22・気が滅入る状況になってきました
「殿下。そのようなことを軽々しく口にすべきではありません。どうぞ手をお離し下さい」
丁寧に伝えたつもりだったが、ディディエの目は険しくなった。
「軽々しいつもりは微塵もない」
「国を背負って立つ方が、訳の分からない一目惚れで結婚相手を決めるべきではありません」
そういうゲームだけど、私には適用されないのですよ!
「出会ってからの二週間、私が会えないお前を想うだけで無意味に過ごしていたと思うか? アニエス・バダンテール、令嬢としてのマナーは完璧。必要な勉学もほぼ終了。性格は以前は難もあったが、縦ロールをやめたころから改善。現在は『穏やかで人当たりは良い』と評判。バダンテール伯爵夫妻は有能ではないが無能という程でもない。派閥には属しておらず、政治的野心は低いとみられる。財政も問題はない。家系を遡っても瑕疵はなし」
ディディエは淀みなく語った。
「すっかり調査済みということですね」
「恐らくはお前よりバダンテール家に詳しいぞ。伯爵の位は王妃を排出するにはやや低いが、それ以外にはなにひとつ問題はない。決して軽々しく求婚しているわけではないぞ」
……これはまずい気がする。
やみくもに好きだと言って騒ぐだけの、能天気王子ではないらしい。先ほども両親に私を気に入っていることを匂わせていた。父たちはきっと、混乱しながらも喜びに浸っているだろう。
「大変に申し訳ありませんが、お断りさせていただきます。前に申し上げた通り、殿下にも王子妃の位にも興味がございません。また私にはその器もございません」
「器がないとは思わない。その腹の座りようはなかなか良い。だがないのが事実だっだとしても、これから培えばいいだけのことだ」
「私の意思は尊重していただけないのですか」
「尊重するが拒絶の理由がそれだけならば納得できない」
「十分な理由だと思いますが」
相手に好意がないというのが理由にならないなら、他に何があるというのだ。恋愛ゲームでは好感度ゼロだとハピエンにはならないし、ここはそのゲームの世界なんだよ。
「アニエス」
「なんでしょうか」
「好きな男がいるのか」
「……いません」
「ならば私を好きになってくれ」
そんなことは絶対にムリですと言おうとして、躊躇った。ディディエは真剣だ。コールアンドレスポンスのようなノリで返答してはいけない気がする。こちらも同じくらい真摯に考えて答えなければ、失礼ではないだろうか。
「今すぐにとは言わない」とディディエ。「王家の習わしで婚約は成人までにすることになっている。あと十一ヶ月。だからその期間ギリギリまで待つ。その代わりにお前は他の男と婚約はせずに私と交遊し結論を出す。……権力をもって結婚の強制をしない代わりに、この条件をのんでほしい」
「期間終了間際に拒否が可能とは思えません。バダンテール家と私に咎めがあるでしょう」
「そのようなことはしないし、させない」
ディディエはまっすぐに私を見ている。手は握られたまま。
私に逃げ道はあるだろうか。
これを了承して、それから騒動の原因を突き止め、彼の目を冷まさせる。そうすれば結婚を回避できるだろうか。だけどもし原因が特定できなかったら?
ディディエを一年近く待たせたあげくに断るの?
そんな非道なことをする勇気が、そのときの私にあるだろうか。
なんて答えるのが最善なのか分からない。窮していると、窓から入って来た緩やかな風が頬を撫でていった。ふわりと花の香りがする。
ふと全く関係のないことが頭に浮かんだ。アルベロ・フェリーチェの花ではなく、花の香りに惚れ薬効果があるというのはどうだろう、と。
だけれど今はそんなことを考えている場合ではない。
「アニエス」
ディディエが私の名を呼ぶ。返答しなければ。
と、音を立てて扉が勢いよく開いた
「入るなと言っただろう!」とディディエが振り返り叫ぶ。が。すっと目を細めた。「……何しに来た」
そこにいたのはリュシアンだった。背後に執事が見えたけれど、彼ひとりが部屋に入り、扉を閉めた。
「お前の様子を見てくるよう頼まれた。万が一軽率なことをしていたら、止めるようにとも」
「ふんっ。母上の差し金か? 分かっているんだぞ、あの視察旅行を母上に勧めたのはお前だろう?」
「止めるよう頼んできたのは、陛下だ。お前の非常識な振る舞いに頭を痛めていらっしゃる。とりあえず、イヴェットと三人で遊びに来たていにしろとのことだ」リュシアンは私を見た。「問題はないか」
「……多分」リュシアンの登場にほっとして全身から力が抜けるのを感じた。「イヴェットさまはどちらに?」
「支度が間に合わず、来たていない」
なるほど。どこに向けて体面をつくろっているのかは不明だけれど、陛下は今すぐにバダンテール伯爵令嬢との婚約を許可する考えではないことだけは確かだ。
「殿下。できましたら手を」
恐る恐るディディエに言うと、彼は離してくれた。だけれど険しい顔を従兄に向けた。
「リュシアン。私はもうお前を信用しないからな。ひとに協定を組ませ彼女に自由に会わないようさせておきながら、自分はどうだ。隠れてお忍びデートなどして手に入れた花びらを交換。卑怯もいいところだ」
「ですからそれは」
「アニエス。リュシアンの本意がどこにあろうと、奴は私がお前を好きなことを知りながら、私には出来ないことをしていたのだぞ。どんなに悔しいか、少しは考えてみてくれ」
確かにそうかもしれない。私は好かれても迷惑だし外的要因があるからと、ディディエへの対応が雑だった。それが他の異性と仲良くデート(事実とは異なるけれど)をしていたら、当然おもしろくないだろう。
「だから、それは済まなかったと昨晩も謝っただろう」とリュシアン。どうやら昨夜もこの件で揉めたようだ。「俺が考えなしだった。悪かった」
「しかも自分は楽しんでおいて、私を視察なんて名目で遠方に追い払う」
「対策が必要」
「そんな必要はない! 卑怯者め」リュシアンの言葉を遮ったディディエの顔は怒りに満ちていた。
「殿下。それは言い過ぎです。リュシアン殿下は対策を」
ディディエは私の顔の前に手を出し制した。
「それはお前たちの理論だ。私はアニエスに惚れた。それを外的要因なんてものを持ち出して邪魔をされている。それが事実だったとしても、何が悪い。純粋な恋じゃないからと言いたいのか?」
「どのみち彼女は伯爵令嬢だ」とリュシアン。「納得しない者は多い。いつかお前が正気に戻ったときに彼女を守る気持ちが残って居ないかもしれないのだぞ」
「そうなってみないと分からないし、どんな恋だって冷める可能性はあるのだから条件は同じだ!」
なるほど。確かに純粋な恋だから永遠なんてことはない。
「だいたい伯爵令嬢の何が悪い。お前の婚約者もそうだ」
「たかが大公令息と第一王子では話が違う」
「いいや、問題がないからこそ誕生会の招待客に含まれるのだろう」
「あんなものはただのパフォーマンスだ! いい加減、気がつけ! 開かれた王室、親しみのある王室を国民に向けて演出しているだけだ。しかも近隣諸国の王族と政略結婚による血縁関係を結ばなくても、仲良く国交を結べているというアピールが土台になっている。王の統治は完璧だから平和な結婚ができるという筋書きなんだ。歴代の王子を見てみろ。妃は最低で伯爵家の出身。第一王子に限れば侯爵家以上だ!」
ディディエの顔から険が落ちる。
「……そうなのか?」
「それを国民に気づかせないために大公家の息子たちも同じように誕生会を開き、自由に妻選びをさせているんだ。無理やりアニエスと婚約してみろ。重鎮貴族たちの反感を買うだけだぞ」
ディディエは振り返り私を見た。道に迷った子犬のような顔をしている。だけれどすぐにその目は力強さを取り戻した。再び従兄を見る。
「だとしても、私がその慣習を壊してやる。誰にも文句は言わせない」
ディディエはさすが攻略対象だ。そう断言した横顔は、強い意思をうかがわせ頼もしい。
「……落ち着け、ディディエ。城に戻ってから話そう。陛下も心配されている」
「リュシアンの意見は聞かん! 帰るのはお前だ。私も彼女とふたりきりでゆっくりするのだ」
遠慮したいです、と言いたいけれど、とてもそんな雰囲気ではない。どうやって上手くお引き取り願えばいいだろう。
「駄々をこねるな」とリュシアン。「陛下がお待ちだ」
「いい加減、邪魔をするな! リュシアン、お前の婚約だって私もイヴェットもマルセルもジョルジェットも、従者たちもみな反対している。だけれどお前は自分の意見を押し通して婚約し、彼女が逃げた今も解消しない。三人でこの国を担おうとの約束を、お前は破ったではないか! どうして自分は好き勝手をしておきながら、私の恋は認め……」
『ない』と続く声は聞き取れないほど小さかった。
リュシアンの表情が一瞬にして変わったのだ。それは泣き出す寸前にしか見えなかった。
それを隠すかのように、彼は顔を反らした。
「……これ以上事態を長引かせるなら、陛下のご命令により近衛をこの部屋に呼ぶことになる。頼むから、城に戻ってくれ」
ディディエはしばらくの間黙って従兄の横顔を見ていたけれど、再び私に振り返り
「先ほど私が言ったこと。考えておいてほしい。落ち着いたら返事を聞きにくる」と言った。
分かりましたと答える。
「リュシアン、お前と同じ馬車には乗りたくない。先に帰る。腹が立つから時間をおいて出てくれ」
ディディエはそう言って、私に別れの挨拶をすると足早に部屋を出ていった。きっちりと扉を閉めて。
「殿下」リュシアンにそっと歩み寄る。「大丈夫?」
リュシアンは片手で顔の上半分を覆うと、脇をすり抜けて長椅子に座った。
どうしよう。この部屋にはまだお茶も出されていない。執事に気分が落ち着きそうなものを持ってきてもらうべきだろうか。それとも踏み込んだ質問をすべきだろうか。
また優しい風が部屋に入ってきて、カーテンを揺らした。
わざとらしく関係なさそうな話題を出す? アルベロ・フェリーチェとか。ミステリーとか。
「……俺はなにひとつ、好き勝手などしていない」
ぼそりと。震える声で紡がれたのは。
「全て父が決めた。婚約も、解消しないことも、神官も」
父が決めた?
都から遠く離れた地に暮らす、伯爵家の婿に入ることを?
婚約者が戻らなければ、未婚を強いられる神官になることを?
それはつまり……。
「俺は」リュシアンは言った。「父上にとっても用無しだったんだ」




