39・知らぬ間に一致団結していたようです
会議室に戻る。すごく胸が苦しい。
リュシアンはこれから、みんなに本心を隠していたことを謝るという。
許してもらえるとは思えない。どのような理由があるにしても、結果的には同じだ。リュシアンを助けるつもりだったディディエだって、気が変わるだろう。
部屋に戻ると、一斉に視線が向けられた。
「アニエス」ディディエが呼んだ。
「はい!」
思わず元気よく返事してしまう。
「今まで済まなかった」
「え……」
瞬きを繰り返す。
何ですって?
「良かったな、アニエス。もうディディエ殿下は絡んで来ないそうだ」
ギヨームが笑顔を向けてくる。
「……ということは、アルベロ・フェリーチェの効果が全て消えたのですか?」
「そうだ」ディディエはそう言ったあと、リュシアンと私に着席を促した。
私たち以外の席にはお茶とお菓子が出ている。バジルが、すぐにお持ちしますと言って部屋を出て行った。
「アニエス」とディディエがまた私の名前を呼んだ。「そろそろ返事は決まったか?」
「どの返事でしょう」
リュシアンに対する共同戦線? 何度も断っている王子妃? 一年の猶予期間?
「無論、リュシアンの目を覚まさせて、愚かな婚約を解消させるための共闘についてだ。ここにいる皆は力になってくれるぞ。それからイヴェットにジョルジェット、リュシアンの従者。参加していないのは、あとはお前だけだ」
ぐるりと見回して、最後にリュシアンを見る。彼も困惑の表情だ。 一体何がなんだか分からない。どうして今この話で、どうして皆が協力してくれるのか。
「返事は?」とディディエ。
「ディディエ。話がある」とリュシアン。
「お前はあとだ。アニエス。リュシアンを助けたいか助けたくないか、どちらだ」
そう言ったディディエは、今まで見たことがないほど柔らかい表情をしていた。
「助けたいわ。だけど」
「よし」王子は私の言葉を遮ると、笑みを浮かべた。「これでアニエスも仲間だ。さあリュシアン。いい加減、観念しろ。愚かな婚約を解消するのだ」
「そのことだが」
「リュシアン」と王子は今度は従兄の言葉を遮った。「あの婚約は大公に無理やり決められたのだろう?」
リュシアンが息を飲む。
「私を見くびりすぎだ。何も知らぬと思ったか」
「……いつから知っていた?」
「ん?」
ディディエが何故か私を見る。
「私が初めてバダンテール邸に行ったときだ」
求婚しに来たディディエと、王に頼まれて様子を見に来たリュシアンがケンカをしたときだ。そのあとに私は婚約の秘密を教えてもらったのだけど……。
「通された部屋の窓は開いていた。恐らく私の訪問に驚いた執事が咄嗟に開けて、建物の外から様子を伺っていたのだな。万が一のことがあってはまずいから」
窓。開いていたっけ。
「その後、お前が珍しく取り乱した。だから私が帰れば、油断したお前がアニエスに何か打ち明けるだろうと考えてな。窓の外に従者を残していった。お前はまんまと全て話してくれた」
ということは、リュシアンと涙活していたことも、きな臭い噂話を教えてもらったことも、ふたりで笑っていたことも、全部筒抜けだったの?
「怒るなよ、アニエス。バダンテール邸の執事には、アニエスの一生に関わる大事なことだから、決して立ち聞きのことを誰にも漏らさないようにと命じた」
「アダルベルトも知っているの!」
「庭に入る許可をもらっただけだ。聞いていたのは私の従者のみ。手を繋いで並んで座っていたとか、ミステリーを読みすぎる話でイチャイチャしたりとかは従者と私しか知らない」
「なにそれ、ズルい」とクレール。うなずくエルネスト。
「大袈裟すぎるわ!」
「いやいや、私はそう報告された」にこりとディディエ。「それがたとえ友人としての関係だとしても、端から見れば親密な間柄だ。だから私はアニエスと並んで座りたかったのだ」
そうか。二回目にうちに来たときだ。
「お前、『打ち明ける』と言ったな」
リュシアンが問うた。表情が固い。
「ああ、そう言った」
「何かあると気づいていたのか。いつからだ?」
「いつからだろうな」ディディエはため息混じりだ。「そもそも彼女がお前の好みではないだろう。美人ではあるが、旧態依然として無知蒙昧。母親から離れる為だとしても、あんまりな相手だと思った。そうだな。彼女が出奔したのに、その帰りを待つと言ったときだ。な、マルセル」
マルセルがうなずく。
「どう考えても酷い状況なのに、リュシアンは何を言っても耳を貸さない。聡明なお前らしくないじゃないか。顔は日に日に暗くなっていくし」
今度はディディエがうなずく。
「だからお前は、自分の意思ではどうにも出来ない状況なのだろうとしか考えられなかった」
バジルが戻ってきてリュシアンと私の前にお茶を置く。彼はロザリーの隣に座った。
「細かい話はあとだ」とディディエ。「お前は何も話してくれないから、私は私で動くことにした。マルセルと」うなずくマルセル。「だが父上、大公と探ってみたが、解決になりそうなことは何も出てこなかった。説得も効果なし。そればかりかお前を婿に出すか神官かの二択以外はないつもりのようだし、手詰まりだ」
ディディエはそこで口を閉じた。まっすぐにリュシアンを見ている。そうして、
「リュシアン。お前、アニエスに惚れているだろう。バジルに確認したぞ。アルベロ・フェリーチェの解毒薬を五回も飲んだそうじゃないか」
リュシアンの目が見開かれる。他の人は何も言わない。きっと私たちがいない間に皆でそのことを話していたのだ。
「そうじゃないかと思っていたが、ゴベール邸で確信した。殴られ甲斐があった」とディディエ。
「……どんな理由にしろ、殴られたディディエ殿下よりも先に殴った人物に駆け寄るなんて、あなたらしくありません。一介の騎士でも分かります」静かにエルネストが言う。
「常にディディエ殿下をフォローしているあなたにしては、あり得ない行動でしたね。人前で王子を怒鳴りつけるなんて」とジスラン。
「ああ、やっぱり縦ロールを好きなんだ、と思ったよ」クレールが言う。「僕は怒っているよ。他人事のふりをして、彼女の一番近くにいたんだから」
「恨み言は後にしましょう。今はディディエ殿下のお話が先」とジスラン。
「だから」と再びディディエが口を開いた。「皆に力を借りることにした。ギヨームも。ロザリーも、バジルも」
マルセルがいつの間に取り出したのか、紙束をリュシアンに差し出した。
「マルセルが練りに練った、台本だ」とディディエ。
「台本?」と呟くリュシアン。
「そう。お前とアニエスの悲恋と駆け落ちの台本」
……もう、驚きすぎて、言葉が出ない。
「悪いなアニエス」とギヨームが私に笑顔を向けた。「ディディエ殿下に脅されて、君がリュシアン殿下を好きになってしまって泣いている、と話してしまった」
「脅した覚えはない」とディディエ。
「殿下はすぐに脅す」とエルネスト。
「ディディエの誕生会で出会ったお前とアニエスは恋に落ちた。だけどお前は父親が決めた婚約から逃げられない。そこで一計を案じたディディエがひと芝居を売って、ふたりには内緒で、この恋が世間に知られないようにした。それがあの日の広間での騒動」
マルセルの話にエルネスト、ジスラン、クレールがうなずく。
「大公は息子に向き合わず、あまつさえ出奔した婚約者が戻らなければ神官になるよう命じる」
「これは実際に長が若い見習いに準備をさせているから、信憑性もばっちりです 」
マルセルの後を継いでジスランが太鼓判を押す。
「リュシアンは従者を使って、出奔した婚約者を探し婚約解消の直談判をしようと試みるが、彼女の行方は杳として分からないまま」
「あなたの従者が何かしらの情報集めをしていたこと、騎士たちが気づいている」とエルネスト。
「イヴェットやジョルジェットがアニエスの支援をするが、成果なし。これはうちの姉や使用人が証人になる」とマルセル。「八方塞がりのふたりは、伝説の樹の不思議な力にあやかろうと、花びら配布に並んだり、薬草園を訪れたり」
「うちの隊員たちが、ふたりで配布の列に並んでいたのを見ている」とエルネスト。
「ディディエは自分がアニエスを気に入っているように装って、彼女の素晴らしさを陛下と大公殿下にアピールするが効果なし」
「薬師たちが証人」とバジル。
「ついに追い詰められたふたりは、手に手をとって駆け落ち。ふたりの友人たちは無念すぎて泣き暮らす。現実を利用して、真実味を高めている。いいだろう?」
「駆け落ち先は、ラリベルテ。アニエスの叔父の元」とディディエ。
「叔父? なぜ、彼を御存じなのですか」
うちの叔父はそんなに有名人ではない。
「バダンテール邸の執事に勧められた」
ディディエの言葉にまた驚く。
「アダルベルトですか? いつの間に」
「令嬢を駆け落ちさせるのだ。バダンテール家も巻き込むからな。執事の了解を得ておいた。ただ、これだけだとただの駆け落ちで、解決策にならない」
ディディエの言葉にマルセルが、その通りと相づちする。
「そこで彼らに案を募った」
「そこで私がリュシアン殿下とアニエスの悲恋、婚約者と使用人の悲恋を詩にしました」とジスラン。
「それに僕が曲をつけたよ」とクレール。
「それを誰かに街中で歌ってもらう。祭祀に合わせて民衆の祭りもある。多くの人が集まるから、広めるのにちょうど良い」とディディエ。「あとは歌い手役だが、ロザリーが庶民だったときの知り合いに酒場歌手がいるというから、そちらを頼ることにした」
「俺は駆け落ちするときの護衛を見繕う」とエルネスト。
「イヴェットとジョルジェット、ロザリーには、令嬢たちにお前たちの悲恋を広めてもらう。ギヨームも屋敷にいるアニエスはいつも辛そうにしていたと、まことしやかにあちこちの界隈で語る。
リュシアンが母君に冷淡な扱いをされていること。父君がそれを正さないこと。父上がお前を重んじながらも、甥ではなく臣下としてしか扱わないこと。宮廷の中心にいる者ほど事情をよく知っているから、この筋書きを信じるだろう」
「庶民はこういう悲恋に弱いです。きっとアニエスさまの味方になります」とロザリー。
「父上と大公の好感度は大暴落。せっかくの即位十周年にケチがつく。善き為政者でいるつもりのふたりには、面白くないことだろう」
「そうしたらうちの父に頼んで口八丁で陛下たちを丸め込んでもらう」とマルセル。「父は表立っては何も言わないが、リュシアンの扱いに納得していない」
「宰相が動かなければ、私が説得する。お前たちの仲を認めさせ、リュシアンが王宮で仕事を持てるようにする。私はお前とマルセルと、三人でこの国を担うのだ」
リュシアンは頭を下げた。卓についてしまうほどに。
「言っておくけど」とクレール。「僕はアニエスのためにやるのだからね。殿下はいつか、この借りを返してよ。楽団はいつでも橋渡ししてくれる人を必要としているのだから」
ありがとう。
リュシアンの声と私の声と。ふたりの声が重なった。
◇◇
「俺も彼女を好きなことを、隠していて済まなかった」
リュシアンがそう言うと、
「仕方ありません。出奔したとはいえ婚約者がいる」とエルネスト。クレールがうなずく。
「真面目すぎなのですよ。自由に楽しめばいい」とジスラン。
「正直に話してほしかった」とマルセル。
「外的要因だ、事態の解決を図る、なんて言いながら、自分がそれを必要としているのだろうと思った」とマルセル。「だが何も打ち明けてくれないのなら、アニエスについては放っておくつもりだったのだがな。私もクレールと同じ、彼女に泣いてほしくない」
皆がうなずく。
「どのような原因があったにしろ、いっときは恋した相手だ。幸せになってもらいたい」
ディディエは私を見てそう言った。
『いっとき』と言うならば、もう目は覚めたのだ。ほっとして、心の底からの感謝を伝える。
「だけど『真実の愛に辿り着く』を皆で飲む前には教えてほしかったな」とクレール。
「殿下にはできなかったんだ」とギヨームがたしなめる。
「どうしてさ」
「私たちにアニエスを好きだと告白したら、ならばつまらぬ婚約を早く解消しろと迫られるだろう」とマルセル。
「そうしたら自分の意思では解消できない婚約であることを、打ち明けなければなりません」とジスラン。
「なるほど」
「だが私には教えてほしかった」とディディエ。「アニエスのことも、大公の横暴も」
済まないと謝るリュシアン。
「つまり口の固さは折り紙つきということです」とジスラン。
「父上には口外するなと命じられ、従兄には不義理だと詰られて、狭間で随分と辛かったでしょう。十八なんて、私からすればまだ大人ではありません」ギヨームが穏やかに言う。
「そうですね」とジスラン。「ですがその辺りのことは、王宮でゆっくり語り合って下さい。私はそろそろ」
彼は立ち上がり、暇ごいの挨拶をした。祭祀の禊の本段階に入っているらしく、本当は外出も禁じられているそうだ。幹部と親しいリュシアンたっての要望だからと、特別に許可がおりたという。
ジスランが神官の白い法衣の裾を翻して扉の向こうに消えると、
「あいつ、カロンに神官を辞めろと言われたことにだいぶショックを受けているんだ」とエルネストが誰にともなく言った。
「カロンは何があっても先輩、先輩って慕ってくれていたからな。神官としては尊敬されている自負があったんだ。それが神官よりもアニエスを取れと言われたものだから」
なるほど、とうなずく面々。
「この数日、見違えるほど真面目だそうだ。女性からの連絡は全て拒否。手紙も返送させているという。だから外出許可が降りた」とリュシアン。
「よほどショックだったんだね。どうしてもっと早くに彼女の存在の大きさに気づかなかったんだろう」とクレール。
うなずくエルネスト。
あなたもね!と心の中で突っ込む。
「手遅れになる前に気づいたのだから、いいではないか」
暗い声。マルセルだった。
彼とジョルジェットがどうなっているのか分からないけれど、良い関係ではないようだ。
マルセルとジスランは『真実の愛に辿り着く』を飲む前に、アルベロ・フェリーチェの影響を受けなくなっていたのだろうか。
ちらりと薬師であるバジルを見る。この辺りのことは、薬師たちが研究するのかな。
「こちらも自力でまとまってくれて良かった」とギヨーム。「リュシアン殿下もアニエスも追い詰められていて、私にはお手上げだった。アニエスなんて突然腕立て伏せを始めるし」
腕立て伏せ?と皆が呟く。
「さすがだ。頭突きのみならず、パンチも素晴らしいと思ったら、しっかり鍛えていたのか」
エルネストが目を輝かせる。違うと言えないところが辛い。
「お前は何を目指しているのだ?」と心底不思議そうなディディエ。
「あなたを警戒していただけでしょう」とクレール。
「アニエスさまはギャップが可愛すぎます!」とロザリー。
そうか?という形にバジルの口が動いた。
「そういえば手は大丈夫なの?」とクレール。
「ええ。ありがとう」
少し腫れたものの、今はもう見た目に問題はない。
「リュシアンが王家専用の打ち身用軟膏を大量に送ったからな。毎日塗りに行ったのだったか?」
「一度、お前の状況を伝えに行っただけだ」とリュシアン。
「ふうん」
あの後、ディディエに殴ったことは謝った。やり過ぎたとは思ったから。
するとジスランが、『そんな態度だからすぐにつけ込まれるのです。そのうちキスでは済まなくなりますよ』なんて言って、それを聞いたディディエはくすんだ頬で笑っていた。
王宮からお咎めもなし。ディディエは令嬢に平手打ちを食らった可哀想な王子として男性陣の同情を集め、笑い話で終わったらしい。多分そうなるように根回しをしてくれたのだろう。
最近のディディエはちょっと俺様度が強かったけれど、元々は品行方正で皆が憧れる王子なのだ。
「とにかく。この通り、お前とアニエスを駆け落ちさせる台本はできている。どうする。いつでも実行できるぞ」
ディディエの言葉にリュシアンは私を見た。うなずいて、気持ちを伝える。
「父に、結婚したい相手がいると伝えることにした」とリュシアン。
先ほど彼は、もう何からも目をそらさないと言ったのだ。
「……聞いてもらえるか?」とディディエ。
「分からない。だけど出奔は、アニエスにも彼女の家族にも負担がかかる。まずは説得だ」
「上手くいかなかったら?」
「その時は」
リュシアンは再び私を見た。
先ほどアルベロ・フェリーチェの前で約束をした。リュシアンは父君を説得する。駄目だったら……
「そんな大公殿下は、こちらから見限ってやるわ」
私はきっぱりと言い切った。




