毒の隠し場所
「小鈴は助からないというのですか!?」
采夏の切羽詰まったような声が後宮内にある療養所に響いた。
皇后である采夏の声を聞き、医官が額に汗を浮かべて申し訳なさそうに俯く。
「毒はできる限り吐かせましたが、一向に目が覚める気配はありません。……手遅れだったのです」
所在なさげに両手を組んでお腹のあたりに置きながら、医官は応える。
もう手遅れ。その言葉にカッとした。
采夏は思うままに詰りたい気分になったが、それをどうにか唇を噛んで止める。
采夏だって、本当は分かっている。医官とて、手抜きをしているわけではない。やれることはやったのだ。
だが……。
「小鈴……」
寝台で死んだように横たわる小鈴の手を采夏は強く握った。
小鈴が自ら毒をあおったのはつい昨日のこと。医官を呼んで処置をさせたが、一向に小鈴は目が覚めない。
目が覚めないばかりか、顔色はどんどん悪く、呼吸も弱くなってきている。
このままいけば衰弱して死んでいくだろうことは見て明らかだった。
絶望に打ちひしがれる采夏の肩に温かいものが触れた。
采夏が横を向くと、心配そうにこちらを見る黒瑛の姿がいた。
「陛下……」
涙で濡れた顔で、黒瑛を見上げると、黒瑛は痛ましそうにして采夏の顔に張り付いた髪を払った。
「あまり無理をするな。采夏まで倒れてしまいそうだ」
「けれど、小鈴が……」
縋るように黒瑛の胸に寄りかかると、黒瑛は采夏をそのまま抱きしめた。
「分かっている……」
黒瑛は慰めるようにそう声をかけると、顔を上げて医官を見た。
「俺は医学に詳しくはないが、薬はないものなのか? 解毒薬のようなものは」
「恐れながら陛下、解毒薬を用意するには何の毒を飲んだのかが分からねばならないのです。もし、間違った薬を飲ませれば、最悪、死を早めることになってしまいます」
「なんの毒が、か……」
医官の言葉に黒英が苦々しく答える。
采夏は顔を上げた。
「確か、陛下は小鈴が隠し持っていた毒がどこからきたものかお調べいただいていましたよね? 分かったのでしょうか?」
「それが、未だ分かっていない。小鈴の持ち物や、主人である冬梅花妃の宮を探させてはいるのだが、毒そのものが出てきていないのだ。すでに使い切っていたのか、それとも、もっと別の場所に隠しているのか……」
黒瑛が苦々しい顔でそう答えるのを聞いて、采夏も眉根を寄せた。
(なんの毒を飲んだのか、それさえわかれば……)
采夏は、あの茶席の場で毒があると嗅ぎ分けた時のことを思い出していた。
いつも飲んでいる龍井茶とは微かに違う香がして、気づくことができた。
だが、だからといって、なんの毒なのかは分からない。采夏の鼻はいいが、詳しいのはお茶のことだけ。臭いだけで、毒の種類を嗅ぎ分けることはできない。
「ただ妙なのは、どうして小鈴は、采夏にではなく、秋麗風妃の器に毒を盛ろうとしたのだろうか」
黒瑛がぽつりとそう呟いた。
そのことについては采夏も不思議に思っていた。
被災民への炊き出し、闘茶の際の毒、これらは全て采夏を狙って行われたもの。
しかし、あの茶会の席で狙われたのは秋麗風妃だ。
結果的に毒が含まれたお茶は冬梅の手に渡ってしまったが、小鈴自身は、冬梅に毒を盛るつもりはなかった。白磁の牡丹柄の茶器を秋麗のものだと思い込んで、毒を入れたにすぎない。
(でも、待って……。どうして、牡丹柄の茶器を秋麗風妃のものだと思ったのかしら。燕春月妃の青の染付の茶器も美しいものだった。どれが秋麗風妃の器かなんてわからないのでは……)
采夏はそこまで考えてハッとした。
(そうか、そうだわ。小鈴は、秋麗風妃でも、燕春月妃でもどちらでも良かったのだわ。冬梅花妃と私以外の妃なら、どちらでも!)
采夏は豆彩技方の茶器を持っていることは後宮にいるものなら知っていてもおかしくない。小鈴は、用意された四つの蓋碗を見て豆彩技方の茶碗は采夏のものだとすぐに分かったはずだ。
そして、冬梅が日頃手に取るものをよく知る小鈴ならば、黒釉の蓋碗が冬梅のものだと考えた。
そして残る二つは白磁の牡丹と青の染付の茶器。秋麗か、燕春の茶器。
小鈴は、どちらでも良かったのだ。
皇后である采夏が開いた茶会で、妃が死んでくれればそれで良かった。
「陛下……! 毒の隠し場所が分かりました! 私の宮です! 小鈴は私の宮のどこかに毒を隠しています!」
采夏の言葉に黒瑛が目を見開いた。
「采夏の宮に……?」
「はい、おそらく、妃の毒殺の濡れ衣を私に着せるためです!」
采夏は確信を込めてそう言った。
小鈴の目的は、采夏の命というわけではない。
天の怒りを買った采夏が皇后という座につくことで、災いが起きたのだと思い込んでいる小鈴の目的は、采夏を皇后の座から追い落とすこと。
采夏が他の妃を殺したという話になれば、皇帝の寵愛を失い、皇后の座から落ちると思って仕組んだのだ。
「なるほど……。そういうことか」
采夏の言葉に黒瑛も全てを察して頷いた。
そして宦官達に、皇后采夏の宮、雅陵殿の捜索を命じたのだった。だが……。
「何? 見つからない?」
「は。雅綾殿の中を隅から隅まで探したのですが、毒物のようなものは今のとこ何一つなく……」
床に膝をついてそう返答をしたのは、黒瑛の側近の坦である。
緊急時のため後宮に勤める宦官だけでなく坦達、侍衛にも捜索させていた。
しかし結果は見つからないというものだった。
「そんな……」
寝台に眠る小鈴を見守り看病をしていた采夏は、思わず顔を顰めて坦と黒瑛がいるほうを振り返る。
毒物を采夏の宮に隠して、その濡れ衣を着せようと企てたのではないのだろうか。
「参ったわね。こうなったら後宮中を探し回る? 相当時間はかかると思うけど……」
同じ、毒物探しに駆り出された礫が黒瑛にそう言った。
黒瑛は顔を顰める。
「後宮中を探し回って見つかったとしても、見つけた頃には手遅れだ……」
そう言って黒瑛は重いため息を吐き出した。
采夏は改めて小鈴に視線を向ける。小鈴の体調はどんどん悪くなるばかり。顔色が悪いのはもちろん、すでに呼吸も虫の息だった。
これではおそらくもう一日も持たない。
「お願い、目を覚まして……」
采夏は涙ながらにそう言うも、当の小鈴に反応はない。
「陛下、このような罪深き女、もう良いのでありませんか。聞けば、皇后や他の妃に毒を持ったという話ではありませんか」
坦はそう言って、不満そうに目をすがめた。
「まあ、それもそうなのだが、采夏は、あの宮女が助かることを望んでいる。俺が、それで何もしないわけにはいかない」
悲しむ采夏を労るようにして見ながら黒瑛が応えると、礫がうんうんと頷いた。
「采夏ちゃん、なんて優しいのかしら。自分の命を狙った子にあそこまでできるなんて……」
礫は感動のあまり薄らと目に涙が溜まっている。
そんな三人の会話を采夏はどこか遠くに聞いていた。小鈴の冷たい手が少しでも温まるようにしっかりと握る。
このまま小鈴を死なせるわけにはいかない。
彼女に対する怒りは、正直今でもある。お茶に毒を入れるという極悪非道な行いをしたことを許したわけではない。
だが、小鈴を失うわけにはいかない。
「皇后陛下がお呼びと聞いて参りました」
凛とした声が降ってきて、采夏は顔を上げる。
扉の前に、どこぞの貴公子のような出立ちの冬梅がいた。
「冬梅花妃、待っていました! こちらにきて。お願い、小鈴に声をかけてあげて。あなたの呼び声なら、答えてくれるかもしれない」
采夏は必死に言い募ると、冬梅は頷いて采夏の隣へと並んだ。
そして、ぐったりと横たわる小鈴の姿を痛々しげに眺めた。
何をしても瞬き一つしない小鈴を心配して、采夏は小鈴の主人である冬梅を呼んだのだ。
小鈴は冬梅を慕っていた。それは、冬梅に毒が渡ってしまった時の反応を見れば明らかだ。
采夏の呼び声には応えないが、冬梅ならば応えてくれるかもしれない。
「小鈴、小鈴……」
冬梅は何度か名を呼んだが、やはり小鈴はピクリともしない。
冬梅は悲しげに首を横に振った。
「……皇后様、もう小鈴は助かりません。あきらめましょう」
その言葉に采夏の目が見開いた。
「あ、諦めるなんて、できない。できるわけがないわ!」
今にも泣きそうな顔だった。それぐらい小鈴が死ぬと言うことが采夏には恐ろしかった。
そんな采夏を冬梅は優しく抱きしめた。
「小鈴は罪を犯した。皇后様が心を痛める必要などないのです。これは彼女が行ったことに対する当然の罰だ」
「でも、彼女が、水害が起こる前に見たという色の落ちた茶木が……」
「あんなもの、彼女のこじつけだ。水害が皇后様のせいなわけがない」
冬梅はそう言うと、そっと采夏を離れて、今にも泣き出しそうな采夏の髪に触れる。
「お髪が乱れていますよ。ほら、髪飾りもずれて……あなたが、そんな姿になってまで心配する価値は、小鈴にはありません。この髪飾りは私が付け直しましょう」
冬梅は優しく笑うと、采夏の髪を飾っていた髪飾りをとった。
紫陽花の花を集めて作った髪飾りだ。ほとんどは青い花弁の紫陽花を使っていたが、一つだけ少し色褪せた赤紫の花も使われている。この赤紫の花弁の紫陽花は、先日黒瑛が采夏の髪に刺してくれたもの。
青い紫陽花の中で少し色褪せながらも鮮やかな色を保つ赤紫の花弁を見て、采夏はハッとした。
「……毒を隠した場所が、分かりました」
采夏はボソリとそう呟いたのだった。









