27・ついに伝説の樹にご対面
アルベロ・フェリーチェの見学をするのはジョルジェットとその弟、私とおまけのシャルルの4人。恐れ多くも彼女たちがバダンテール邸に迎えに来て、オーバン公爵家の馬車で薬草園に向かう手筈となっていた。
『最近の来客は、バダンテール邸で勤め始めて以来迎えることのなかった高い身分の方々ばかりで、恐ろしい』アダルベルトがそんな風に嘆いていると、エマが教えてくれた。執事としては粗相があってはならぬと、大変な心労なのだろう。いつか温泉(この世界にもあるのだ)旅行をプレゼントしてあげたい。
オーバン家の馬車が到着し、中からジョルジェットと弟が降りてくると瞠目した。弟デュトワが、シャルルに勝るとも劣らない麗しのショタだったのだ! 歳は十一歳と聞いている。シャルルのひとつ上だけれど、身長は彼より低く少女のような容姿で、思わずヨダレが垂れるかと思うほどの尊さっぷり。
ジョルジェット、ありがとう。
と心の中でのみ友人を拝み、そつのない挨拶を交わして馬車に乗り込む。
車内では当たり障りのない会話を楽しんだのだけど、オーバン家の長男であるデュトワは、さすが公爵家の跡取りという大人びた利発さがあった。だけどとにかく、可愛い。天使すぎる。両家とも姉弟で並び座っているけれど、できることならシャルルとデュトワで並んでほしい。絵になる。ツーショット写真が撮れたなら、絶対に売れる。この世界にカメラがないのが悔やまれるよ。
◇◇
こちらです、と示された古木を見上げる。
アルベロ・フェリーチェは、桜タイプの樹木だった。葉はなく、枝全体が花で覆い尽くされている。白地にピンク模様の花は集合すると、濃淡のある綿菓子のようだった。
まだまだ花盛り。最初の開花から三週間ほどが経っていて散る数も多いのだけれど、それ以上の開花数があると見受けられるそうだ。薬師たちは、数百年に一度しか咲かない代わりに開花期間が長いのではないか、と予測しているという。
幹も貫禄があり、周囲は人が4、5人で手を繋がないと囲めないサイズ。それが途中から幾つもに枝分かれして、四方八方に伸びている。自らの重みで折れないようにと、何本もの支柱で支えている。
どことなく神秘的で、この辺りだけ空気が違うようだ。
デュトワが繋いだ手にきゅっと力をいれるのが分かった。その横顔を見ると、樹に圧倒されているようだった。
「薫りが濃いわ」とジョルジェット。
「ええ」と案内役の薬師がうなずく。宮廷薬局のナンバーツーであるアルジャンだ。公爵家の子息たちに相応しい階級の薬師が選ばれたのだろう。「元々が薫りの強い花です。それがこれだけの量ですからね。匂いに敏感な者が長くそばにいると、気持ち悪くなるようです。体調が悪くなりそうでしたら、早めにお申し出下さい」
大丈夫?とデュトワに尋ねる。
「僕は問題ありません。あなたは?」
とキラキラスマイルが私に向けられる。
私も大丈夫と答えてから、ジョルジェットとシャルルにも確認する。みな、平気のようだ。
これだけの薫りならば、これが一目惚れ騒動の原因になりそうだけれど違うという。ならば一体何なのだろう。
ひらひらと落ちてくる花びらを目で追う。それを薬師が素早く手のひらで掬い、私たちに見せた。
「この通り、花びらで散ることが基本ですけど、風が強い日などは花柄から落ちるものが多いですね」
ええと、と彼は呟きながら地面に視線を転じて、なにかをつまみ上げ手のひらに乗せた。
「これが花」
可愛らしい、とジョルジェットが声をあげる。
花も桜タイプだった。五つのピンクのハートが白地に浮かび、確かに可愛い。
「押し花にしたものがありますから、差し上げますよ」
それからアルジャンが、花から香水や、塩漬け、フレーバーティーなども作っていると話した。そうして最後に、
「この樹が庭園ではなく薬草園にあることを考えると、何かしらの薬が作れるのではないかと思うのです。だけれど今のところ全く成果がありません」
と残念そうに言った。
確かにそうだ。やはりこの樹には何かがあるはずだ。
顔を上げ、頭上の花を見る。一体何が隠されているの?と心の中で問いかける。
「アニエスさん」
掛けられた声はデュトワのものだ。きゅるんとしたおねだり顔が私を見上げている。
「少し向こうまで行きませんか。離れたところから見てみたい。シャルル、姉を頼みます」
答えるより先にデュトワが手を引っ張り歩き出す。慌ててジョルジェットに声をかけてからついていった。
薬草園についてから、デュトワはやけに積極的だ。最初はシャルルに姉をエスコートさせたいのかと思ったけれど、どうも違う。まさかと思うが、彼も私に一目惚れしてしまったのだろうか。
「ねえ、どこまで行くの?」
デュトワは後ろを振り返り、そろそろいいかな、と呟いた。と思ったら、険しい目で私を睨み付けた。
「アニエス・バダンテール!」小さいけれど険のある声だ。「マルセルと別れてくれ!」
「はい?」
「子供だからと侮るな。知っているぞ。お前がマルセルを誘惑したのだろう? おかげで姉様は他の男に嫁ぐことになった。あんなにお似合いだったのに! 僕はお人好しの姉様とは違うからな。別れないのならば、社会的に抹殺してやる!」
「まあ……」
なんということだ。デュトワは勘違いをして、姉のために私を恫喝しているのだ。なんて尊い姉弟愛! 素晴らしすぎる。何より睨んでいても、まるで迫力がなくて可愛すぎる。いくらでも睨みけなしていいのよ、と叫びたくなる。
「……なんでニタニタしているんだ?」
デュトワがやや身を引く。しまった。ついにこらえきれずに顔に出てしまったらしい。
「ごめんなさい。あまりに可愛いくて。お姉さんが大好きなのね」
「当然だ! 姉様は優しく賢く美しく、国一番の令嬢だぞ。その姉様がどこの馬の骨とも分からないクズ女のせいで毎日泣き暮らしているんだ。許せるものか!」
なんて尊い!
ギリギリと繋いだままの手を握りしめられて痛いけど、それすら可愛い。
だけど……。
「ジョルジェットさまは、まだ毎日泣いていらっしゃるの?」
先日に王宮で会ったときは、もう心の整理ができたと話していたのだが。
「……とにかく、お前は許さぬ」
利発なデュトワは口が滑ったと思ったのだろう。返事はせずに、私を睨んでいる。
「誤解よ。私は、ジョルジェットさまの味方。とんちんかんな言動をしているマルセルさまを、殴り飛ばしてやりたいぐらいよ」
「信じられるか」
「そうよね。ジョルジェットさまとイヴェットさまに確認して下さいな。私はマルセルさまにも他のどなたかにも興味はないとご存知だから」
「……適当なことを言って、逃れるつもりではないだろうな」
「社会的に抹殺されるのは困るもの。疑いは晴らしたいわ」
デュトワが私を見つめる。判断に迷っているのだろう。
と、彼の視線が私の背後に動き、それと同時に顔から険が消え、取り澄ました表情になった。
何だろうと振り返ると、ディディエとリュシアン、シャルルの三人がこちらへやって来るところだった。そのだいぶ向こうにジョルジェットとマルセルが向かいあっているのが見えた。
「デュトワ」ディディエが言った。「彼女の手を離せ。アニエスは私の恋人だ」
デュトワが、嘘つきと責めるような目を私に向ける。
「殿下の恋人になった覚えはありません」
「これからなるだろう? 返事は了承以外にないと信じているぞ」
ディディエはデュトワに握られていた私の手を取ると、口付けた。三度も!
「消毒だ」
まるで少女マンガのようなことを言って艶然と微笑むディディエ。
ちらりとリュシアンを見ると、アルベロ・フェリーチェを見上げていた。




