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後宮茶妃伝 ~寵妃は愛より茶が欲しい~  作者: 唐澤和希/鳥好きのピスタチオ
寵妃の愛で茶が育つ

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80/90

冬梅

 冬梅は、ぼんやりと夜空を見上げた。

 満月だった。初夏の少し湿った空気の中で、月明かりが少しぼやけて、満月が余計に大きく見えた。

 冬の澄み切った空に浮かぶ月を眺めるのも良いが、初夏の月も悪くない。

「悪いな。最近、お前ばかりを呼び出して」

 隣から男の声が聞こえた。横を見れば、どこか憂いのある顔で月を見上げる青国の皇帝、黒瑛がいた。

 今日は黒瑛に呼ばれたのだ。食事を共にし、今は外に置かれた椅子に並んで座って月を眺めていた。

 皇后である采夏以外の妃を呼ばなかった皇帝が、ある時を境に他の妃とも夜を過ごすようになったのだが、最近は特に冬梅を呼ぶ頻度が増えた。

「……秋麗風妃に、何か言われましたか? それとも皇后様に?」

 黒瑛の端正な横顔を見ながら、そう問いかけると、黒瑛は困ったように笑った。

「そうだな。言われたといえば、言われたと言うべきか……」

 黒瑛の返答に、やはりか、と思いながら冬梅は再び視線を月に戻す。

 黒瑛が突然他の妃の相手をするようになったのは、采夏の進言があっただろうことは明らかだった。そして采夏にそう言わせたのは、秋麗だろう。

 しかし最近その二人の呼び出しが極端に減った。何かあったことは明らかだったが、肝心の何があったかは分からない。

 気がかりなのは、あの秋麗が何かにつけて皇后と行動をともにしようとしていることだろうか。

(あの女狐め、何を企んでいるのだか)

 冬梅は不快に思って思わず眉根をよせた。

 秋麗の後宮での態度は正直目に余る。

「西方の大使に対する功労として、秋麗風妃に褒美をとらせたのだが……」

 と話し始める黒瑛の言葉に、冬梅は妙に納得した。

 あの我が儘な秋麗が采夏を一切呼ぶなとでも言ったのだろう。褒美を取らせると言った以上、皇帝もそれを受け入れたがその傲慢な振る舞いに呆れ果てて秋麗も呼ばなくなった、というところだろうか。

(愚かな……。もう少し頭の良い女だと思っていたが、変に欲を出すからそのようなことになる)

 冬梅が内心呆れ返っていると……。

「秋麗風妃に皇后と過ごす時間が欲しいと言われていてな。それを受け入れたのだが、夜まで一緒にいることもあるらしく……しばらくはあの二人を呼びにくくなった」

 思っても見ない言葉が返ってきて、再び視線を黒瑛に向けた。

 何かの冗談だろうと思ったが、黒瑛の横顔は至極真面目そうで嘘を言っているようには見えなかった。

「えっと、あの秋麗風妃が、褒美に皇后と過ごす時間が欲しいと言ったのですか?」

 皇后ではなく、皇帝の間違いでは? という気持ちでそう問い返すと黒瑛は疲れ果てた顔で頷いた。

「なんで、また、そんなことに……」

「秋麗風妃には、正直悪いことをしていると思っていたから、今の状況は良かったことだと捉えるべきなのかもしれないが……」

 悩ましげにこめかみを抑える皇帝は確実に疲れていた。

 そこで冬梅はふと浮かんだ疑問を口にした。

「悪いことというのは、秋麗風妃に手を出していないことについて、ですか?」

 冬梅の問いに、黒瑛は少しの間の後、頷いた。

「ああ、その通りだ」

 そうかもしれないという予感はあった。

 皇帝に呼ばれた日の翌日の秋麗の苛立ちぶりをみて、もしかしたら秋麗は相手にされていないのではと思ったのだ。

 秋麗を前にして、そのことをほのめかしたところ、図星のような雰囲気だった。

 黒瑛の言葉に、冬梅はやはりと思いつつも驚きを隠せない。

「……答えにくいことでしたら、無視して頂いて構いませんが、何故、他の妃には手を出さないのですか? 私に手を出さない気持ちはわかります。このようななりをしておりますし、陛下の好みに合わなかったというのも納得できる」

 そう言いながら、冬梅は自身が着ている装いを見下ろした。

 皇帝に呼ばれた今日も今日とて、男装である。

 実は、最初に呼ばれた時は流石に女性ものの装いをしていたのだが、皇帝がいつもの格好でいいと言われ、それから毎回いつもの男装姿だった。

「あ、いや、そなたのことも美しいとは思う。格好は、独特だが、似合っているし……」

 皇帝が慌てた様子でそう言う。どうやら、冬梅が傷ついていると勘違いをし、慰めようとしているらしい。

 冬梅は思わずふっと笑みが溢れた。

「陛下、大丈夫ですよ。私は気にしていません」

 皇帝の妃として、望まれれば体を許す心積りではいるが、秋麗のように自ら望んでいるわけでは正直なかった。むしろ呼ばれても相手をしなくても済むことに安堵している。

「ただ……秋麗風妃は、心根はどうあれ美しい人だと思います。そして皇帝陛下の妃だ。それに手を出さないと言うことは、何か思惑があるように思えてなりません。もちろん、皇后様をそれほどに愛しているということなのかもしれませんが……」

 そう言って、黒瑛の様子を見ると、彼は悲しげに微笑んでただまっすぐ月を仰ぎ見ていた。

 冬梅の問いかけに答えず、ただ切なげに月を眺める。答える気がないのだろうと冬梅が悟った頃、黒瑛は小さく口を開いた。

「……俺は、本来は皇帝になるような男ではないのだ」

 先ほどの問いに対する答えなのかどうかは冬梅には分からない。

 だが、これ以上聞くなという静かな圧を感じて、冬梅も視線を月に移した。

 どうしても答えが聞きたかった訳ではない。

 しばらく無言でお互い月を眺めていたが、ふと黒瑛が冬梅に顔を向けた。

「……それよりも、そろそろはじめないか?」

 どこか熱のこもった視線に、冬梅はとうとうきたかと思って、微笑んでみせた。

 しかしその仕草を焦らされたと感じたのか、黒瑛は眉を寄せる。

「もう我慢できない。俺が冬梅花妃を呼ぶ理由は、分かっているだろう?」

 どこか切なそうに訴えた黒瑛は堪らずといった様子で、冬梅の肩に手を置いた。

 冬梅は自分の肩に置かれた手に、己の手を重ねる。

 側から見たら、冬梅が男装をしているために男同士で熱く見つめ合っているようにしか見えず、誤解を招く構図だった。

「そう焦らずとも、分かっておりますよ……」

 そう答えて妖艶に微笑んで見せた冬梅はグッと目を瞑った。思い出しているのだ。日頃の彼女のことを。

 そして冬梅は満開の思いで口にする。

「相変わらず、皇后様は……お可愛らしいお方でした!」

「だろうな」

 冬梅の言葉に、顔を輝かせた黒瑛はうんうんと力強く頷いた。

「この前、茶摘みをしている皇后様を拝見したのですが、まるで天女が降臨したのかと思うばかりの愛らしさでしたよ。あれは、一度木彫り人形等でも構いませんので形に残して保存したほうがよろしいかと」

「やはりか。実は俺もそうした方がいいのではないかと思っていた」

「朝のご挨拶に伺った時、朝飲むお茶をどれにしようか迷われていたのですが、長らく迷った末に全部飲んでいました。そして今日はとても天気がいいから特別に、などとおっしゃっていて……ですが、それ前日にも同じことをおっしゃていたのですよね。もうそういうところも、可愛いの極みが過ぎるのではないかと愚行します」

「あー、分かる分かる。采夏はそう言うところがある」

 それからも、二人で采夏のあれが可愛かった、これが可愛かったと采夏談義で盛り上がる。

 何を隠そう二人は会うたびに、采夏の話ばかりをしていた。

 冬梅は、何よりも可愛いものが好きだった。そう言った意味では、男性よりも女性に惹かれる。

 冬梅が男装をするのも、顔を赤くして自分に見惚れる宮女達が可愛いからである。そして、実は皇后である采夏は、冬梅の好みのど真ん中。

 秋麗も美しいが、あれは美しいが過ぎてしまい、冬梅の好みとは外れる。

 燕春は可愛らしいが、幼さが目立ちやはり好みではない。

 采夏の可愛らしさは、冬梅の理想そのものだった。

「陛下と初めてお会いした時、すぐに分かりましたよ。話が合いそうだなと」

 楽しい話にすっかり気分を良くした冬梅はそうこぼすと、黒瑛も満足そうに微笑んだ。

「そうだったか。俺は正直、男装していたし、変な奴がきたなとしか思わなかったが……こんなに話が通じる妃がいるとはな」

 黒瑛は正直、惚気話に飢えていた。

 本当は、友人や知り合い達に、『俺の采夏のこういうところが可愛くてさぁ』などと惚気まくりたいのだが、黒瑛の立場がそれを許さない上に、政務が忙しい。

 そして何より惚気る相手がいない。

 陸翔に言えば、二言目には『そんなことより仕事してください』と言われるのは目に見えているし、黒瑛至上主義の坦に言っても対して盛り上がらない自信がある。同じく側近の礫は、惚気話に乗ってはくれそうだが、話の内容を黒瑛の実母である皇太后に筒抜けになる気がして気が引けた。

 惚気たいのに惚気られない。その黒瑛の葛藤を解消してくれたのが、冬梅だった。

 妃ではあるが、男装をしているからか、どこか男友達と一緒にいるような気軽な感覚で話すことができる。

「冬梅花妃、そなたがきてくれて助かった」

 黒瑛がしみじみとそういうと、冬梅も深く頷いた。

「私もです。陛下が陛下のような方で助かりました」

 二人はそう言って微笑み合うと、再び采夏の可愛らしさについて語り明かしたのだった。


「いやー、今日も実に有意義な時間だった」

 黒瑛と采夏について語り明かした冬梅は、満足気な様子で自分の宮に戻る。

 輿が用意されているので乗って帰るのが普通だが、可愛いものについて語り明かした夜は体が熱るのでいつも侍女と二人夜道を歩いて帰ることにしていた。

 夜とは言え、ここは安全な後宮の中。夜盗に襲われるなどといったこともない。

 冬梅が上機嫌でしゃべっていると、灯籠を持って前を歩いていた侍女がぴたりと足を止めた。

「ゆ、有意義な時間……だったのですか?」

 そう問いかける侍女の顔にほんのり朱がさす。

 まだあどけなさが残るこの侍女は、例の水害があった村出身の少女、小鈴だ。

 少し顔が赤いのは、有意義な時間と評したその時に何をしていたかを想像しているからだろうか。

 少し気恥ずかしそうな少女がかわいらしく感じて、少女の耳に顔を近づける。

「おやおや、何を想像しているのかな?」

 などと耳元で問えば、少女は「ひゃっ」とか細い声を上げた。

「ふふ、可愛いね」

「冬梅様! もう! 揶揄うのはおやめください」

 冬梅から距離を置いて耳を塞ぐその仕草もまた可愛らしい。

「……でも、最近、陛下はよく冬梅様をお呼び下さるので、仕える私達も嬉しいです。後宮の宮女達の間では、冬梅様が一番の寵愛を受けているなどと言う噂も出てきているのですよ」

 小鈴はどこか誇らしげにそう言った。

 それもそうだ。自身が仕える人が、後宮の頂点に立つことほど宮女として誇らしいことはない。

(おやおや、そんなことになっているのか……。確かに、呼ばれる頻度が増えたからな……)

 思わず遠い目になる。陛下が冬梅を寵愛しているなどという噂が広まるのは、できれば避けたかった。実際は、寵愛されていないというのもあるが、その噂が故郷の親類どもに聞かれたらと思うと堪らない。

 変に期待されても厄介だ。

 釘を刺しておいた方がいいだろうか。

「いや、残念ながら、それはないんだ。皇帝の寵愛は皇后様が独占している」

 冬梅がそういうと、小鈴はしゅんとした。

「そうなのですか? ですが、皇后様はあまり良くない噂がありますし、このまま冬梅様が、寵妃になっていただければ良いのですが……」

「よくない噂というのは、例の水害のことかな?」

「はい……。己の欲望のままに茶を追い求める意地汚い者が皇后になったから水害が起きたのだと……」

 小鈴の言葉に、冬梅はハハと呆れたように笑った。

「一体どうしてそのような噂が立ったのか。まあそう思いたくなる気持ちは、分かるが……」

 東州の水害は茶道楽の皇后の不徳による天罰。

 そういう噂が市井で広まっているのは知っていた。徳を積んで民を導く立場のものが、茶に耽っているというのはあまり良い印象がないからだ。

 その噂を払拭するために、以前被災民に炊き出しをした。

(小鈴がそう思っているということは、まだそう思う民もいるのだろうな。ここは一つ、小鈴だけでもそのようなことはないのだとハッキリ諭すべきか……)

 冬梅は一瞬そう思ったが、どうもやる気になれなかった。

 そこまでやってあげる義理はない。そう思う心が、冬梅の中に確かにあった。

「あれが、天罰かどうかは定かではないが、証拠も何もないことだ。あまりその考えにとらわれない方がいい」

「証拠……」

「安吉村があのようなことになって、辛い思いもあるだろうが、決して皇后陛下を恨まぬように。いずれ、彼の地も復興し、また今まで通りに過ごせる時が来るはずだ」

 冬梅がそういうと、小鈴の顔が柔いだ。

「そう、ですよね……! ああ、早く村のみんなと故郷に帰りたいです!」

 無邪気な笑顔を見せる小鈴に冬梅はホッと胸を撫でおろした。

 だが、ふと思う。

(皇后陛下は良い方だとは思う。だが、果たして皇后に向いているのかと言われれば……)

 素直に頷けないのが正直なところだった。

 皇后というのは、妃の中でも別格だ。

 皇帝の子を産み育てることが至上の命である妃達の中で、皇后は唯一国の政務にも口を出せる特別な存在だ。

 冬梅は、立場上、皇后である采夏を敬っているし、人として嫌いではないのも事実だ。

 だが、臣下が皇帝に忠誠を誓うように、冬梅が采夏に忠誠を誓えるかと言えば、そうではない。

 今ひとつ、何か足りない気がしてしまう。

 以前、秋麗が、毒味なく皇后がお茶を飲むことを非難した。

 冬梅は無礼な口が過ぎる秋麗を責めたが、真に采夏を皇后として忠誠を誓うのならば、毒見なしで無邪気にお茶を飲む皇后を諌めるべきだった。

 皇后の身を何よりも優先すべきだからだ。

 あの時、冬梅が采夏を諌めなかったのは、皇后として認めてないという証左に他ならないような気がした。

 冬梅は皇帝の黒瑛のためなら、臣下として命を投げ出せるが、皇后である采夏のためにはそこまでできない。

 替えが効く。そう思ってしまう。

「我ながら、厄介な性格だ……」

 人として采夏のことを好いているのに、臣下としてはこれ以上入れ込むことを拒絶している。

 ふうと息を吐き出して空を見上げた。

 皇帝と見上げた満月が、まだ空に浮かんでいた。


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