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後宮茶妃伝 ~寵妃は愛より茶が欲しい~  作者: 唐澤和希/鳥好きのピスタチオ
寵妃は愛より茶が欲しい

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36/90

桂夕は出涸らしのうまさを知る



「な、なんでこんなもの……」

「いいから、さあ!」

 と采夏にすごまれたら気の弱い景夕は逆らえず、茶碗に少しだけ残っていた茶葉を口に入れた。


 苦味が来ることを覚悟で食べたため、眉間に皺を寄せていたが、出涸らしを口に入れた後少しして表情を変えた。


「あれ? 苦く、ない……? 渋くもないし、というか、むしろ……おいしい」

 そう桂夕が思わずつぶやくと、采夏が身を乗り出してきた。


「そうでしょう!? 出涸らしって、おいしいんですよ!」

「で、でも、今までも食べたことあるが硬くて渋くて食えたものじゃなかったのに」

「それは、きっと数煎しただけの出涸らしなのでしょう。ここは茶の生産地に近いですから、十分に茶葉が確保できます。わずか数煎しただけで茶葉を捨てようとしていたのではないですか?」

「それは、確かにそうですが……そういうものでしょう? 三煎目ぐらいまでは飲めますが、四煎目ぐらいになると味も落ちますし」

「確かに茶として美味しいのは三煎目と言われています。でも、淹れ方によっては、何煎でも味わえます。ちなみに私は煎じるたびに変わる茶を味わうのが好きなので、同じ茶葉で十煎以上は楽しむこともあります。この碗に入っていた茶葉はすでに二十煎ほど白湯をお代わりして飲んでました」

「そんなに!?」

 桂夕がそう言って目を丸くすると、その会話を横で聞いていた坦が采夏の近くに置かれていた湯を沸かしていた壺を見た。


「何……!? 白湯を入れていた大きい壺が空になってる!?」

 坦のその声を聞いて黒瑛は呆れたように首を振った。

「あの短い間に二十煎ってどんな手品だよ」

 そうわちゃわちゃと外野が何か言っているが、全く耳に入らない采夏は口を開いた。


「茶を淹れたら淹れた分だけ、残された出涸らしには渋みがなくなってゆきます。かといって無味と言うわけではなくちゃんと茶の味がし、葉も柔らかくなっておいしくなります。塩を少し付けて食べるのもいいですし、お料理に使っても最高です。何も知らずに、出涸らしを馬鹿にするのは許しません。私は出涸らしも好きですよ」

 采夏の言葉に桂夕は目を見開いた。

 戸惑っているのか、その瞳が微かに揺れる。


 そして顔を下げて視線を、碗に残った残りの出涸らしに向けた。


「……出涸らしが、こんなにおいしいなんて……」


 思わずという風に、ぽつりとつぶやく。

 さきほど出涸らしと共に、少しだけ口に含んだ茶の水が、優しく喉を潤してゆく。

 その潤いが、桂夕の心を優しく撫でてゆくようで、妙に気持ちが落ち着く。


 しばらく黙したのち、再び桂夕は顔を上げた。


「陛下、本当に秦漱石に勝つおつもりですか? 士瑛様でもできなかったことができると、本当に思いますか?」

 そう尋ねる桂夕の顔つきが、先ほどまでと違って、静かだった。


「……できるできないなんか俺には分からない。俺が決められることは、やるかやらないかだ。そして俺はやる」

 きっぱりと迷いなく言った黒瑛の言葉に、桂夕は眉を寄せた。


「恐く、ないのですか……?」

 桂夕の声は震えていた。


「恐怖がないわけじゃない。諦めようとしたことだってある。兄上にできなかったことが俺にできるわけないと思ったこともな。……だが、結局、今俺はここにいる」

 黒瑛は危険を冒してここまで来た。

 実際、もし桂夕に出会えず龍弦村に向かっていたら、陸翔に会うことも叶わず秦漱石の手の者に見つかってしまっていただろう。


 危険なことだと分かっていながらも、黒瑛はここまで来た。

 秦漱石を打倒するために必要だからだ。


「俺もその出涸らしを食べていいか?」

 そう言って、桂夕が持っていた采夏の碗を手に取った。

 そして、指先でひょいと中の出涸らしを摘むと、口に含む。

 皇帝がする振る舞いではなかったが、妙に色っぽく何故か品がある。


 そして黒瑛はにやりという風に口角を上げた。


「美味いな」

 そう言って再び視線を桂夕に向けた。


「確かに俺は出涸らしみてぇなもんだ。しかもまだなんか出るんじゃねえかって、すっかすかの出涸らしなのにお湯入れてまた搾り取ろうとしてる。だが、俺は、それでいいと思ってる。出涸らしっていうのは、飲まれれば飲まれるほど美味くなるっていうなら、俺は最高に美味い出涸らしだ。秦漱石を茶に例えたとして、そんな美味いお茶が出せるような器じゃなぇ。なら、最高品質の出涸らしの俺なら余裕で倒せるってもんだろ」

 桂夕は再び目を見開いた。

 陸翔もこれには堪えきれないとばかりに笑い声をあげる。


「ふ、ふふふ! これは、上手いことを言うようになりましたね、黒瑛様」

 陸翔は笑い過ぎてまなじりに滲む涙を拭いた。そして改めて顔を上げるとまっすぐ桂夕を見る。


「桂夕、貴方の負けですよ。貴方では秦漱石を討つという皇帝のお気持ちは変えられないようです」

 陸翔が柔らかくそう言うと、桂夕はどこかほっとしたように息をついてから頷いた。

 その顔には、少し前までの険しさはどこにもなかった。


「……実は、出涸らしって呼ばれていたのは私なんです。兄上も父上もお爺さまも偉大な人なのに、私は……ただの臆病者で」


「桂夕……」

 気づかわし気に名を呼ぶ陸翔に、桂夕は首を振る。


「私はそんな自分が嫌いで、でも変えられなくて。そしたら私と同じ出涸らしと呼ばれていた陛下が、秦漱石を討とうとするって聞いて……。焦ったのかもしれません。そしてそんなことできやしない、同じ出涸らしなのにって……。今思えば幼稚な考えに囚われてました」

 桂夕はそう言うと、椅子から降りて床に平伏した。


「陛下、数々の無礼をお許しください。陛下への協力を良しとしない北洲勢力の筆頭は私でした。私自ら考えを変えることで、北州のほとんどの者が協力的になるはず。貸し出せる軍備も増えます。

この愚かな私を許してくださるなら、どうか私にも秦漱石を討つ手伝いをさせてください。必ずお役に立ち忠誠を示して見せます」


「それはもちろんかまわねぇが……しかし急に考えを変えた理由が知りてぇな。まさか出涸らし仲間だからってわけじゃないだろ?」


「……ご存知の通り私は、山で盗賊に襲われました。その盗賊は、小さな赤子を抱えている男女で……謝りながら、私を襲っていたのです。すぐに分かりました。彼らは、こうしなければ生きてゆけない状況まで追い込まれていたのだと。そして追い込んだのは、悪政を敷く秦漱石と……彼に怯えて何もできないでいる私自身に他ならない」

 そう言って、桂夕はおずおずと顔を上げて采夏を見た。


「そちらの女性の方にも感謝を。無辜むこの民を盗賊に貶めてしまった自分の無力に荒れて、陛下を責めることで逃げようとしていました。貴女があの時、差し出してくれた出涸らしとそれと共に口に含んだ少しの茶のおかげで、ごちゃごちゃになっていた自分の気持ちに気付けました」

「いえ、私は出涸らしの良さを伝えたかっただけですし。出涸らしのおいしさに気付いていただけたのでしたら、他に言うことはありません。あ、何かお礼がしたいということでしたら、もらえるお茶はもらいますけど」

 あっけらかんとした采夏の言いように、ははとおかしそうに桂夕が笑う。

 そして再び黒瑛に視線を移した。

 真摯な瞳だった。そしてすぐに首を垂れる。


「陛下、どうかこの臆病者に、北州の民を助ける機会をお与えください」

 涙で濡れる声で桂夕はそう言った。



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