第十七話
『理解しているか怪しいからはっきりと言っておくが、コレは告白で、求婚でもあるからな。俺はマリーを愛している。結婚してほしい。できればすぐにでも婚約したいと思っている』
リヒャルトに告白されてから頭の中でずっと流れているセリフ。
――――いったい私のどこがいいんだろうか。
考えれば考えるほどわからなくなる。
聖女としては優秀だと自負しているが他のことはからっきしだ。生まれも育ちも貴族なので最低限のマナーは身についている。が、到底皇太子妃にふさわしいものではない。妃教育で習う知識どころか、高位貴族の知識すら危うい。
そんなマリーのどこをリヒャルトは気に入り、プロポーズをしたのか。
――――もしかして聖女を皇家に取り込みたいだけ……っていうのはないか。それならそれであのリヒャルトなら正直に政略結婚だって言うだろうし。私にいちいち『愛している』なんて言うはずがない。ということは、リヒャルトは本気で私を皇太子妃に?
リヒャルトのことを考えていると心臓がドキドキする。このドキドキはいったいどういう意味のドキドキなのだろうか。それすらも今の私にはわからない。
ただ一つ言えるのは、自分が「皇太子妃になれる。玉の輿だーやったー!」と手放しで喜べるような性格ではないということ。
マリーは一人悶々と考え続けた。が、結果はでなかった。
自分の気持ちも。リヒャルトの申し出を受けるべきなのかどうかも。
「それで、僕のところにきたんだ」
「ゔ……そ、うです」
気まずそうに目を泳がせるマリーに、優しくほほ笑みかけるアンドレア。
マリーは勢いでアンドレアを訪ねたものの、思いのほかアンドレアが快く受け入れてくれたおかげで罪悪感を覚えていた。
改めて考えてみると、アンドレアに相談するのはお門違いだと思う。けれど、あの瞬間『今一番的確に答えをくれそうな相手』を思い浮かべて頭に浮かんだのはアンドレアだった。
シュヴァルツァー皇国にきてから会った人たちは皆マリーに優しい。突然現れたマリーを最初から受け入れてくれた。『真の聖女』という肩書や、リヒャルトのおかげもあるかもしれないが。
ただ、そんな皆でもこの件についてはリヒャルトの味方をする気がした。リヒャルトが嫌いなわけではない。むしろ、好意的に思っている。だからこそ困っているのだ。
――――皆には申し訳ないけれど、今の私に必要なのは中立的な第三者目線なの。
国の規模は違えど、アンドレアも一国の王子。しかも、王太子という立場だ。マリーよりもリヒャルトの気持ちがわかるはず。
そう期待して訪ねたはいいものの、じわじわと罪悪感は増していく。
「や、やっぱりいいや。自分で考えるから。さっきのは聞かなかったことにしてもらえると」
「マリー嬢」
席を立とうとして、呼び止められた。
「はい?」
「どうせならもう少しだけ話して行ったらどうかな?」
「え?」
「僕に恋愛相談の相手が務まるかどうかはともかく、僕に話すことで自分の気持ちが整理されて見えてくるものはあるんじゃないかな? あ。もちろん、聞いた内容は秘密にしておくから安心して」
そう言ってほほ笑んだアンドレアに他意はないように見えた。
逡巡した後に再び椅子に座り、口を開く。
「それで自分の気持ちがわからなくて困っていると」
「はい。はやく答えを出さないといけないって思っているんですけど、そう思えば思うほどわからなくなって……」
「なるほど。いや……リヒャルト皇太子殿下はすごいな」
「え?」
「あ、いや。これはただの個人的な感想なんだけど……僕は、僕たちのような立場がある人間には政略結婚しかできないと思っていたから……だから、リヒャルト皇太子殿下の行動に驚いてしまって」
「アンドレア様から見てもやっぱりリヒャルトが私を選ぶのはありえないと?」
「いや。マリー嬢を選ぶのがどうのこうのっていう話ではなくて。そうだな、たとえば僕がリヒャルト皇太子殿下と同じ立場だったら、僕なら周りに誰かいるところで気持ちを伝える。もしくは、国を通して婚約の申し込みをしていたと思うよ」
「なぜ?」
「そうすればマリー嬢は簡単に断れないでしょう?」
当たり前のように言われて、思わず口を閉じる。マリーの表情の変化を見ていたアンドレアは苦笑しながらも続ける。
「僕ならそうする。けど、リヒャルト皇太子殿下はそうしなかった。リヒャルト皇太子殿下はよほどマリー嬢のことが好きなんだね」
「え?」
「マリー嬢の気持ちをなによりも尊重している。あの方は手に入れたいモノがあればなんでも手に入れられる地位にいるというのに……」
アンドレアの言葉にマリーは視線を床に落とした。
「でも、私に皇太子妃なんて……」
この世界では貴族の結婚はほぼ義務だ。恋愛結婚にしろ、政略結婚にしろ、誰かしらといずれは結婚しなければならない。どうせ結婚しないといけないのならば互いに思いやれる相手がいい。その点、リヒャルトは立場などを除けば理想の相手だ。ただ、その立場が大問題なのだが……。
――――正直、荷が重い。
「マリー嬢」
「はい」
「マリー嬢は僕との未来を想像できる?」
「アンドレア様との?」
「そう。あ、あくまでたとえ話だよ。本気ではなくて」
「そんなに焦らなくても大丈夫ですよ。わかっていますから」
「そ、そっか。とにかく、僕と結婚して王太子妃になる姿を想像してみて」
「はい……」
素直に想像してみる。ガルディーニ王国に帰国して、アンドレアと結婚して王太子妃になる。そんな未来を……。
「そんなに嫌なんだ」
「え」
「ものすごく嫌そうな顔をしてたよ」
「私そんなにすごい顔してました?」
「うん」
そうだったのかと顔を撫でる。アンドレアには悪いが本心だ。どう転んでもガルディーニ王国の王太子妃になんてなりたくはない。あの国のためになにかするのも嫌だし、アンドレアの妻になるというのもぴんとこない。王太子妃になるということは子供を産むことにもつながる。あんな環境で子どもを産みたくない。できることなら側室でも作ってもらってそっちとよろしくやってほしいくらいだ。私は一生日陰の身でいい。
そんな気持ちがどうやら顔に出ていたらしい。アンドレアは苦笑しながらも話を続けた。
「次はリヒャルト皇太子殿下との未来を想像してみて?」
「リヒャルトとの……」
「皇太子妃が務まるかどうかは今考えなくていい。ただ、皇太子妃になった時の未来を想像してごらん」
想像してみる。この国で皇太子妃になった未来を。そして、リヒャルトとの未来を……。
――――私が皇太子妃になったら……皆から今度は『闘う皇太子妃』とか呼ばれそう。皇太子妃の仕事は忙しいだろうから、きっと前世のように忙しい日々を送ることになる。まあ、でも仕事は嫌いじゃない。あ、でも皇太子妃の仕事には子どもを産むことも含まれるのか。リヒャルトとの子ども……きっと健康的な子どもが生まれるはず。男の子ならリヒャルトが遊び相手をしてくれそうだし、女の子なら私が……リヒャルトは過保護なパパになりそうね。
気づけば口元がほころんでいた。そこをアンドレアに指摘され、われに返る。
「その顔が答えだと思うよ」
「え……」
マリーは己の顔に手を当てた。じわじわと頬に熱が集まる。
なにが自分の気持ちがわからないだ。すでにわかっているじゃないか。
「自分の気持ち、なんとなくつかめた?」
アンドレアの質問に無言で頷き返す。
「それはよかった。後、マリー嬢に必要なのは『覚悟』かな?」
「覚悟……」
「こればっかりは僕にはどうにもできないから自分で『覚悟』を決めないとね」
「そう、ですね」
「話はこれで終わり。でいいかな?」
「はい。ありがとうございました」
「どういたしまして」
「アンドレア先生のおかげで大事なことがわかりました。私、もう行きますね。それでは」
「せ、先生? あ、待って。部屋の外まで見送るよ」
「ありがとうございます」
互いに腰かけていたソファーから立ち上がる。部屋を出て行くマリー。その足取りは最初より軽くなっていた。
アンドレアはマリーを見送ってから扉を閉じた。
誰からも見られていないと思っていた二人だが、しっかり目撃者はいた。城で働くメイドたちだ。皆、リヒャルトのためにアンドレアを警戒して見張っていた。完全に二人きりにはしないように気配を消して。
そして、知った。マリーの本心を。
メイドたちの目は光り輝いていた。これで、リヒャルト皇太子殿下の恋は成就しそうだと。でも、一つ気になることがあった。それは、アンドレアの表情。
切ない瞳でマリーを見送ったアンドレアの瞳。メイドたちは直感した。と、同時に今見たことは自分たちの心の中だけにしまっておこうと誓った。
……その数時間後には城で働いているメイドたちの間でアンドレアへの印象が変わり、なぜか少しだけ優しく接するようになったのだった。
◇
「ガルディーニ王国へはアンドレアと二人で行く?」
アンドレアにああは言ったものの、自分の気持ちを自覚したマリーは今度はどんな顔をしてリヒャルトと顔を合わせればいいのかわからなくなっていた。それとなく避けていたのに、こんな形で顔を合わせることになるとは。
真顔のリヒャルト、顔が怖い。それでも、いつもなら言葉がでてくるのに、今は出てこない。心なしか指先も震えている。
「いや、二人じゃないよ。あの騎士の人も一緒だし。あの二人に無理やり連れて帰られた体なら油断させられるかなって。リヒャルトたちには後からきてもらえれば……だ、だめ?」
「だめというか気にくわない」
「え」
「いや、だめだ。もしあの二人が約束を反故しておまえを拉致したらどうするんだ」
「それは大丈夫。二人くらいなら一人でどうにかなるし」
「……そうだとしてもダメだ」
かたくなに否定されてさすがにむっとなる。
「じゃあ、もっといいアイデアを出してよ」
「いい作戦ならあるぞ。そんな手を使わなくてもいい作戦が。俺の婚約者としていけばいい」
「え」
「本当に婚約をする必要はない。あくまで建前だ。アンドレアに証言してもらえばいいし、あの騎士も俺たちのうわさをこの城で耳にしているはずだ」
「それはでもさすがに……」
「気にする必要はない。俺がそれでいいと言っているのだからな。あとは予定どおり進めればいい。……うそだとしても、おまえが誰かのものになるのを見ていたくないんだ。それともおまえはそれを望んでいるのか?」
「そんなことあるわけないでしょ!」
思いのほか、大きな声がでた。リヒャルトも驚いている。珍しい表情。けれど、その顔を見ても感情は抑えられそうになかった。
「私も好きなんだから!」
「は?」
「だから、私もリヒャルトのことが好きって言っているの! だからへんな誤解をしないでちょうだい!」
勢いに任せて言い切った。その後、自分が口にした言葉に気づく。
「あ」
――――きちんと覚悟を決めてから伝えるつもりだったのに!
慌てて口をふさぐがもう遅い。
リヒャルトの驚いた眼が、みるみるうちに獲物を捕らえる目に変わっていく。思わず一歩後ろに下がった。が、腕を取られ戻される。硬い胸に頬が当たった。肩に手を置かれ距離を離される。そして、リヒャルトに覗き込まれた。
「今のは本当か? 好きというのは俺の気持ちに応えてくれたっていう意味で受け取っていいんだな?」
「いや、それは……そ、そうよ。私、リヒャルトが好き。計画のためじゃなくて、なるなら本当にリヒャルトの婚約者になりたいと思ってる!」
ずるずる後伸ばしするのは私らしくない。はっきりと言い切ると再びリヒャルトの腕の中に囚われた。
「っ」
力強く抱きしめられる。
「好きだ」
「う、うん」
「おまえは?」
「だから、好きだってさっきからずっと言ってる」
「何回だって聞きたいんだよ」
「そ、そんなに信じられないの?」
「ああ」
即答され思わず上を向く。そりゃあ、そう思う気持ちは仕方ないと思う。そう思わせてしまった原因は自分にあるとも思う。けれど、即答されるとさすがに……と一言文句を口にしようと思ったのに、その口はリヒャルトの唇にふさがれてしまった。
驚いて目を閉じるのも忘れる。
――――あ、今私リヒャルトとキスしてる。
前世では一応恋人と呼ばれる存在がいたこともあったが、その時はこんなに心が動かされなかった。今世を含めても初めての経験。実感する。――――ああ。私はリヒャルトのことが好きなんだと。目の前の男に恋をしているんだと。
目を閉じ、リヒャルトに応えるように首の後ろに腕を回した。




