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後宮茶妃伝 ~寵妃は愛より茶が欲しい~  作者: 唐澤和希/鳥好きのピスタチオ
寵妃は愛で茶を沸かす

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呂賢宇、笑みを浮かべる

 後宮は皇帝の妃を囲う場所。

 基本的に男性は入れない。男が後宮で働く宦官になるためには、男の部分を切り離すしか無かった。

 だが、例外もある。


 皇帝の許可を得た妃の親族ならば、特別に後宮に男であっても入ることができた。

 そうして皇帝から姪にあってやれといわれて後宮に入った男が一人。呂賢宇である。

 呂賢宇は、後宮にある燕春妃の宮に訪れていた。

 そしてそこで姪と同じ卓で腰掛けながら、辛そうに息を吐き出す。


「しかし、いつになったら家に戻れるのか。陛下に相談してもまだここにいてほしいとしか言ってくれない……」

 すっかり憔悴しきった様子で呂賢宇がそう嘆くと、姪の燕春妃は「まあ……」と弱々しく呟いていたわしそうに眉根を寄せた。

 うまく同情を誘うことができたようだと、呂賢宇は伏せた顔の下でわずかに口角をあげる。

 あとは、同情した燕春が自ら協力を申し出てくれるのを待つだけだが、姪はおろおろと悲しげに眉尻を下げるだけで何も言い出さない。

 鈍感で阿呆な姪のことなのでさほど期待はしていなかったが、やはり気が利かない。

 大体にして、呂賢宇が皇宮に留まる原因を作ったのはこの姪であるというのに、悪びれた様子もないのがイラ立つ。


「……燕春よ、悪いが、そなたからも陛下に言ってくれないか。道湖省に残してきた者達のことが気になる」

 気の利かぬ姪に焦れて、呂賢宇自ら本題に入る。

 先ほどまでオロオロしていた姪ははたと目を見開いてから、そして大きく頷いた。


「はい、もちろんです。でも叔父様、そう悲観しないでくださいませ。陛下には、きっとお考えがあるのです」

「お考え? 一体何をお考えなのか……」

 呂賢宇にしても今のこの待遇は疑問が残る。

 己が密かに馬を集めていることに、気づくことはないだろうが……。

 何せ、呂賢宇の計画は人に知られぬように万全を期している。

 その上警戒すべき皇帝はただの若造なのだから。


「燕春は、何か聞いているのか?」

 知らぬだろうと思いながらも、念のために確認する。


「やはり、最近の失策続きの私を罰しようとなさるおつもりだろうか。碧螺春の不作、加えて遊牧民族との交易さえも成せなかった。ああ、私のような使い物になれない臣下など、死んでお詫びするしかない……」

 そう言って、呂賢宇はしゅるりと腰に巻いていた組紐を抜き取った。

 それを自分の首にかけて締めようとするので、燕春が慌ててそれを止める。


「早まらないでくださいませ、叔父様!」

「止めないでくれ、燕春! 私にはこうするしか詫びる方法が思いつかぬ!」

 と言いながら、組紐を握る手は離さない。

 とは言え、燕春に止められていて絞められない、という体をとって実際に首を締めてはいなかったが。


「叔父様、陛下は叔父様のことを高く評価しておりましたわ。きっと手放したくないのです。残念ながらまだ陛下のお味方は多いとは言えません。故に少しでも信のおける臣下を求めております。おそらく陛下は、叔父様の真っ直ぐなお心に忠義を感じ、重用なさりたいのかもしれません」

 姪の必死の言葉に、呂賢宇ははたと目を見開いた。


「重用? 私をか?」

「はい、もちろんです。国を長くお支えした叔父様の真っ直ぐなお志は、国中のものが存じておりますもの」

「いやいや、私など……」

 と言ってニヤリと口角が上がりそうになっているのを必死で堪えて謙遜して見せた。


「特に、国軍の物資も人も足りてないと聞きました。もしかしたら、叔父様を軍旗大臣に据えたいのかもしれません」

「ぐ、軍旗大臣に……!?」

 軍旗大臣とは、青国の国軍の頂点だ。

 思わず声が上擦った。

 素で驚く呂賢宇の瞳を真っ直ぐ見ながら燕春は何度も頷く。


「ですから、どうか早まらないでくださいませね」

 呂賢宇は姪に言われて、首紐を握っていた手を卓の上に下ろす。

「そんな、軍旗大臣など、私には……」

 などと殊勝なことを呟いて見せたが、顔にはどうにも隠しきれていない愉悦の笑みが浮かぶ。


「あ、そうだわ。叔父様にお預けしたいものがあるのです」

 その場の雰囲気を変えるようにぱしんと両手を打つと、燕春がそういった。

 そして、袂から何かを取り出す。

 粉のようなものが入った薬包だった。

 それを恐る恐ると言った態度で呂賢宇に差し出す。


「後宮に入る前に、実家から持ち出したものなのですが……」

 燕春は声を潜めてそういうと、申し訳なさそうに眉尻を下げた。

 何か話しにくいもののようで、しばらく躊躇するように視線を走らせると再び口を開く。


「これは、毒なのです。無味無臭の毒で、でもとても強力なもの。一度口にすれば、その場で倒れ、数日後に必ずや絶命してしまうのです」

「ど、毒だと!? なぜそのようなものを……」

「私、皇后様のことを勘違いしてしまっていて、とても恐ろしい方だと思いこんでいて……」

「まさか、皇后様を毒殺するつもりで!?」

「いいえ、いいえ! もちろん違います! これは自分で服用するためのものです! もし辛い日々になるようなら、これを飲んで潔く死のうと思って持ち込んだのです」

 目の端にうっすらと涙を浮かべてみせながら、燕春はそう語った。


「なるほど、そういうことか。しかし、なんと愚かなことを」

「はい、反省しております……。処分しようにも、とても強力な毒で、土に埋めればたちまち周囲の木々を枯らし、燃やそうとすればその煙がまた毒となるとかで安易に処分することもできず……。ですので叔父様に後宮の外に持ち出して処分していただきたくて」

「ああ、なるほど。そういうことか。わかったわかった。私が責任を持って処分しておこう」

 呂賢宇はそういうと、燕春から毒の入った薬包を受け取った。


「感謝いたします」

 そう言って恭しく頭を下げる燕春の肩に手をおき、安心なさいと呟きながら、呂賢宇は燕春から受け取った薬包を強く握り込んだ。

 何かに使えるかもしれないと、そう思いながら。


 ◇


「長く留まらせてすまないな」

 唐突に皇帝から呼び出されて伺うと、皇帝はそう声をかけた。

 呂賢于は、全くだと内心で悪態をつきながらも笑顔を作る。


「いえいえ、そんな。滅相もございません」

「長く留まらせたのには理由がある。そなたの人となりを見させてもらっていた」

 皇帝にそう言われて、呂賢宇はどくんと鼓動が重たく跳ねるのを感じた。

(人となりを見る? まさか、今までのことがバレたのか? いやそんなはずはない。私の計画は完璧だ。それにもし疑われたとしても、証拠を全て消しさることもできる。問題ないはずだ……)

 内心で皇帝の言葉の真意を探りながら、今までの自分に落ち度がないかと改めて思い返す。


「わ、私のひととなりなどを見て、どうなさるおつもり、だったのでしょうか?」

 脂汗を滲ませながらどうにか平静を装いそう言うと、皇帝は形のいい唇の口角を上げた。

「そなたを国軍の重役に据えたいと思っていてな」

「こ、国軍の、でございますか!?」

 先日姪と交わした会話を思い出した。

 人での足りない国軍のまとめ役を皇帝は探している。


「そなたが収める地は、我国の大事な要所だ。山向こうには、遊牧民族が多く住む地が広がり、いつ襲われてもおかしくない辺境地。加えて青国きっての名茶である碧螺春の産地でもある。その地を長年納めてくれたそなたを、私は高く評価している」

 思っても見なかったことを言われて、呂賢宇は顔を上げた。


「そ、そのようなお言葉、誠にもったいなく……」

「謙遜しなくていい。そなたは、本当によくやってくれていた。故にそなたに、軍機副大臣の一人に据えたいと思っている」

「軍機副大臣……?」

「なんだ、不満か?」

「そ、そのようなこと、不満などあろうはずがございません」

 呂賢宇は感激した風に言ってみせたが、内心では大きく舌打ちをしていた。

 軍部の頂点は軍機大臣であるが、その補佐にあたる副大臣は十人ほど任命される。重役といえば重役ではあるが、自尊心の肥大した呂賢宇にとってはそうではない。

 少し前に、軍機大臣に任命するかもしれないと姪に言われていたこともあって、呂賢宇の自尊心は膨れるところまで膨れ上がっていた。

 軍機副大臣で満足できようはずもなかった。

 もともと、膨れ上がった自尊心が高じて、帝位の簒奪を考えるまでになっているのだから当然だ。


「ですが、私には少々荷が重すぎるような気も致します。私に軍をおまとめになる軍機大臣をお支えできるかどうか……」

「できると思って、任命しているのだ。それにそなただから言うのだが、今の国軍は人手不足や物資の不足が祟って酷い有様だ。知ってると思うが、宮廷を牛耳っていた秦漱石は屋内に己と同等の力を持つものが出てくるのを恐れるあまり、軍部を蔑ろにした。今はそのつけが回っている」

「おお、陛下、おいたわしい……」

 と嘆いて見せたが、呂賢宇はそのことを十分に承知している。

承知しているからこそ、帝位を簒奪するのなら今なのだと思えたのだ。

 このような小僧が国を治めるよりも、より優秀な己が行った方が、より良い国になる。


「今でこそ大国と言われるほどになっているが、今も遊牧民との小競り合いは絶えない。先ほども、西の方で襲撃が来たと言う話を受けたばかりだ」

 悩まし気にそう語る皇帝に、呂賢于はしたり顔で頷いた。


「自国の弱みを見せるわけにはいかない。襲ってきた蛮族どもには力を見せつけねばならぬ。そのため国軍の多くをそこに割けねばならぬのだが、そうすると皇宮の守りが弱くなる」

 嘆くようにそこまで語った皇帝は、顔を上げて、呂賢宇に向き合った。


 そして、「そなただから話すのだが……」と言う前置きを置いてから口を開く。

「今の皇宮は百ほどの騎兵に攻め込まれれば、落ちてしまう。それほどに弱っているのだ」

「なんと……」

 皇帝が困り果てている様子に心底同情している風を装いながら、呂賢宇は内心で喝采を送っていた。

 国軍が弱体化しているのは知っていたが、それほどまでとは思っていなかった。

 百ほどの騎兵ならば、もう呂賢宇はとっくに所有している。

 いや、それ以上に人を動かすこともできる。


「だからこそ、そなたの力を貸してほしいのだ。そなたが長年納めている地は辺境にありながら、遊牧民の襲撃がほとんどない。おそらくそなたの守りが硬いからだ。その手腕を是非、私の近くで発揮してほしい」

 皇帝の言葉に、何故自分が突然宮中に留まらせたのかの理由に合点が行った。

 本来遊牧民に襲われることの多い辺境地でありながらその被害が少ないことを高く評価していたのだ。

 だから、姪の命で宮廷にやってきた己をこの機会に囲って人となりを見ていたのだろう。

 しかし、呂賢宇が治める地に諍いが少ないのは、遊牧民族が暮らす地の間に山を隔てていることと、近くに住う遊牧民族のテト族がそれほど好戦的ではないためである。呂賢宇の力ではない。

 呂賢宇は高笑いを必死で抑えながら神妙な顔で口を開いた


「陛下の御心、しかと伝わりました。しかし、私が宮廷に身を置くとなると、もともと私が統括しております道湖省のこともあります故、少々お時間いただきたく」

「分かっている。突然のことで戸惑うこともあろう。しばらく時間をやる故、今後のことを考えて欲しい」

 皇帝に言葉に、呂賢宇は深く頭を下げて叩頭した。

その顔に、意地の悪い笑みを浮かべながら。


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