24・きな臭い噂話があるようです
またディディエに怒られるなと言って、リュシアンは私の手を離した。
「昨晩もケンカをしたの?」
「ケンカにもならん。あいつが一方的に怒っていただけだ。確かに一昨日の件は浅慮だった。だが視察旅行の件はな。参った」
リュシアンはため息をつく。
「実はあいつを俺に頼んでいたのは妃殿下なんだ。とはいえ息子の結婚相手について条件があるのは陛下も同じ。お前には悪いが、バダンテール伯爵令嬢ではダメなんだ。だから視察旅行はいい策だと思ったのだがな。だが妃殿下は姪たちが同行することを陛下に伏せて計画していたらしい。陛下が全容を知り、中止になった」
「ディディエ殿下と隣国の王子王女を一緒に旅行させたくないのね」
首肯するリュシアン。
「婚約内定に見えるからかしら」
「そのようだ。マルセルもいるし、なんだったら王子狙いの令嬢を王女の友人として帯同させれば問題はないと考えていたのだが、甘かった」
ふうん、と答えながら首をかしげる。
先ほどリュシアンは、ディディエ誕生会のときにワガママを言った王女の対応も頼まれたと話していた。頼まれてばかりじゃない?
というか。
「ディディエ殿下に最初から、『侯爵家以上の令嬢から選べ』と言っておけばいいわよね」
いや、言っていたかも。口にしてから思いだした。お茶会の日にマルセルがそう話していたはずだ。
「話してはある」とリュシアン。「だけれど『絶対』の話としてではなかった。だからあいつは気にしていない」
「はっきり伝えなかったのには理由があるの?」
リュシアンはため息をついた。
「本人に『自分で選んだ』という満足感を持ってほしいらしい」
「なにそれ」
意味が分からない。
「そのままだ。与えられた妻だと不満が親に向かったり、夫婦仲が悪くなる可能性がある。自分で選べば、その責任は自分だ」
「庶民の子育てでもしているつもりなのかしら? 王族がそんな甘い考えでふんわりと嫁探しして、結果的に王子は許容外の娘を選んでしまって大混乱じゃないの」
「そう言うな。本来なら俺が誘導するはずだったんだ」
「何を」
「ディディエの選ぶ令嬢」
リュシアンの表情はいつの間にか曇っていた。
「公爵家以上の令嬢にな。更に言えば、妃殿下は姪である隣国の王女を望んでいた。父、つまり父と陛下ということだな、ふたりはイヴェットだ。それぞれから頼まれていた」
だからリュシアンは引きこもった王女を説得しに行ったということなのか。いや、だからどうしてリュシアンが何でもかんでも頼まれているの。
「正直なところ、イヴェットはなしだ。本人たちは仲の良い兄妹のようなもので、結婚相手として意識していない。王女も、あの性格だからディディエは苦手にしている。俺は公爵家の令嬢を薦めるつもりだった」
「どうしてあなたがそんなに頼まれてばかりなの? まるでディディエ殿下のお守り係だわ」
「俺が好きでやっている。父の前では役に立つ息子でいたかったし」
「『役に立つ息子』って」
結局酷い扱いをされているのに。
リュシアンは私を見ると、そんな顔をするなと笑った。
「何より妃殿下には世話になっている」
リュシアンの話では、王妃が彼の秘密の味方なのだそうだ。いつの頃からか、母親に冷たく扱われている義理の甥を不憫に思い、こっそりと励ましてくれていたという。
あんな母親のために頑張りすぎなくていい、今のままで十分だ、無理をしなくてもリュシアンは立派な大公令息で、母親は理解しなくても世間は理解している。そんな風に支えてくれたらしい。
『こっそり』なのは母親が、他の弟妹を差し置いてリュシアンだけ王妃に贔屓されている、と妬んだらいけないからだそう。
「支えてくれた恩を返したい」とリュシアン。「それが出来るのはもう、今しかないからな」
結婚、もしくは神官になる前にということなのだろう。
「……私ね、あなたってものすごく嫌なヤツだと思っていた」
知っていると笑うリュシアン。
「だけど過去形」
「俺もお前が強烈縦ロールだったと知っている。だけど過去形」
「お望みなら、またやるわ」
「そうだな。気分が沈んだときに頼もう。爆笑できる」
「ベージュのドレスも着てあげるわ」
笑ったリュシアンは、最後に大きく息をついた。
「もう全部話してしまうか。懸念材料がふたつあるんだ」
そのひとつ目は、ふたりの大公だという。国王は四兄弟で、すぐ下の弟であるリュシアンの父親とは仲が良い。だがその下のふたりとは馬が会わず、昔から二対二でいがみあっていたそうだ。現在も非協力的。とはいえ、今までは黙認できる程度だった。だが最近、彼らが切り札を手に入れたと吹聴しているらしい。
そこでふたつ目の懸念。
国王にはディディエより年上の隠し子がいる、とのまことしやかな噂があるという。リュシアンの耳に入ったのは最近だが、昔からある話らしい。
国王にはかつて非常に親しくしている男爵令嬢がいたのだが、彼の結婚を機に彼女は姿を消した。ここまでは事実らしい。そして次が出所不確かな噂。捨てられた令嬢は密かに国王の子を産み、育てている。
国王はそんな事実はないと否定しているが、もしそれが本当でしかも男児であれば、その子が第一王子ということになり王位継承権はディディエより上になるという。
そしてふたりの大公が言う切り札が、この男児を指しているのではないかと上位貴族の間で囁かれているそうだ。
「ディディエ殿下はご存知なの?」
「まだ知らないはずだ。下手をすれば妃殿下の故国との外交問題になるから、声高に話されているわけではない」
「それで?」
「噂が事実だろうが偽りだろうが、ふたりの大公が近いうちに何かしらの攻撃をしてくる可能性はある。火のない所に煙はたたないというだろう。だから陛下も妃殿下も念のために、ディディエの力になれる家柄の娘と結婚してほしいわけだ」
「それなら息子にそう言えばいいのに。どうしてあなたが苦労しているの」
「いや、これは俺の予想。ふたりとも俺が隠し子の噂を知っているとは考えてないはずだ。で、多分だが、彼らはこの噂をディディエに話したくないんだ」
「……否定しているのに?」
「俺はこれ以上、詮索しないことにしている」
「聞き分けが良すぎない?」
「興味がないし、俺は王宮を出ていく」
「なるほどね」
「その前に、妃殿下に恩を返してディディエにできるだけのことをしておく」
ふとエマがリュシアンを健気と評したことを思い出した。
「本当。あなたは健気としか言い様がないわ」
「そんなのではない」とリュシアンは笑う。
それにしてもゲームではどうしてリュシアンが主要人物としていなかったのだろう。こんなにディディエと密接な関係があるのに。設定で王族はひとり、という決まりでもあったのかな。
ダメだ。思考がまとまらない。多くのことを一度に聞きすぎて、処理能力が追い付かないよ。
「情報量が多すぎるわ。とりあえず、陛下は私との結婚を認める気はなくて、視察旅行はなしということね」
「ちょっと違う」とリュシアン。「全く認める気がないかは不明」
「だって私ではダメだってさっき言ったわ」
「そう、ダメな筈なんだ。だけれど今朝話した感触からすると、陛下の中ではゼロではないような気がする」
「どうして! 困るわ」
さあな、と言ったリュシアンは立ち上がった。
「だいぶ話し込んだ。城に戻るのが遅いとディディエになじられそうだ」
「そうね」と私も立ち上がる。
他に何かあったかなと考えるリュシアン。風が彼の髪を揺らしている。
「ああ、そうだ。やはりアルベロ・フェリーチェに来る生き物の観察もしていた。特別なことはないそうだ」
「そうなのね。確認ありがとう。またひとつ思いついたの。薫りはどうかしら?」
「それは検討済み。関係ないだろうとの結論だ。最も嗅いでいる薬師たちに影響が出ている者がいないからな」
「薬師って全員男性なの?」
「いや、男女比が7:3ぐらい。年齢は比較的高いな」
「既婚率は?」
「分からんが若い者が少ないから高いのではないかな」
見習いを除くと、最年少がロザリーの幼馴染であるバジルだそうだ。彼で二十歳。年齢が近いこともあって、リュシアンは親しくしているという。見習いは十代が三人いるそうだ。
「また何か思い付いたら手紙で知らせろ」とリュシアン。「俺はバダンテール邸に来るのはしばらく控える」
分かったわと答えながら、不満を感じている自分に気づく。
「本をありがとな」
きのうイヴェットに会いに行ったときに、お勧めの本格モノを数冊預けてきたのだ。
「読んでほしいけど、夜は眠ってね。くまが日に日にひどくなっているわよ」
「気を付けているのだがな。読んでいると勝手に時間が過ぎている」
「分かる! でもダメよ。少しずつにしてね」
「努力する」
リュシアンは笑顔で、じゃあ、と言って扉に向かった。そのノブに手を掛け振り向いた。
「ディディエが返事を聞きに来ると言っていたが」
「忘れていた! 結婚を申し込まれたの」
「そんな重要なことを忘れるな」
「だって。それに正確には、殿下の成人までじっくり交遊してから求婚の返事をしてほしいと言われて、それを了承するかどうかの返事よ」
「余計に厄介だな。まあいい。あいつが落ち着いたら、話し合ってみる。ここまで来たら陛下が全て打ち明けるかもしれないしな」
そうなったらリュシアンの負担は減るだろうか。
だけれど、今日の真剣なディディエを思うと政略的な理由で私を諦めさせるのは、可哀想な気もする。私ならば、なぜ誕生会の前に話さなかったと怒り狂うだろう。
「原因が分かって解決方法が見つかるのが一番いいわよね」
「無論、調査は続けているぞ」
「私ももっと考える」
「頼む」
そう言うリュシアンの顔を見ながら思う。
私自身にも、解決方法が早急に必要そうだもの。




