34 ・ヒロインに何かが起こったようです
その日の午後は、約一ヶ月ぶりになる私主催のお茶会があった。招待するのはオリジナル・アニエスの頃からの友人たちとロザリーだ。古い友人たちは伯爵令嬢ばかりだったのでロザリーが馴染めるか心配だったけれど、杞憂だった。
やっぱりロザリーは正統派ヒロインで、誰が相手でも仲良くできる。ゲームで意地悪をされていたのだって、私をはじめ皆個人的にしていたのであって、集団ではなかった。
普段よりやや踏み込んだ質問(ディディエたちに対してだ)にうろたえることはありつつも、いつも通りのお茶会。だけれど、どこか違和感がある。
そう思いながら過ごし、そろそろお開きというころになって違和感の正体に気がついた。
ロザリーが普通すぎる。
今までは、やたらとボディタッチが多かった。それが全くない。ダルシアク邸のお茶会ではなかなか話す機会がなかったから、切なそうな目でちらちらと私を見ていたのだけど、それもなし。どうしたのだろう。
それが気になって帰り際理由をつけてロザリーを引き留め、他の令嬢の馬車を全て見送ったあと、少しいいかしら、と時間をもらった。
「あのね、ロザリー。今日はいつもと少し違うような感じがするの」
そう問うと、彼女はなんとも言えない表情になった。
「その、距離が近すぎないというか……」
なんて言えばいいのだ!
言葉に詰まっていると、ロザリーが
「ごめんなさい」
と頭を下げた。
「どうしたの?」
彼女は泣きそうな顔をしている。
「あんなにアニエスさまにお嫁さんになってと頼んでいたのに、私、その気持ちが消えてしまったんです」
「まあ」
「だけど! アニエスさまが大好きなことは変わりません! ごめんなさい」
ロザリーの目に涙が浮かぶ。
「い、いいのよ、気にしないで。私こそ、お嫁さんになるつもりはなかったし、ええと、だから、大丈夫!」
可愛い人の泣き顔に慌ててしまう。
「ロザリーさまの涙なんて! 尊い……じゃなかった、悲しくなります」
しばらく妙に冷静さを失ったふたりであわあわとやり取りをしていたら、コホンと咳払いが聞こえた。執事だ。
「応接室に新しいお茶をご用意致しましょうか」
その声に冷静になる。
「そうね。ロザリーさまはお時間あるかしら。詳しく教えて下さいな」
ロザリーの私への恋だか熱だかが消えたこと。これは大事件だ。
◇◇
「お気持ちが変わったのは外的要因の影響がなくなったからではないかと思うの」
そう伝えるとロザリーは、口を開きかけ、また閉じた。
外的要因の可能性については、リュシアンが誕生会の二日後に手紙で知らせ、彼の従者が聞き取り調査をしている。ロザリーは協力的ではあったけど、その可能性には否定的だったという。
私も何度か話題にしたけど一笑に付されたし、彼女の好意はディディエたちのものと違って恐ろしさも押し付けがましさもなかったから、強く主張はしなかった。
「本当に外的要因なんてあったのかしら」ロザリーの声は沈んでいる。
「リュシアン殿下や私はあると信じて解決を目指しているの」
「私はアニエスさまが本当に好きです。それまで男性方は声をかけてくれましたけど、女の子のお友達はなかなかできなくて。声をかけたくても皆さまキラキラしているし、どの方が同じ家格か分からないしで、とても不安でした。だけれどアニエスさまはとても親しみがあって、可愛らしくて、直感したのです。お友達になりたいって。それが、何かの作用だなんて考えるのは……」
彼女は悲しげな表情だ。
「ごめんなさい。ロザリーさまのお気持ちを否定するつもりはなかったの。お友達になれて嬉しいのよ。本当よ。だけれど同じぐらい、この件を解決したい」
「ディディエ殿下たちも同じ状況だ、という考えなのですよね?」
うなずくとロザリーはため息をついた。
「私、アニエスさまを他の人に取られたくなかったし、アニエスさまが嫌がっているのにお構い無しの殿下たちにとても腹が立っていました。だけれど今は、気持ちを外的要因だからと否定されるのは、可哀想な気がしてしまいます。……お気を悪くしたら、ごめんなさい」
目を伏せたロザリーを見つめる。
「アニエスさまがお困りであることは事実ですから、協力はします」
「ロザリーさま」
ぐっとお腹に力を入れる。友達だから、困っているから無償で力を貸せ、と借りるほうが言うのは、暴論だ。忘れていた。
「当初、外的要因の解決を目指したのは、ディディエ殿下たちの目を覚ますためでした。だけど今は私自身のために必要なの」
ロザリーのスミレ色の瞳が真っ直ぐに私を見る。
「私も影響を受けているわ。リュシアン殿下が好きなの。だけどそれはまずいから。友達に戻りたいの」
リュシアンが好きと、口にするのは初めてだ。少し声が震えた。
すっ、とロザリーが立ち上がる。向かいの席からこちらへやって来ると隣に座り、なにも言わずに私の手を握りしめた。
「アニエスさまに、協力します。お気持ちが楽になれるように」
「ありがとう」
「だけど」とロザリーは困惑の表情だ。「私も何がなんだか。どうして思いが変わったのか、分からないのです」
それから手を握りあったまま、あれこれ話した。以前のロザリーは強く、私に会いたい、一緒にいたい、誰にも渡したくないと思っていたそうだ。
ちなみに誕生会で会ってから、お茶の招待をするまでに日があいたのは、ご両親によるものだそうだ。家格が上の伯爵令嬢に男爵側から誘うことを懸念して、本当にアニエス嬢に許しを得たのか、失礼ではないかと、数日にわたって議論していたそうだ。
ロザリー自身は、次の日にでも招待状を出したかったらしい。
その強い気持ちがほぼ失くなっていると気がついたのが、今朝。私のお茶会にウキウキと気分は浮き立っていて、着ていくドレスのチェックをしていた。で、ハタと気がついた。アニエスさまに会えることは楽しみだけど、独占したいとか触れたいと思っていない、と。
え、触れたいと思っていたんだ……。というところはスルーして。
自分の気持ちの変化に驚いたロザリーは、何でだろうと考えた。けれど思い当たることがない。
「いつからかも?」
「どうでしょう」
コテンと首をかしげるロザリー。可愛いが過ぎる。
「アニエスさまがワルキエ邸にいらっしゃった時は、確実に変化はありませんでした」
「ではそれから今日までの間ということね」
あれはちょうど一週間前だ。
「だけれど特段、変わったことはしていません」
普段と違う場所へ行ったり、珍しいものを食べたりもしていないという。
「きのうモフロワ家で女性陣が集まりました。よくするのですけどね、その時バジルに久しぶりに会いました。すぐに仕事に戻ってしまいましたけど。それぐらいしか、変わったことはないのです」
「そう。モフロワ家は薬師の家系なのよね。誤って何かの薬を飲んでしまったとか」
まさか、と笑うロザリー。
「薬の取り扱いは完璧です。そんな間違いが起こったことはありません」
「そう。失礼な質問をごめんなさいね」
それからしばらく、ロザリーは一生懸命に考えてくれたけど、何も引っかかることは思いつかなかった。
では何かあったら連絡をする、と彼女は言って帰って行った。
さてさて、これはどういうことだろう。
早速リュシアンに知らせないととペンを手にしたところで、止まった。
リュシアンはレシピに効果がなかったことに落ち込んでいた、とギヨームが話していた。私にはそんな素振りは見せなかったけれど、心配させないようにしていただけだろう。
ならばロザリーの件を報告して、また見当違いだったらリュシアンは、再びがっくりしてしまうのではないだろうか。




