後日談・ジスラン編
「本当なのか、ジスラン。カロンの話」
昼のお勤めが終わり神殿を後にする道すがら、同期の神官が声をかけてきた。
「何のことですか」
と聞き返しながら、そのカロンの姿が見えないことに気づく。いつもなら真っ先に寄ってきて、ねぎらってくれるのに。
「結婚」
耳に入った言葉に思わず足を止め、同期の顔を見た。
「……結婚? カロンが?」
「なんだ、知らないのか。ならばガセか」
「いいや」と別方向から声が割って入ってくる。こちらは年配の神官だ。「話は決まっているぞ。今は詳細を詰めているらしい。ジスランは彼女から聞いてなかったのか」ジジイはニヤリと嫌な笑みを浮かべた。「ついに見放されたのだな」
「ジスランは最近は品行方正ですよ」同期がフォローしてくれる。
が、それどころろではない。
結婚だなんて話は全く聞いていない。
しかも、決まっている。
決まっている、だって?
相手は誰だ。
どこの男だ。
一体どういうことだ。
のけ者にされた悔しさなのか、胸の裡にムカムカしたものが広がった。
◇◇
事務棟に戻ると、前からカロンがやって来た。
「先輩、お勤めご苦労様でした。すみません、私は来客があって参加できなかったんです」
いつも通りのカロンだ。
「来客って?」
通常ならば来客よりも勤めが優先だ。だが
「ちょっと……」と彼女は言葉を濁した。
こんなことは初めてではないだろうか。彼女は何でも俺にうち明けてきた。裡で何かがざわつく。
「私には明かせない相手ということか」
自分でも驚くほど不機嫌な声が出た。カロンも戸惑っている。
「カロン、来なさい」
返事も待たずに足を進める。何がこんなに面白くないのか。裡で俺をさいなむものが強くなる。吐きそうだ。
……いや、分かっている。
カロンはずっと俺のそばでぼやきながらも支えてくれるものだと思っていたのだ。彼女に見放されたくないから、女たちも断った。
それなのにカロンは俺から離れるというのか。それも結婚。嘘だろう? カロンに限って。
神職のなり手不足解消のために、禁じられていた婚姻が半年前から可能となった。けれど真面目で巫女の仕事に全てを捧げているカロンには無縁のことだと思っていたのだ。
だいたい彼女に男の影などなかったではないか。
……くそっ。
別棟の中庭の隅にあるあずまやに入る。
真夏の昼下がり。この時期のこの時間には人が来ないため、サボるための絶好のスポットなのだ。ここは一日中陽が当たらないせいで、結構涼しい。以前は悩み相談にやって来たご婦人たちと、よく利用していた。
ベンチに腰かけるとカロンも座る。隣でも向かいでもなくななめ横の席。彼女はいつもそうだ。俺たちの間に線引きをしているような感じがある。
「カロン。私に話していないことがあるのではないか」
また不機嫌な声だ。というか自分でも自分のセリフに理不尽さを感じる。彼女は俺の担当のようなポジションにいるけれど、正式な上下関係があるわけではない。他の巫女が俺を敬遠していたせいで、いつの間にか彼女がそこにおさまっていただけのことなのだ。長をはじめとした上の連中も認め利用する半ば公式な仲ではあるけれど、カロンが私に何もかもを告げなければならない義務はない。
ああ、ムカムカする。
「ええと」カロンは視線を彷徨わせた。「もしかしてお耳に入りましたか? 私の結婚」
ムカムカが爆発する。やはり本当なのか。
「ああ、入った。何故カロンの口からではなく他人から聞かされなければならないのか。どういうことだ。相手は誰だ。きちんと説明をしなさい」
俺は何様だ。彼女の父親のつもりか。
「すみません」
と頭を下げる彼女にまでイライラする。
謝罪が欲しいわけではないのだ。
『そんな訳があるはずないじゃないですか』
そう彼女に笑い飛ばして欲しかった。
「先輩にどのタイミングで伝えればいいか迷ってしまって。……どんな反応されるかと考えると怖くて」
怖い。俺が?
その事実にショックを受ける。俺はずっと彼女と良い関係だと思っていたのに、それは独りよがりだったのか。
「先輩。結婚したら私、先輩の担当を外れます。上の指示です。近頃の先輩なら、他の巫女も近寄れるだろうからって」
「……」
「すみません。ちゃんと巫女たちに先輩のくせとか好みとか引き継ぎますから」
「……何故、そんな大事なことを話さない!」
思わず出た声の大きさにカロンがビクリとして俺を見た。怯えた目をしている。
「すみません」
「違う、謝罪を聞きたい訳じゃない」
「すみません。先輩は私に関心はないかなと思って」
「そんなことがあるはずないだろう」
どうして俺が女と遊ぶことをやめたと思っているのだ。
カロンに見捨てられたくなかったからだ。神官を辞めろと言われるぐらいなら、悦楽を捨てるほうがマシだった。
きゅっと拳を握りこむ。
それなのに俺は、カロンを失うのか。
どこぞの、俺ではない男に彼女を奪われるのか。
「……相手は。誰だ。私の知っている奴か」
うなずくカロン。
ああ、ムカムカする。
「先輩もご存知の……」
と彼女は俺がよく出入りしていた男爵家の次男の名前を上げた。近衛に所属し優秀だとのウワサだ。だが彼女自身はそいつとの接点はなかったはずだ。まさかエルネスト経由で仲が深まったのか。
「いつからそんな仲になった」
吐きそうだ。カロンがそいつと手を繋いだり、身を寄せあったり、そんなことやあんなことをしたというのか。
彼女は首をかしげた。「そんな仲も何も。先輩、どこまで話を聞きましたか?」
カロンの不思議そうな態度に毒気を抜かれる。
「君の結婚が決まっているとだけ」
「広告塔ですよ、私」
「『広告塔』?」アホのように言葉を繰り返す。
「はい。婚姻を解禁したものの、都にある本庁に所属する神職で結婚した者はほぼゼロ。そのせいか、神官も巫女もなり手の希望者は一向に増えていないでしょう?」
そうなのだ。鳴り物入りの解禁だったのに、効果は全くなくて上の連中は頭を抱えている。
というか、つまりカロンの結婚は……。
「だから若手を結婚させて、神職の婚姻は本当に可能だと世間にアピールするそうです。折よく男爵家からも、浮いた噂のない娘を次男の妻にしたいとの相談が来て、トントン拍子に話が決まったんです。ここ一週間ぐらいで」
「つまり、偽装結婚か」
「いえ」カロンの頬が赤くなる。「子も沢山産めと指示されています。出産は巫女のキャリアに影響しないとのアピールも必要だそうで」
ぐらりと頭が揺れる。
出産!? カロンが。
やめてくれ。出産するには、ヤることをヤらないとならないのだ。
「君はそれでいいのか。広告塔になるために、よく知らない男と結婚だなんておかしいだろう」
カロンは赤らんだ顔をうつむけた。表情が見えなくなる。
「私は教会に全てを捧げると決めていますから」
「それとこれとは話が違う!」
長め。カロンならばこう言って断らないと見越したに違いない。
「それと実は」カロンはうつむいたまま、話を続けた。「実家からも解禁直後から、結婚を求められているんです」
「どういうことだ。聞いていない」
カロンの実家は多くの神官と巫女を排出してきたそうで、その地方ではかなり歴史ある名家だと聞いている。だからこそ彼女は真面目に真摯に巫女をしているのだ。
ただ、彼女の兄弟は兄しかおらず、従兄弟もなしで、家系がかなり細まっているらしい。
「結婚して十年の兄夫婦がいまだお子に恵まれなくて、このままだと断絶するかもしれないのです。だから私に子を産んでほしいそうで……」
「カロンは子を産む機械でも広告塔でもない! みな、何を考えているのだ!」
顔を上げた彼女は、笑みを浮かべた。嬉しそうに。
「先輩。ありがとうございます。その言葉だけで、私はがんばれます」
「がんばる必要などない」
思わず身を乗り出してカロンの肩を掴んだ。細い肩。はっとして手を引く。彼女には触れないようにしてきた。真面目な巫女なのだ。
「いいのです。両親の焦燥はよく分かるし、この身が役に立てるならば」
「カロン」
「先輩の担当を外れなければならないのは予想外でしたけど」
カロンはまたうつむいた。
どう見たって、これは納得している人間の態度ではない。そう思いたい。
「結婚は決定なのか。拒否できないのか」
「……一応、まだ正式ではありません。先ほど本人と初顔合わせをしたのですが、これであちらが私を了承すれば本決定です」
「馬の骨ごときにカロンを拒否する権利などあるものか!」
ついムカッ腹が立って、言葉を吐き捨てる。
驚いて顔を上げた彼女は、笑った。
「反対してくれるのか、応援か、どちらなんですか」
そんなもの、決まっている。
「実家を安心させるため、教会への忠義のためにカロンは結婚をする」
「はい」
「気は変わらないのか」
「はい」
「この条件ならば、相手は誰でもよさそうだ」
「そうですね」
「まるで他人事のようだ」
「……誰でも同じですから」
息を吐く。深く。長く。
「……結婚なんて大嫌いだ」
「知っています。先輩は責任をとるのが嫌だから神官になったのですもんね。よくそんな最低なことを言う人が神官になれましたよ」
「……誰かひとりに縛られるのも御免だ」
「どうしたんですか?」
カロンが不思議そうに俺を見ている。
結婚も恋も好きじゃない。俺には相容れない概念だ。
だけど腹をくくる時が来たらしい。
困ったことに俺は、彼女を失うぐらいなら他の全てを失うほうがマシなのだ。
「カロン。誰でも同じならば、私にしろ」
「はい?」
彼女が目をぱちくりさせる。
「今後私は好きになるのもヤるのもカロンだけと誓う。だから、結婚するなら、私にしてくれ」
カロンの目が限界まで見開かれている。
「失いたくない。そのためなら何でもする」声が震える。「カロンが好きだ」
まばたきを繰り返すカロン。
「……そうか。分かった。夢を見ているんだ。先輩が私を好きなんて言うはずがないもの。あの倫理観欠如の節操なしが、そんな愁傷なこと。うん、あり得ない」
そう言って彼女はよいしょとあずまやの囲いにもたれて目をつぶった。
「嫌な夢。余計に辛い」
その頬を涙が流れる。
「カロン」
立ち上がり、彼女の隣に座り直すと抱き締めた。
「返事は、カロン。一世一代の求婚を無視しないでくれ」
ぱちりと彼女の目が開く。
「……先輩……」
「返事は? イエスでいいか? いや、イエスしか受け付けない。この俺が全部を捨てるのだ。責任持って俺を愛してくれ」
「……ええと」
「ダメだというなら、この場で既成事実を作る。そうだな、それが早い。自覚してから一年近くガマンしていたし」
「ちょっと、先輩!?」
ワタワタし始めたカロンに素早く唇を重ねる。
「これでカロンは私のもの。いいな?」
真っ赤な顔のカロン。可愛いし、そそられる。
「いいと言わないなら、もっと凄いことをする」
「せせせせ先輩!」
「何?」
「ふしだらはやめたんじゃないのですかっ!!」
「やめたよ。カロンを失うのは嫌だから」
彼女を更に抱き締める。
「今、ふしだらしたいのはカロンだけだ。で、返事は?」
「……私、本当は嫉妬深いんです。こんな幸せのあとに浮気されたら、先輩を刺しちゃうかもしれませんよ?」
「そんなに私を好きだったのか?」
「そうですよ」
「気づかなかった。すまない」
「刺される覚悟はありますか?」
「失うよりはずっとマシ」
「それならイエスと返事をします」
「良かった」
全身に安堵が広がる。
「もう少しキスしたいが」後ろ髪を引かれつつ、彼女から離れる。「手遅れになる前に上に言いに行こう。今回の話は破談。カロンは私と結婚すると」
「はい、先輩!」
共に立ち上がるとその耳元に口を寄せた。
「カロンも覚悟しろ。以前は他方面に散らしていた欲が、これからはカロンだけに集中するのだから」
「え?」
「私も実は、重いんだ」
カロンの白い首筋にキスを落とす。
くっきりとついた跡に満足する。
何をされたか全く分かっていないカロンの手を取って、
「では行こうか」
と強い日差しの元に足を踏み出した。
カロンはゲームではテンプレな悪役なので、結構本気で刺しちゃう発言をしていると思います☆




