど私、胸は豊満ではないから覚悟はしてね」
「胸?」
「底上げしてこれよ」
「何の話だ?」
「だって、そういうのが好きなのでしょう?」
重ねて何のことだと尋ねようとして、思い出した。春に、頬にできたアザの理由を隠すために、くだらない嘘をついたことを。
「私って完璧美少女ではあるけれど、これだけが欠点なの」
悔しそうな口調に愛しさが募った。
「可愛いからそんな欠点は気にならない」
ベアトリクスはビクリとして、ますます赤くなった。
「鈍感無神経王子がどこでそんなセリフを覚えたのよ」
「昨晩読んだ恋愛小説」
「あら」
「で、結婚でいいのだな?」
「いいわ」
ひょいと彼女の顎をつまんで。
悲しい記憶がよみがえった。
「……キスしていいか?」
「嫌よ!」
清々しいまでにきっぱりとした拒否。
「……エルネストがいいか」
「それもあるけど」とベアトリクスは目を反らす。「段階というものがあるでしょう!」
「段階……。どのくらい踏めばキスになる?」
ベアトリクスの顔がますます赤くなる。
「百!」
「百……」
「ひとつめは、まずは両親に結婚の許可をもらう」
「その前に兄に報告」
突如割って入った声にふたりして飛び上がる。
扉の元に、ニヤニヤしたバルナバスが立っていた。
「いいぞ、ディディエ。兄が許可する。残りの九十九はすっ飛ばして構わない」
「ダメよ」とベアトリクス。
「お前、やっぱり妹のストーカーなんじゃ……」
◇◇
懸命にアピールをしたおかげか父の式典が終わるころには、ベアトリクスはエルネストへの熱は冷め、私にだけ可愛い赤面を見せるようになっていた。
無事に婚約も済ませ、彼女が帰国をするという日。
「百が終わるまで待てないのだが」
そうねだると、彼女は真っ赤な顔を私に向けて
「ん!」
と目をつぶった。
あんまり可愛いのでまじまじと観察していたら、ベアトリクスは待ちきれなかったのか薄目を開けた。それがまた可愛くて。
すかさずキスをしようとしたところで
「おいピュア王子」とバルナバスが邪魔をしにきたから、あやうく殴りかかるところだった。
くっくと笑う彼を見て、もしかしたら全てこいつの企みだったのでは、という考えが浮かんだ。
だけど真っ赤になってワナワナ震えているベアトリクスは可愛いから、何でもいいかと思い、愛しい婚約者の額に口づけた。
お読み下さり、ありがとうございます。
ディディエの幸せをご希望して下さった方、ありがとうございました。
おかげさまで、形にすることができました。




