30・多角的視点が必要なのですね
本当にどうして、ゲームでの文言が『開花』であることを失念してしまったのだろう。花の惚れ薬説を肯定することばかりに気をとられてしまっていたのかもしれない。となれば他にも、見落としがあるのではないだろうか。
そう思い、きのうギヨームと別れてから、改めてゲームについて考えようと必死に記憶を掘り返した。だけれど引っ掛かることは何もない。キャラの美麗さと声優の豪華さが売りのゲームだった。ごく普通の設定とありきたりのストーリーで、それがひねりの効いたものが増えてきた中でかえって新鮮だった。
そんなゲームだから、気にかかるようなことがないのだ。
とはいっても、前世ではいくつものゲームをやっていたから、記憶が鮮明にあるわけでもない。何か大事なことを忘れている可能性だって十分にある。
と、人の気配を感じて目を開ける。エマが盆を手に私の部屋に入ってくるところだった。
「難しいお顔をなさっていますよ。お茶をご用意致しましょう」とエマ。
お願いねと返し、彼女の持つ盆の上のものを見てため息をついた。恒例の、ディディエからの一式だ。手紙、花束、プラス時々プレゼント。
「いつも通りに」
そう告げる。花は花瓶に活けて適当な場所へ。手紙は開封してもらい、卓上へ。プレゼントも中身を確認してもらい、食べ物ならばメイドたちで分けてもらう。品物ならば……。
「こちら」とエマがプレゼントの品を見る。香水だ。「アルベロ・フェリーチェの匂いのようです」
「本当?」
その小さな瓶を渡してもらう。手に取った時点で、その通りだと分かった。薬師アルジャンが花びらから香水を作っていると話していたことを思い出す。ただしアルベロ・フェリーチェから作られた全てのものが王室のもの、とのことだった。
手紙を読む。そこには『良い出来の香水が完成したのでプレゼントする。王族以外でこれを手にするのはお前が初めてだ』といったことが書かれていた。
思わずため息がこぼれる。
ディディエは私が大喜びすると信じているのだろう。王子ゆえなのか、決定的に配慮にかける人間なのかは分からない。が、ギヨームの言うとおりに彼と共に歩む人生は苦労するのだろうなと、よく分かる。
たかだか伯爵令嬢の私が、こんなものをつけられるはずがない。
王族以外が使うならば、まずは公爵夫人辺りからだろう。もし私が正式に第一王子の婚約者だったとしても、だ。
「これは使えないわ。服に香りがうつってもまずいから、倉庫かどこかにしまうしかないわね」
そう言うとエマは、かしこまりましたと答えて香水を盆に戻した。
「お嬢様」
「何かしら」
あくまでも推測ですが、と前置きを述べたエマは珍しく、やや困った表情をしている。
「お嬢様はアルベロ・フェリーチェに興味があるとディディエ殿下はお考えでしょう。わざわざオーバン公爵令嬢にお頼みして見学に行きましたし、花びら配布にも自らお並びになりました」
「そうね」
「配布は、リュシアン殿下とご一緒でした」
「……他にもたくさんいたわ」
エマはゆるゆると首を左右に振った。
「重要なのは、リュシアン殿下です。あの方もあなたが伝説の樹の花に興味があるとご存知で、そして王族です。当然この香水も手に入れられるでしょう。ですからディディエ殿下はあなたがリュシアン殿下からプレゼントされる可能性を考えて、彼より先に贈りたかったのではないでしょうか」
彼女の持つ盆に乗った香水を見る。とても可愛らしい瓶に入っている。
先日の薬草園でディディエは、私がリュシアンを信頼していることに対してはっきりと『妬ける』と言った。
「……そんなこと、思い付かなかったわ」
「お嬢様はまだまだお子様ですからね。私の推測が正しいとは限りません。ですがそのような可能性もあると頭の片隅にお留めおき下さい」
うなずく。
どうやら私の視野は狭いようだ。
「ねえ、エマ。リュシアン殿下はディディエ殿下を大事な弟のように思っているの。だけれどディディエ殿下は辛辣なことも多いのよ。どう思う?」
ふと思い付いて質問をする。それはリュシアンの婚約が原因と考えているけれど、他にどんな見方があるのか気になった。
エマは私をちょっとだけ見つめそれから、失礼しますと盆を置いて手を重ねて姿勢を正した。
「お嬢様がリュシアン殿下の従者に付き添われて帰宅して以来、私どもはディディエ殿下をはじめとした関係者についての知識を深めました」
「まあ」
そんなことは初耳だ。
「申し訳ありませんが、旦那様方は頼りになりませんからね。お嬢様のためはバダンテール家のため、ひいては私どもの職場を守るためになります」
そうか、と得心をする。この職場はアニエスというマイナス要素をカバーするだけの良い環境があったから、みな辞めずに仕えてくれていたのだ。もちろん、良い環境とは使用人たちの仲の良さだ。
「バダンテール邸は良い使用人に恵まれて幸運だわ」
「旦那様方は頼りにはなりませんが、悪い主人でもありませんからね」とにっこりするエマ。
人畜無害という言葉が浮かぶ。両親に対して、それはひどいかな。
「それで分かったのは、リュシアン殿下の評判の高さです。どんな分野でも優秀なようですし、勤勉でもあり人望人脈もある。婚約が決まるまでは、将来は父親のように国王補佐として活躍すると目されていた。陰では大公家の生まれなのが惜しい、なんて声があるとかないとか」
それはギヨームも話していた。
「ディディエ殿下も優秀とのこと。次期の王としての努力は怠らず、頑張っている。だけれど陰では、リュシアン殿下には及ばない、と言われている」
まあ。私もひと月に満たない付き合いながら、それは感じている。リュシアンより王子の貫禄や意思の強さはあるけれどね。やや人間的に底が浅いように感じられる。
「ひとつしか歳が変わらない従兄と比較され続けるのは、苦しいことでしょう」
続いたエマの言葉に驚く。
「そうなの?」
「そうですとも。年上とはいえ違いはたったひとつ。あちらは傍系。自分は第一王子。ディディエ殿下に通常のお心とプライドがあればあるほど、心中は複雑なはずです」
そういうものなのだろうか。
「お嬢様はそのような境遇にありませんから、ご理解は難しいでしょう。ですが兄弟間などでよくある話ですよ。
それでもふたりの殿下の仲は良いとの噂です。とはいえお嬢様がお感じになったような状況も、納得できます。特に今は、お嬢様に関してもディディエ殿下は後塵を拝しています。実際にリュシアン殿下が何を考えているかは問題ではありません。ディディエ殿下にとっては、面白くないお立場、ということです。王子といえど、まだたった十七歳の未成年。上辺を取り繕えず、辛辣にもなることもありましょう」
「……考えもしなかったわ」
「お嬢様もこれから沢山の経験を積み、いずれは多角的な視点をお持ちになるでしょう。今はちょうど修養期間と言えますね」
多角的な視点。
確かにディディエに対して一方的な見方しかしていなかったかもしれない。私にとって都合の悪い相手、リュシアンに辛辣な態度をとる王子、ひとの話を聞かないマイペース。
「改めるわ。もっと視野を広く持つ。エマ。ありがとう」
にこりとするエマ。
「お嬢様は大変素敵なご令嬢に成長なさりました。これからもっと素晴らしい女性になるでしょう」
「手助けしてね」
「お嬢様がお望みになられるのならば」
ではお茶をお持ちしますねとエマが部屋を出ていく。
ディディエにエマが話したような葛藤があるようには見えない。どうしても自分中心に物事を捉えているような気はする。
だけれどエマの指摘した通りに私はまだまだ経験が足りないから、気がついていないだけなのかもしれない。私は十六歳だし、前世だって成人になっていないのだ。
圧倒的に経験値が足りない。
ゲームのことだけじゃなくて、他にも見落としがあるかもしれない。
……そうだ。ディディエはどのタイミングで私に興味を持ったのだろう。誕生会でギヨームたちの演奏が始まる前は、そんな素振りはなかったようだったのに……。
お読み下さり、ありがとうございます。
前回のアップのあと、ポイントが急増しました。後書きに『モチベ回復』とか書いたからお気遣いいただいたのでしょうか。
心の底より、お礼申し上げます。
少しでも楽しい作品が書けるよう、がんばりますね。




