40・思いがけない急襲を受けてしまいした
リュシアンはその日の夜に、父親に告げた。婚約を解消し、別の令嬢と結婚をしたい、と。
大公はたいそう驚いた様子で、だけれど
「何を愚かなことを。聡いお前が判断を誤るなんて」
と一蹴したという。リュシアンは食い下がり、大公は今までにない息子の様子に驚いたようだった。だけれど何も聞き入れてはくれなかった。
この報告の手紙は行間から無念さが滲みでていて、またも泣いてしまいそうになった。
恋愛結婚が出来る身分ではないけれど、だからといって出奔した令嬢との婚約を続けさせたり、神官見習いにさせたり、それを本人の意思と世間に思わせようとするのは、親としてあんまりな行為だ。
読み終えると、顔の筋肉をマッサージして笑顔の練習をし、屋敷を出た。イヴェットに招かれているのだ。当然というか、用件はリュシアンとの今後についてだそうだ。
昨日薬草園から帰る前に、ディディエからイヴェットの手紙を渡されたのだ。彼は良い笑顔を浮かべると、彼女が張り切って待ち構えているよと教えてくれた。
リュシアンはありがたいけど心配だと苦笑いを浮かべ、ロザリーが私も恋バナに混じりたいと羨ましそうな表情をしていた。
私としてはこのタイミングで王宮を訪れるのは心配なのだが。万が一大公夫妻に会ってもいいように最も上品なドレスとアクセと、淑やかで落ち着いたヘアスタイルをエマに頼み、何があっても完璧な笑顔と礼をと心に決めて、イヴェットに会いに向かった。
◇◇
招かれたのは私だけではなかった。まずジョルジェット。彼女は元気そうで表情も明るかった。マルセルと上手くいったのだろうか。気になったけれど尋ねることはできなかった。もうひとり、客人がいたからだ。ロザリーだ。
彼女も仲間に入りたそうだったとディディエから知らされたイヴェットは、急いで招待したそうだ。ロザリーは恐縮しきっていたけれど、アニエスさまのためにがんばりたい、という決意は力強く宣言していた。
皆、頼もしいようなこそばゆいような。
しかもイヴェットは、美しいお顔をにやけさせてばかり。自分の慧眼を自画自賛。
「ほらね! リュシアンはやっぱりあなたが好きだったのよ。言ったでしょう? 私の目に狂いはなかったの!」
とても嬉しそうだ。
「だってアニエスさまに出会ってから、以前のようなリュシアンに戻ったし」うなずくジョルジェット。「なんというか、生気を取り戻したというか」再びうなずくジョルジェット。「それに軟膏を送るからと可愛い瓶を探したり、お借りした本を宝物であるかのように小箱にしまって誰にも触れさせなかったり、とにかく、恋しているようにしか思えなかったのよ」
まあ、とロザリーが目を煌めかせている。
「あれこれ引っ掛かりますが、以前のリュシアン殿下は今のようではなかったのですか?」
イヴェットとジョルジェットはうなずいた。
「婚約してから日々暗い顔になって」とイヴェット。
「もちろん外では普段通りに振る舞っていたのよ」とジョルジェット。
「そうなの。外ではね。だけど、特にひとりでいるときの背中なんて墓石が乗っているのかしらというくらい重苦しい……と彼の従者が泣くほど暗くてね」
「私たちと集まっていても、無理して楽しく振る舞っているようにしか思えなくて心配だったのよ」
「本当に良かったわ。アニエスさまのおかげよ」
ふたりは声をそろえて微笑んだ。
「いえ。私のほうこそ殿下には助けてもらいましたから」
「素敵! 助け合える関係って」
ロザリーは両手を組んで、祈るようなポーズになっている。
そういうあなたはバジルとどうなったの?と尋ねたいけど、イヴェットとジョルジェットの前ではどうかと思うので、ガマンする。
それから三人に、リュシアンとの出会いから(ちょっと誤魔化した)、大広場でのデート(デートではないと否定したが聞き入れてくれない)、リュシアンのどこに惹かれたかなどなど、嵐のような質問を受けた。
すっかりはしゃいでいるイヴェット、ジョルジェット、ロザリー。正直、私もちょっと浮かれてきた。何しろ前世では恋に縁がなかった。ふた世を通して自分が恋バナの主役になるのは初めてだ。先行きの不安には少しの間目をつぶり、イヴェットが語るリュシアンエピソードを聞き、子供の頃の肖像画を愛で、合間に美味しい菓子を堪能した。
楽しい話に一段落がつくと。イヴェットが
「問題はこれからよ」
と言った。うなずくジョルジェットとロザリー。
「今夜は私も父様を説得するつもり」
「だいたい行方をくらました令嬢といつまでも婚約関係を続けるなんて、おかしいわ。うちの父も、不自然だと言っているもの」とジョルジェット。
「……どうしてそこまでリュシアン殿下を邪険にするのでしょう」
ロザリーが呟いた。大公家の内情は、きのうディディエが説明したと話していたが。
「だって国王陛下も補佐である大公殿下も立派な方だと、庶民は敬愛しています。リュシアン殿下のことはよく知りませんでしたけど、各界では人望があるのでしょう? 次世代の有望な人材を感情のみで宮廷から切り捨てるというのが、どうも妙な感じがします」
私たちは顔を見合わせた。
言われてみると、妙なのだろうか?
父親としてではなくて、国王補佐として考える?
と。突然扉がバァァンと開いた。
思わず跳び上がりそうになる。跳ね上がる心臓を押さえながら見ると、美しい令嬢が開け放たれた扉から堂々と入ってきた。
ジョルジェットが、
「カルターレガンのベアトリクス王女とバルナバス王子です」と小声で教えてくれる。
よく見たら令嬢……ではなく王女の半歩後ろに青年もいた。私たちは立ち上がり迎える。
いつだったかリュシアンが言った通りに王女は美少女だ。だけど顎をあげている様も、ややつり目のお顔も、ワガママそうな雰囲気だ。
青年の後ろには令嬢が数人。大公、公爵、侯爵家の方々で、はっきり言って肉食系のお嬢様。ダルシアク家のお茶会では一緒だった人たちはいない……と思いきや、やや離れたところにふたりほどいた。困惑顔をしている。
膝を折りタイミングを見計らっているとベアトリクス王女は
「どちらがアニエス・バダンテールかしら?」と尋ねた。
挨拶もなし? いいのかしら、と戸惑いながら、
「私です」と答える。
「へぇ」
美少女王女が顔がくっつきそうなぐらいに寄ってきて、私の頭から足先までなめるように見た。
なんなんだ一体。
「ベアトリクスさま。どうなさったのですか?」イヴェットが尋ねる。
王女は高い鼻をふんっと鳴らした。
「ごきげんよう、イヴェット」
「ごきげんよう、ベアトリクスさま。バルナバスさま」
王子は笑みを浮かべイヴェットの手を取ると、
「今日も可愛いね」
とブチューと甲にキスをした。長い。イヴェットの目も死んでいる。これは残念だ。攻略対象並みのイケメンだけど、残念な匂いしかしない。
女好きそうな王子は
「ジョルジェットも素敵だね」
と彼女の挨拶もまたずにその手を取って長いキスをする。
「兄さま、やめて。見苦しいわ」
おぉ。ベアトリクス王女はシビアらしい。
「イヴェット。紹介して」
なんだか変な順番だ。だけどイヴェットは何事もない顔で私とロザリーを紹介した。
嫌な予感を感じながらもふたりの異国の殿下に挨拶をすると、にやけ顔の王子が寄ってきて、私とロザリーも手の甲に長いキスをされた。
やっぱり。そう来ると思ったよ……。
「それでどうなさったのですか」イヴェットが再度尋ねる。「お約束も先触れもなしに」
優しいだけだと思っていたけれど、そうではなかったようだ。口調は優雅なままで、きちんと非難をする。
「みなさんとお茶をいただいていましたの。イヴェットとジョルジェットは来て下さらなかったけど」と王女。更にツンと鼻を天に向ける。
「先約がありましたのよ」とイヴェット。
「ここのところ噂になっているでしょう? ディディエ殿下の頬のアザは、とある令嬢に叩かれた、と」
……先ほどとは別の、嫌な予感がしてきた。
「私もみなさんも今までは半信半疑でしたけど、殿下は身分不釣り合いの令嬢に夢中だという噂もありましたわね」
背中を冷や汗が流れ落ちる。話の行く末が見えない。
「みなさんによると、お知り合いの中に殿下を叩いた方はいないそうよ。兄調べで国王夫妻やあなた方兄妹でもないと分かってもいる。これはもう、殿下が夢中になっていると噂される令嬢に直接尋ねるしかないと思うでしょう? そうしたら折よく王宮に来ているというから、会いに来たのよ」
そうしてベアトリクス王女は私を見た。
「さあ、どうなの、アニエス・バダンテール。あなたが殿下を叩いたの? あなたが彼の意中の令嬢なの? 恋人なの? 正直におっしゃいな!」
「答えたほうがいい」にこにこと王子が言う。「彼女はワガママだから、嘘をつくと仕返しが怖いよ。すぐに短鞭を振り回すからね」
っ! なにそれ! それはワガママではなく、ジョオーサマというやつではないだろうか。
なんて答えるか迷っていると。
「アニエスはディディエの思い人ではない」
凛とした声が響き渡った。
いつの間にか扉の元にリュシアンが立っている。
「彼女は私の恋人だ」
そう言ったリュシアンは私ににっこりと微笑みかけた。
お読み下さり、ありがとうございます。
残り3話で完結予定です。




