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女神を微笑ませる男

2012年9月の作品。

お題は「美少女なんだが」。蝉杯参加作。文字数は4242(意味はない)。

 

 

 

 

 


 嫌な予感はしていたのだ。


 ハルキはそう思った。

 場所は、現場近くのファーストフード店。目の前には、職場の先輩である前川が座っている。


 二人で食事をするのは初めてだった。仕事終わりに皆で飲みに行く、というパターンは今までにも何回もあったが、二人きり、それも「ランチを一緒に」なんて前例のない出来事だ。前川はいつだって手作りと思しき弁当を会社の車の中で食べている。前川の昼休みといえば、弁当の後はエアコンを効かせた車内での昼寝。火曜日だけは同僚である菊池の買ってきた青年誌を読んでいるが、それ以外の行動をとっているところなど見た覚えがない。


 それが突然、ファーストフードで二人きりのランチである。

 スキンヘッドの強面というビジュアルの持ち主であり、無口な前川を、ハルキは恐れていた。

 まともに話したこともないし、打ち解けるきっかけがまるで見出せないのだから仕方がない。

 そんな恐れていた先輩の誘いを断ることができなくて今、二人で混みあう店内の端に向かい合って座っている。


 ハルキの前には、グルメてりやきバーガーのセット。飲み物はコーラ。

 前川の前には、夏の限定メニューであるスーパーホットチキンバーガーのセットが置かれている。飲み物は、スイートキャラメルラッテのLサイズ。

 トレイにはそれぞれ、ポテトの(レギュラー)サイズも添えられている。


「熊田」

 熊田は、ハルキの苗字である。

「はい」


「お前に女を紹介してやろうと思ってな」


 思わぬ発言に、ハルキの動きが止まる。

「え?」

「女を紹介してやろうと思ってな」

 先ほどと同じ台詞が前川の口から飛び出して、ハルキは眉をひそめた。

「それは、なんで……ですか」

「行ったんだろう。合コンに。この間。島田たちと」

 

 確かに、ハルキは合コンに参加していた。

 同じ現場で働く島田という名の先輩に連れられて。高校時代からの友人だという女性と、お互いの仕事仲間を引き合わせるというスタイルの飲み会へ、先週参加していた。

 楽しい時間だった。全員でメールアドレスの交換をし合った。和やかなムードで会は進んだが、その分ガツガツする時間は存在しなかった。しかし、それはそれで問題ない。そこからは個人的に勝手に発展する努力をする時間であり、たとえば新しく友人になった女性に他のお友達を紹介してもらうなりなんなりすればいいのである。


 そんな事情はとてつもなくどうでもよくて、ハルキはきょとんとした顔でしばし、前川を見つめた。

 合コンの参加について知っているのはいい。誰かから聞いたのだろう。しかし何故、自分が前川に女性を紹介されなければならないのか。その理由がよくわからなかった。


「え、紹介っていうのは」

「合コンに行ったのは、恋人が欲しいからだろう。だからだ」

 だからだってなんだよとハルキは思う。が、前川の大真面目な強面に対してそんな言葉を投げかける勇気は、ない。

「名前はユリナだ。女性らしい、いい名だろう」

「はあ」

 知らねえし! と心の中で叫ぶハルキ。

「あの、そのユリナさんって、前川さんのお友達か何かなんですか?」

 ハルキはまだ社会に出て二年目の十九歳。前川は三十一歳である。

 この年齢差は、ハルキに更なる不安を与えた。前川がピッチピチの若い女と交流があるとはとても思えないのである。

「いや」

 前川の声は低い。見た目が怖いうえに無口で、たまにしゃべれば重低音。その威圧感は半端ない。

「……なんだ」

「え?」


 昼時の混雑するファーストフード店は騒がしくて、前川の言葉はハルキの耳まで届かなかった。


「すいません、ちょっと騒がしくて聞こえませんでした」

 ちらり、と前川の視線が動く。

 それに軽く身をすくませながら、ハルキは慌ててポテトに手を伸ばした。日本一有名で、店舗数が多くて、安さがウリの店のポテトはしなしなになっていてもうくっそマズイ。


「……美少女なんだが」


 今度は聞こえた。ビショウジョナンダガ。

 なんだが。何故「なんだが」なのか。前川の口から飛び出してくるのにあまりにもふさわしくない単語、「美少女」。それにプラスして、訳アリの風情である「なんだが」。

 

 混沌(カオス)だった。


「美少女、ですか」

 あは、とハルキの口からは乾いた笑いが漏れる。


 彼は必死になって自分の心を奮い立たせていた。

 今の状況は余りにも不安を掻き立てるものである。おっかない先輩、慣れないシチュエーション、似つかわしくない単語。その中でなんとか希望の光を見出だそうともがいている。そう、「美少女」だ。本当に「美少女」を紹介してもらえるのなら、嬉しい出来事ではないか。本当に「美少女」だとしたら、前川と同じような年代の男には紹介できないのかもしれない。たとえばそう、淫行になってしまうとか、単純にジェネレーションギャップがあって付き合えないとか。若い男の子紹介してよ、前川さん。そんなやりとりがあって、前川も無理をしてハルキをランチに誘ったのかもしれないではないか。


「美少女だ」

「いいですね、美少女。いいっすね!」

 必死でテンションを上げる作業に没頭していくハルキ。しかし彼の努力は次の瞬間、あまりにもあっけなく実らないと判明した。

「俺の妹だ」

「ほええええ」

 凍りついたハルキの笑顔の口の端から、珍妙な音が漏れ出ていく。


 前川友理奈、二十八歳、独身。


「あの」

「写真を見せよう」

 古めかしい携帯電話の画面に映し出された写真は、解像度が低い。しかも、居酒屋の中なのか、薄暗い店内で撮られたようで――。


「美少女なんだが」

 

 いや、美少女じゃないでしょう、とハルキは思う。大体、二十八歳で「少女」はない。美女かと言われたら多分、いや、ハルキにとっては確実に違う。画面の中に浮かんでいる、ダブルピースにぎゅうっと挟まれた顔には、可愛らしさを想起させる要素が感じられない。そしておそらく、顔も体もとてもボリュームがあるであろうシルエットをしている。


 携帯の画面を見つめるハルキを、前川もじっと見つめていた。

 その視線に気が付いて、ハルキは動けない。前川も、動かない。


「美少女なんだがな」


 なにが「なんだが」だよ、という心の中のシャウト。自身を苛むストレスを表に出してやりたいが、それは到底、許されることではなかった。せめてこれが酒の席ならば。酒の席ならば許されたかもしれない。二人きりでなければ、誰かが間に入って救ってくれたはずだ。ところがどっこい、救世主はここにはいない。隣では女子高生が楽しげに会話を弾ませている。その向こうでは地味な顔をした主婦が、もう、散らかしちゃってー、と幸せそうに子供の口を拭いている。世界は平和だ。今日も日本は平和だ。だがしかし、ハルキだけは違った。動けば撃たれる。冷酷なスナイパーは彼を狙って、隙あらばトリガーを――!


「美少女なんだが」


 なんという押しの強さ!


 ハルキの目は焦点が定まらず、ひたすらに泳いでいる。何と答えれば逃げられるのか。何と答えれば許されるのか。哀れな子羊に、手を差し伸べる勇者はこの世にはいないのか。

 否。

 いるのである。哀しみに暮れるハルキの耳に届いたのは携帯の着信音だった。流行りのJ-POPに命を与えられ、若者は息を吹き返す。


 電話をかけてきた相手は、先日合コンに誘ってくれた島田である。前川より二歳若いが、職場の仲間からの信頼は篤く、面倒見の良い頼れる男である。前川とのランチを差し置いてでも出る価値のある人物であるかどうか――。

 ハルキの答えは、YES。

 島田が相手ならば出ても許されるはずだと、判断。

「前川さんすいません、島田さんからです。急ぎかな、あは……」

 席を立ち、騒がしい店を出て電話に出る。

 午後からの工事に使う道具の在り処はどこか、用件はそれだけでもうガックリ。と思いきや最後に、島田からビッグでサプライズな上エクストリームなプレゼントが用意されていた。

「そういやハルキ、この間の合コンに来てたミユちゃん、お前とまた会いたいって。ちょうどクジラ島ランドの招待券二枚もらったんだけど、行くか?」

 

 ミユちゃんのビジュアルをマッハで脳内のアルバムの中から探し出す。

 ちょっと目と目の間が離れた、それほど可愛いとは思わなかった子だ。しかし確か、スタイルは良かった。ダイナマイトであり、これで顔が良ければ最高なんだけどな、という感想を抱いたはずだ。

「あ、はい! 喜んで!」

 

 ミユちゃんは二十一歳の派遣社員で、美少女ではない。

 しかし、今のハルキにとっては女神にも等しい。


 若者は通話を終えると、急いで前川の待つ席へと戻った。

 いかめしい顔の先輩は、食えるもんなら食ってみろ! がキャッチコピーのスーパーホットチキンバーガーを食べて真っ赤に染まっている。

 そんな前川に、ハルキは意を決してこう告げた。

「前川さん、あの、さっきのは本当に嬉しい話なんですけど、俺、もしかしたら付き合うかもしれない女の子がいて」

「付き合うかもしれない女の子?」

「はい、えーと、この間意気投合しまして、それでー、これからちょいちょい、会っていこうかなーっていう人がいましてですね。そんな状態で、大切な妹さんを紹介してもらうのは気が引けるっていうか」


 慌てて言い訳をする後輩を、前川は赤鬼のような顔で見つめた。

 ハルキの背中を、じわりと汗が伝って落ちていく。


「そうか」

 スイートキャラメルラッテを手に取り、前川が呟く。

「熊田は、ユリナが好きだというアイドルに似てるから……喜ぶと思ったんだが」

 思いもよらない告白に、ハルキの体から力が抜けていく。

「え?」

「いいんだ。そういう相手がいるなら仕方ない」

 すまんな、と赤鬼は寂しそうに続けると、キャラメルラッテをちゅうちゅう吸った。



「なあ」

 修羅場のランチが終わり、午後の仕事の真っ最中。

 そろそろコーヒーでも飲みたいな、なんて思っているハルキのもとに、前川がやってきた。

「前川さん。何ですか?」

「もし、その相手と付き合わないなら、紹介する」

 主語などが色々とはしょられているが、言いたいことは伝わった。ミユちゃんとうまくいかなくて、ハルキがフリーのままならば、「うちの美少女と会ってくれ」という意味だ。

 顔を引きつらせたまま、ハルキは何度も曖昧に頷いた。

 

 こうしてハルキは、スタイル抜群のカノジョを手に入れることになった。

 顔はイマイチだし、性格もちょっとウザい感じなのだけど。


 

 この後も、前川先輩の「美少女なんだが」アタックのお蔭で、職場の若い衆は次々と恋人を作っていった。



 頑張り屋さんな強面のキューピットを、愛の神様は雲の上から、微笑みながら見つめているという。 

 

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