23・嫌な予感がいたします
リュシアン十七歳の誕生会。招待客を選んだのは、彼ではなかったらしい。パーティーの全てを自身で決められると告げられていたけれど、最小限のこじんまりとしたものでよいという希望以外はなかったそうだ。
彼ははっきりとは話さなかったけれど、両親の意向に沿わない令嬢を選ぶつもりはなく、そうすると家柄の最低ラインは侯爵家だろうと予想していたようだ。
そこに招待客の『提案』をしてきたのが父親だった。拘泥のないリュシアンはその提案を丸呑みした。
これも明確には言わなかったけれどリュシアンはきっと、両親の前では聞き分けのよい優等生だったのだ。
そして誕生会の一週間前のこと。父親は息子に、婚約者が内定したことを伝えた。地方住まいの伯爵家への婿入り。呆然としている息子に父親は言った。
「聡いお前ならば、分かっているな」と。
リュシアンは、はいと答えるしかなかった。
そんな彼に大公は、この話は一切外部に漏らしてはいけない。あくまでリュシアンが彼女を気に入り選んだことにするのだと命じたそうだ。
以前イヴェットたちから聞いた話と総合すると誕生会以降のリュシアンは、伯爵令嬢に好意を持ち渋る両親を説得、努力の末に婚約にこぎ着ける、というフリをしていたようだ。
だけれど婚約者は出奔した。
それを知った父親は一言、『婚約を解消してはならない』と言って終わり。更に、日数が経ち彼女が見つかる様子がないと分かると、『彼女が戻らなければ神官になるしかない。聡いお前ならば、分かっているな』そう伝えたそうだ。
「母が俺を嫌うなら」と変わらず顔を隠したままでリュシアンは言った。「せめて世間的には立派な息子でいようと必死に努力した。父はそれを喜んでいてくれると信じていた。だけれど……」
小さく、そうじゃなかった、と言う声は再び震えていた。
「俺とてディディエとマルセルと共にいたい。ふたりに裏切り者となじられるのは、俺は、」
それ以上、リュシアンは何も言わなかった。
胸が潰れそうだ。
考えるより先に体が動く。
リュシアンの隣、長椅子の上に正座をすると彼の頭を肩口に抱き込んだ。顔が見えないように体に押し当てる。
「これは涙活! リュシアン、知っている? 涙を流すとストレスが解消されるのよ。副交感神経がなんちゃらでリラックスできるの。私、今ものすごく腹が立っているから涙活するわ。だけれど泣き顔は不細工で恥ずかしいから見ないでね。絶対に顔を上げたらダメよ。私、涙活だから」
……なんだそれは、とくぐもった声がする。
腕の中のダークブラウンの髪を見ながら心の中で、大公夫妻は腹でも下せと呪い続けた。
◇◇
どれほど経ったか、リュシアンが
「苦しい」
と言った。声は明るい。
「それなら離すけど、私の顔は見ないでね。ひどいから」
彼の頭にまわしていた腕をそっと解き、顔を見ないようにそっぽを向いたまま座り直した。肩と肩が触れる距離。マナーなんて、今は知らない。
「アニエス」
「なあに」
「こちらを向け」
「……でも」
「いいから」
リュシアンに顔を向ける。私を見る彼は、泣きはらした顔で笑っていた。
「確かに不細工だな」
「失礼ね」
「お互いさまだ」
そう言ってリュシアンは正面に向き直り椅子の背にもたれかかった。
「本当だな。泣いたらスッキリした」
「うん」
「『うん』って。幼児か。令嬢ならば『ええ』と言え」
「口うるさい男!」
ハハッとリュシアンが声を上げて笑う。
「神官の話をされたのがディディエの誕生会の二日前でな」
「『ええ』」
彼はちらりとこちらを見た。目が笑っている。
「誕生会はどん底の気分で迎えた。しかも、だ。隣国の王女は美少女だけど、とんでもないワガママなんだ。誕生会はディディエがエスコートしなければ参加しないとごねた。だけれどディディエの妻を選ぶ会に王女をエスコートをすれば、彼女で決定したと思われてしまうから出来ない」
「そうね」
「当然ディディエはエスコートせず、姫は兄と共に部屋に閉じ籠った。それを引っ張り出してほしいと頼まれた。イヴェットのエスコートもしないで説得に行って、姫には『婚約者に逃げられたマヌケに用はない』と嘲笑われ、舞踏会も遅刻だ。最悪な気分で廊下を歩いていたら、窓の外にスカートのようなものがひらめいていた」
「うん」
「窓から身を乗り出してみたら、バルコニーから令嬢らしきものがぶら下がっている。しかも壁に足をついているせいでスカートの中身がまる見え。あまりに非現実的で、夢でも見ているのかと思った」
「仕方なかったのよ!」
リュシアンが私を見た。笑顔だった。
「非常識で馬鹿馬鹿しい光景にな、俺の鬱屈やら惨めさやら、そんな負の感情が一気に吹き飛ばされた。だって窓の外にスカートの中身だぞ。破壊力抜群の衝撃だ」
「……ええ」
中身が丸見えだったと知った時は、めちゃくちゃ恥ずかしかったけれど。あの時あの行動をとった私を褒めてあげたい。
「しかも。足しか見えない令嬢らしきものが、『落ちて命を終わりにするか、バルコニーに戻り不審者となって令嬢人生を終わりにするか』と呟いた」
「声に出してた? 私?」
「ばっちり出していたぞ。話しかけてみればとぼけた返事が返ってくるし」
「そうだったかしら」
「そうだね。引っ張り上げてみれば、おかしな回転技を決めるわ、見たことのない礼をするわ。似合わないセンスの悪い服に野暮ったい髪型。あんなに楽しい気分になったのは久方ぶりだった」
「お役に立てて嬉しいわ」
「変な女」
リュシアンは私の手を取って握りしめた。
「お前はすごい。泣かせてくれて、ありがとう」
「いつでも一緒に涙活するわ。辛いときは声をかけてね」
「そうする」
「一年もひとりでよく頑張ったわね」
「口外するなと言われていたしな。それに……惨めすぎてイヴェットたちに知られたくない気持ちもあった」
『惨めすぎて』か。また涙がにじむ。大公夫妻にどうか天罰が下りますように。
「反抗しようとは思わなかったの?」
「どうやって? 父は国王補佐で、国王とはおしどり夫婦と揶揄されるほどの仲の良さだ。ふたりに楯突く方法は、国外に逃げるぐらいしかない。だがイヴェットやディディエと二度と会えなくなるのはごめんだ」
「そうね」
「いいんだ。惚れた相手がいるわけでもないからな。結婚にしろ神官にしろ、政略的なものだと思えばなんてことはない。今は無理でもいつかはディディエに真実を言えるだろう」
「前向きね」
「キツくなったら、お前に愚痴ることもできるらしい」
「どんと来いよ」
「いい友人ができて良かった」
「そうでしょうとも」
にこりと笑みを浮かべる。
だけれど胸の奥が『友人』との言葉に反応してチクリと痛んだ。ディディエに好きな男はいるかと訊かれたときも、顔が思い浮かんでしまった。
私も外的要因にやられてしまっているのではないだろうか。




