28・またしても敵のターンとなりました
「デュトワ、こちらにおいで」とリュシアン。
デュトワは私とディディエの顔を見比べてから、素直に従った。
「では、園内を散歩をしよう」とディディエが手を私の腰にまわす。
「お断りします。ジョルジェットさまを待たせるわけにはいきません」
「マルセルに時間をやってくれないか。彼女と話したいそうだ。あの日以降、避けられていてな。だいぶ参っている」
リュシアンを見ると、そうだと言うかのようにうなずいた。
彼女がマルセルを避けているなんて初耳だ。やはりまだ気持ちは落ち着いていないのだ。
「……ジョルジェットさまが嫌がりはしませんか」
「問題はなさそうだった」とリュシアン。
彼が言うのならば、大丈夫かな。ふたりが良いほうに転がってくれれば嬉しいし。
「アニエス。私は街中デートは出来ない。せめてここでデート気分を楽しみたいのだ。付き合ってくれ」
ディディエが懇願の眼差しを向ける。狡い言い方だ。
「……では手をお離し下さい。友人としての散歩ならば、お付き合い致します」
「予防線を張られたか。こっそりキスを狙っていたのに。仕方ない、妥協しよう。そう、警戒するな」
反射的に離れようとしていた私からディディエは静かに手をのけ、これは許せと自分の腕に私の手を掛けた。
「私からは触れていない。ただのエスコートだ。いいだろう?」
いや、良くない。だけどディディエが妥協してくれたのだから、私も歩み寄るべきなのかな。手を繋いで歩くよりもマシだ。
分かりました、とうなずく。
「リュシアン殿下。申し訳ありませんが、弟をよろしくお願いします」
「こちらは別ルートで園内を見学している」
そう言ったリュシアンはふたりの少年に、行こうと促した。恐らくは殿下たちに慣れているデュトワと違い、シャルルは顔が強ばっている。
そんなシャルルの頭をリュシアンは撫で、
「うちにも十歳の弟がいる。連れて来ればよかったな」
と笑みを浮かべた。シャルルから力が幾分か抜ける。
ほっとしてディディエを見ると、彼は黙って歩き出した。
しばらく静かに進み、沈黙に気まずさを感じ始めた頃合いで王子は
「妬けるな」と言った。「アニエスは随分とリュシアンを信頼している」
「……力になって下さっていますから」
「狡い話だ。私に協定を組ませておいて、自分は窮している姫を救う騎士のごとくに立ち振舞い、信頼を得る」
「違います。リュシアン殿下がお救いしようとしているのはディディエ殿下で、私はついでです」
「だけれど端から見ればデートをしているように思われるほど、親しい間柄になった。どのみち狡いではないか。婚約者がいるくせに」
返す言葉が思い付かずに口を閉ざす。
「まあよい。これから巻き返しだ」とディディエ。「先日の返事は、アニエス?」
「お断りします。殿下は理性をもって、結婚相手を選ぶべきです」
そう答えると、そうだった、との呟きが聞こえた。
「気が急いて、重要なことを伝え忘れていた。バダンテール邸から帰ったあと、父と話し合った」
思わず足を止めた。想像する内容に反しディディエの声が明るく、不思議だった。見れば彼の顔も明るい。
「諸事情があり、父は私にリュシアンの妹と結婚してほしいとのことだった。彼女が駄目でもせめて公爵令嬢を、とのことだ。なぜなら相手の家に、私をバックアップできる権力財力があることが必要だからだという。だが私は自分が望む女性を妻にしたい。そしてアニエスのひととなりは、王子の妻になるに十分な資質がある。リュシアンも父にそう口添えてくれた」
ディディエが、来た道に目をやる。すでにリュシアンたちの姿はない。
「ということで」とディディエは再び私を見た。微笑んでいる。「求婚を受けてくれるならば、デュシュネ家がお前を養女に迎え入れることになった」
「まさか」
そんなことがあるだろうか? 私は国王にも大公にも、一度ずつ挨拶をしたことがあるだけだ。そんなよく分からない小娘を、微妙な状況にあるらしいディディエの妻に認めることがあるだろうか。
「無論、簡単ではなかった。だが説得に説得を重ねて許可を勝ち取ったのだ。アニエス。私の本気を分かってくれ」
ディディエの顔がキラキラと輝いている。
そうか。彼は恋する相手を間違えようが、乙女ゲームの攻略対象。それも正統派の王子なのだ。
自分の意思を貫く強さと、それを支える運を持っている。
ディディエの顔を見ていられなくて、目を伏せた。
「私のような者には過ぎたることです。お気持ちはありがたく存じますが、お受けすることはできません」
「先日、好きな男はいないとのことだったが、実はいるのではないか?」
すぐにリュシアンが思い浮かんでしまう。
違う、これは外的要因のせいだ。
「おりません」
「そのわりには即答ではない。前回も、今回も。いつもは打てば響くような反応なのに」
そうだっただろうか。気づかなかった。どうしよう。
「だがお前がいないと言うならば、それを信じよう。相手の名前を白状するまで帰さないとか、そいつより先に唇を奪ってやるとかは言わない。だから了承しろ。今すぐに求婚の返事をしろと迫っているのではないのだ。考える時間を一年持ってくれとの要望だ。なぜ拒否する必要がある」
「……返事を聞かせろと言いながら、あなたの望まぬ返事は聞かないのですね」
「確かにそうだな」
つ、とディディエの手が頬をなぞった。
「声が震えている。怒りのためか。ならばすまん。私も必死なのだ」
怒りではない。混乱している。どうしよう。どうすればいいのだろう。
「仕方ない。返事はまた今度聞くことにしよう。リュシアンに、あまり追い詰めるなと釘を刺されている。今日は散歩を楽しもうではないか」
ディディエはそう言って腕を差し出した。
「お手をどうぞ、アニエス嬢」
私はいつの間にか離していた手を、その腕に掛けた。
◇◇
園内の薬草やらを見ながら、尋ねられるままにあれこれ答えた。私が好きな食べ物や色、モチーフ。趣味。家族や友人について。そしてたくさん聞かされた。ディディエの好きなもの、日々の過ごし方、王子としての矜持に将来の展望。
まるでお見合いの席のような会話だ。
ディディエという人間は、やや自分本位で相手の意見を聞かないところはあるけれど、日々研鑽を重ねて良い君主になるべく努力をしているようだ。誕生会やダルシアク邸で会ったときよりは、印象が良くなった。
かといって絆されることはないだろうと思う。
それでも、ここまで望まれたら諦めて結婚するべきなのだろうか。どうせいずれは親の決めた相手と、心を伴わない結婚をするのだ。それがたまたま王子になってしまっただけのこと。
なんだか、正解が分からなくなってきた。
園内をぐるり廻って薬局本部前に行くとテーブルが設えてあり、アルベロ・フェリーチェを遠目にしながら、皆でお茶を飲んでいた。
ただ、ジョルジェットとマルセルは上手くいかなかったようだ。彼女の両脇はデュトワとリュシアンで正面がシャルル。彼女から離れているマルセルは、明らかに不機嫌だった。
こちらに気がつくと、ジョルジェットが促してデュトワとシャルルの三人で立ち上がり、王子を迎えた。
「待たせたな」とディディエがテーブルに歩み寄りながら、言い終えるかどうかのタイミングでジョルジェットが言った。
「私たちはこれで失礼いたします。さあ、アニエスさま、帰りましょう」
ジョルジェットは優雅な所作だし顔には微笑が浮かんでいるが、令嬢のマナーではない。
戸惑いデュトワを見ると、彼もまたひどく困惑しているようだった。
「何を言う」とディディエ。「私も茶を飲む」
「もちろん、どうぞお飲みになって下さいませ。帰るのは、私たちだけですから」
「いや、駄目だ。アニエスと飲む」
「アニエスさまは私どもの馬車で参りました」
「ならば彼女は王宮の馬車を出す」
「遠慮申し上げます」と私。「これ以上、うちの執事に心労をかけたくありません」
「ならばどうしろと言うのだ!」
と、リュシアンがため息をついた。
「ディディエ、気づけ。マルセルが悪い」
「知りません」とジョルジェット。
「悪くない」とマルセル。
どうやら相当にこじらせてしまったらしい。シャルルが真っ青な顔でおろおろと皆の顔を見回している。
「分かった。ならばマルセル、お前が帰れ」とディディエが言った。「私はどうしてもアニエスとお茶をしたいのだ。出遅れている分を取り返さないとならないからな」
言われたマルセルは口を開きかけたが、何も言わずに閉じた。そして私を見る。
「……協定は?」
「ああ、話していなかったな。私は抜ける。彼女に求婚した」
えっと上がった小さな叫び声はシャルルだ。心配しないで、と声を掛ける。
「……分かった。今日のところは退く」
マルセルはそう低い声で言うと立ち上がり、幼馴染を一瞥もせずに踵を返した。
ジョルジェットは気まずそうな笑みを私に向けたものの無言だった。
「弟、ひとつ席を詰めろ」とディディエがシャルルに言う。
「は、はい、殿下」と答える声は裏返っている。
「そんなに緊張するな」と笑ったのはリュシアンだった。「怖いヤツではない。うちの弟妹はディディエをふたり目の兄と思っている」
その言葉にシャルルの顔がやや緩んだ。
と、背後がざわつき始めた。マルセルがどうかしたのかと振り返ると、なんと国王とデュシュネ大公が沢山の騎士と近侍に囲まれてやって来るのが見えた。明らかに私たちを目指している。
一体何なんだと思いながら、ディディエ以外の全員で臣下の礼をとって迎える。
……大公令息であるリュシアンも、こちら側らしい。
ひとり悠然と構えているディディエが
「どうしました」と声を掛ける。
「ただのお忍びの散策だ」
頭を下げているから、どちらが話しているのかは分からない。
「そこの者たち、構わぬ、楽にせよ」
許しを得て、顔を上げ姿勢を正す。
これほどの近くで、しかも並んだふたりに会うのは初めてだ。国王とその弟は、ディディエとリュシアンのように碧眼だけがお揃いでその他は似ていない。それなのに、受ける印象が同じだ。
にこりともしない固い面持ち。厳格で風格がある。彼らが来たとたんに場の空気も変わり、緊張感が漲っている。これが国王とその補佐の格なのだろう。
……正直なところ、苦手だ。あちら側にはいきたくない。
こんな話しにくそうな父親と、自分にだけは優しくない母親の元でリュシアンは、自慢の息子であろうと努力をしていたのかと思うと胸が苦しくなる。
「アニエス・バダンテール」
掛けられた声に我に返る。はいと返事をして声の主、国王を見た。あちらも私を見ている。値踏みされているように感じるのは気のせいではないだろう。
「ディディエとこの園の中を散策したそうだが、感想を述べてみよ」
感想? 少しの間逡巡したものの、正直に答えることにした。
「惑乱しておりましたので、何も記憶にございません。お許し下さい」
繕ったところでボロは出るだろうし、印象を良くしたいとも思わない。
「ふむ。確かに肝が座っているようだ」と、国王。
まずい。かえって好印象だったらしい。
それから二、三の取るに足りない質問に答えると、ふたりは去って行った。
国王直々に私のチェックをするなんて、良くない状況ではないだろうか。これで王が不可としてくれれば万々歳だけど、許可を出してしまったら、私はますますディディエの求婚を断れなくなる。
すっと脇から伸びてきた手に、手を握られた。ディディエだった。
「まさか父上が来るとは、驚いた。だがアニエスを気に入ったようだ。幸先がいい。あとはお前が首を縦にふるだけだ」
◇◇
帰り際にバジルに会った。アルジャンが話していたアルベロ・フェリーチェの押し花をみなに配ってくれたのだ。
その際にこそりとロザリーからの伝言を伝えた。すると彼は抑えた声で
「男爵令嬢になったのだから、俺のことを気に掛けていてはダメだろう」
と言った。その顔は、ひどく淋しそうだった。
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『魔の森で出会ったのは、もふもふくんでした』のその後の展開についてを掲載しました。小説ではなく、粗筋のみです。
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