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後宮茶妃伝 ~寵妃は愛より茶が欲しい~  作者: 唐澤和希/鳥好きのピスタチオ
寵妃は愛より茶が欲しい

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貞は終わりを知る

(なんなの、この妃は! なんなの!?)



 後宮に入ってからというもの、貞に対してこのような振る舞いをするものはいなかった。

 誰もが貞の顔色を窺い、機嫌を取ろうと必死になって讃えてくれた。

 無視する者もいなければ、蔑ろにする者もあろうはずがなく、貞がこの後宮の中心だった。


 それなのに……。

 あまりのことに力が抜けて、掴んでいた侍女の髪が、貞の手から滑り落ちる。


 そして采夏を睨み据えたまま、貞は一歩進む。

「貴女、一体、なんなの……?」

 貞の声は消え入りそうなほど細かった。

 そして采夏に一歩近づく。

 この女を放置しては、いけない。


「陛下の寵愛を受けたからって、私より上に立ったとでも言いたいの?」

 また一歩。

 己はそこらへんの有象無象とは違う。


「私を見下すものは、全員死ねばいいのだわ」

 どす黒い声が、貞の口から漏れてゆく。

 もう采夏と貞は目と鼻の先にいた。


 そして貞の顔の前に、采夏は指先で何かをつまむとそれを目の前に掲げた。

 青味がかったそれは、采夏が先ほど炒っていた茶葉。


「貞花妃様、これを見てください。いいえ、嗅いでください。とうとう完成したんです。

 よくよく思い返せば、これもすべて、貞花妃様が、あの時茶の葉を落とし、踏みつけ、晒してくださったおかげです」


 そう言った采夏の目が輝いていた。声もはねるように軽やか。

 本気で、貞に感謝を示しているのだと分かる、満面の笑み。

 そのキラキラとした眼を見て、貞の中のどす黒い感情がよりくっきりと浮き彫りになってゆく。


「すぐに殺青するのではなく、葉っぱを揉みこみ、かつじっくりと寝かせることで、

茶葉の旨味を引き出すことができたのです!」


 恍惚の表情でそう言う采夏の瞳は、目の前の茶葉に夢中だ。


 貞は歯噛みした。


 この後宮と言う世界で、最も尊いのは自分なのに。

 明らかに自分ではなく、ただの葉っぱにばかりかまけている。

 こんな女を、こんな存在を許せるはずがない。


「おまええええ!」

 貞の金切り声が響く。

 手を振り上げた。

 この目の前の邪魔でしかない存在を排除するために。


 しかし。


「そこまでだ。貞花妃」


 後宮ではあまり聞くことの無い、低く重みのある男の声。


 貞は、ハッとして後ろを振り向いた。


 采夏に向かって振り下ろそうとした手が何者かに掴まれて止められている。

 そしてその者を見て、目を丸くさせた。


 柳眉な眉に、猛禽類を思わせる鋭い眼差し、つややかな黒い髪の美丈夫がいた。

 貞はまずその容姿の美しさに思わず見惚れた。

 そして、すぐにその人が着ている衣を見て、気づいた。

 輝くような濃紺の衣には、金糸で龍が繊細に刺繍されていた。

 この国で龍紋様を金糸で縫われた衣を着られるのは、一人しかいない。


 青国の皇帝陛下だ。


「へ、陛下……」

 貞は何が何だか分からぬまま、そうかすれた声を出した。


「探したぞ、貞花妃。どうして花陵殿にいるはずの花妃がここにいるんだ?」

 皇帝、黒瑛は落ち着いた声でそう言った。


 最初こそ戸惑って頭が回らなかった貞だったが、皇帝の言葉ににわかに笑みを浮かべた。


「わらわを探していたということは、わらわのところにお越しになられるのですね!? ああ、陛下、この時をどれほど待ちわびていたことでしょう!」

 先ほど采夏に向けて放ったどすの聞いた声ではなく、甲高い声でそう言った。

 頬は上気し、興奮で瞳が潤んでいる。


 陛下が来た。後宮で一番美しい自分の元に。

 これでやっと、後宮と言う世界で最も尊い存在になれる。

 貞は勝利に酔いしれていた。


 今まで一度も渡りに来ない皇帝を恨めしく思う日もあったが、こうやって来てくれたのだからもういい。

 全て許してやろうと、そう思った。


「待ちわびていた……? ほう、待っていたとは物分かりがいい。

 貞花妃。いや、罪人、貞よ」


 キラキラと輝いて見えた皇帝の口から、貞には理解できない言葉が漏れた。


「ざい、にん……?」

 分からなかった単語を繰り返す。

 それに、先ほどまで優し気に聞こえた皇帝の口調は、今ではどこか冷たい。


「お前は、伯父と共に罪を拭え」

「陛下、一体何を……キャ! い、痛い! 何をする!?」

 武装をした男たちが、貞の腕を乱暴に引っ張った。

 そして後ろ手に回されて動きを封じられる。


 貞は混乱した。


「何!? 何しているの!? 無礼者!! 陛下! 陛下お助けください!」

 そう叫びながら陛下の背中が見えた。

 もうこちらを見ていない。

 こんなに叫んでいるのに。


 恐る恐る周りを見ると、たくさんの男たちがいた。

 剣を帯刀している。


 武官だ。

 後宮では、早々見ることもない男達。

 状況を把握したいのに、余りの事に頭が混乱して何が何だかわからない。


 そして、貞はある人を見て、思わず目を見開いた。


「お、伯父様!!」

 貞と同じように、後ろで手の動きを封じられた秦漱石がいた。

 縄が厳重に巻かれ、頭から血が流れている。

 生きてはいるようだが、顔色がひどい。


「どうして、伯父様が!? 伯父様は、だって、伯父様は、この宮中で最も力のある……」

「最も、なんだって?」

 貞の言葉は最後まで続かなかった。

 皇帝がそう言って振り返り、貞を心底軽蔑するように睨みつけていたからだ。


 あまりの恐怖に、言葉を失った。


 そしてやっと理解した。


 皇帝が、伯父である秦漱石を討ち、政権を手に入れたのだと。


 目の前が真っ暗になり、貞はとうとう意識を失った。



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