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【書籍化に伴い12/21に公開終了】困りました。縦ロールにさよならしたら、逆ハーになりそうです。  作者: 新 星緒


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最終話・南国の夏、初キスでございます

「アニエスちゃん。男連中にご飯だと声をかけてくれる?」

「はいっ」


 元気よく答えて書斎に向かう。

 季節はすっかり夏。母国とは全く異なる強い日差しとカラリと乾いた風。ギリシアのリゾート地に似ている。テレビでしか見たことはないけどね。


 オレンジ色のタイルが張られた廊下を進み細かいスリットの入った扉を開けると、リュシアンと叔父がチェス盤を挟んで難しい顔をしていた。


「昼食よ」


 と声をかけるとふたりははっと顔を上げた。

 直ぐに立ち上がったリュシアンは、ありがとうと笑顔で歩み寄ってくる。叔父は盤をにらみつけたまま。また劣勢なのだろう。


「叔父さん。仕事もしないと編集さんに叱られてしまうわよ」

「リュシアン、代わりに書いておいてくれ!」

「いいけど俺の名前で発表しますからね」

「賛成!」

 笑いあい、手を繋いで書斎を後にする。


 リュシアンと私は、台本どおりに駆け落ちをした。ラリベルテの叔父の元へ。

 台本どおりでなかったのは、協力者が増えたこと。


 私たちが駆け落ちすると決めた時、折よく、即位十周年記念式典の招待状をラリベルテに届けるための使節が、出発するところだった。その警護はクロヴィス隊で、リュシアンはその一員に紛れ込んだ。私は男装してクロヴィスの従者見習いに。

 全ての手配をしてくれたのは、宰相だった。


 更にリュシアンの荷物には、本人に覚えのない小切手が入っていた。その包みには『婿入りのために用意していた持参金の一部です。自由に使って下さい』と書かれていた。

 名前はなかったが、大公妃が入れたのではないかと思っている。


 イヴェットから届いた手紙によると大公妃は、自分の振る舞いを情けなく思う気持ちはあったものの、どうしても感情の整理がつかなかったのだと話しているという。

 だからその罪滅ぼしのつもりなのだろう。

 だからって、これで今までのことは精算されたなんて考えないけどね。


 それからルドワイヤン伯爵。彼はせっかく跡取りができると喜んだのにと恨み節をあちこちで炸裂しているそうだ。


 マルセル詩、クレール作曲の歌も庶民の間で大流行。詩は出版され、近いうちに劇にもなるという。

 王都は貴族社会も一般社会も、すっかり不憫な大公令息の悲恋物語で大盛り上がり。


 しかも狙い通りに、祭祀と祭りに集まった人々が故郷でこの話を広めた。

 ベアトリクス王女もカルターレガンで吹聴しまわっているらしい。


 おかげで国王と補佐の評判は見込みとたがわず大暴落。即位十周年には盛大なケチがつき、販売予定だった記念グッズは買う人がいないだろうからと製造中止になったという。


 一方でリュシアンと私は、アダルベルトが叔父に知らせておいてくれたので、すんなりと迎え入れてもらえた。

 叔父は以前より真面目に生きていて、文筆家として一定の知名度と信頼があるらしい。何も気にせず好きなだけここにいなさいと、優しく言ってくれた。


 赤ちゃんを産んだばかりの叔母は私の手をとって、『駆け落ちでご飯三杯いけるわ』と叫ぶような人だった。さすが叔父の奥さんなだけあって、変わり者のようだ。


 ふたりはリュシアンに、しばらく羽を伸ばすといいと勧め、私も賛成した。だけどリュシアンがのんびりしたのはひと月ほどだけ。

 ある日、こんなグウタラは飽きたと叫んで出掛けて行ったかと思うと、騎士団員になって帰ってきた。テストを一発合格したという。


「……隣国の元王族と話した?」

「いいや」

「知られたとき、騒ぎにならないかしら?」

「その時がきたら、考える」

 という訳で、リュシアンは実力で就職を果たした。


 ついでに全てを知っている叔父の担当編集が、彼に自伝 (という名の暴露本)を書かないかとお誘い中。リュシアンは作家という人生もおもしろいなと執筆を前向きに検討している。すっかりミステリーマニアになってしまったので、いつか自分でも本を書いてみたいと思っているのだ。


 私はやることがないので日々筋トレに励んでいたのだけど、すぐに弟子が出来た。叔母だ。産後太りの解消に良さそうねと言って始め、はまってしまったのだ。

 最近は体型を気にするママたちが口コミでやって来て、ちょっとしたフィットネスクラブのようになっている。

 他人が参加となると何を着てやるか問題が出てきたので(それまでは下着だった)、筋トレ用の衣服を生産した。すぐに売り切れた。


 という訳で今の私の肩書きは、体操教室講師兼スポーツウェアデザイナーだ。

 ちなみにリュシアンは、さすがお前!と褒めてくれている。


 ディディエやロザリー、ギヨーム。私たちの仲間は頻繁に手紙をくれる。

 ロザリーはバジルと婚約をした。男爵家の人々も了承してくれたそうだ。

 それからジョルジェットも、例の婚約者候補と婚約。春に挙式予定。クロヴィスとマノンはつい先日、入籍したばかり。


 他の人たちも、一名を除いて元気にしているという。

 一名はマルセルだけど……ディディエが懸命に励ましているようだ。


 それからディディエ情報によると、来年早々に神官や巫女の婚姻が認められるという。志願者減が深刻だから、数年前から検討されていたそうだ。すっかり清らかな神官に変身したジスランは、どうするのかな? 楽しみだ。


 バダンテール家にお咎めはない。リュシアンの婚約者の出奔を許しているから私を責めることが出来ない。これもマルセルの台本にあった。エマとアダルベルトがシャルルを全力でサポートしてくれているけど、本人は姉の出奔を気にしてないそうだ。むしろ相手がディディエでなく、リュシアンで良かったと言っているという。


 あと、ギヨームはコンペへの参加はやめた。それとは関係なく、作りかけだった曲を完成させて発表。またしても絶賛の嵐だという。


「クロエさん。叔父さん、またチェス盤を睨んだままです」

 食堂に入り、叔母に告げる。

「いいわ。彼の分は冷えっ冷えのカピカピにしておきましょう」


 三人で食卓につき、料理に舌鼓を打つ。バダンテール邸で食べていたものより、庶民的。もしくは家庭的。だけどとても美味しい。王宮育ちのリュシアンも気に入っているようで、よく食べる。ここの料理人(兼執事兼従者)は素晴らしい!


「午後はふたりでお出かけだっけ?」とクロエさん。

「海岸を散歩してきますよ」とリュシアンが答える。

「暑いから気をつけて」

「ここに来るまで海を見たことがなかったから、面白くて」とリュシアン。

「真夏日の午後の海岸。暑くて誰もいないものね」クロエがニヤニヤする。「変なことをしちゃダメよ」

「しませんよ!」リュシアンは真っ赤だ。

「ちゃんと順番を踏む約束だからね」


 駆け落ちをしたリュシアンと私。だけどまだ結婚はしていない。というか手を繋ぐ以上もしていない。


 駆け落ちしたからといって、婚約が消えるものではないからだ。

 ここに着いたとき、叔父夫婦と約束をした。まずはリュシアンの婚約解消、それから私たちの婚約。私はまだ十六歳だから、結婚は十八歳になってから。

 叔父たちは、出会ってから駆け落ちまでひと月しか経ってないことを心配しているようだ。それは分かるので、文句はない。


 現在は婚約解消はされて、相手の令嬢は使用人と共に帰って来ている。年内に、私は叔父が後見人、リュシアンは騎士団長が保証人となって婚約する予定だ。


 でも、まだ手繋ぎだけ。私たちはゆっくりのんびり恋愛をしている。知らなかった良いところ、嫌なところをひとつずつ発見して、仲を深めたりケンカをしたり。毎日が楽しい。




 そろそろ食後のデザートという頃合いで、

「あれ。みんなはもう食べ終わり?」

 と叔父がやって来て席につく。

「遅すぎ」とクロエさんが怒る。「若者の手本になるって決意はどこに行ったのよ」

「気持ちはあるよ。ただその決意は私向きではなかっただけだ……って、料理が冷めきっている」

「私がそうしてと言ったのよ。あなたのために焼き直すなんて可哀想じゃない」

「仕方ないじゃないか。リュシアンが強すぎるんだ。一度くらい勝たないと、大人の面子ってものが……」


 叔父とクロエさんの会話が延々と続いていく。ケンカしているように聞こえるけど、ふたりはこれがラブラブの形なのだ。


 リュシアンと私は食事を終えると、断りをいれて席を立った。

 多分、二人きりになったら叔父はクロエさんに、食べさせてと甘えるだろう。クロエさんはバカなことを言ってないのと叱りながらも夫の願いを叶えるはずだ。

 ふたりはまだ結婚して二年も経っていない。新婚のようなものだ。



 外に出ると強い日差しに目が眩んだ。白い日傘をさして、リュシアンと並んで歩く。あまり人はいない。この国は昼食後のシエスタをしっかり取る風習があるからだ。


「なんで今日、散歩なんだと思う?」

 リュシアンが楽しそうに尋ねる。

「理由があったの?」

「そう」

「何でかしら?」


 考えてみても、何も思い浮かばない。街でイベントがあるとは聞いていないし、私たちどちらかの誕生日でもない。もちろん、付き合い始めました記念日でもない。


「場所はどこでも良かったんだ」とリュシアン。「クロエさんの言うとおり、海岸は日射し避けがないから暑いな。他へ行くか?」

「どこでもいいわ」


 それなら、とリュシアンは街中に向かった。この時間は閉まっている店ばかりなのだけど、オープン中のバルを見つけて中に入る。そして飲み物をふたつ頼む。


「一緒に祝ってくれ」

「何を?」

「午前中、仕事に行っただろう? そうしたら」

 とリュシアンは懐から小さな巾着を出してテーブルに置いた。チャリンとお金の音がする。

「給金がもらえたんだ」


 リュシアンの顔は喜びでいっぱいだ。


「初めてだ、給金なんて!」

「……大公令息として、あれこれ仕事をしていたのではないの?」

「王族の義務は果たしていたが、給金なんてものはない」


 ということは、アルベロ・フェリーチェの調査も宮廷楽団などの対応も、全て『王族の義務』という名の奉仕作業だったのだ。あの大公や王、王妃はどれだけリュシアンを都合のいいように使っていたのだ。

 腹が立つが、ここに彼らはいない。それで十分。


「それならお祝いね」

 乾杯をして、ささやかに祝う。

「この給金はアニエスのプレゼントに使いたい。何が欲しい?」

「今一番ほしいのは、ミステリーの新刊なの」

「ではそれを買おう」

「いいの?」

「ダメな理由があるのか?」


 普通こういう時は、アクセサリーとか身につけるものを贈りたがるものではないだろうか。

「読み終えたら、俺に貸せよ」

 と言うリュシアンは、やっぱり楽しそうだ。


「ねえ、リュシアン。あなたは私を破壊力抜群の型破り令嬢と思っているみたいだけど」

「事実だろう?」

「あなたも一般的ではないと思う。でも、そこも好き」


 と。ドン!と、私たちの間に突然ジョッキが置かれた。


「あぁあ。公共の場所でのろけちゃっているよ。嫌になっちゃうな」


 そう言ったのは……

「クレール!」

 そう、クレールだった。彼とゴベール兄妹の公演が予定されているけど、まだ日にちがある。


「ずいぶん早く着いたのね」

「公演を増やせって、早く送り出された」にこり、と笑うクレール。「たんまり外貨を稼がせる魂胆だね」

「ついでに我が王を讃える曲をやってこいだそうよ」そう続けたのはマノンだ。「ラリベルテはまだ大公令息の悲恋物語が流行してないから、先手を打とうと思ったのじゃないかしら?」

「あさましいね」


「ギベールは?」

「セブリーヌとホールの確認と公演を増やす交渉しているわ」

「僕たちは邪魔しちゃいけないだろ?」

「少しは進展したのかしら?」

「まだまだだね。ギベールは臆病すぎる。僕は時間をムダにしないよ」

 またにこりとするクレール。


「……クレールは帰れ」

 リュシアンがしっしと手で追い払う。

「嫌だね。まだ結婚どころか婚約もしてないのでしょう? 僕にもチャンスはあるよね」

「チャンスって。アルベロ・フェリーチェの効果は消えたのではないの?」

「僕がいつそんなことを言った? 確かに激情ではなくなったけど、アニエスを好きなことは変わらないよ」


 クレールがウインクをした。

 前はそんなことをしなかった。なんだか雰囲気も違う。麗しのショタであることは変わらないけど。そうだ、膝が見えない服だ。あれ、目線も……。


「もしやクレール、背が伸びた?」

「かなりね。縦ロールと変わらないよ。男として見てもらえるかな?」

「ダメに決まっている」とリュシアンが私を引き寄せた。

「決めるのは縦ロールだよ? 今、ここでのあなたは平民だ。僕は伯爵令息。しかも人気ピアニスト」


「やめておけ、クレール。勝ち目のない戦いはむなしいぞ」

 新しい声がしたと思ったら、クロヴィスだった。片手にジョッキ、片手に小皿料理を持っている。


「クロヴィスも来たのか」

「ええ。人気宮廷楽団員の警護兼新婚旅行です」

「それ、兼用でいいの?」

「新婚で離ればなれよりは余程」クロヴィスはさっとマノンの額にキスを落とす。

 もじもじしてばかりだったクロヴィスはどこへ行ったのだろう。


「そもそも何故、俺たちがここにいると分かったんだ?」リュシアンが尋ねる。

「偶然。店の前を通ったら縦ロールが見えた。愛の力だね。いや、アルベロ・フェリーチェのお導きかも」

「クレールがジスランさまに見えてきたわ」

 新婚夫婦が吹き出して笑う。

「ひどいな。僕がこんなことを言うのはあなたにだけだよ」


「殿下。のんびり構えていると負けますよ」と悪役騎士。

「本当。クレールったら、変な方向に腹をくくっているから。略奪する気満々で来たのですよ」とその妻。


「縦ロールの幸せを願って身を引いたけど、やっぱり僕だって幸せになりたいからね。二十五過ぎてまだ片思いを引きずっているなんて、したくない」

 それはギヨームのことだろう。


「他をあたれ。アニエスは渡さない」

 腰に回されたリュシアンの手に、力が入るのが分かった。

「大丈夫よクレール。あなたが二十五歳になるまでまだ十年もあるわ」

「そういう問題じゃないよ。ねえ、僕たちが帰国するときに一緒に帰ろう。その頃には殿下の手筈も整っているよ」


 リュシアンと私は顔を見合わせた。

 先般届いた手紙によると、ディディエが上手く母親を誘導し、また、宰相が尽力をしてリュシアンを大公に封ずることが決まったそうだ。それは大公の息子としてではなく、国王の弟としてのことだという。公式発表も決まった。それならカルターレガンに難癖をつけられることはなく、毒親でしかない大公夫妻から自由になることもできる。


 そしてリュシアンの本当の母の両親、つまり祖父母と、孫として会うことができるのだ。

 これにはリュシアンも心惹かれていた。だけど。


「悪いがこの生活が気に入っている。もう少し、ここにいる」

 リュシアンはそう答えた。

「私も。他人目を気にせずデートができるから、ここが好き」


 うっ、と顔をしかめるクレール。


「婚約がまだだって、私たちはラブラブよ。誰も割り込む隙間はないの」

 ね、とリュシアンの顔を見ると、彼は分かりやすくデレた。


「そういうことだ」

 リュシアンはまたクレールを手で追い払う仕草をする。


「殿下、アニエス殿。ほどほどにしてやって下さい。俺の可愛い弟なんですから」

 クロヴィスが苦笑いを浮かべている。

「このぐらいで挫ける僕じゃない。公演は必ず来て。『アニエスのために』を全身全霊を込めて弾くから」

「『春の夜の夢』ね」

 私が言い直すとクレールは笑った。

「こちらの国では『アニエスのために』で宣伝をうった」

「なんですって?」


 そうなのよね、とマノン。


「国王陛下には王を讃える曲をと命じられたけど、そんなのは嫌じゃないか」

「かといってあなた方ふたりのための曲も国費で来ている以上、まずいでしょう?」

「せめてもの反抗で『アニエスのために 』にしたんだ。どんな曲かと聞かれたら、僕が答えたいように答える」

「私もね」とマノン。

「俺も」とクロヴィス。


 ……結局、クレールは気のいいショタらしい。


「けど、それはそれ。リュシアン殿下を認めたわけじゃないから」

「お前に認められなくても彼女に認められればいい」とリュシアン。そしてグラスを置くと。「アニエス。ミステリーを買いに行こうか」

「そうね」


 クレールが何か言うかと思ったけれど、彼は黙ってジョッキを口につけていた。

「何を飲んでいるの?」

「スパークリング白葡萄ジュース」答えたのはクロヴィスだ。「背が伸びようが、まだ十四歳だからな」

「明後日で十五!」とクレール。はっと目を煌めかせた。「縦ロールから誕生日プレゼントがほしいな」

「いいわよ。何がほしい?」

「頬にキス」

「……考えておくわ」

「絶対だよ」


 リュシアンがあからさまに不満そうな顔をしている。でもいいのだ。


 そうして私たちはバルを後にして書店に向かった。だが店はまだ昼休憩で閉まっていた。


「開店まであと少しだ。あそこで座って待とう」

 リュシアンが示したのは、細い横道を入ったところに積み上がっている木箱だった。きっと商品を入れて運ぶためのものだ。何か書いてあるから。

「怒られない?」

「誰もいないさ」


 リュシアンは私の手を引いてずんずん進む。建物と建物の間で陰になっているから気温が低い。

 さっさと座るリュシアン。日傘を閉じる。


 と、ふわりと体が持ち上がったと思うと。リュシアンの膝の上に横座りの体勢になっていた。


「……なんだか懐かしいわ」

「慌てなくていいのか? 伯爵令嬢」リュシアンが意地悪な顔をする。

「もう慣れてしまったわ。大公家のご令息に二回、王子に一回、座らされたことがあるの」

 大公家のご令息が眉を寄せた。


「おもしろくないな。しかもクレールの頬にキス? 何故、断らない」

「だって。断らなければあなたがきっと怒ってくれると思って」

「俺を怒らせてどうしたいんだ?」

「意地悪」

「俺は意地悪で嫌な奴なんだ」

「そろそろ次のステップへと思っているのは、私だけ?」

「まさか。婚約が解消になったと分かった時からずっとタイミングを見計らっていたぞ。クレールに先を越されるなんて、言語道断だ」


 リュシアンはそう言って、私の頭に手を回し引き寄せた。唇が重なる。

 離れると、柔らかい笑みを浮かべた顔が目に入った。


「クレールにキスするのか?」

「私たちの駆け落ちに協力してくれたお礼も兼ねて」

「本当か? お前、クレールのことは結構気に入っているだろう」


 あれ。ショタ好きがバレていたのだろうか。口に出したことはないはずなのだけど。


「だって可愛いから。私、可愛い子に弱いの」

「そうだろうと思っていた」リュシアンはため息混じりだ。「だがクレールはダメ。クレールじゃなくても、俺以外の男はダメ。頬にキスぐらいはガマンするが」

「うん」

「そのあとは、アニエスからのキスを要求する」


 思わず吹き出す。


「リュシアンって、可愛いわよね」

「お前ほどではない」

「私が好きなのはリュシアンだけよ。安心して」

「俺だって」

 もう一度、キスをする。


 店の表から、ガタガタと物音。


「開いたな」

「行きましょう」

「あと一回」

「甘え上手ね」


 もう一度キスをして立ち上がる。


「……なんだかちょっと恋しくなってしまったわ」

「家族か?」

 クレールやマノン、クロヴィスに久しぶりに会ったら、他の面々にも会いたくなってしまった。


「みんな。ロザリーさまやイヴェットさま、ジョルジェットさま、シャルル、エマ、アダルベルト、ジスランさまにエルネストさま、マルセルさま……」

「ディディエもいれてやってくれ」

「焼きもちを妬かない?」

「妬くけど、それは別」

「正直ね」

「入隊したての新人に長期休暇はくれないだろうな」

「いっそのことディディエ殿下が遊学に来てくれればいいのだわ。みんなを引き連れて」

「お前が手紙に書いたら、奴だけ飛んでくるぞ」

「まさか。もうアルベロ・フェリーチェの効果はないもの」

「……そうだったな」


 リュシアンは繋いだ手にキスをすると、これはディディエのぶん、と言った。


「みんなが恋しいけど、今はずっとリュシアンが一緒にいてくれるから、楽しいわ」

「俺も。アニエスがいるから幸せだ」


 しばらくはこの地で、リュシアンとふたりで自由を楽しむのだ。

 そのあと彼が大公と平民の騎士、どちらの生き方を選んでも構わない。もちろん、それ以外でも大丈夫。


 私は破壊力抜群の娘だし、腹をくくったリュシアンは逞しい。


 それに私たちの縁は伝説の樹が取り持ってくれたものだから、きっと不思議な力で幸せに導いてくれるのだ。だってゲーム冒頭にあったもの。『幸せを運ぶ伝説の樹アルベロ・フェリーチェの開花とともに始まる恋』って。


 ゲームのヒロインはロザリーだけど、今回の騒動はきっとアナザーストーリーで、ヒロインは私。あの一文通りに始まって、エンドはハピエン。


 だって悪役令嬢への転生ものって、最後は幸せになるのが定番だものね。






 《fin.》










 ◇おまけ◇



 細い横道を出ると、そこには懐かしい人がいた。ギヨームとセブリーヌだ。

「アニエス! こんな所でばったり会うなんて」

「ギヨーム!元気そうね」

 思わず、ひしと抱き合ってお互いの息災を喜びあう。


「……というか」とギヨームは私たちが出てきた横道を覗き込む。「こんな細道で何をしていたんだ?」

「書店が開くのを待っていた」とリュシアン。

 疑わしそうな目をするギヨーム。

「自由気ままだからって、節操がないようなことはしていないでしょうね?」

「していない」リュシアンきっぱり。「俺判定では」

「アニエス判定では!?」ギヨームが目を剥く。

「ギリギリセーフ?」

「ならばアウト!」

「ギヨームに非難される筋合いはない」

「いや、私はアニエスの親に代わって見守る立場です」

「そうなの?」ギヨームのセリフに私が驚く。「親代わりのつもり?」

「こちらに来る前にアダルベルトに任命された」

「執事か」と忌々しげなリュシアン。


「アニエスさま」とセブリーヌ。「ギヨームたちの公演、招待状を送りますから来てくださいね」

「まあ。ご招待して下さるの? ありがとう」

「特等席をご用意します」

「騙されるな、アニエス。君は演出の一環だ」

「ギヨーム! なんで言っちゃうのよ!」

 セブリーヌがギヨームの襟元をつかむ。


 ……なるほど、そのような力関係だからギヨームはいつまでも片思いなのか。ギヨームは世間で大人気かつ実力もピカ一のチェリストなのに。


「今、言ったじゃないか。立場は親」

「娘と楽団、どちらが大切なのよ?」

「両方」

「薄情者!」


「私が演出の一環とはどういうことですか?」

 切りのいいところですかさず質問する。


「クレールが我が国で大人気の『アニエスのために』を弾くのよ。当然、アニエスとは誰かしらとなるでしょう? そのアニエスが最前列で切なげにクレールの演奏を聴いている。しかも美人。ふたりの間には一体どんな物語があるのかと、話題になること間違いなし!」


 ギヨームは苦笑いを浮かべ、リュシアンは不機嫌な表情だ。


「セブリーヌ殿。俺のアニエスをそんなダシに使わないでくれ」

「殿下こそご協力を! いいじゃないですか、見てくれをちょっと借りるくらい。舞台袖でいちゃつけとは頼んでいないのだから」


 ギヨームを見る。

「『蓼食う虫』……」

 しっ、と叱られる。

「……なるほど、彼女か」とギヨームの片思い相手を悟った様子のリュシアン。「他人の恋路の監視より、己が励んだほうがいい」

「まあ。殿下といえども聞き捨てなりません」何故かセブリーヌは非難の口調だ。「ギヨームは我が楽団で一番プロ意識が高くて努力を惜しまない団員ですよ」


 どうやらセブリーヌのギヨームへの信頼は厚いらしい。

 ギヨームの顔がだらしなくにやけている。こんな恋は微塵もなさそうな信頼でもそこまで嬉しいなんて。ちょっと不憫な気がする。

 リュシアンもそう感じたようで、素直に謝っている。


「デートの邪魔をしてはいけないから、いきましょう」

 私はリュシアンの手を引っ張る。

「デートではないわ。ただの仕事帰り」とセブリーヌ。

 ギヨームが見るからにしょんぼりしている。


 可哀想すぎる。後でギヨームに、この街のデートコースマップをプレゼントしよう。


「大丈夫よ、ギヨーム。モブへの転生もハピエンと決まっているから」


 そう言うとギヨームは一瞬驚いた顔をして、それから


「なるほどな!」


 と笑顔になった。






最後までお読み下さり、ありがとうございました。

またブックマーク、評価、感想は大変励みになりました。重ねてお礼申し上げます。


本編はこれで完結です。

現在は番外編などの予定はありません。


各キャラのその後が気になる!という方がいらっしゃいましたら、下の《脇役キャラたちのその後》をお読み下さい。今現在の考えなので、時間を置いたら変わるかもしれません。








《脇役キャラたちのその後》


○ロザリー×バジル・・・末永く幸せ。


○クロヴィス×マノン・・・末永く幸せ。


○ギヨーム×セブリーヌ・・・セブリーヌは実は離婚のトラウマで男性との恋愛が怖く、恋愛対象にはならないショタを愛でることに逃げている。いずれ、いつも隣にいるのがギヨームだと気づいて、まとまる。


○ジョルジェット・・・10歳年上の公爵令息(先妻と死別、子なし)と婚約。マルセルにない大人の落ち着きと包容力。自分を令嬢として丁寧に接してくれることから結婚を決意。穏やかで静かな愛を育む夫婦となる。


○ジスラン×カロン・・・婚姻が許可されてカロンに結婚話が持ち上がる。どうしてもカロンの結婚が嫌なジスランは、腹を決めてプロポーズする。めでたく結婚。


○マルセル・・・ジョルジェットの存在の大きさに気づいたときは既に時遅し。女嫌いは治ったものの、結婚は余計に縁遠いものになる。


○エルネスト・・・上司が持ってきた縁談で結婚するか悩む。もしくはワガママ王女ベアトリクスに気に入られてしまう。


○コレット・・・クロヴィス隊に新しく配属された青年(貴族の嫡男)に告白されて、いい感じになる。


○クレール・・・しばらくはアニエスを引きずるが、あと3年もしたらかなりの美青年に成長しているので、恋人は選びたい放題に。


○イヴエット・・・未定。


○ディディエ・・・未定。


(兄がいなくなったイヴエットと友人がいなくなったディディエが急接近、という案があるが、いまいち新の気が乗らないので、未定)


○シャルルとデュトワ・・・意気投合して、親友と言える仲になる。


○大公妃・・・実は自己嫌悪が激しく、大公や王よりはリュシアンへの罪悪感がある。だけど今さらどうしていいのかが分からない。駆け落ち宣言をして目の前から消えたリュシアンを見て、こっそり味方をしようと決めた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] リュシアンが生き生きとして本当に良かった。 [一言] とても楽しかったです。 良い作品をありがとうございました!
[一言] 三日くらいかけて読ませていただきました。 とても良かった。 まとめ方が綺麗で好みです。
[一言] 完結おめでとうございます! 面白かったです。 大公と国王は永遠に禿げろ リュシアンがどんどん明るくなって、アニエスも本当に楽しそうで良かったね良かったねと涙腺が(;▽;)
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