32・二人きりになんてしないで下さい
「リュシアン。そろそろ」
とディディエが従兄を見る。するとリュシアンはうなずいて腰を上げた。
「どうしましたか?」
「リュシアンはアニエスの弟と遊ぶ約束をしたそうだ」
答えたのは、笑顔のディディエ。
「いつの間に?」
「私たちがバダンテール邸に到着したとき」とディディエ。「父上が、私ひとりでアニエスに会いに行ってはならんと言ってな。仕方なしにリュシアンに付いてきてもらったが、私はお前とふたりで過ごしたい」
なるほど。ふたりきりになりたがるディディエが何故リュシアンと来たのかと不思議だったけれど、そのような訳があったのか。もしかしたら先触れを出した後に、王に注意をされたのかもしれない。
ここはきっぱりと。
「遠慮します」
毅然とお断り。
「私も遠慮する」とディディエ。
「もうシャルルにも伝えてしまったんだ」とリュシアン。「薬草園でも、またいつか話そうと約束をしたしな」
「それは聞いていますが、てっきり社交辞令だとばかり」
「まさか。子供に社交辞令なんて通じないだろう?」
リュシアンは当然のように言う。最初の悪印象はどこへやら、やはり根はいい人なのだ。
「リュシアンは小さい弟妹がいるからな。子供の扱いはうまいのだ」とディディエが言う。
「しばらく外すが、アニエス、もしディディエに困ったら遠慮なく外に控えている近衛を呼べ。陛下から許可は得ている」
「聞いていないぞ!」声を上げるディディエ。
リュシアンは意地悪く見える笑みを浮かべた。
「王子としての振る舞いを忘れないようにとのことだ」
だからどうして国王はそれを息子でなく、リュシアンに言うのだろう。甥っ子が優秀だからって頼りすぎだ。
それじゃ、と部屋を出ていくリュシアンの後ろ姿にもやもやが残る。
エマはひとつ違いの優秀な従兄を持つディディエは大変だと話していたけれど、ひとつしか変わらない従弟の世話係をやらされるリュシアンも、十分に気の毒ではないだろうか。
「リュシアンの背に何かついているか?」
ディディエの声に我に返る。彼は何故か席を立つと私の隣に座り直した。近い。
私、黙って立ち上がる。が、腕を引かれて元の場所に尻餅をついた。なんて乱暴なのだ。
「アニエス」
「何でしょう」
「露骨過ぎやしないか」
「殿下もです」
がっつりと腰に手をまわされている。これは近衛を呼んでいい案件ではないだろうか。
「思い人の隣に座りたいと思って何が悪いのだ」
「私はそうではありません」
「リュシアンの隣には座るのにか?」
「……そんなこと、なかったと思いますが」
記憶を探ってみるけど、思い当たらない。リュシアンはディディエたちがいるときはやや他人行儀だし、私だって自ら異性の隣に座るようなマナー違反はしない。一度だけ隣に(膝上は除く!) 座ったけれどそれは、リュシアンと一緒に涙活したとき。誰も見ていないはずだ。
「そうだったか? 嫉妬しすぎて妄想と混同したかな?」
さらっと爽やかな顔で言うディディエ。
怖っ!!
「それほどお前とあいつが親しげに見えて、面白くないということだ。お前は好きな男がいないというから分からないだろうが、惚れた相手が自分ではない異性とイチャイチャしているのを見せつけられるのはキツいものだぞ」
「いつイチャイチャしましたか!?」
そんな覚えはこれっぽっちもないのだが!?
「それともリュシアンを好きなのか?」
「っ!」
「隙あり」
うろたえた瞬間にディディエが素早く動いた。
「……」
気づくと私は彼の膝の上に横座りさせられていた。ものすごいデジャブだ。
笑顔のディディエと目が合う。
慌てて立ち上がろうとするが、がっちりホールドされていて抜け出せない。
「こ、近衛を呼びます!」
「積極的なお前に襲われているところだと説明するぞ。恥をかくのはアニエスだ」
じたばたと動かしていた手足を収める。どこまでも、誕生会のときと同じだ。リュシアンはあのことを話したのだろうか。
最初のは私に悪さを白状させるための手段。二度目はストレスが溜まりすぎていたことによる、ちょっとしたイタズラ心だった、といつだったか謝罪されたのだが。
「本当だ。大人しくなった」
「『本当だ』とは?」
「うん?」ディディエは悪い顔をする。「隣国から来た従兄が教えてくれた。そう言うと、普通の令嬢は困って人を呼べなくなる、と」
従兄? 王妃の甥のことだろうか。
「ガードの固い令嬢はこれで口説くそうだ。ぐんと距離が近づくらしい」
ということは、リュシアンもその従兄情報だったのだろうか。
というか、ゲームのディディエルートにこんなご褒美があったわ。あれは膝上に座らされて、自分が作ったクッキーをあーんしてもらうのだったけど。
「キスもしやすくて丁度良いという。どうだ、私と?」
「……」
じとりと半眼で攻略対象をみつめる。
「あ、勿論、こんなことをするのは初めてだぞ! アニエスだからだ!」
私が黙っていると、ディディエは珍しく慌てて弁明を始めた。
だらだらと言い訳をしながらも、ホールドを外さないディディエ。
「殿下。ひとつ良いことをお教え致しましょう」
なんだ、とディディエは安堵の表情になる。
「現在殿下の好感度は地獄の底に到達致しました」
「地獄!?」
渋々といった様子でホールドが解かれた。立ち上がり、危険人物から離れようとすると、また、腕をとられた。
「せめて隣に」
「嫌です」
「そんなに嫌わないでくれ。リュシアンよりアニエスと親しくなりたい。それだけなんだ」
「……どうしてそうリュシアン殿下を引き合いに出すのですか?」
ディディエが分かりやすく、伏せ耳の犬になる。
「私の好感度は地獄の底。ならばリュシアンはどこだ?」
なんとまあ、答えづらい質問をするのだ。
「マルセルは? エルネストは? ジスラン、クレール。六人の中で一番好感度が高いのは誰だ。群を抜いてリュシアンなのだろう? 私がお前に振り向いてもらうためには、リュシアンを越えなければならない。違うか」
全くもってその通り、とは言いにくい。
「私は何をやってもあいつには敵わない。だけれどアニエス、お前だけはそれで済ませたくはないのだ。頼む、何もしないから隣に座ってくれ」
しばらくディディエの顔を見つめ、結局諦めて言われた通りに腰を下ろした。はっきりと拒絶しないといけないとは思うけれど、エマの『比べられて大変』という話を思い出してしまったのだ。
「ありがとう」ディディエはそう言うと、私の手を離してくれた。腰に手もまわさない。約束を守るようだ。たまに素直になるところが、ディディエの良いところかも。
「……そんなにリュシアン殿下がライバルなのですか」
「いいや、ライバルですらない。リュシアンは私と競っている気など微塵もないからな。それなのに軽々と私の先をゆく。私は追い付くのに必死だというのに」
どこか自嘲気味に話すディディエ。だけれどそうだろうか。リュシアンも父にとって自慢の息子でいるために、必死に努力したと言っていた。
「殿下がご存知ないだけで、リュシアン殿下も必死かもしれませんよ。努力していることを隠すタイプのように思います」
「そうか?」
「はい」
「……あいつから愚痴を聞いたことがないのだ。だから何でも簡単にこなしていると思っていたのだが」
「物事は多方面から見なければならないそうです。昨日、教わりました」
「私もそう教わったな」
ディディエは大きく息を吐いた。
「少なくとも、リュシアンは実際に優秀だ。父上からの信頼も厚い。何かといえば、すぐにリュシアン。先ほどもそうだっただろう? 私に直接言わずに、リュシアンに言う」
「そんなに信頼しているのなら、何故彼の婚約をお認めになったのかしら」
リュシアンの両親が彼を邪魔者扱いしたことを知らないのだろうか。だけれど彼の話では父親と国王は仲が良く、この結婚を拒絶することはふたりに楯突くこと、と話していた。知らないなんてことはなさそうだ。
「私もそこがよく分からない。何度となく父上には掛け合ったのだが、リュシアンの意思を尊重するとの一点張りだ」
でも、この結婚はリュシアンの意思ではない。
まさか国王は、甥を都合よく使っているだけなのだろうか。薬草園ではリュシアンは臣下側の対応をしていたし、彼を国王が気にかけている様子はなかった。……同様に、父親も。
「叔母上、デュシュネ大公妃とリュシアンの関係は知っているな?」とディディエ。
はいと答える。
「叔母上を気遣っているのかとも考えた。父上たち三人は幼馴染らしくてな。かつては仲が良かったようなのだが、リュシアンの兄が亡くなってからは、叔母上はあまり顔を見せなくなってしまったそうだ」
「幼馴染を気遣えるのならば、懸命に仕えようとしている甥のことも気遣ってもいいのではないかしら」
胃がムカムカする。思わず黙っていられなくて文句を口にすると、隣の王子は
「確かにその通りだ」
と意外にも優しげな声で同意した。
「意見が合いそうだ、アニエス。私と共闘しないか。リュシアンの目を覚まさせて、婚約を解消させる共同戦線」
ディディエを見ると、今までになく自然な表情をしている。共同戦線に見せかけて私に迫る、といった裏の意図はなさそうだ。
「以前にイヴェットさまにも同じことを持ちかけられたのですが、リュシアン殿下と話した結果、私はこの件に関わらないと決めました」
「ああ。イヴェットから聞いている」
「それにディディエ殿下もこの件は諦めたようだ、と」
「確かに一度諦めた。だが今ならいける気がするのだ」
実際にはリュシアンの意思ではないから目を覚まさせて婚約を解消させるなんてことはできない。そして、国王と補佐を相手に事態を変えることは不可能とのことだった。
だけれど、伯爵令嬢でしかない私との結婚を父親に認めさせることのできたディディエならば、リュシアンを助けることができるだろうか。
ディディエの周りにキラキラオーラが見える気がする。ヒロインを間違えても、攻略対象。正統派の王子だ。現状を打破できる何かを持っているかもしれない。
「そのように考える根拠は何でしょうか」
「根拠?」
ディディエは口をつぐみ、じっと私の顔を見ている。明かすべきかどうかを迷っているのだろうか。それとも根拠などないのだろうか。
「実は、イヴェットとジョルジェット、マルセルには打ち明けて共闘することになっている。リュシアンに教えてはならないぞ」
いつの間に。ディディエは、なんだかんだ言いつつも、ちゃんと従兄のことを考えていたのか。
「だがアニエスには内緒だ」
「え。何故ですか?」
「知りたくば、私の求婚を受けろ」
「ならば結構です。ちなみにやや浮上しかけた好感度が、墜落しました」
酷いな、とディディエは笑った。
「だが共闘はしてくれるだろう?」
リュシアンを助けたい。だけどそのためには、彼が隠していることをディディエに明かさなければならない。いいのだろうか。
それに、助けたいと思う私の気持ちに私欲が入っているのではないだろうか……。
「アニエス?」
「考えさせてもらってよいでしょうか」
ディディエの力を借りるならば、リュシアンの許可を得てからにしよう。本人に秘密でこっそりやることではない。
「リュシアンには内密だぞ」とディディエ。
「殿下にお誘いを受けたこと、皆さんが一丸になっていることは話さないと約束いたします」
「ふむ。……まあ、よいか。近いうちに返事を聞かせろよ」
「はい」
「そのためにも、私は今後週に一度バダンテール邸を訪れることにする。それからアニエスも同じく週に一度、王宮に遊びに来ること」
「何故ですか!?」
「そうしたいからだ」ディディエ、にっこり。
「殿下」
「なんだ」
「殿下のように強引なイケメンにキャアキャア言う女子は一定数いるでしょう」二次元に限るけど。実際に俺様男子に出会ったことはないもの。「ただし私はこれっぽっちも魅力を感じません」
「辛辣だな」ディディエはわざとらしくため息をついた。「けれど構わん。私は勝手に来るし、勝手に迎えの馬車を送る。居留守を使うなよ? 近衛たちが不敬だと騒ぐからな」
「卑怯だわ!」
「良い作戦と言ってくれ」
と、たどたどしいチェロの音が聞こえてきた。今日はギヨームがシャルルのレッスンに来る日だ。ディディエが来訪するならお休みにしようとしたが、構わないと許しを得たので変更はしなかった。
「聞いているぞ」とディディエ。「近頃はギヨーム・ゴベールとも親しいそうだな」
「弟のレッスンをお願いしていますから」
「それだけか?」
「それだけですよ。……あ、ミステリ仲間でもあります」
「む。忘れていた、リュシアンにも本を貸しているそうだな。私も仲間に入る。お勧めを貸せ」
「殿下ならばいくらでも買えるでしょう」
「お前に借りたい」
「殿下は卑怯だから嫌です」
「なんだと!」
それから、とるに足りない話となった。
ディディエは薬草園のときのように自分語りをしなかったし、私を質問攻めにもしなかった。話題になったのはアルベロ・フェリーチェから作られた製品についてや、王宮のパティシエがつくる極上スイーツがいかに美味しいか、またリュシアンやマルセル、ジョルジェットの昔話だった。
思いの外、楽しく弾む会話。ついつい、
「今日の殿下はいつもとは違いますね」
と言うと、ディディエは満足そうな顔をした。
「薬草園のあとに従者に叱られた。あれで恋に落ちてくれる女性はいない、と。だからジョルジェットやイヴェットに、好感度が高くなる話題について聞いたのだ。我ながら好感触と自負しているが、違うか?」
ディディエは私の意見を聞かないけれど、それでも私に好かれようと努力はしてくれているのか。
「地獄の底から、地獄の中層ぐらいには浮上しました」
「よし、もうひと押しだな」
「それでは全然足りませんよ」
ハハハとディディエが声を上げて笑う。
と、扉が開いた。リュシアンだ。楽しそうなディディエに目を見張る。
「どうだリュシアン。良い感じだろう」
ディディエは自慢したいのか、鼻高々だ。
「……良かったな」
「ああ、大満足だ。今日のところはこれで帰るか」
「あの、ひとつだけ」
帰るとの言葉に慌てて片手を上げる。
どうした、と言うディディエに頭を下げて、リュシアンを見る。
「ジョルジェットさまは、いかがお過ごしでしょうか」
リュシアンならば、これしか言わずとも意図を汲み取ってくれるのではないだろうか。果たして彼は私の目を見て小さくうなずくと
「イヴェットとよく会っている。何か美味しいものでも差し入れてやってくれ」
と言った。多分、薬草園でのマルセルとのことで落ち込んでいてイヴェットに相談をしている、気晴らしになるよう美味しいものを、ということだろう。
分かりましたと答える。
「なんでリュシアンに尋ねる。私に訊け」
不満げな声が隣から上がる。見るとディディエはにこりとした。
「まあ、良い。膝上のアニエスはなかなかに可愛らしかった」
「それは!」
抗議しようとした口に、ぷにりと指が当てられた。ディディエの、人差し指。
突然のことに体が固まる。
「次回は退かぬからな。覚悟しておけよ」
フハハハハハと悪人のように笑いながら部屋を出ていくディディエ。
「……アニエス。アニエス!」
掛けられている声に気づいて我に返る。リュシアンが心配そうに覗きこんでいた。
「大丈夫か?」
「油断したわ! 友人のように話をしていたから!」
唇なんて、前世でも今世でも異性に触られたことはないのに! 怒りがふつふつと湧いてくる。
「リュシアン! 次はお願いだからふたりきりにしないで」
「分かった。俺かイヴェットか、必ず付き添う」
「……ありがとう」
リュシアンの力強い声にほっとしながら、またも思い出す。あの仕草もゲームであった。つまり、おしなべて攻略対象に隙を見せてはならないのだ。
……リュシアンだったら嬉しいのに。
と頭に浮かんだのは、気がつかなかったことにしよう。
「だがなアニエス」とリュシアン。「俺の立場は少し変わった」
「どういうこと?」
「陛下はアニエス・バダンテールとの婚約に理解を示した。ということは俺は、ディディエを止める必要がなくなったということだ」
そうだった。リュシアンはディディエの婚約相手を誘導するように頼まれていたから外的要因を調べていたのだし、私の味方にもなってくれたのだった。
「妃殿下にはまだ内々に頼まれているが、陛下が認めた以上、俺はそれに従わなければならない」
「……もう、私の味方をするのは難しいということ?」
「そんな顔をするな」
リュシアンの手が伸びてきて、頬をなでる。意外に固い手のひらだ。と思ったら、むにっと肉を摘ままれた。
「よく伸びる頬だな」
「失礼ね!」
「元気は出たか?」
「出たわよ!」
リュシアンの手が離れる。
「心配するな。お前の友人として、ちゃんと味方する。ディディエが行き過ぎた振る舞いをしないようにとの目付役も頼まれている。ただ、以前のようにあいつを諦めさせることはしないし、友人として肩を持つこともあるということだ」
「分かったわ」
「あとはギヨームに伝えてある。彼から聞いてくれ」
「あ……」
ありがとうと言おうとしたら、ディディエが扉から顔を出した。
「遅いぞ、リュシアン」
「お前が彼女を困らせるからだろうが」
「困らせてなどいない。ちゃんと紳士的に振る舞ったし、次回はキスすることも予告した。丁寧だろう?」
「本気で言っているなら、救いようがないな」
「令嬢を膝の上に座らせるのは紳士的ではありません。ぜひ殿下の教育係にご確認下さい」
うっと言葉につまる、ふたり。
「ん? おい、なんでお前まで怯むのだ!?」リュシアンに詰め寄るディディエ。
「いや、別に……」と言葉に詰まり後退るリュシアン。
しまった、リュシアンにまで飛び火してしまった。そこはポーカーフェイスでやり過ごしてほしかったのだけどな。案外アレを気にしていたようだ。
……ちょっと嬉しい。
参ったな。
頬を触られたときなんて、心臓が飛び出るほどドキドキしてしまった。もし外的要因なんてものがなかったり、あっても未解決になってしまったら。私のこの気持ちは、どうすればいいのだろう。




