41・腹をくくったモブ令息は最強です
通してくれるかとリュシアンが言うと、令嬢たちはすっと左右に割れた。その間を颯爽と歩み、彼は私の隣に並び立った。
「ベアトリクス王女。アニエスは私の恋人だ。つまらぬ詮索はやめていただきたい」
にこやかなリュシアン。
なんで?
どうして?
言ってしまっていいの?
驚いてその顔を見つめると、気づいたリュシアンは私を見た。
「もう隠し立てはしないことにした。アニエス。私は父と戦う」
まあ、とイヴェットが声を上げる。
「私も妹として全力で戦いますわ!」
「……どういうことですの?」王女は首を傾げている。
「そもそも私の婚約は、私に家督を継がせないために父が決めたものだ。しかも世間体を重んじる父は、私が彼女に恋したよう演じろと命じた」
リュシアンの言葉に令嬢たちがざわめく。
「酷い話だ」その声はディディエだ。いつの間にか部屋にいる。
リュシアンは令嬢たちを見た。
「私の誕生会では失礼な態度をとって申し訳なかった。父が決めた令嬢以外と親しくなってはいけなかったのだ。あの時の私はああする以外、方法がわからなかった」
とたんに令嬢たちの表情がゆるむ。そんな理由があったなんて、と好意的な反応だ。
「相手の令嬢はこの婚約に悲観して行方をくらましてしまった」とリュシアンが話を続ける。「父はそれならばと、私を神官見習いにすることを決めた」
今度は令嬢方から非難的な声が上がる。
「絶望していたときに私はアニエスに出会って恋に落ちた」
うぅ。気恥ずかしい。
「だけど私はまだ婚約中だ。彼女が非難にさらされるだろうし、父も許さないだろう」
「そこで私と仲間で一計を案じたのだ」とディディエ。「アニエス・バダンテールに夢中なのは私のように見せかけて、真実から世間の目を反らす。私の付き添いのふりをして、リュシアンが彼女と会う時間を作る」
その作戦は使えるな、とバルナバスが呟く。何に使うのだ……。
「つまり噂はあなたたちが故意に作ったものなの?」
王女の問いにリュシアンとディディエがうなずく。マルセルの台本通りだ。
「なかなか父に反抗する決意がつかなくて、アニエスには辛い思いをさせてしまった」リュシアンが私の腰に手をまわす。「だがついに決心した」
「大公に打ち明けるの? いつ?」
気のせいかな。王女の目が輝いて見える。後ろの令嬢たちは確実にキラキラしているし。
「昨夜、談判したがダメだった」
聴衆から、あぁ、と失望のため息が漏れる。
「だが諦めたくない。私は家督などいらないのだ。愛する彼女と共にいたい、ただそれだけだ。頼む、みな、私たちの味方になってもらえないだろうか」
「まぁぁっ」ベアトリクスは完全にうっとりした表情だ。「こんな恋愛小説のようなことが実際にあるなんて!」
恋愛小説?
「なんて素敵なのかしら。ねえみなさん」王女の問いかけに令嬢たちが、こくこくと首を振る。
「それでこれからどうなさるの? 手に手を取って駆け落ち? あの世で結ばれましょうと心中?」
なんて物騒な!
「いや、そんなことはしない」
あら残念、と王女。
「父の説得を続けるのみだ。今までは、父対私だったが味方が増えれば、父対世論となる。王室のイメージに重きをおいている父は戸惑うだろう」
「そうなの。その作戦はつまらないけれど、好みの恋愛シチュエーションだから協力しないでもないわよ。ね、みなさん」
「リュシアンの味方になってくれると私も嬉しい」すかさずディディエが令嬢たちに微笑みかける。
彼女たちは口々に、もちろんですわと了承した。
リュシアンは私に微笑む。
なんてことだ、この策士め。父親に反抗すると決めたとたん、全てオープンにしてしまうなんて。きっと令嬢たちは帰宅と共に家族に話し、使用人に話し、友人に手紙を書くだろう。あっという間に私たちのことは社交界に広まるに違いない。
この調子だと恋愛大好きな婦女子はおしなべて味方になってくれそうだ。リュシアンは人望があるようだから、紳士方にも味方になってくれる人はいるだろう。
「良かったわ、アニエスさま!」
とイヴェット、ジョルジェット、ロザリーが私たちを囲み喜んでくれる。ありがとう、と礼を言う。
ふと入った視界の隅では、王女がディディエに
「協力するから、私をデートに誘いなさい」
と迫っていた。
「味方ぐらいはしてあげるけど」ふいの発言はバルナバスだ。皆が口を閉ざして彼を見た。
「それならディディエの顔は誰が殴ったんだ?」
おっと。そもそもはその話だったっけ。
「……それはだな。ここだけの話にしてほしい」とディディエが重々しく口を開いた。
「ご婦人の立派な胸にみとれていたら、彫像に激突してしまったのだ」
ぶっと吹き出すバルナバス。
「さすが、どう……」
「おいっ!」と叫ぶディディエ。
不思議なことに、この与太話を皆信じたらしい。肉食系令嬢のみなさんは、さりげなく胸の下で腕を組み始めたから。
ベアトリクスは自分のそこを見て。わずかに口を引き結んだ。
「本当に良かった。全て上手くいきそうな気がしてきたわ」
イヴェットがにこりとして、リュシアンは私を見て力強く言った。
「上手くいかせる。絶対にだ」
◇◇
隣国の王女たち乱入組は引き上げて、リュシアン、ディディエが加わってお茶会は再開となった。
「格好良かったです! 『アニエスは私の恋人だ!』なんて」
ロザリーはまた祈るようなポーズをして、頬を薔薇色に染めている。
ひと騒動後、彼女はそれまで座っていた私の隣をリュシアンに『どうぞどうぞ!』と嬉しそうに譲った。だからこそばゆいって!と思いながらも、私も嬉しい。令嬢社会の中核を担う(というか幅をきかせている)肉食系のみなさんに認められたなら、大っぴらな批判は受けないだろう。
「勝手に宣言してしまったが、良かったか?」
リュシアンが心配げに尋ねる。
「先程の強気はどこに行った」とディディエがちゃかす。
「もちろんよ。驚いたけど」
「ああするのが一番効果的だと思った」
「あのベアトリクスさまがすんなり納得するなんて、信じがたいわ」
イヴェットが言うと、ジョルジェットとディディエが大きくうなずいた。やはり一癖ある王女らしい。
「ああ」とリュシアン。「ディディエの誕生会で部屋に籠った彼女を迎えに行っただろう? その時、イヴェットが読んでいるものと同じ恋愛小説が山積みになっていた」
まあ、とイヴェットが驚く。
「もしかして同じ趣味なのかしら」
「バルナバスも傍らで読んでいた」
「個性的なご兄妹ね」と言ってから、手の甲にねちっこいキスをされたことを思い出した。今さらだけど、スカートで拭う。
と、リュシアンがその手を取ってキスをした。
「焼きもちか」とディディエが笑う。「あいつのキスは長いからな」
「本当に。気持ち悪いったらないわ」とイヴェットが憤慨する。「だけどあの人が恋愛小説を読むなんて意外ね」
「妹に話を合わせるためだろう。溺愛だからな」とディディエ。「それに、遊べないし」
「遊べないってなんですか? 誕生会でもお見かけしませんでした」
ロザリーが質問すると、リュシアンとディディエは顔を見合わせた。
「誕生会に出なかったのは、ベアトリクス王女のワガママよ。バルナバス王子は妹が大好きだから、付き合ってあげたのでしょう」とイヴェット。「と言いたいところだけど、ロザリーさま。あの王子には近づいてはダメよ。女の子好きで手が早いと有名だから」
やっぱり。
「妹に付き合ったのは事実だが、どうせ誕生会に出ても令嬢を漁れないし、両隣に侍らす程度ならすでに見繕っていたから、出席する必要がなかったんだ」ディディエが説明する。「父君に、うちの宮廷では令嬢に手を出すなと厳命されたそうだから」
「令嬢を泣かせて、カルターレガンのイメージを悪くしてはまずいとね」とリュシアン。
「自国ではだいぶ派手に遊んでいるらしい」とディディエ。「うちを訪問中にうっかり問題を起こして、国家の友好関係に亀裂が入るとまずいということだな」
「どうしてそんな王子が来たのですか?」とロザリー。
「ベアトリクスのお守り!」
三人の殿下が口を揃えた。
「まあ。だけどベアトリクスさまは悪い方ではなさそうですけど」ロザリーが言うとジョルジェットが
「ええ。見直したわ」
と賛同した。
ベアトリクス王女は去り際私に、駆け落ちをするならカルターレガンに連れて行ってあげるわ、と言ってきた。人前で話したら駆け落ちにならないとバルナバスがツッコんでいたけど。
「やはり恋愛小説ファンとしては、尊い恋愛をしている恋人たちを応援したいのよ」
イヴェットが熱く語ると、ロザリーがわかります!と声を上げた。
「しかもアニエスさまですもの。全力で応援しますわ」
「そういう自分はどうなのだ? 昨日、薬師と話したのだろう?」
配慮という言葉を知らないのか、ディディエが遠慮なく尋ねる。と、ロザリーの顔がみるみる赤くなる。
「私のことは、アニエスさまの件が解決しましたら」
「あら、気になるわ」と身を乗り出すイヴェット。
「そうね」とジョルジェット。
それからジョルジェットは、はたと気がついたような顔をして、私を見た。
「アニエスさま。私、先日、婚約者候補の方に会いましたの。とても素敵な方で、お話を進めてもらうつもりです」
「それは、おめでとうございます」
「ありがとう」
そう言って彼女は微笑んだ。そこに嘘はなさそうだ。
反対にディディエとリュシアンから微妙な空気を感じる。
ということはジョルジェットはマルセルを吹っ切り、マルセルは……というところだろうか。
「確かに彼は好人物だから、安心ではある」とリュシアンが少しだけ奥歯にものが挟まったような言い方をした。
ちなみにマルセルは今、昨晩リュシアンが不首尾に終わったことを受け、他の仲間と作戦を練っているという。
「ところでディディエと相談したのだが、妃殿下に助けを求めることにした」
話が代わり、リュシアンの言葉にイヴェットとジョルジェットが不思議そうな顔をする。
「実は長い間、妃殿下には目をかけてもらっていたんだ。デュシュネ家で肩身が狭いことを案じてくれていてな」
「私もついこの間まで知らなかった。水くさいことだ」とディディエ。
「妃殿下は、私を贔屓していると思われないように、配慮してくれていたんだ」
「だからといって実の息子にまで隠さなくたっていいではないか。まあでも、母上は良識ある公平な人だからな。きっと力になってくれる」
そうなのね、良かった良かったなんて話をしていたら。
侍従がやって来て、大公妃がここへ来ることを告げた。リュシアンの顔がわずかに強ばったように見えた。その膝に手を乗せて、笑みを向ける。すると
「大丈夫だ。俺には破壊力抜群のお前がいてくれるから」
リュシアンは私の手に自分のそれを重ねて不敵に笑った。
◇◇
大公妃はやって来ると、ジョルジェットとロザリーに柔らかい言葉で席を外すよう命じた。
部屋に緊張が漲る。一体何の用件なのか。リュシアンが言うには、彼が参加している私的な集まりに母親が顔を出すことはないという。
あまり印象を悪くしたくなかったので私はイヴェットの隣に座り、リュシアンはディディエの隣に座っている。
ひとり掛けの椅子に座った大公妃は誰も見ずに、
「先程この部屋であったことについて、報告を受けました」と切り出した。
やはりそのことか、という空気になる。
「あなたはバダンテール伯爵令嬢との結婚を望み、そのためには大公と争うことも辞さないというのは事実ですか」
大公妃は『あなた』と言いながらもリュシアンは見ず、他人のような話し方をした。普段もこんな様子なのだろうか。あんまりすぎる。
「あなたがプライベートで私に話しかけるのは、十二年ぶりですね」
静かに紡がれた声に目を見張る。リュシアンは複雑な表情をしている。私の視線に気づくと、
「泣くなよ。慣れたことだから」と言った。
大公妃が私を見る。それは思いもよらず悲しい目で、どう捉えていいのか分からなくなった。
「事実ですか」大公妃はまた、あらぬところを見ながら尋ねる。
「事実です」とリュシアン。「デュシュネ家は出ます。懇意にしているルドワイヤン伯爵が私を養子に迎えてくれます」
ルドワイヤン伯爵というのは七十過ぎのご老人で家族はいないそうだ。元々親しい仲で、昨夕のうちにリュシアンは養子の話をまとめた。だが父親はその話すら聞かずに、リュシアンの願いを退けた。
「……あなたは、デュシュネ家を出ればバダンテール伯爵令嬢と結婚できると考えているのですか」と大公妃。
「駄目だというのですか? ならばどうすれば認めて下さるのか」
「そうですよ。駄目と言うなら筋の通った理由を教えて下さい。リュシアンに理不尽は押し付けて、リュシアンの道理にかなった行動は踏みにじるというのは、おかしい」
ディディエが身を乗り出して援護する。
「あの人は、あなたは聡いから全て分かっていると話していました。昨晩急に、考えていたほど聡くなかったのか、恋に狂ったのかと言い出したのですが」
そうして大公妃は私たちを見回した。
「もしや誤解があるのでしょうか」
「誤解?」とディディエが繰り返す。「リュシアンを疎んじているから、デュシュネ家から出そうとしているのでしょう?」
ディディエの言葉も目付きも鋭い。
大公妃は甥をしばらく見つめていたが、
「確かに私は彼に家督を継がせたくありません。大公も」
と言った。
酷いわとイヴェットが半泣きになる。
「だけれど今回の婚約も神官も、それゆえではありません。全く伝わっていなかったようですね」
大公妃はそう言って、大きく息を吐いた。
「どういうことですか」リュシアンも強い口調で問いただした。
「……あの人と相談してきます」と大公妃。
「母上」
けして大きな声ではなかった。だけれど大公妃がびくりとする。
「構いません。父には自分で尋ねます。一連のことに私が考えていなかった理由があるのだとしても」ちらりと妹を見るリュシアン。すぐに視線を母親に戻す。
「私はあなた方の息子でいることに疲れ果てました。これからは自分の思うように生きます。アニエスと共にね」




