31・いつになっなら他人の意見を聞いてくれるのでしょうか
ギヨームが訪れた二日後、リュシアンから手紙が届いた。
喜び急いで開けると、目に飛び込んできたのは便箋の半分にも満たない文。
期待させておいて申し訳ない。『真実の愛に辿り着く』に、考えていたような効用は一切なかった。
そんな内容だった。
これでまた振り出し。無力感に襲われる。
◇◇
目前に座るふたりを順に見る。固い表情のリュシアン。にこにこ顔のディディエ。
なぜだ。ここはバダンテール邸、いつもの応接室。一体いつから我が伯爵家は、普通に王族が茶を飲みに来る格式高い家柄になったのだ。
しかもリュシアンからレシピに関する手紙を受け取ったのは、ほんの一刻前。その内容と、あまりの簡素さに落ち込んでいるとディディエから、『今から行く』との連絡がありこうなった。しかもしかも、リュシアンが一緒とは聞いていない。
……嬉しいけど。
でもリュシアンは、微妙な表情だ。
ディディエからは、いつもより大きな花束と王宮のパティシエ特製のケーキをもらった。ケーキはそのままメイドに食べてもらおう。
「気づいているか、アニエス」と笑顔のディディエ。
「何でしょうか」
「昨日で私たちが知り合ってきっかり三週間。今日から四週間目に突入だ」
はい?
付き合いたての女子みたいなセリフが聞こえた気がする。だがきっと幻聴だろう。一国の王子がそんなアホなことを言うはずがない。
「だというのに」ディディエの顔からすっと笑みが消える。「昨日の手紙にはがっかりした。一年の猶予期間を持つのも断るとは、どういうことだ?」
そうだった。リュシアンの手紙にがっくりしすぎて忘れていた。ギヨームに相談に乗ってもらい考えがまとまったから、手紙ではっきりとお断りしたのだ。求婚も、猶予期間も。
「書いた通りです。熟考の上、やはり私はディディエ殿下の妻にも王子妃にもなりたくないと結論づきました」
「性急に結論なんかを出す必要はない。私たちにはまだお互いをよく知る時間が足りない。そうだろう?」
「……」
やはりこの人は自分の望まない意見を受け入れるつもりはないらしい。
「『外的要因』」とディディエ。「この原因と思われる薬の調査をしたそうだ」
『真実の愛に辿り着く』のことだろうか。リュシアンはまだ強ばった表情だ。
「だがな、全く何の効果もなかったそうだ」ディディエ、再びにっこり。「つまり私のこの恋は自然のもの。だから安心して私を好きになるといい」
微かにリュシアンがため息をつく。あまりの三段論法に、呆れ返っているのだろう。
「ご安心下さい、殿下。どのような原因、理由があれども私があなたを好きになることはないでしょう」
完璧な王子顔がひきつる。
「そ、そんなこと、分からないではないか。これからゆっくりと親交を温め」
「ムダです。正直に申し上げれば、以前よりは好感度は上がっています」
ディディエの顔が明るくなる。
「ただしそれは、第一王子として、です。あなたに異性としての魅力は感じません。なぜなら私は優しい方が好みだからです」
「ぴったりではないか!」
予想外の返答に、心持ちのけ反る。誰がぴったりですって?
「真摯な求婚。毎日、手紙花束を欠かさず素晴らしいプレゼントを……」
「贈ることが優しいと思っているのならば、間違いです」
遮り断じると、ディディエはまたも顔をひきつらせた。
「これが優しさではなかったら、何なのだ」
「ただの魚釣りです。または餌付け」
餌付け……、と絶句する王子。
「殿下は全く私の話を聞いて下さいません。私が思う優しさは、私の意見を尊重して共に考えてくれることです」
ディディエはちらりと隣の従兄を見た。リュシアンがまた小さくため息をつく。
「アニエス」
「何ですか」
「ディディエは第一王子。いずれ国王となる男だ。他人の意見に左右されないことも重要なんだ。勿論それだけではダメだが、だからといって、優しくないと断ずるのは可哀想だ」
「……すみません」
そうなんだ。私はまた視野が狭かったらしい。
「だってな、アニエス」と今度はディディエ。「お前の意見を尊重したら、私はお前を得られないではないか。私は初めて恋をしたのだ。どうしてもお前と共にいたい。諦めたくない」
う。ディディエに伏せ耳の犬の幻影が見える。ここにきてデレなの? どうして絶妙なタイミングでデレるのだろう。狙っているのだろうか。
「簡単に諦められる恋なんて、それこそ偽物だろう。なあ、リュシアン。お前とて皆の反対を押しきっての婚約なのだ。分かってくれるな」
「……そうだな」
相変わらず強ばった表情のリュシアンは、低い声で答えた。
「だから」とディディエ。「私はアニエスが好きになってくれるまで、諦めずに愛していると言い続けるし、求婚をする」
「……ストーカー……」
思わず呟く。
「『ストーカー』とはなんだ?」
私が返事をしないでいるとディディエは従兄を見たが、リュシアンも首を横に振った。
私がディディエのストーカーにならなかったから、ディディエが私のストーカーになる展開なのだろうか。一体私のどこが、そんなにいいのだ。悪役令嬢だから一応美少女だけど、ジョルジェットだって相当だし、タイプは違うけれどロザリーだってとんでもなく可愛いのに。
……そうだ。忘れていた。ディディエはどのタイミングで私に興味を持ったのか、気になっていたのだった。
「殿下」
なんだ、とふたりが同時に返事をする。ややこしいなぁ。ディディエ殿下、と言い直す。と、ディディエは嬉しそうな顔をした。
「私に興味を持ったのは、いつでしょうか」
「うん? 誕生会だが」
「誕生会のいつでしょう。バルコニーでお話したときには、そのようには見えませんでした」
「そうだな」と答えたのはリュシアン。
問われた本人は、不思議そうに首をかしげた。「いつだ?」
「それを尋ねています」
ディディエは拳を顎に当て、視線を天井に向けた。自分でも分かっていなかったらしい。
彼が口を開くのを、黙って待つ。
「……最初はおかしな女だと思った」
「当然だと思います」
突然バルコニーの下から現れて前転をきめる女を可愛いとか言われたら、ディディエの頭を心配しなければならない。
「……だが皆とのやり取りを聞いて、面白いと思った。何よりこの私に歯に衣着せぬ物言いをするところが新鮮だった。令嬢たちはおしなべて私の前では淑やかに振る舞う」
う。そこを突かれるのはツラい。どうしてあの時、普段通りに淑女面が出来なかったのだろう。焦ってしまったにしても、ひどすぎる。
「ギヨームたちの演奏の前、広間でそばにいただろう?」とディディエは続ける。「見ていたら、私の前では型破りの行いだったのに、その時は完璧な令嬢だった。その差も不思議だった。うむ、そうだ。バルコニーの頃からジワジワと気になったのだ」
納得した様子の王子。
「それで気がついた。これは恋だ!」
「いや、一息に飛びすぎではないですか? ジワジワの次が恋?」思わず突っ込む。
「いいではないか。私はそうだったのだ。とにかく気づいたら、アニエスが可愛い、もっと一緒にいたい、そう強く思うようになっていた」
めちゃくちゃ不自然な気がするけれど、どうなのだろう。私はあまり恋愛経験がないから、普通の恋がよく分からない。
「だから」とディディエ。「お前に思う相手がいないならば、私を好きになってくれ」
「それは、ごめんなさい」
「即答は止めてくれ。心が痛い」
「……ごめんなさい」
ディディエは隣の従兄に顔を向けた。
「ついでだ。お前が彼女を気にいったのはどんな時だったか教えろ。私だけ話すのは不公平だ」
するとリュシアンは目に見えてうろたえた。
「俺は彼女を気に入ってなぞいない」
「無理やり婚約をしたのにか?」
「……ああ」リュシアンはほっと息をついた。「そっちか」
「なんだ? アニエスのことを指していると思ったのか? もう彼女への恋も冷めてきたのではないか? やはり婚約は解消するべきだろう」
ここぞとばかりに言い立てるディディエ。これはリュシアンは困るだろう。何か他の話題を……、
「ディディエ殿下」
顔がこちらに向けられる。ええと。そうだ。
「バルコニーの件ですが」
うなずくディディエ。
「『用を思い出した』とロザリーさまを置いて去ったとか。何のご用だったのでしょうか」
そんなに興味はないけれど、話を反らすにはちょうどよい。
「うん? そうだったか?」
「あまり殿下らしくないな、と」
「そうだな。お前らしくない」とリュシアンも同意する。
うぅむ、とうなるディディエ。僅かなのち、パッと表情が明るくなった。
「ああ、そうだ、イヴェットの様子を見に行った」
「イヴェット?」
「そうだ。お前、私のせいで隣国の王女を説得しなければならなくなって、イヴェットのエスコートが出来ないと話していただろう? ジョルジェットとオーバン公爵に頼んだとは聞いていたが、お前はアニエスを連れて去ってしまったから、心配になってな」
なるほど、ディディエにも『優しさ』はあるらしい。
ふたりの殿下は、ありがとう、別に、なんてやり取りをしている。ディディエは時々リュシアンに辛辣だけれども。仲良しであることもまた、事実なのだろう。




