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後宮茶妃伝 ~寵妃は愛より茶が欲しい~  作者: 唐澤和希/鳥好きのピスタチオ
寵妃は愛より茶が欲しい

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43/90

貞は岩茶を味わう

「何アンタ、アタシを笑いに来たの?」


 寒く冷たい牢の中で、ぼさぼさの髪をそのままにして壁に寄りかかり座る貞が、采夏を見ながら忌々しそうにそう言った。

 少し前までは、自分のことを『わらわ』などと気取って言ってみたが、このみじめな姿でそのように自分を呼称してもただの笑い者だ。


「よかった。思ったよりも元気そうで」

 そう言って、采夏は薄く笑みを浮かべる。


「いやみのつもり? こんな状態のアタシに良く言えるわね。アンタのせいで、処刑の予定が遅れてるってきいたけど、何、情けでもかけてるつもり? なら、勘違いも大概にして。こっちはこんな惨めな思いをするくらいならさっさと殺してほしいってのに」

 と貞は言うが、その唇は微かに震えていた。

 強がりであることは貞自身も分かっている。


 それでも目の前で暢気に微笑む采夏を見たら、何か言わずにはいられなかった。


「すみません。でも、やっぱり貞様とお茶を飲みたくて」

「は? お茶?」

「こちらを。まだ温かいですので、このままグイッと」

 そう言って、采夏は持っていた蓋碗を貞を閉じ込めている格子の隙間から差し出す。


 貞は、それを一瞥してから改めて采夏を見た。


「……毒でも入ってるの?」

「お茶に毒なんていれませんよ。ちなみにこのお茶は私が作ったお茶で、采夏岩茶といいます」

「あんたが?」

 そう言って貞は目を細める。

 目の前の女の考えていることは本当に良く分からない。


 一瞬、手を振り払って碗ごと叩き落してやろうかと思ったが、やめた。

 ここは、寒い。温かいものが欲しかった。


「良く分からないけど、飲めばいいんでしょ」

 貞はそう言うと、受け取る。

 まだ十分温かい。

 しばらくこの碗で冷たくなった手を温めてから蓋を少しずらす。中身は当然、お茶。

 暗がりで色味は良く見えないが、普通の茶と比べると色が濃いような気がした。

 それに香りも違う。


「これ本当に、お茶なの?」

「お茶です。さあ、ぐいっと」

 采夏に催促され、貞は碗に口をつけた。


 なんでもいい。体が少しでも温まるなら……。

 そう思っていた貞の中に、茶が入り、思わず目を見開いた。


 口に含んだ瞬間、ふわりと花のような芳醇な香りが口内を占領したのだ。

 いつも飲んでいる緑茶とは明らかに違う。

 苦味もほとんどない。あるのは、蜜のような甘味、いや香ばしさと言うのだろうか。

 渋みも苦味もないのに、味に奥行きがある。独特な風味が体中に行きわたり、気持ちを軽やかにしてくれる。


 そして何より、飲んだ後のこの余韻は何だろうか。

 独特な余韻が、肺の中にまで行きわたり、返す息も花のように甘やかだ。


 それらを全て味わい、飲み込み貞は口を開いた。


「……思ったより、おいしいわね」

 小さくそう言った。

 不服そうに。


 その答えに、采夏の顔がパッと明るくなる。


「そうでしょう!? でもこのお茶をおいしくしてくださったのは、貞様なのですよ!」

「は!? アタシ? 何言ってんの?」

「貞様が、私が育てた茶の葉を野晒しにしてくださったおかげで、甘くおいしい茶になったんです!」

「野晒しにしておいしく……? ああ、発酵したってことね」

 なんとなしに、という感じで貞がそう口にすると、采夏は目を見張った。


「……はっこう?」

「知らないの? たまに腐らせるっていうか、時間置くとうまくなる食材ってあるでしょ? お酒とか。ま、金持ちの娘だと、いつでも新鮮なものが食べられるから知らないのかも知んないけど、どんな食べ物も、熟しすぎたぐらいが結構うまかったりするのよ」


「……発酵。そう、これ、発酵しているお茶なんですね。青国でいうところのお茶は、摘んだものをすぐに炒って発酵を止める茶、緑茶が主流ですが、確かに、遠い地では茶色に染まった妙に甘いお茶があると聞いたことがあります。そうでしたか、私が育てた采夏岩茶は、発酵させたことで本来のおいしさを引き出せたのですね……」


「何ぶつぶつ言ってんのよ。気持ち悪い。それに、このお茶、まだまだ発酵が足りないんじゃないの? もっと行ける気がするんだけど」

 貞が碗を掲げてそう言うと、采夏は眉を上げた。


「え? もっとですか?」

「そうよ。もっとおいしくなれるわよ、これ」

「もっと……おいしく……」

 貞の言葉を采夏は呆然と繰り返す。

 時が止まったようにそのままなので、貞が『こいつ頭大丈夫?』と思ったあたりで、采夏は笑い始めた。

 

「ふふ、ははは。やっぱり、貞様には敵いそうにありません」

「は? 何言ってんのよ。……何もかもを持ってるくせに」

 思えば、最初から采夏のことは気に食わなかった。

 綺麗で、清くて、上品で。

 一目見て、きっと宝物のように大切にされたのだろうと思えた。

 自分に無いものをなんでも持っていると、すぐに気づいた。


「確かに人より多くを持ってるかもしれませんが、でも、本当に欲しいものはなかなか」

「そういうの、うざったらしいのよ」

「不快に思われたらすみません。それで、これちょっと相談なのですが、実は私、多分すぐに後宮から出ることになるんです」

「は? 皇后になるんじゃないの? ……陛下に、気に入られてるでしょ」

「その陛下と約束をしたんですよ。陛下が政権を取り戻したら、私を後宮から出してくださると……」

 そう言って采夏は苦く笑った。


「なんでそんな約束したの? バカじゃない? このままいけば国母にもなれるっていうのに」

「ふふ。色々ありまして。それでですね、私は後宮から出る時、一緒に貞様も連れて行きたいんです。茶師として活動できるように陛下はしてくださるみたいで、なので、貞様、一緒に茶木を育てませんか?」

「は? どういうこと?」

「ですから、貞様には、私と一緒に茶木を育てて欲しいのですが、いかがですか?」

「はあああ?」

 貞の心底意味が分からないとでも言いそうな声が牢の中でこだましたのだった。



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