20・幸運のアイテムをゲットいたしましょう Seconds
再び大神殿前の大広場。きのうと同じような行列が目前に延びている。アルベロ・フェリーチェの花びらを手に入れるまでに、また二時間かかることだろう。
「こんなに盛況なのか」
そう言ったのは、きのうと違うこと・その1である男。
「そうよ。これだけの人がいるの」答えつつ、声をひそめる。「バレるのは時間の問題じゃない?」
「みな話に夢中だから他人なんて気にしない」
庭師風の格好をして、つばの広い帽子を深くかぶったその1が答える。こんな見え見えの変装をしているのはリュシアンだ。
どうやらバジルは速攻でリュシアンにチクった、ではなかった、報告したらしい。ご丁寧に委細漏らさずに。きのう帰宅してすぐにリュシアンから、『確認したいことがあるから、明日の配布の列に共に並ぶ』との手紙が来た。
いやいやあなたは大公令息でしょう、断固お断りしますと返信したのだけど、きいてもらえなかった。なんなんだ一体。
「俺より彼女のほうが余程危ない」
大公令息は目前の、きのうと違うこと・その2を見た。それは変装をしたマノン・ゴベールと、絶妙な距離感で彼女に寄り添うクロヴィス・ファロ。
声が聞こえたようで(意外だ。てっきりふたりだけの世界に没入しているのだと思っていた)、マノンが振り返った。
「私はちゃんと変装してますもの」
音楽界のアイドルは胸を張る。一体どこから借りたのか農村の娘のような格好をしている。リュシアンも彼女も、服装とまとう雰囲気が相反していることにこれっぽっちも気づいていないらしい。
クロヴィスのほうは普段通りと思われる私服を着ていて格好に問題はないけれど、佇まいから騎士感があふれでている。はっきり言って、威圧感が半端ないのだ。王宮では騎士がゴロゴロしているから気にならなかったけれど、街中に出ると明らかに一般人と違う。鍛え抜かれた体躯で、仁王立ちなんだもの。
バダンテール家は最小限の使用人プラスエマだけで目立たないようにがんばったけど、ムリだ。その1と2が完全に周囲から浮いている。
リュシアンの言った通りに大抵の人々は伝説の樹の話に夢中だけど、こちらをチラチラ見る人も一定数いる。出来ることなら、彼らと無関係を装いたい。
「というか、どうしてマノンさんたちが一緒なの?」
先ほど待ち合わせの場所に三人が揃ってやって来るまで、私はリュシアンと従者が来るのだとばかり思っていたのだ。
「従者はいなくて大丈夫なの?」
「彼がいたら俺が誰だかバレる」とリュシアン。
「いなくてもバレると思うけど?」
「いいや。俺の変装はばっちりだ」
「どこからその自信が来るの?」
「従者もクロヴィスもそう言った」
本当のことを言えなかっただけじゃない、と返そうとしたらクロヴィスが
「見事な変装です」
と力強く肯定した。
え。本気?
「本当はギヨームを誘ったんだ」
クロヴィスの称賛をドヤ顔で受け取ったリュシアンは、話を変えた。「万が一、俺ひとりがアニエスと共に並んだことをディディエやマルセルに知られたら、面倒なことになるからな。だが断られた。何時間も並ぶ時間があったらチェロを弾いていたいそうだ」
「そうなのよ」とマノン。「ギヨームは変なところでリアリストなの。お守りなんてなんの役に立つんだ、と言っちゃうのだから」
「そんな風だからいつまでたっても思いが届かない」とクロヴィス。
「ギヨーム殿は片思いをしているのだったか?」
とリュシアンが尋ねると、マノンとクロヴィスはなんとも言えない表情でうなずいた。
「彼は相当にモテるだろうに、なぜ片思いなんだ?」
「どちらも変人だからよ」マノンが真顔で断言した。兄に向かって、なかなか辛辣だ。「ギヨームは一見普通だけど、作曲がゾーンに入ったときなんて酷いから。飲まず食わず眠らずで倒れるなんて当たり前。そんな時の彼は、ちょっと人目に晒せないわよ。髪はぼうぼう、髭は延び放題」
そうなんだ。人当たりのいい好青年だと思っていたけど、いかにも芸術家という一面もあるのか。
「今日は、なりかけだったな」とクロヴィスが笑う。
「あれは別。今の作曲がうまくいかなくてイラついているのよ」
「また新しい曲を書いているのですか?」
「コンペだろ?」とリュシアン。
リュシアンによると、年末に国王陛下は即位十周年を迎えるのだけど、その記念式典用の楽曲を公募することになったそうだ。しかもテーマがアルベロ・フェリーチェ。十周年を迎える年に伝説の樹が開花したのだから、まあ、当然と言えば当然のテーマだ。
「イメージは出来ているけど、うまく形にならないみたい」とマノン。「この前の三重奏がかなり革新的だったから、今回は古典に回帰したいようなのだけど……と、いけない。秘密だった!」
マノンは周りをキョロキョロしてから、内緒にしてねと付け足した。
「それなら新作のユーモアミステリでも差し入れしようかしら」
「ありがとう、喜ぶわ。とにかくそういう経緯。ギヨームから、私が代わりに行ってくれって頼まれたのよ」
「クロヴィスさまも?」
悪役騎士を見上げると、彼は一瞬だけ変な表情をした。
「……いや」
「元々ふたりで並ぶ予定だったそうだ」とリュシアン。「デートの邪魔をしてすまん」
「デートではっ!」クロヴィスとマノンの声が重なる。それからふたりは赤い顔を見合わせてもじもじ。
なるほど。まだ恋人未満らしい。がんばってくれたまえ。
「リュシ……」
リュシアン殿下と呼びそうになり、口をつぐむ。本名は絶対にまずい。
「えっと、リュ……リューくん」
リュシアンは眉を寄せた。けれど意図は理解してくれたのだろう。低い声で、なんだと聞き返してくれた。
「確認したいことって何?」
きのうの手紙には、そう書いてあった。先日の様子では、彼はアルベロ・フェリーチェ原因説を取り下げたようだったのだけど、また可能性が出て来たのだろうか。
リュシアンは視線だけ動かして、周囲を確認したようだった。
「……世間全体に、一目惚れが急増しているのは確かだ。王宮内ではこの二週間でカップルが二割増えた、なんて説もある」
「二割!!」
なかなかな数字ではないだろうか。
「ただ」とリュシアンはもったいをつけて、私の目を見た。「ひとりに対して六人も惚れて、奪い合いをしているケースは他にない」
六人? 五人では?
ああそうか。ロザリーも含めてだ。
「本当に他にないの?」
「あったら騒ぎになっているはずだ」
そうか。まあ、ここはゲームの世界だ。一時に複数の乙女ゲームが進行することはないよね。
リュシアンはキリッとした顔を崩すことなく、口を開いた。
「出来ることなら、お前にもう一度バルコニーにぶら下がってもらい、若い男にスカートの中を覗かせる実験をしたい」
「何を言っているの! バカなの!?」
思わず叫ぶ。周囲が振り返った。
「目立つことをするな」とリュシアン。
「あなたがおかしなことを言うから!」
小声で反論する。
「案ずるな、やらん。もしそれで被害者が増えたら困る」
「被害者って。私が害を与えているのではないわ」
「すまん、言い方が悪かった。一連の騒動の被害者だ」リュシアンは小さく息を吐いた。「一対大多数のケースは他にないが、問題が出ているケースはあるようなんだ。なんとか解決策をみつけないといけない」
そうなのか。先日の案のような、一時的に距離をおく、なんてものでは根本的な解決にはならないものね。
「そこでとりあえず、お前の観察だ。他にも惚れる男が出てくるのかどうか」
「そのために、今日は来たの?」
そう、と真面目な顔でうなずくリュシアン。
「アルベロ・フェリーチェ説は消え、他の手がかりは見つからない。引っかかることをしらみつぶしに検証していくしか、やりようがないんだ。街中なら沢山の男とすれ違うだろう?」
「それなら手紙で訊いてくれれば良かったのに。きのう二時間行列をしていて、そんな人は現れなかったわよ」
「それは声をかけてくる者がいなかっただけだろう? きのうはロザリーに弟、沢山の使用人が一緒だったと聞いている。状況的に話しかけられなかっただけの可能性もある」
「リュ……。リューくんって、細かく考えているのね」
私は思い付きもしないことばかりだ。
「でなければ解決できない」
「がんばってくれて、ありがとう」
「……」
「だけど私としては、アルベロ・フェリーチェ説を捨てきれない。あまりにタイミングが良すぎるもの」
「だがな……」
リュシアンによると、開花以降、花びらを使って幾つかの実験はしているそうだ。薬を作る代表的なパターンをあらかたやって、薬師たちが実際に服用。それでも、何も起こっていないらしい。薬としての効用もなし。
「そっか」
となると、アルベロ・フェリーチェの花はなんの関係もないのだろうか。実物を見たことはないから、きのう見た一枚の花びらから花を想像する。木にはどんな風に咲いているのだろう。前世だったらこの時期は桜。椿。木蓮。花に詳しくないから、そのぐらいしかわからない。
「あ。うぅん、でも。どうかな」
「何か思いついたのか?」とリュシアンが私を覗きこむ。
「いまいちな発想なんだけどね」と予防線を張る。「虫とか」
「虫?」
「そう。アルベロ・フェリーチェにしか来ない虫、って思ったの。蜜を取りにね、蝶とか蜂とか」
ハチドリはこの世界にいるのかな? ちょっと分からないから、これは黙っておこう。
「だけどそうなると、花が咲かない何百年もの間はどうしているのかなって話でしょう? 幼虫として蝉みたいに何年も土中で過ごすにしても、長すぎるよね」
「……幼虫ってなんだ?」とリュシアン。
え、まずい。この世界に幼虫って、いないの?
前にいたクロヴィスが振り返った。
「昆虫は子供のころを幼虫というのですよ。大人とは違う形のものが多いですね」
「そうなのか」とリュシアン。「それは常識なのか?」
「どうでしょう」とクロヴィスは笑った。「殿……あなたが学ばねばならない学問には含まれていないでしょうし、アニエス嬢のような方がご存知なのも意外です」
なるほど。この世界ではきっと貴族の令嬢は昆虫に興味がないのだ。芋虫を見かけたら悲鳴をあげなければいけないのかもしれない。気を付けよう。
「俺はディ……を支えるために必要な勉学ばかりしていたからな」とリュシアン。「生き物はよく知らん」
頬がほんのりと赤い。もしかしたら幼虫を知らなかったことが恥ずかしいのかもしれない。可愛いところがあるなぁ。
「昆虫の件、薬師に確認しておく。見慣れないものがいれば記録しているだろうから、今時点で報告がないものは可能性がゼロに近いがな」
「分かったわ。ありがとう」
ゼロに近くても、否定はせずに確認をしてくれるんだ。
それから少しだけ議論を進め。あとは貸しているユーモアミステリの話に夢中になってしまった。
◇◇
配布場所にたどり着くまで、予測通りに二時間かかった。絶対にリュシアンとマノンの存在がバレると思っていたけどそんなこともなく、無事に花びらをゲット。ちゃっかりリュシアンももらっていた。いくらでも手に入るのではなかったかな?
ふと見ればマノンとクロヴィスは花びらを見ながら満面の笑みだ。それが入っているのはお揃いの小ビンに見える。それでまだ付き合っていないの? 並んでいる間だって、ハートが飛び交っているのが見えそうなラブラブっぷりだったのに。
リュシアンはと見ると、こちらは素敵な形の小ビンを持っていた。
「可愛いわね」
「そうか? 妹からいらない物をもらっただけなんだが。ならば」と彼はそれを私に差し出した。「交換しよう。女は入れ物も可愛いほうが気分が上がるのだろう? 上がるの意味は分からないけど」
分からないんだ、とおかしくなる。案外、真面目なのかな。
「勝手に交換したら、イヴ……さまに申し訳ないわ」
「いや。同じ物が沢山あるから問題ない。幾つでもくれると言っていた」
「そう? ならばお願いしようかな」
私たちはお互いの小瓶を交換した。
リュシアンからもらったそれは、なみなみの曲線がどこか花のように思える可愛らしいものだった。……高そう。
「イヴ……さまに、あとでお礼の品を送るわ。何がお好きかしら」
「それなら遊びに来てくれるか。俺への説得計画が頓挫して用もないのに、お前を誘ってよいものかと迷っているようだ」
「……あまり行きたい場所ではないのだけど」
「妹とは友人になれないか」
「ちがう! 身に過ぎる場所なの、私にとってはね」
それにディディエたちの件で私がどう思われているのかを考えると、怖い。とんでもない毒婦とか諸悪の根元と誤認識されているかもしれないじゃないか。
「だけどお茶会ではとても助けてもらったものね。お会いするのはなるたけ他の場所が好ましいけれど、お声をかけていただけるなら、どこへでも馳せ参じるわ」
「……伝えておく。ちなみにあいつはミステリはきっと読まない。菓子はフルーツ入りが好き。小物はモチーフが蝶のものを選びがち」
リュシアンを見る。
「仲良しなのね」
「まあな。家族の中で浮いている俺をよく気遣ってくれる、優しい妹だよ」
浮いている……。
そんな家族から離れるために、『都から離れられる』という条件だけで選んだ相手と結婚するのは、なんだか悲しい気がする。
リュシアンの手の中にあるアルベロ・フェリーチェの花びらを見る。
どうか彼に幸運を運んでくれますように。
◇◇
リュシアンたちと別れ迎えの馬車に乗ると、向かいに座ったエマが神妙な面持ちをしていた。
「どうしたの?」
「お嬢様」
「なあに?」
「……」
エマは無言で私を見ている。なんだと言うのだろう。
長い沈黙のあと、彼女はため息をついた。
「やはり、何でもありません」
「気になるわ!」
「そういえば」とエマはわざとらしく話を変えた。「殿下は健気な方なのですね」
「健気?」
そう思わせるようなことがあっただろうか。
「ディディエ殿下を支えるための勉強ばかりしていたと仰っていました。幼きころから従弟を支える気概だったのですから、健気な方です」
……そうだ。確かに言っていた。
それなのに、都を出る決断をしたのか。
結婚とか神官とかではなくて、リュシアンが母親から穏便に離れる方法はないだろうか。




