表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

貴方の心です!

作者: ニコ
掲載日:2026/01/23

 通勤電車の車内は混雑していた。背広姿のリーマンや女性、制服姿の学生がスマホをいじったり、本を読んだりしている。運よく座れて居眠りをしている人など、様々だ。


 大きな駅につくと人が沢山降りたが、代わりにまた大勢乗って来た。その中にひときわ目立つ男性がいた。

 

 それも良い方に。


 着ている服はどうみても高そうで、なのにそつなく着こなしていて、だから当然スタイルよく、顔はモデルなのかと思うほど格好いい。

 

 たまにこんな人間もいるものだ。


 その男性に続いて、いかにも社会人一年生みたいな感じの女性が乗って来た。閉まる直前、まるで男性を追いかけるようにしての駆け込み乗車だ。


 ぷしゅー、とドアが閉まる。


 電車がゆっくりと動き出した。


 男性は吊革に手をかけ、羽織っていたコートのポケットから一冊の単行本を取り出した。

 ページをパラパラめくり、少し眠そうな目で文字を追いかけ始める。

 

 やがて男性はするりとした仕草で電車の奥へと移動した。どこかでもたれて読みたくなったのだろうか?

 

 女性も後を追うように奥へと移動する――その途中で彼女は転倒してしまった。座っていた人の足に躓いたようだ。


「すみません、すみません」


 女性は何度も何度も躓いた相手に詫びた。相手は大人しそうな初老のリーマン風の男性だった。「いいですよ、ケガはないですか」と女性を助け起こしながら彼女の服についた埃を手で払ってくれた。


「ほんとにスミマセン」


 女性は米つきバッタのように何度もお辞儀をし、慌ただしく移動した。それにしても落ち着きのない女性である。


 やがてまた電車が止まった。あの男性がコートの裾をひるがえし、さっそうと降りていった。

 かっこいいね、と誰かが言う声がする。

 女性も後に続いて降りた。

 さっき女性が躓いてしまった初老の男性は、いつの間にか車内からいなくなっていた。





 女性は、駅の構内を必死で歩いていた。きょろきょろとあたりを見回している。誰かを探しているようだった。


「やば」

 

 女性は走り回った。どうやら探し人は見つからないようだ。

 しかもターミナル駅で、人が多い。  

 女性は風見鶏のようにぐるぐると体を回転させて周りを見ていたが、やがて懐から何かを探し出そうとする仕草を見せた。だんだん顔が青ざめていく。


「うそ、ない!」


「ない、ない、スマホがない」などと独り言を言いながら探していた女性の目の前に、


 ふわりと男もののコートの裾が広がった。

 あのモデルのように格好いい男性が、まるで手品のように女性の前に現れた。

 彼女の行く手を阻むように。

  

 女性の口が、Оの形にあいた。

 人の口がそんな形に開くなんて滅多にあるものじゃない。

 そりゃ特に親しくもない相手から、というより、まったく知らない相手から通せんぼされたらだれでも驚くに違いない。だが女性の驚き方は少し違っていた。


 女性の驚きは、何やら秘密を暴かれた人のそれに似ていた。


 女性は明らかに怯えたような顔をして後ずさりし……足を滑らせた。が、尻もちをつくまでには至らなかった。なぜなら華麗とも言える仕草で抱き止められたからだ。

 

「大丈夫ですか?」

 

「あ、は、は、は、は、は、はい、だ、だ、だ」


 そんな彼女に、男性は吹きだしそうなのをこらえているようだったが、やがて、


 男性は女性の手を広げさせ、その上に何かを乗せた。それはスマホだった。


「お忘れ物ですよ」と言いながら。


「ほええっ?!」と、女性の口から変な叫びが上がる。


「はい、ついでにこれも」


 と女性の手に乗せられたのは――。


 警察手帳だった。

 

 女性、口が酸素不足の金魚状態である。


「あ、あの、あの、あの、あの」


「あの」しか言えないようである。


 そんな女性に、男性はニヒルな笑みを見せた。


「なかなか、チャーミングな尾行でしたね」そう言って男は、何やら小さな紙きれを女性に見せた。


 それは電車の切符だった。

 男性はそれをひらひらさせながら言った。


「これが何か分かりますか?」

「切符……です」

 

 ショックが抜けきらないのか、茫然としたような口調の女性の返答に、男性は一瞬固まり――やがてまた吹きだすのをこらえるような表情でこう言った。

 

「これは、貴方が電車の中で躓いた男の切符ですよ。彼はスリの指名手配犯です」


 男性は切符を女性に手渡した。


「彼、今頃、改札でもたついているでしょう。外に出られないから」


 彼らのいる場所から改札が見下ろせた。あの初老の男性が何やら慌てていた。服を脱いで逆さにして振っている。


 女性はそいつをまじまじと見ていたが、やがて何か思い出したのか、スマホをタップし始めた。

 

「ほんとだ、ありがとうございます!」


 やがて彼女は思い切り明るく朗らかに礼を言い、その場から走り去った。

 途中何度か男性に頭まで下げつつ……。










「俺としたことが」

 男はコートから煙草を引っ張り出し、苦笑しながら火を付けた。

 今彼がいるところは、駅からそんなに離れていない路地裏だった。

 

 あれから、「この男指名手配犯ですーっ! 私警察てす!」とあの女性が初老の男を取り押さえて叫び、駅員が駆け付け、何もかもひっくり返ったような騒ぎになった。

 その騒ぎを利用させてもらった彼は、やすやすと尾行を撒くことに成功したのである。

 

 ところで、彼はプロのスリだった。

 しかも凄腕の。

 そんな彼が尾行されているのに気づいたのは数日前。


 彼は思った。アレで尾行してるつもりなんだろうか。

 もろバレである。


 下手くそだなぁと思った彼だったが、思うように仕事ができない。


 真面目一直線も、時として手ごわい相手になるものだと思った。


 そんな彼女が、手帖をすられるところを彼は見た。そいつは彼女を助け起こし服の埃を払うふりをしながら、手帖とスマホを彼女から盗んでいたのだ。


 どうしようか――。


 ずっと付きまとわれているから、このままいなくなってくれたら好都合だと彼は最初考え――。

 

 電車から降りる際、彼はそいつから手帖とスマホを取り返した。そいつの切符も一緒に。


 何故こんなことをしたのだろう。彼は自問したが答えは出なかった。

 尾行を撒くことに成功した形になったが、彼が意図したものではない。結果としてそうなっただけである。


 ――では何のために?


 プロの自分の前で、不細工極まりないやり方を見せられたから?

 あの指名手配犯の盗み方は、彼からすると不細工そのものだった。美しさのかけらもないと彼は思った。


 だからなのか?


 彼は煙草を深く吸い、ため息と一緒に煙を吐きだした。

 

 まあいい。

 財布の替わりに、ハートを盗んでも。

 それも一興だと彼は思った。


 それにしても。と彼は思った。

 

「ありがとうって、スリの現行犯だよ俺」


 そうなのだ。彼は女性警察官の目の前で、初老の男の切符を見せたのだ。

 つまりそれは、警察官の前で、スリしましたと自白してるようなものなのである。


 混乱していたのもあるかも知れないがあまりにもドジすぎる。

 しかも彼女は、「スリである自分を尾行していた」のではなかったか。


 ――ほんとだ、ありがとうございます!

 

 あの時の、自分に向けられた純粋な笑顔を、男はもう一度思い出していた。


 彼はそっと駅に近づき、構内を見た。大勢警官が来ている。その中であの女性警察官が上司に何やら張り切って報告しているのが見えた。


 案の定、彼女はどやされていた。

 おま、それ現行犯逮捕できただろうがぁそれを取り逃がすとは何考えとるんじゃあぁぁぁ!

 と言われている。


 ――そりゃそうだ。


 でもそれならおれ自身もそうだと彼は自嘲気味に呟いた。

 警官相手にあんな危険をよくもまあと。

 迂闊にもほどがある。仲間に知られたらどんな顔をされるだろうか。

 






 ――ハートを盗むのも悪くない。


 さて。


 盗まれたのは、どちらだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 以前も似た事を言いましたけど、読みやすく、分かりやすく、面白くなったと思いました。文字数は増えたのに、スムーズに読めたので短くなったような感じです。  いいですね。基本的にワルの人物がうっかり人に…
コレ言ったらオシマイかもしれないけど。 いくら新人? だからって、この練度の人間を現場に出すだろうか……。 むしろ、適性ナシと見られたら速攻クビになる業界とも聞く……。
頑張れ〜! (名刺のとこ、指摘する前に修正してましたねwww)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ