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へびの夫婦  作者: たま
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万華鏡のせかい:弐話

 蛇骨族の館で出されるごはんはおいしいものばかりでした。そのうえ量もたっぷりあるので、ちいさな赤ちゃん蛇だった二匹も、日に日に大きくなっていきました。そうして二匹がよいしょよいしょと脱皮をするのを見るたびに紫は心底うれしそうにしておりました。


 「おまえたちはすぐに大きくなるね。なんだかとっても嬉しいよ」


 紫はそういって、二匹の抜け殻を大事そうにしまっておりました。


 なんせ館に来る前は食べ物がほとんどなかったので、二匹も、そうして紫もがりがりに痩せておりました。紫は少ない食料を二匹に優先して与えてくれておりましたが、それでもぜんぜん足りなかったのです。

 この屋敷に来てよいことといえば、食べ物に困らないことでした。赤坊にとっては、あとは青坊と紫さえいてくれれば満足でしたので、本当にそれだけなのでした。


 そんなある日、青坊がぐったりとしているのを紫がみつけました。身体の弱い青坊はときおりこうしてぐったりとするのです。屋敷に来る前ならそんなとき、紫は山でふちがぎざぎざの薬草を摘んできては青坊に食べさせておりました。

 山に薬草を取りに行かせてください。紫はそうお目付け役に頼みましたが、その願いは叶えられませんでした。そのころには紫の言うことなどだれも聞かなくなっていたのです。

 困り果てていた紫をたったひとり助けてくれた蛇骨族が居ました。それは、庭師のひとりとして働いていた老爺でした。老爺は個人的に育てていた薬草を紫に分け与えてくれたのです。


 「庭師の人はなんとなくおじいちゃんに似てるよ。おじいちゃんもね、顔は怖かったけどあんな風にやさしかったんだ」


 久しぶりに優しくされて、紫はほんとうに嬉しそうでした。そうして赤坊と青坊が紫に出会う前に亡くなってしまっていた「おじいちゃん」の話をしてくれました。


 しかしその庭師もすぐにいなくなってしまいました。お仕事をやめて、屋敷の外に行ってしまったのです。紫はもちろんですが、赤坊だってがっかりしました。人懐こい赤坊はその庭師とも仲良くなっていたのです。



 それからしばらくして、ひとつの事件が起こりました。


 紫が、若様の「褥」に呼ばれたのです。




 まだまだこども蛇の赤坊にはそのことはぴんときませんでしたが、その時の館の中といったら大騒ぎでした。いままでしらんふりされていた紫が褥に呼ばれるなんてこと、その頃には誰も思っていなかったのです。正妻であるのにこんなこと、普通はないでしょう。けれどもこの館において、「正妻」はもはやあってないもののように取り扱われていたのです。


 もちろん紫だっておんなじ気持ちのようでした。だからただただぽかんとしているうちに、普段はここに近寄りもしないお目付け役によってばたばたと湯あみをさせられ、きれいな襦袢を着せられておりました。赤坊と青坊はぽいと部屋の隅においやられておりましたが、青ざめたお目付け役が、紫に向かって繰り返し繰り返しこう言っているのを聞きました。


 「若様のご機嫌だけはそこねないように、おとなしくしていなさい。けっして無駄なことをしゃべらぬように。お気に触らぬように、目立たぬように。貴方にできることはそれだけです。よいですね」



 要するにまた「石ころになっていろ」ということでしょう。紫の自室に取り残された赤坊はそれを思いだしてぷんぷんと怒っておりました。青坊もむっつりとしております。自分でお部屋に紫を呼んでおいて、石ころになっていろとはどういうことなのでしょう。若様って変だ。そういうと青坊が口癖のようになっていたことばをつぶやきました。


 「おれはわかさまなんてだいっきらいだ」


 まったくその通りだと赤坊も思いました。




 若様の部屋から帰ってきた紫を、二匹はたいそう心配しました。屋敷の者たちが紫にそうするように、嫌なことを言ったり怪我をさせられたりしたのではないか。そういうと紫はちいさく笑って首をよこに振りました。


 「なんにもなかったよ。本当になんにもなかったの。わたしはうまく石ころになれたのかな。お部屋の隅に黙って座っていたのがよかったのだろうか。若様のお気に触らなかったのなら、それでよいのだけれど」



 それからも紫は何度も若様のところに呼ばれましたが、いつも何もないようでした。ただ紫はお部屋の隅で石ころのように気配を消して座っているだけなのです。それに関して若様も何も言わず、そうして自分から声をかけたりすることも近寄ることもないとのことでした。

 赤坊にはさっぱり意味が分かりませんでした。若様は「石ころ」の紫を気に入っているのでしょうか。それともただ面白がっているのでしょうか。まったくもって変てこな話でした。


 はじめは若様が紫を褥に呼んだと聞いていらいらとしていた館のものたちも、そんなことが繰り返されるたびに、やがていつものようになっていきました。

 あれはどうせ若様の気紛れの遊びだ、道楽だ。あんな子汚い娘を若様がお相手するはずがないと思っていた。退屈なので石女をからかって面白がっているのだろう。若様はほんとうに気紛れな人だから。

 そう言う言葉を、二匹で梁の上をにょろにょろとおさんぽしているときにもよく聞きました。他にも、いろいろな紫に対するひどいことばも。


 赤坊はぷんぷんと怒りましたし、青坊なんて何も言いはしないものの静かにつよくつよく怒っておりました。

 けれども紫は、しかたがないよと言っては二匹を宥めておりました。わたしが正妻としてのお役目をまっとうできていないのは本当だもの。時貞様のためにも、一族の為にもなにもできていないのだもの。なにか、なにかできることはないかなあ。


 そんな紫は若様のために、「守り石」をつくったこともありました。材料なんて用意してもらえなかったので、庭できれいな石を一晩かけてみんなで探して、お部屋で「守り」のおまじないをかけるという単純なものでしたが、それでも紫はいっしょうけんめい作っておりました。

 けれどもその守り石も、ちっとも喜んでもらえなかったようでした。しょんぼりと肩を落として帰ってきた紫があんまりにもかわいそうで、二匹もおなじように紫の膝の上でしょんぼりしました。きっとあの若様のことだから、守り石なんてと馬鹿にしてぽいと捨ててしまったに違いがないのです。きっときらきらした宝石や金の方がよいのでしょう。まったく、ひどい話でした。


 はやくおおきくなろうね。そして自分たちでちゃんとえさをとれるようになろうね。


 互いにそう言いながら、二匹はぐんぐん大きくなっていきました。そうしてそのうち、青坊と赤坊の毒もちゃあんと使えるしろものになってきました。早く這えるようになってきましたし、餌だって自分の分はほとんどとれるようになってきました。


 「赤坊の毒は相手のからだを麻痺させるのだね。青坊の毒は相手をすぐに死なせてしまうのだね。二匹とも、とてもよい毒を持ったねえ」


 紫はそういって喜んでくれました。ふつうの生き物なら忌み嫌われる「毒」ですのに、この二匹の弱いへびたちにとってはとても大切な武器になることを紫はちゃんと理解してくれておりました。紫はちょっとなみだぐんで、二匹をぎゅうと抱きしめながらこう言いました。


 「……これで、外に出てもちゃあんと生きていけるね」


 二匹は嬉しくてきゅいきゅいとお返事をしました。


 だいじょうぶだいじょうぶ。だからもうすこし大きくなったらこんな屋敷から出て行こうね。ちゃんとむらさきのぶんの餌もとってあげるからね。だから三匹でいっしょに行こうね。


 二匹がそういうと、紫ははっと息をのんで泣きそうな表情になりました。そうして「でもね……」と、何かを言いかけましたようでしたが、けっきょく何も言いませんでした。かわりに二匹をいっそう抱きしめて「だいすきだよ」と言いました。




 そんなある日のことでした。赤坊がお庭の木のてっぺんでおひるねをしているうちに、部屋にいたはずの青坊がいなくなってしまったのです。


 紫は真っ青になって屋敷のなかを探して回りました。赤坊も必死できゅいきゅいと青坊を呼びましたが、青坊の姿はどこにもありません。赤坊はかなしてさびしくて赤ちゃん蛇の頃のようにぽろぽろ泣いてしまいました。

 だって、赤坊にとって青坊は大好きでたいせつな蛇なのです。生まれる前からいっしょに居た、なによりかけがえのない存在なのです。まるでいのちのはんぶんをもぎとられたかのような、もしくはそれ以上のような、それはそれはただただかなしい感情でした。


 震えながらぽろぽろと泣く赤坊をふところに入れて、紫は屋敷を走り回りました。あらゆる屋敷の者に聞いてもその行方はようとして知れません。そうして言いました。「べつにあんな子蛇の一匹や二匹どうでもいいじゃないか」。

 だから紫はたったひとりで青坊を探して駆けずりまわりました。どんな狭いところでも、どんな汚いところでも這いずりまわって探しました。

 青坊、青坊。そう呼ぶ紫の声はいまにも泣き出しそうでしたが泣いてはおりませんでした。ここで泣いても誰も助けてくれないことをよおくわかっていたのでしょう。だからただただひとりで必死に、身体の弱いちいさな子蛇を探しておりました。


 青坊、青坊。


 館のどんな細かなところにも、庭にも溝にも水路にも、どこにも青坊はおりません。けれども紫はけっしてあきらめませんでした。ぴいぴい泣く赤坊を「だいじょうぶだよ。青坊はわたしがぜったいみつけるからね」とやさしく宥めてもくれました。そうして何度も何度も、同じところでもていねいに探し回ります。それはおひるになっても、夕方になっても、そして夜中になっても続きました。紫の顔や手足は探すときにできた傷でいっぱいになっておりましたが、そんなこと紫にとっては些細なことのようでした。


 きゅい。


 しずかなしずかな庭園にもとめていた声が響いたのは、とっぷり夜も更けたころでした。はじかれたように顔を上げた紫と、ふところに入って顔だけのぞかせていた赤坊は、そこにあるはずのない姿を見ました。

 それはたぐいまれな美貌をもった立派な体躯のひとりの男、蛇骨族の若君である紫の旦那さまでした。月の光の中、肩にかけた大きな蛇の尾もさらさらとした極上の絹糸のような髪もぼんやりとひかりを放つようにうつくしく輝いておりました。いつもは笑みを浮かべてよそばかり見ている瞳は、今は紫をひたりとみつめておりました。紫は一瞬だけ怖いほどにうつくしい若君の瞳を見返しましたが、すぐにはっと息を飲みました。


 そのきれいな手には、探し求めていたちいさな青蛇が掴まれていたのです。


 それを認めた瞬間、紫は若君の元にかけよりました。そうして何度もお礼を言いました。


 時貞さまがみつけてくださったのですね。ありがとうございます、ありがとうございます。

 紫はいつも「石ころ」であろうとしておりましたが、そのときはそんなこと頭にはなかったようでした。


 そうして若君から青坊を受け取ると、紫はそこではじめて涙を零しました。赤坊もあわててふところから這い出て青坊にぐりぐりと頭をすりつけました。よかった、よかった。それだけで胸がいっぱいでした。


 ひとしきり再会を喜んだあと、紫が顔を上げると、若君はもう背中を向けて去りかけておりました。


 時貞さま。


 紫はあわててその名を呼びましたが、若君にその声は聞こえなかったようでした。紫は鼻をすすり、そうして袖で涙を拭うと遠ざかっていく大きな背中に向かってふかくふかく頭を下げました。



 それは紫にとっても赤坊にとっても、どんなに感謝してもしきれないひとつのできごとでありました。


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