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コマンドー

第2次サワムラ杯参考参加作品。

お題は「曲がり角」でした。

「目的地周辺です 音声案内を終了します」



 行きたいのは目的地であって、目的地周辺じゃあない。

 そばに見えたコンビニの駐車場に車を入れながら、翔は思った。

 助手席に誰もいないドライブにカーナビはありがたいアイテムだけど、どうしようもなく中途半端だ。翔が運転している車に搭載されているナビは少し古いタイプで、もっと最新で高級のものならもっと詳細な案内を期待できるのかもしれないと思うが、とりあえず目的地どんぴしゃへ導いてくれる頼もしさは今はない。


 大学で同じサークルに所属している桜子の家に向かっていた。

 明日は荷物がいっぱいで大変なんだ。誰か迎えに来てくれたらいいのに。

 そんなつぶやきを拾っては黙っていられない。桜子は華奢で可憐で、大きな瞳は零れ落ちそうだし、流れる黒髪はロングでストレートの天使だったから。

 荷物を大量に乗せられる父親の大きい車を借りて、教えられた住所をナビに登録してやってきた。

 

 隣の隣の、隣の町の三丁目。

 桜子の家はこの奥、狭い路地を抜けた先にある。

 けれど細かい道は無視をして、ここが「目的地周辺」だとナビは言う。


「あ、桜子ちゃん?」


 ぱっと見た感じ、ナビはもう頼りになりそうにない。

 桜子邸へ通じる道筋は、小さな液晶画面には存在していないからだ。

 古いナビは最新の地図をダウンロードできないので、区画整理などがあると完全にお手上げになってしまう。

 それは電話をするいい口実になる、と翔はポジティブに考えて無料通話アプリのボタンを押していた。


『あ、翔くん、どしたの?』


 桜子のいいところは一番はかわいい顔だが、声もいい。少し舌ったらずな甘い滑舌が、翔は好きだった。


「桜子ちゃんの家の近くまで来たんだ。だけどナビが細い道はわかんないみたいで」

『あーそうだよね。ちょっと入り組んでるから。今どのあたり?』

「コンビニレインボーの駐車場にいるよ」

『あーわかった。そこからはね、えーとねえ』


 桜子が誰かを呼ぶ声がかすかに聞こえる。家族だろうか、いつもとは違う、少しはきはきとした、気取っていないしゃべり方だ。


『そこからナギサコマンドなんだって』

「ナギサコマンド?」

『知らない?』

「うーん、ちょっとわからないかな」


 聞いたことのある単語ではあるけれど、内容までは知らない。

 正直に告げると、再び電話の向こうで桜子は誰かと話し始めた。


「もう、ゆとりじゃないよ。あ、翔くんごめんね。ひだりみぎひだりみぎうえうえひだり、だって」

「え、なに?」

「ひだりみぎひだりみぎ、うえうえ、ひだり」


 むかーしむかしのその昔。一世を風靡した家庭用ゲーム機には裏技というものが存在していて、たとえばスタート画面で決められたキーを順番に押すと、主人公が無敵になったり、残機をたくさん増やしたりできたそうな。


 ナギサコマンドはナギサシステムからリリースされたゲームに必ずといっていいほど搭載されていた隠しコマンドで、少し歳のいった元ゲーマーなら誰でも知っているであろうものだが、いかんせん翔はまだ二十歳。ゲームといえばスマホだよねと言い切る、ゲーマーでもなんでもない普通の大学生だった。


「どういうこと?」

『そう進んだら家につくんだって』

「ひだりみぎはいいとして、うえって?」

『お父さーん』


 どうやら桜子の話している相手は父親だったらしい。

 ちなみに正確なナギサコマンドは左、右、左、右、上、上、左、B、Aだが、この場合方向の指示のために用いているのでBとAは意図的に省かれている。


『うえは、まっすぐ進むってことなんだって』

「そっか。わかった。ひだり、みぎ、ひだり、みぎ、まっすぐまっすぐ、ひだりね」

『そうだよー。じゃあ、待ってるね!』


 ナビの上であいまいに表示されている目的地のおうちマークの位置を確認し、翔は車を動かした。すぐそばにある狭い路地に入り、そして、沈黙。


 ひだり、みぎ、ひだり、みぎ。

 それって、まっすぐまっすぐ、ひだり、まっすぐで良くない? と。


 狭い路地をかくかく曲がるのが嫌で、翔は最初の道をまっすぐに進んだ。

 そして、失敗。住宅街にありがちな罠にかかっていたのだ。


 進入禁止。即ち、逆側からの一方通行。


 道はすぐそこに見えているのに。

 しかし、家の前で花に水をやっているおばちゃんがいる。

 気の小さい翔には、おばちゃんを無視して進むことはできない。


 角にたどり着くたびに設置されている標識の言う通りに進んで、迷い、再びコンビニレインボーの駐車場にたどりついたのは十分後のことだった。


 次は、言われた通りにしよう。

 一方通行を知り尽くしているからこその、左右左右の指示だった。

 最初から守っていれば良かった。小さな後悔と、桜子を待たせているかもという焦燥。

 運転には不向きな精神状態でハンドルを操る翔に、次なる衝撃が待ち受けていた。


 最初の角を左に曲がる。

 進んでいき、次の角は右。

 また進んで、また左に曲がる予定が、真っ赤な丸に白い一文字が掲げられている。


 進入禁止。


 なぜだ、と思いつつ直進して、一方通行の罠をかいくぐっていく。

 なんだかんだとまた十分。三度、コンビニレインボー進町店の駐車場へ。


『翔くん、どうしたの? まだつかないの?』


 無料通話アプリの音質は悪いけれど、桜子の声はどこか心配そうで、怒っていないことに翔はほっとしていた。


「ごめん、言われた通りに進んだんだけど、進入禁止の道にぶつかっちゃって」

『えー、どうしてかなあ? お父さーん』


 電話の向こうからかすかに家族の会話が聞こえてくる。お父さんのぶっきらぼうな声と、桜子のかわいいすねたようなセリフ。二人の声は少しずつ大きくなって、そして。


『もしもし? 翔くん?』

「あ、はい。はじめまして、梅林です」

『今どこにいるの』


 ゆったりとした娘とは対照的に、父の口調はかなり早い。

 伝言ゲームがもどかしかったのだろう、まさかのお父さん登場に翔は焦ったが、先方はまったく気にしていないようだ。


「いま、コンビニレインボーの駐車場です」

『そこからどの道に入った?』

「左側に出て、最初の角を右折しました」

『あー、それだよ。それが間違ってるの。最初に右に出てね? そうしたらすぐに左折して、そこからナギサコマンドね』


 右に出て、左折、左右左右上上左。


 桜子邸への道筋は見えた。


「ありがとうございます」

『はい、よろしくー』


 翔の精神状態はあまりよろしくない。

 すぐそばまでたどり着いておきながら、ぐるぐる回って既に三十分近く時間を無駄にしている。

 そこに、ひどくぶっきらぼうなお父さんの応対が心にしみる。


 大切なかわいい娘のもとに男がやってくるわけで。

 どんな奴か、俺が見極めてやると気負っていたらどうしよう?

 こんな翔の心配は杞憂に終わった風であるけれども、だけどもしかしたら、言われた通りに進むことすらできないバカだと思われているのかもしれず、でも単純にちょっと人見知りの傾向がある照れ屋のお父さんの可能性も捨てきれないのかもしれないのかもしれないし。


 なんにせよ、到着時刻を大幅にオーバーしているのは間違いなく、それが翔の心証をどう左右するか、青年はハラハラしながらハンドルを握っていた。


 ちょっとドジなくらいがかわいいよな、なんて言われる可能性はゼロではないけれど。

 その前に、桜子がどう感じているかも問題で。


 早くたどり着かなければ。

 駐車場でエンジンをかけて、同時に立ち上がったナビゲーターに軽く苛立ちつつ、左右を確認していく。

 少し先にある信号が赤に変わって、車を右へと向ける。

 右に出て、すぐにある角へ入って、そこからはナギサコマンドを実行していけばいい。


 せまっくるしい住宅街の路地は、運転手にとって魔窟だ。

 地図には書かれていない進入禁止の罠は多く仕掛けられているし、ちょっと大きめの車同士ではすれ違えない狭さなのに一方通行じゃなかったり、堂々と路上駐車を決め込んでいる不謹慎な輩がいたり。


 公道にはみだしたプランターを慎重に避けながら翔は進んだ。

 最初の角を左。

 レンガの大きな屋敷を通り過ぎたら、右。

 ミラーのない曲がり角は嫌い。こういうところに限って車だの人だのが出てくるから。

 ゆっくり進んで、今度は左。

 狭い路地には、宅急便のロゴ入りの車が停められている。

 こすらないようにミラーをたたんで、そろそろ進んで、左から飛び出してきた猫にびっくりして、進んで、あらあらミラーをしまいっぱなしだ、開きなおして、そして、そう、右へ。


 そのあとは、上、上。つまり直進だ。曲がらずに二つの角をやり過ごして、最後に左。


 ようやく会える。桜子に会える。

 もう、遅いよー。

 セリフは怒った風だけど、ぷうっと頬を膨らませながら笑っている。

 想像上の桜子はかわいくて、その後ろにいるお父さんも「仕方ないな」と苦笑いをしている程度で。


 白い花がいっぱい咲いている庭がある家だったらいい。

 桜子ちゃんに似合うから。

 


 ナビゲーターの現在地は、最終目的地のおうちマークへと向かっているように見えた。

 この辺りまでちゃんと案内してから「目的地周辺です」と言えよ。

 古いナビの至らなさを鼻で笑いながら、翔はハンドルを左へ切った。


 ゆっくりと曲がり角の先に進入しながら思ったのは、「あれえー?」だ。

 狭い路地には左右に三軒ずつ家が建っており、一番奥には古めかしい階段がそびえたっている。


 左の次は上だったのか?

 ナビゲーションに表示されているおうちマークは、少しズレた位置にふんわり浮いている。


 クエスチョンマークを頭に浮かべながら、翔はとりあえず車を停めて、六軒並んだ家の表札を一枚ずつ確認していった。


 嫌な予感がしていた通り、桜子の名前の前半部分は見当たらない。

 一文字違いの家はあったけれど、まさかそこではないだろう。


「桜子ちゃん、ごめん。桜子ちゃんの家って階段の上なのかな?」


 プツンと音がして、桜子が出たと思って話しかけたのに、電話の向こうにいたのは桜子のお父さんだった。


『やっちまったねえー、翔くん! 角を一つ間違えただろう』


 唐突なお父さんからのdisりに、翔は動揺しながら記憶をたどった。

 もしも間違えたとしたら、宅急便の車が停まっていた辺りだ。

 翔から見て右側に停めてあったし、あの時は猫が飛び出してきたし、ミラーにも気を取られていたし。


『入り組んでいるからなー。だけどな、そこからバックしちゃダメだぞ?』

「えっ」


 どうしてですか?

 問いかけようとした翔を、右からの激しいノックが邪魔をした。


「こんなところに停めちゃ迷惑だよ。これから車出すから、どけてくれよ」


 スウェット姿のハゲ散らかしたおっさんの言葉は勢いが良くて、翔の焦りは加速していく。


「はい、すみません。今出ますんで」


 細い路地のどん詰まりに、切り返せそうなポイントはない。

 桜子の父からの注意は焦りでかき消されて、翔は慌てて車を下げていく。


『おーい、翔くーん』

「早くしてくれよお?」


 通話の続いたままの電話からするかすかな声は、スウェットのおっさんの怒声でかき消され。


 車の運転に一番必要なものは、冷静さだと翔は思いしった。

 おっさんに怒鳴られても、道に迷っても、落ち着いた心で前後左右を確認。

 安全こそが一番大事なんだと。


 さっき迷い込んできた曲がり角に、バックで進入しようとした瞬間、おっさんの怒声を上回る大きな音が翔を襲った。

 クラクション。狭い路地を結構なスピードでやってきたシルバーの軽自動車が鳴らしたものだ。


 翔はまた慌てた。バックから前進へ。よけなきゃ、避けなきゃ、どかなきゃ。でも前進しようと視線を戻した瞬間、すぐ目の前にさっきのおっさんも迫っていて。


「わあ!」


 どんな操作をしたのか、翔の父親の車は左側にある山中家の塀に思いっきり突っ込んでいた。




 エアバッグにぐったりともたれかかった翔の耳に、サイレンが聞こえてくる。

 車から降ろされ、担架に乗せられ、救急車へ。

 乗せられる直前、かすんだ翔の視界にしらないおっさんが唐突に飛び込んできた。


「言っただろ、バックしたらダメだって」

「……どうしてですか?」


 桜子の父の顔はよく見えない。

 思考はバラバラに弾けていてまとまらないけれど、その答えだけは気になって、翔は理由を聞いた。


「左、右、左、上、右、上、上、左、下、B、A」

「ひだり、みぎ……」


 翔が間違って進んだ道筋。

 ほんの少しの見落としをした翔を、桜子の父は思いっきり指をさした上、大笑いしながら答えを教えた。


「自爆コマンドだよー!」



 なにを言われたのかはっきりとわかったのは、ベッドの上で目をさましてしばらくした後だった。

 


 

 事故のもたらす諸々に翔はしばらく落ち込んでいたけれど、いいこともちゃんとあって。


「翔くん、けがの具合はどお?」


 フルーツのたくさん入った籠を持って、桜子が見舞いにやってきてくれたのだ。


「だいじょうぶ。あの、ごめんね、荷物運ぶ約束だったのに」

「ううん、仕方ないよ。マスダさん家のおじさんにつかまっちゃったんでしょ? いやだよね、あの人の声うるさくって」


 多分あのスウェットのおっさんだなと思いつつ、翔はこのささやかな幸せをかみしめている。


「お父さんね、翔くんのこと自爆コマンドって呼んでるんだ。完璧な自爆コマンドだって喜んじゃって、本当にごめんね」

「なに、完璧って……」

「方向キーのあと、ブレーキ、アクセルで完璧だったとか言ってた」


 翔が焦がれてやまない愛らしい顔をふにゃっと崩して、桜子は笑う。


「あんなにわかりにくい道なんだから、コンビニ辺りまで迎えに行ってあげたらよかったよね。ごめんね、翔くん」

「ううん、ほんと……あの、俺がふがいないばっかりにね」

「りんご好きかな。皮むいてあげるね」


 

 父の車を廃車にしてしまったけれど。


 塀を壊してしまったお家に謝りに行かなきゃならないけれど。



 皮をむいたりんごをあーんしてもらいながら、翔はすっかり幸せに浸って、あの古めかしいナビを許してやろうと決めた。

 

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