10・悪役令嬢はふたりの仲間を手に入れた
「原因があるかもしれないことを、みなさんに話してあるのですか? クレールは知らないようでしたが?」
ギヨームが尋ねると、リュシアンはうなずいた。
「彼と神官には、先刻手紙を出したばかりだ。ディディエ、マルセル、エルネストの三人には直接伝えたが、みな、外的要因などない、純粋な恋だと言い張って聞く耳を持たなかった」
「どうして!」思わず強い声が出る。「明らかにおかしいのに、自覚がないの?」
「個々については、明らかにおかしいと言えるかどうか」とギヨームがリュシアンの顔を伺いながら言った。「恋に落ちて普段では考えられない行動に出てしまうのは、よくあることだ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「……だがディディエもマルセルも、あんな風に周囲の存在を忘れて感情のままに振る舞う人間ではない」リュシアンが顔をしかめる。
「それだけ激しい恋なのかもしれない。といっても、今回のケースは他に原因がありそうだけれど、だからと言って、彼らがあからさまにおかしいとは言い切れない。私だって」とギヨームがはにかむ。「十代の頃は恋にとちくるって、片思いの女性に曲を捧げて気持ち悪がられました」
「初耳だ」とリュシアン。
「黒歴史ですからね」と笑うギヨーム。
「アニエスもよく思い出して。恋しているケースを」
ギヨームが物言いたげな顔を向ける。
恋しているケースを思い出す?
私の周りにはそんなケースはないけれど。あ、そうか。ゲームのことを指しているのだろう。
確かにゲーム上なら、おかしくはない。
「今回の騒動に原因があるのかを突き止めることと、ディディエ殿下たちの思いに向き合うことは別に考えるべきだと思う」ギヨームが言う。「彼らが本気の恋だと思っているのなら、おかしいと一蹴するのは不誠実だ。真摯に向き合い、キッパリとフる」
私は分かったと、力強くうなずいた。
「フるの前提か?」とリュシアン。
「先ほども言った通りに、彼らに興味はありません」
「今後、猛攻を受けて絆されるかもしれないぞ?」
「今後のことは分からないけれど、今時点では絶対になし!」
「もっともディディエとマルセルに惚れられても困る」
「クレールとエルネストも」とギヨームが口を挟む。
「それならば神官をお前にやろう」と何故か偉そうなリュシアン。
「だから誰であろうとも、お断りよ」
ふうん、と言ったリュシアンは背をイスに預けた。
「とりあえずディディエたち五人には、昨晩のうちに、『抜け駆けをしない、紳士的に接する』という協定を組ませた」
「クレールから聞きました」とギヨーム。「私が見ていた限りだとかなり険悪な雰囲気だったのに、よく話がまとまりましたね」
それは聞いてないよ、ギヨーム。彼らはそんなに揉めたの? ヒロインじゃない私相手に?
先行きに不安しか感じない。
「アニエス・バダンテールの体面を考えるよう説得したからな」とリュシアンがドヤ顔をする。「バルコニーにぶら下がるキテレツ令嬢でも、今までは淑やかで礼儀をわきまえた令嬢として通っていたのだろう? それなら男たちが自分の取り合いを始めても困るだけ。むしろ嫌われるだろうと話したら、みなそれは嫌だと言ってな」
うなずくギヨーム。
「ほら、アニエスの気持ちを考えられる理性がある。おかしいの一言で片付けてはいけない」
「……そうね。きちんと対応するわ」
「断る気ならば、なるたけ早急にそうしてくれ」とリュシアン。
「そうだな。彼らに期待を持たせたままにするのは良くない」
「分かりました。ところでマルセルさまから、お姉さまのお茶会に誘われているのですが」
と言うと、ギヨームは行動が早いと笑い、リュシアンは首肯した。
「姉というのは建前。ディディエたちが待ち構えていて、別室に連れ去られる予定」
「ふぇっ!!」
思わずおかしな叫び声が出てしまい、慌てて口を押さえる。
「抜け駆けできないのならば、全員一緒に口説くのだそうだ。俺は監視役として参加する」
「……リュシアン殿下も誘われたのですか」ギヨームが聞く。
「ディディエとマルセルがこそこそ話していたから、締め上げて聞き出した」
締め上げて?
「リュシアン殿下はディディエ殿下やマルセルさまと仲がよろしいのですか?」
ゲームにはリュシアンという名のキャラはおらず、当然のこと、ディディエやマルセルの友人として出てくることはなかった。スチールのモブにディディエに似た面立ちのキャラがいたけど、あれがリュシアンだったのかなと思う程度だ。
だがリュシアンはうなずいた。
「歳が近いし、俺も別棟とはいえ王宮に住んでいる。ディディエは弟のようなものだ」
「だからこの件に積極的に関わっているのですか」
ギヨームが尋ねると、リュシアンはうなずいた。
「それもあるし、ディディエのことを頼まれてもいる」
「どなたに?」とギヨーム。
「分かるだろうが」
リュシアンはそう答えて笑った。
伯父である国王陛下に、ということだろう。ということは、ディディエの目が覚めず私に執心し続けたら、私の立場はマズイのではないだろうか。アニエス・バダンテール伯爵令嬢でも構わないよ、というのならば、リュシアンに頼まないだろう。
思わず、ぶるりとふるえる。
「お茶会には参加しろ」とリュシアン。「そこで全員を断ってくれ。意中の相手がいれば話は早かったのだが、仕方ない。あいつらを納得させられる方便を考えておけ。俺は騒乱の原因を探す」
「分かりました。お茶会にロザリーさまを呼ぶことは難しい?」
「ロザリー? どうしてだ」
「だってひとり対五人は怖いもの。彼女は、少なくとも私側についてくれると思うの。……他に頼めそうな友達はいないし」
「俺が間に入るぞ」
「ありがとう。だけれど、信頼できない言動をしたじゃない」
リュシアンはその言葉が不満だったのか、眉がぴくりと跳ねた。
「まあ」とギヨームが割って入る。「同性がいたほうが、アニエスも安心出来るでしょう」
「……なんとかしよう」としぶしぶの返事をするリュシアン。
「ありがとう、助かるわ」
とはいえ。すっかりゲームの展開とは違くなってしまった。本来だと王宮の夜会の次は、公園が舞台だ。男爵令嬢の身分に慣れていないヒロインが、気晴らしに散歩をしていると、ディディエたちに会う。
もうゲームのシナリオは無視して、とにかく私がヒロインポジションを降りることを最優先しよう。
ロザリーも何かしらの原因があって私に好意を寄せているのなら、目を覚ましてもらわないといけないからね。
……その後も友達でいてくれるかな。首をこてんと傾けた彼女は、とても可愛かった。私とは正反対だ。
「私もそのお茶会は気になるな。いつなんだい?」とギヨーム。
「日時はまだ……」
「来週の頭の予定」とリュシアンが答えてため息をつく。「当初は明日と馬鹿げたことを言っていたから、延期させた」
「ありがとう!」
明日だったら、用意も心の準備も出来ないところだった。
「俺としては、彼らに理性が残っているようには思えない」
「恋しい相手には一刻も早く会いたいものですよ」
ギヨームが苦笑混じりに答え、リュシアンは眉を寄せた。
「あ、と」ギヨームがしまったという顔をする。「……失礼しました」
そうだ。この人は愛しい婚約者に逃げられたのだ。会いたくても会えない。
「……別に構わない。……逃げるような女に会いたいとは思わぬからな」
それが本心なのか強がりなのかは分からないけれど、今回の騒動に関わる理由の一端なのかもしれない。弟のようなディディエが、自分と同じような目にあわないために動いている、とか。
似合わないけど、身内には優しいのかな。
それからしばらくの間、三人で今回の騒動に関するあれこれを話した。
やはり王宮では、私はディディエのお気に入りとしてマークされた、とか。かなりの数のご令嬢が、打倒アニエスを掲げているらしいとか。騎士団員たちが、堅物エルネストを射止めた令嬢を見たがっているとか。神官ジスランファンが共通の敵を前に同盟を組んだとか。
いや、昨日の今日だよね? みんな情報も行動も早すぎじゃない?
一刻も早く解決しないと、私の身が危ない。
「心配することはない」とリュシアン。「みな半信半疑ではいる。昨日の様子はあまりに突拍子もなさすぎて不自然だ。アニエス・バダンテールをからかうため、との説を信じるかどうか迷っているようだ」
「信じてくれるよう願うわ」
「だけどディディエ殿下をはじめ、五人とも女性をからかって楽しむような方々ではない」とギヨーム。
「そう」とリュシアン。「だからみな、判断に迷っている」
「煽るため、ということにすればいいかもしれませんね」
「どういうこと?」
ギヨームを見ると、彼はひとの悪そうな表情をしていた。
「アニエス嬢には意中の青年がいる。けれど彼はなかなか振り向かない。そこで彼女の恋を応援するディディエ殿下たちが彼女に言い寄って、青年を焦らそうという策を講じた。それが昨日の茶番劇」
なるほど、とリュシアンがうなずく。
「これならすんなり受け入れられる説でしょう。殿下たちの名誉も傷つかない。アニエスは、意中の青年に振り向いてもらえない可哀想な令嬢になってしまうけれど、令嬢たちに敵視されることは回避できる」
「よし、この騒動が長引きそうなら、その説を流布しよう」
私的にその説はどうなのだろう。殿下たちを下僕のように使って策を弄する嫌な女と思われないだろうか。
あ。すごく悪役令嬢っぽいかも! ヒロインポジション脱却になるかな?
だけど、ヒロインにも悪役令嬢にもなりたくないのだけど……。
「殿下たちはアニエスにはこの作戦を内密にしていた、というところをお忘れなく」ギヨームが続ける。「そうでないとアニエスは同情してもらえないでしょう」
「そうだな。この策が必要なときは、きちんと細部をつめよう」
真面目な顔でそう言うリュシアン。この人はやっぱり、良いところもあるのかな。ディディエが守れれば、伯爵令嬢などどうなろうと構わん、という人ではないらしい。彼の誕生会のときの印象とは、ちょっと違う。
「それにしてもギヨーム殿は、よくこんなことを思い付くな」
リュシアンの言葉にギヨームははにかんだ。
「長く片思いをしているので、あれこれ策を練っているのですよ。今までひとつも成功してませんけどね」
なるほど。彼の好きなセブリーヌ・ベロムを思い浮かべる。彼女は代々宮廷楽団の事務局長を勤めてきたベロム子爵家の長女で、十六歳から事務局で仕事を始めて、二十一歳の時に早世した父に変わって局長に就任した。その若さで任命されたことから分かるように、とにかく楽団のことしか考えておらず、そのぶん厚く信頼されている女性だ。
父親が亡くなる前に安心させてあげたい、との理由で同じ事務局勤めの男性と結婚したものの、あまりに彼女が楽団に全精力を傾けていることが原因で、離縁された。結婚生活は一年に満たなかった。
そんな人なのだ。ギヨームのことなど眼中にないのだろう。しかもショタ好きとなると、前途は暗雲しかない。
「同じ仲間として、応援するわ」
「ありがとう」
「何の仲間だ?」とリュシアン。
「内緒」
転生仲間とは言えないからね。
◇◇
そうしてふたりの客人の帰り際。エマに用意しておいてもらった本を二冊、リュシアンに差し出した。
「好みが分からないので、本格モノとユーモアもの」
「何が違うのだ?」とリュシアンが本を手に取り見比べる。
「本格は謎解きやトリックが主眼。ユーモアはそれよりライトで入門には丁度いいですよ」ギヨームがリュシアンの手元を覗き込みながら言う。「そのユーモアミステリーは私も読みました」
「あら、そうなの」
「作曲に煮詰まったときの気分転換に、軽めの本を読むんだ。昔から好きでね」
ギヨームは昔という言葉をやや強く言った。昔とは前世のことなのかもしれない。
「同好の士ね」
「いやいや、詳しくはないさ」
「とりあえず読んでみて」とリュシアンに言う。「それで興味が湧かなかったら仕方ないけれど。そうでなかったらちゃんと読んで、感想を聞かせてね」
「分かった」リュシアンはまたしても素直にうなずいた。「趣味がほしいと思っていたところだ」
どうして?と聞き返そうとして、やめた。そう思ったきっかけが、先月の婚約者の逃亡に関係していたらいけない。
「ミステリーはオススメよ」
そう告げるにとどめ、思いの外、ふつうの態度だった大公令息と、親しくなれそうなチェリストのふたりを見送った。
遠ざかる馬車を見ながら、脳内に
悪役令嬢はふたりの仲間を手に入れた
との言葉が効果音つきで思い浮かんだ。
昨晩、舞踏会から帰ったときは、謎のヒロインポジションに恐慌していたけれど、仲間もいるし、なんとかなりそうだ。
ああ、一安心。
「お嬢様」
掛けられた声に、執事を見る。
「何かしら」
「お早くお着替えを」
すっかり忘れていた。メイドの格好だった。
もう満足もしたし、仕方ないから着替えよう。でも。
「気に入ったのだけど」
「大公令息にそのような格好でお会いしたのかと思うと、胃痛で倒れそうな心持ちなのですが」
執事の能面のような顔の中で、頬だけがぴくりと動く。
「……ごめんなさい」
「今回は事情があったから仕方ありませんが、二度とこのようなことはおよしになって下さい」
「はい。今日は胃に優しいものを食べてね。……あと、私の食事も」
なんだかんだで、疲れてしまった。
昨晩からだいぶ混乱していたから、ほっとした途端に疲労が押し寄せてきた。




