42・自由に向かって疾走でございます
リュシアンとディディエが、大公は公務中だからアポイントメントをなどと相談していると、護衛やら近侍を引き連れて、大公本人と国王と宰相が現れた。
完全に場違いな私。挨拶を済まし終えたら席を外せと言われるだろうと考えていたのだけれど、それはなかった。
彼らの来訪も、やはりリュシアンと私のことだった。なんとベアトリクス王女が廊下でご婦人方と
「こちらの国王陛下と補佐閣下は公明正大で秩序を重んじると聞いておりましたが、外面だけでしたのね。がっかりだこと!」
と大きな声で話していたそうだ。ご婦人のほとんどは我が国の上流貴族だったけれど、カルターレガンやラリベルテの大使夫人などもいたそうだ。
それが大公たちの耳に入り、先刻この部屋で起きたことも全て知るところとなったようだ。
国王と大公が並んで座り、向かいの席に私、リュシアン、ディディエ、イヴェットがきつきつで並ぶ。大公妃と宰相はひとり掛け。雰囲気は最悪。国王と大公は見るからに表情が厳つい。
そこへ大公妃が、リュシアンは全く婚約の意義を分かっておりませんから、きちんと説明をして下さいな、と切り出した。
その口調におや、と思った。先程まで、大公妃はリュシアンが理解していないことを快く思っていないのだと、私は感じていたのだが、今の口調だと大公を責めているように感じられたのだ。
「聡いリュシアンならば分かっていると思ったのに。なんということだ」
大公が苦々しげに言い、国王が首肯する。
隣に座るリュシアンの体が強ばるのが分かった。
「その聡いリュシアン殿下ですら理解不可能な説明をなさったということです。カルターレガンの年端もいかぬ王女に呆れられて当然ですな」
マルセルの父親である宰相が平坦な声で言う。
大公であり国王補佐である人物にそんなことを言ってしまって大丈夫なの?と心配になるが、問題ないらしい。
「私も何度か尋ねましたね。本当にリュシアン殿下は納得済みなのか、と」
「納得していた」と大公。
宰相は吐息して、リュシアンを見た。
国王、補佐、宰相。私は彼らをよく知らない。間近で会う機会なんてないし、うちの両親から話を聞く機会もない。
だが明らかに宰相は大公たちより一回り以上年上だ。よく考えればマルセルは上に五人の姉がいるのだから、父親はそれなりの年齢なのだ。
「リュシアン殿下。あなたの婚約について大公殿下はなんと説明をしたのでしょうか」と宰相。
「何も。『聡いお前なら分かるな』とだけだ」
宰相がまた吐息する。
「殿下。このダルシアクのミスでございます。殿下は全て理解の上のことと捉えておりました。口にすることは慎重を期さなければならないとはいえ、とんだ手落ちでございます」
「どういうことだ?」ディディエが尋ねる。
「ディディエ殿下にはお辛い現実ですが、よろしいですか」
宰相の言葉にディディエが困惑の表情でリュシアンを見る。だが宰相の問いかけは形式的なもので、ディディエが話を聞くことを前提にしていることは明らかだった。
「構わぬ、話せ」
ディディエが答え、宰相は頷いた。そうして
「リュシアン殿下を王族から外す婚姻をしなければならなくなった原因のひとつは、ヨゼフィーネ王妃です」と淡々と言った。
「……母上?」
ディディエがまたリュシアンを見る。更に困惑顔だ。そしてリュシアンも同じような顔をしている。
「ディディエ殿下には申し上げにくいことですが、リュシアン殿下は大変に優れた方です。無論ディディエ殿下も優秀でございますが、今一歩及ばない。更にリュシアン殿下はディディエ殿下が苦手な細やかな配慮も行き届いているから、各界からの人望が厚い。一部では、大公家の生まれであるのが惜しいとまで言われるほど」
リュシアンの顔から血の気が引いている。
「ヨゼフィーネ王妃からすれば、自分の子よりも傍流の子が上だなんて認めがたいことです」
「だが母上は、長い間リュシアンの味方だったのだぞ!」ディディエが声を張り上げる。
「味方?」と王が問い返した。
「ええ。リュシアンは叔母上から冷酷な扱いを受けていたから、母上がそっと励ましてきたそうですよ。『あんな親を気にするな。彼らのために頑張る必要はない。無茶をするな』と声をかけて」
「それは親切めかしてリュシアンが努力することを妨げていただけではないか」と国王。
「お前は気づかなかったのか?」と息子を見る大公。
リュシアンは蒼白だった。
その手をぎゅっと握りしめる。彼の虚ろな瞳が私を見た。再び手に力をこめる。王の面前だけど、知ったことではない。
「……リュシアン殿下は幼少期から母親に無視されているのです。親切にされればすがりたくなって当然でしょう」
宰相の言葉に大公妃がうつむいた。
「リュシアン殿下。ディディエ殿下。ヨゼフィーネ妃殿下は大変に性根の座った方です。慈愛に満ちた王妃の演技は完璧です。そしてディディエ殿下には、母親としての愛情もたっぷりとある。彼女にとって我が息子の栄光を陰らせる存在は、邪魔ものでしかない。ですからあなたが成人し王位継承権一位となり、立太子されるまでに余計なものは排除したいと考える」
「つまり母上がリュシアンの婚約をまとめたということか」
ディディエが言う。が、
「違う」と王が否定した。「もうひとつ、別の問題があるのだ」
「実はかなり昔から、陛下には隠し子がいるとの噂があります」と、宰相。「懇意にしていた男爵令嬢が陛下の結婚直後に隠れて産み落とした、という内容です」
「私の腹違いの兄、という話だろう? 知っている」とディディエ。
「隠し子なぞいない」と王。「私の子はディディエ、お前のみだ。だがヨゼフィーネは、この隠し子がリュシアンだと疑っている」
思わぬ話の展開に、私たち四人は顔を見合わせた。
「陛下は隠し子を弟夫婦に託した。実の子ではないから大公妃はリュシアン殿下に酷い仕打ちができる。それがヨゼフィーネ王妃と彼女の侍女たちの考えです。貴族にも一部、そのような考えはあります」
「そのような事実は全くない」と王。「だが『全くない』との証明は出来ない。困ったことに、私たちはみな似ている」
王、大公、ディディエ、リュシアン。瓜二つ、なんてことはない。だけれど四人とも同じ碧眼で、緩やかに似ているのだ。親子や兄弟といった近しい親族なのだろうとは一見して分かる。
「リュシアン殿下が陛下の隠し子となれば第一王子で王位継承権は一位。次期国王となります」宰相が説明を続ける。「となるとヨゼフィーネ王妃の父君、カルターレガンの国王は当然、陛下を非難しますしその権利はある。均衡がとれていた国交関係は揺らぎます。あちらからすればリュシアン殿下が真に隠し子かどうかは、どうでもよいのです。我が国より優位に立てる素晴らしい口実、ということが重要なのです」
「ヨゼフィーネが我が国の王妃としてカルターレガンの王に毅然と対峙してくれるならばよいが、邪魔でしかないリュシアンを徹底的に排除するために父王に味方するだろう。それでは困るのだ」と大公が言う。「ディディエの成人祝いには、恐らくヨゼフィーネの兄である王太子が来る。そしてこの問題を持ち出してくるに違いない。だからそれまでにリュシアンを王族から離脱させる必要があるのだ」
なんだそれは。
本当の理由もろくでもないじゃない。
重苦しい沈黙。
腹立たしさとやるせなさでいっぱいで、リュシアンの手を握りしめることしかできない。
「父様」最初に口を開いたのはイヴェットだった。「どうしたらこの長い話を、リュシアンに説明しなくとも分かってもらえるなんて思ったのですか」
そうだ。その通りだ!
「聡いリュシアンならばヨゼフィーネの思惑ぐらい知っていると思った」
しれっと大公。うなずく王。
「カルターレガン側の思惑ぐらい当然気づいていると考えていた」
「何が『聡いリュシアンなら』、だ!」突如ディディエが声を張り上げた。「リュシアンのことも私たちのことも、全く見ていなかっただろう! 見ていればリュシアンだけでなく、イヴェットも、私も、皆苦しんでいたと気がついたはずだ! その目がガラス玉でないのならな!」
「どうしたらそんな思考になるの? カルターレガンがそんな馬鹿馬鹿しいことをでっち上げるなんて誰が考えつくというの? リュシアンは陛下のお子ではないのでしょう? 噂だけでつけ込まれるなんて誰も考えないわ」
イヴェットも父たちを詰る。だが。
王と王弟は顔を見合わせなにやらアイコンタクトを取ると、二人揃ってリュシアンを見た。そして大公が
「リュシアンは私たち夫婦の息子ではない」
と言ったのだった。
◇◇
王と親しかった男爵令嬢が、こっそりと子供を産んだ。
この噂話は事実だという。ただし、子供の父親は王ではない。先代国王だそうだ。男爵令嬢は王宮の片隅でひっそりとリュシアンを産み、そのまま亡くなってしまった。
その三日後に、大公妃が男児を出産。
そこで先代国王は、リュシアンは大公妃が産んだ双子だったことにするよう命じた。
このことを知っている侍女、産婆が何人かいる。更に戸籍も操作したので役人も何人か。
リュシアンが大公夫妻の実子でない証人も痕跡もある。
だから我が国の弱点は、突かれる前に切り離す。それが王と補佐の方針。
◇◇
「つまりリュシアンは父上たちの弟?」
呆然としたディディエが問う。そうだ、との返事が帰ってくる。
リュシアンは目を見開いたまま、硬直している。一言も発さない。
「……お母様はリュシアンが自分の子でないから、平気で冷淡な態度をとれたの?」
イヴェットが悲鳴のような声をあげる。
「分かってやってくれ」と大公。「私たちは父に有無を言わさずリュシアンを押し付けられた。弟ではあるからそれなりに愛情を持って育ててきたが、私たちの長男のことを思うと……」
「事故だろう! リュシアンになんの責任がある!」ディディエが詰る。
「何があろうとも、私にとってリュシアンは兄よ!」とイヴェットが力強く言いきる。
「そうだ」とディディエ。「そちら側の都合など知るか。いい大人がみんなしてリュシアンにきちんと説明もしないで、全て理解してくれて当然だろうなどと愚かしい。大体私もリュシアンも帝王学で、為政者は思い込みや自分本意な考えで政治をしてはならないと学んだぞ。父上たちは帝王学を学んでいないのか」
「面目ない。殿下の仰る通りだ」
そう答えたのは宰相だ。王と王弟は表情を変えもしない。
「己のミスを、いかにもリュシアンが悪かったように言い換えるなんてあまりに姑息だ」
「そうよ!」
「口が過ぎるぞ、ディディエ」と王。「お前たちこそ己の未熟さを棚に上げて親を責めるなんて不遜もいいところ。これは高度な外交問題に発展する案件だから、声高には語れないことだったのだ」
「全てを隠しておきながら、どう悟れというのだ!」
王、大公、ディディエ、イヴェットが激しく口論を続ける。
だけれどリュシアンは黙って一点を見つめたままだ。
彼にはあまりに酷な話だった。
私は片手を上げた。
「発言をしてもよろしいでしょうか」
「どうぞ、バダンテール嬢」
宰相の許可を得て、私は床に滑り降りた。リュシアンの向かいに膝まづき、その両手を包み込む。
「リュシアン。怒っていいのよ。悲しんでもいいの。良い息子でいる必要なんてない。泣きたかったら私が一緒に泣く。私が全部聞くから。だから好きに感情を出していいのよ」
リュシアンの目がじっと私を見る。そしてゆっくりと倒れてきたかとおもうと、額同士をコツンと合わせた。
「……好きだ、アニエス」泣きそうだけど穏やかな声。
どうして今?と思いながらも、
「私もよ」
とはっきりと答える。
「お前はいつも力をくれる。悪い感情を吹き飛ばす。破壊力抜群の令嬢だ」
「ええ! リュシアンが望むなら、破壊的でも縦ロールでも何にでもなるわ」
体勢を建て直したリュシアンは笑っていた。そして大公と王を見ると
「私は彼女と結婚します」
毅然と宣言をした。
宰相は首肯したが大公は
「今までの話が理解できなかったのか?」と答えた。
「私が王族から抜ければいいのでしょう? ディディエ」
「なんだ?」
リュシアンは笑顔を向ける。
「マルセルの台本でいこう。後は頼んだ。イヴェット、俺の可愛い妹。元気でいろよ」
私の手を取り、立ち上がるリュシアン。
「こんな奴ら、こちらから見限ってやる。駆け落ちするぞ、アニエス!」
「了解よ!」
そうしてリュシアンと私は手を繋いで駆け出した。




