26・兄妹愛とはちがうように思うのですが
小さなサロン。だけれど調度品は趣味がいい。
目前ではロザリーがにこにこしながらカップに口をつけている。
かねてから約束をしていた、ワルキエ邸の訪問日。きのうギヨームに、ヒロインロザリーが私ルートを進んでいるのではないかと聞いたばかりなので、やや緊張をしていたけれど、なんてことはなかった。
ごく普通の友人としての楽しいお喋り。普通でないところを探すとしたら、出されているお菓子が彼女の手作りだということだけだ。
以前に聞いた話だ。
ワルキエ家の人々は当初、ロザリーの菓子を作りたいという希望に難色を示したそうだ。それならば一度だけチャンスがほしいと彼女は頼んだ。その菓子を食べてみて不味いと言うのならば、二度とワガママは言わない。その代わりに美味しいと言うならば、趣味として認めてほしい。
結果はこの状況だ。
いかにもヒロインらしいエピソードだよね。
ロザリーはワルキエ家の人々とうまくやっているようで、私が到着して以降、義妹、義弟、義母、義祖母が順に出て来て様子を見ていった。彼らは転生モノにありがちなダメ貴族なんかではなくて、常識ある普通の貴族のようだ。男爵家に伯爵令嬢を呼びつけて本当によかったのか、という心配をしていたみたいだ。
更に私はロザリーが招いた最初の友人らしく、大変な歓迎を受けた。面映ゆいよ。
「そうそう。明日、王家の薬草園に行くの。ロザリーさまの幼馴染の方にもお会いするかもしれないから、一応、伝えておくわね」
会話がひと段落ついたところで、そう切り出した。ジョルジェットに、一連の騒動関連でアルベロ・フェリーチェを見たいがツテはないかと正直に尋ねたら、明日の見学と相成ったのだ。
薬師見習いは執事に止められたので、とりあえず断念。働いてみたかったのだけど、さすがに両親が許さないだろうと窘められてしまったのだ。
見学については秘密にする必要はない(かといって吹聴もよくない)と許可をいただいているので、ロザリーに伝えることにした。騒動的にも幼馴染的にも、黙っていたくはない。
私の話を聞いたロザリーは、可愛い顔でこてんと首をかしげた。
「あそこは王族しか入れないのではありませんか」
「そう。だけどお願いして許可をもらったのよ。私は今、おかしな状況にあるでしょう?」
うなずくロザリー。
「ディディエ殿下たちですね。まだしつこくされているのですか」この話題になると、彼女は表情を険しくする。「いい加減、アニエスさまは自分たちに興味がないと認めればよいのに。身分ある方々がいつまでも諦めの悪い」
「ええと……」
そのくくりにロザリーも入っているのだけど、自覚はまるでないようだ。
「……その事態の解決方法を探しているのだけど、その関係で伝説の樹を確認するのよ」
「そうなのですか。解決するといいですね。あちらには先日紹介したバジルもいますから、バシバシ使ってあげて下さい」
「お話を伺うかもしれないわ」
「年初めに正式に薬師になったばかりで雑用が多いんです。その分、偉い方々が気づかないことに気づいていると思います。彼はすごく優秀なんですよ。薬学について深く勉強しているし、実地も得意だし、発想も豊かで新薬開発にも熱心だし、薬草の植物画なんてまるでアートのような美しさだし、彼が調合した薬はよく効くし、調合する手つきもきれいだし、とにかくすごいのです!」
ロザリーの目がキラキラしている。
「……自慢の幼馴染、というところかしら」
「ええ!」
これは。もしや彼女はバジルが好きなのではないだろうか。無自覚っぽいけれど。
「私の両親が駆け落ちをして困窮していたときに、たまたまバジルのおじいさまに出会って助けていただいたんです。モフロワ家は平民ですけど薬師の家系で、代々宮廷薬局に勤めています。おじいさまはその縁を使って、両親に民間の薬局事務の仕事を世話してくださったんです」
そういえばダルシアク邸のお茶会のときに、そんな話が聞こえてきた覚えがある。
「それから私が事故で両親を亡くすと、引き取ってくれたんですよ。おじいさまは大事な大事な恩人なんです」
「まあ。素晴らしい方なのね」
ロザリーは嬉しそうにうなずく。
「だからバジルは兄のようなものなんです!」
「なるほど」
「すごい努力家で、モフロワ家の名に恥じない薬師になるんだって言って、子供のころから薬一筋。薬師以外のことはなぁんにも出来ない不器用さんなんです。だからそこのところをカバーしてくれる素敵な奥様を早くもらってほしいのですけど、何しろ薬以外のことはてんでダメだから恋人もできなくて、心配なんです」
「……ロザリーさまがなるというのは?」
「それはないです。私はずっとカバーしてきたんですもの。これからは素敵な奥様にお任せするのです。それに私はアニエスさまをお嫁さんにもらうのですからね」
なんだかもう、どこからツッコんでいいのか分からなくなってきたぞ。
まとめると、バジルは薬師としては優秀だけど生活能力はゼロで恋人もできない。ロザリーはそんな彼を尊敬して世話を焼いてきた。端から見たら恋にしか思えないけど本人はそんなつもりはなく、バジルにパートナーが早く見つかることを願っている。彼女が望む、自分のパートナーは私アニエス……。
疑問が残るな。
「……だけど」とロザリー。「こんなに彼に会えなくなるとは思わなくて」
それは大広場でも言っていた。彼女の表情は翳っている。
「どうしてお会いできないの?」
「バジルに時間がないんです。仕事の日は夜遅くまで帰宅しないようですし、休みの日も職場で研究。薬草園に私は入れないから……。時間ができたら教えてねとは伝えているんですけど、全く連絡をくれないんです」
しょんぼりしているロザリーは、耳を伏せている子犬みたいで可愛い。もう結婚しちゃいなよ! そうすれば全て解決! と思うけれど、余計なことは言わないでおく。
それよりも、そんなにバジルに好意を持っているのに、そばを離れたことが不思議だ。
「ロザリーさまは何故ワルキエ家の養女になったの?」
「おばあさまが父に生きて会えなかったことを、ひどく悔やんでいるのです」
それだけ? 花びらを欲しがった理由も祖母だった。
「ロザリーさまはお優しいのね」
彼女は首をふるふると振った。
「私ができることなんて、おそばにいることだけですもの」
それから彼女は、いかに祖母をはじめとしたワルキエ家の人々が良くしてくれているかを話し始めた。その好意の裏には後悔や贖罪があるのだろうし、ロザリーもそれを感じているからこそ、あえてワルキエ家に来たのだろう。彼らの気持ちを軽くするために。ロザリーは慈しみの心を持ったヒロインだから。
そう、ロザリーはヒロイン。本来なら攻略対象の誰かに恋をする。
だけど、現在のロザリーは私に好意を持っていて、それは外的要因のせいだと思われる。以前はこの状況が解決したら、正しいゲームの状態に戻ると考えていたけど、違うだろう。
この先、攻略対象アニエス (イレギュラー)のノーマルエンドを迎えたら、彼女はどうなるのだろう。
いったいどうしてこんな状況になったのだか。最初はロザリーとディディエがいい雰囲気だったのに……。
待って。
そう、ふたりはいい感じの状態で私がいたバルコニーにやって来た。だけどゲームにはそんな展開はなかったから、焦った私はボルダリング令嬢になってしまったのだ!
「ねえ、ロザリーさま!」
思わず口調が強くなってしまった。
「は、はい?」驚くロザリー。
「ディディエ殿下の誕生会のことだけど、どうしてふたりでバルコニーにいらっしゃったの?」
ええと、と言いながら彼女の視線が宙をさまよう。
「あ」と彼女は赤面した。「盛大に転んでしまったの。殿下の前で」
知ってる! それはゲーム展開。そこに手を差し伸べるのがディディエだ。
「それからお話が弾んで……どうだったかしら。とにかくアニエスさまの印象が強烈で」
うっ。そこは忘れてくれていいのよ。
「思い出して下さると、とても助かるの。解決に一歩近づくかも」
「まあ! それなら絶対に思い出すわ!」
しばらく彼女はうんうん唸っていたけれど、また
「あ!」と声を上げた。「ディディエ殿下だわ」
「ディディエ殿下が誘ったの?」
「ええ。あの日特別な演奏があったでしょう?」
「ギヨームさんたちのね」
「そう。殿下がそれを教えてくれたんです。秘密だけど特別な演奏がある。今までにない曲らしい。分かっているのはタイトルだけ」
そういえばあの曲のタイトルは聞いていない。
「タイトルは『流星群』」とロザリー。
「『流星群』?」
「ええ。それで殿下が『せっかくだから流れ星を探しにゆこう』と言って、バルコニーに出たんです」
ということは。
巡りめぐって逆ハーになってしまった元凶は、ギヨームなのだ!! 許すまじ!!
……とまでは思わないけど、次に会ったら、ちょこっと文句を言おう。
「役にたちましたか」
「ええ。ありがとう。ちなみに私がバルコニーを後にしてから、みなさんはどうしたの?」
再びロザリーの視線が宙をさまよう。
「クレールさまが、『いけない、こんなことをしている場合じゃなかった』と走って行って。それから殿下が『用を思い出した』と去って、ジスランさまが私を父の元までのエスコートを申し出てくれました。あとのふたりは分かりません」
なるほど。
「ディディエ殿下は何の用だったのかしら」
私が現れるまでは仲良く談笑していたのに、令嬢をバルコニーに残して去るなんておかしい。
「さあ。あれ以来お話ししていないから」とロザリー。
そこに何か鍵があるのかないのか。全く分からないや。
とにかくは明日、アルベロ・フェリーチェでの手掛かり発見にかけるしかない。
「ロザリーさま。バジルさんに伝えることはある?」
「……『妹を忘れないでね』と」
頬を染めてそう言う彼女は、とても可愛らしかった。




