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後宮茶妃伝 ~寵妃は愛より茶が欲しい~  作者: 唐澤和希/鳥好きのピスタチオ
寵妃は愛より茶が欲しい

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23/90

采夏は怒りを覚える


 後宮の西の区画に、それは鮮やかな花が咲き乱れる区画がある。

 柱は鮮やかな朱色、左右に行くにしたがって反り上がる優美な軒反り、隅巴瓦には菊の透かし彫りが施されている。その豪奢な建物が、花妃が住まう花陵殿だった。


 花陵殿の紋が見えたところで、采夏の耳は異変に気付いた。

 騒がしい女たちの声がする。


 その声は聞くに堪えない罵りの言葉で、ようく聴くと合間に苦し気な声と、水音が聞こえた。


(この苦し気な声は、玉芳妃……?)

 くぐもってよく聞き取れないが、玉芳の声に聞こえる。

 采夏は嫌な予感を頂きつつ、挨拶もなしに花陵殿の門扉を押し開き中に入る。

 幸い見張りがいなかったため、すぐに中に入れたが、辺りを見渡して見つけた光景に唖然とした。


 小さな池の周りに、綺麗な襦裙を着た女たちが集まっている。

 彼女らは、それぞれ長い棒状のものを持ち、笑いながら池に向かってその棒で突っつくようなそぶりを見せる。

 そして、その棒を向けている先には、あろうことか……。


「玉芳妃……!」

 玉芳が池の中に落ちていたのだ。

 顔を出してはいたが、岸辺に上がろうと近寄ると、周りの女達が棒を押し込んで玉芳が池から上がらないようにしている。

 また、辛うじて池の上に上がっている顔に棒をぶつけて沈ませようとしているようにも見えた。


 どのくらいこのような状況にされていたのか、玉芳の顔色はすでに青白い。


「何をしているのですか!?」

 采夏の声に、玉芳を棒でつついていた者達が采夏を見た。

 こんなおぞましい状況の中、女達はどれもこれも笑っている。


 采夏は、彼らに今まで感じたことのないほどの怒りを感じたが、まずは玉芳の無事を確保するため走った。


 采夏は、女達を退け駆け寄ると、力なく腕を伸ばす玉芳の手をとって岸の方まで引き寄せる。

 玉芳の手は、棒につつかれたせいか、血が滲み、赤く腫れていた。


 玉芳が以前、采夏に、二胡を弾く私の手は誇りそのものだと話していたことを想い出して、悔しくて、涙がたまる。


 采夏は服が濡れるのも構わず、玉芳の腕を自分の肩に掛けて引き上げさせた。

 手だけでなく、腕や顔にも傷がある。

 水をいくらか飲んだようで、ゲホゲホと苦しそうな咳をして、水を吐き出していた。


 いつも元気で明るい玉芳の弱った姿に、采夏は頭がおかしくなりそうだった。


「なんてことを……なんてことをなさるのです!?」

 采夏は女達をきつく睨みつけた。

 女達は、采夏が来てからは何もせず傍観を決め込んではいたが、その顔には嘲笑が浮かんでいる。

 そして女たちの中心には、派手な衣をまとった貞花妃がいた。


 貞花妃は、棒を持ってはいない。

 だが、周りの宮女たちに命じて玉芳を池に追いやったのは明らかだった。


「あらあら、采夏妃じゃない。どうしたの、そんな大きな声出して、はしたないわ」

「……!」

 鼻にかかったような声が癇に障る。


 ここまで人を醜いと思ったのは、采夏は初めてだった。

 茶にほとんどの興味を持っていかれていたため、人づきあいが極端に少ないというのもあるかもしれないが、いままで良い人たちに囲まれて生きてきた。


 このように平気な顔で人を傷つける者がいるということを、采夏は知らない。


「……ご、ごめん、私……」

 下から、震えた声が聞こえる。

 ハッとして下を向くと、玉芳が、唇を震わせて何かうわ言のように呟いている。


「玉芳妃、大丈夫なのですか!?」

「私、取り返せ、なかった……貴方の……誇り……」

 寒さで歯を震わせながらそう言うと、弱弱しく顔を上げて視線を貞達のいるところから左側に向ける。

 采夏も玉芳の指し示す場所を見た。


 そこには、壊れた籠があった。

 踏みつぶされたのか、半分側が砕けて穴が開き、そこから中に入っていた茶の葉っぱがこぼれて、池に流れていた。

 池に茶の葉っぱが浮いている、そしてもっと奥には……。


「二胡が……」

 玉芳の二胡が半分に折られた形で浮いていた。

 愕然とした。


 今朝のことを思い出す。この二胡は、特別だと、そう言った玉芳の顔を。


「玉芳妃が、一体何をしたというのです!?」

 そう言って、采夏は力いっぱい貞花妃を睨みつけた。

 頭に血が上る。


「その女は、花妃であるわらわに無礼な口を利いたのよ。これは正当なお仕置きなの」

「無礼な、口……?」

「そうよ。わらわを盗人呼ばわりしてきて、この籠を奪おうとしたのよ。というか、これ何?

 質の良い布で包まれていたから宝石でも入っていると思ったのに、ただのゴミじゃない」

 そう言って、貞は池の縁に置かれた壊れた籠―――中に采夏の茶の葉入った籠を蹴った。


 ぽちゃんと軽い音を鳴らしてそれは、池に落ちる。

 もちろん、中の茶葉も一緒に。

 茶の葉っぱが枯れ葉のように池に浮かぶ。


「……それは私のものです。玉芳は、それを取り返そうとしただけ。あなた方が最初に私の屋敷からそれを奪ったのではないのですか!?」

「あら、分かってないのね。後宮にあるものは全て私のものなのよ。もちろん、鳥陵殿にあるものもね。それなのに、こともあろうにこのわらわを盗人などと呼ぶなんて……到底許せることではないわ」

「な、何を言ってるの? こんなことが当然だと、本当に思っているの?」

「当然でしょう? だってわらわは花妃なのよ。そして、あの秦漱石の姪。お前たちのようにどこの馬の骨とも分からぬ者の血筋じゃないのよ。何をやっても許される。唯一高貴な者。わらわがここの、この後宮の、絶対なの」

 歌うように貞は高らかにそう言った。

 瞳は陶酔するように遠くを見ていて、顔は歪だった。


 その様を見て彼女が本気でそう言っているのだということが、采夏には分かった。

 分かったからこそ、嫌悪した。


「そんなこと、許されるはずがない。人の物を勝手に奪い、罪のない玉芳をこれほどまでに痛めつけて、それが当然などと考えるあなたは、正気ではないわ」

「おだまりなさい。下級妃風情が。どんなにお前が陛下にすりよったとしても、与えられる位は鳥妃どまり。わらわの方が上なのよ。それなのに……」


 そこまで言って貞は堪えられないとばかりに顔を醜く歪めた。


「陛下に呼ばれたのが自分だけだと調子に乗って、この糞女が! お前にも身分と言うものを教え込まないといけないわね! さっさと頭を下げろ、この無礼者が!」

 泡を吹くようにして罵る貞。

 正気ではない様子に采夏は絶句した。


 そうしているうちに貞の怒りは止まらない。

 貞は隣にいた自分の侍女の一人の腕を掴み無理やり前に押し出した。

 侍女はよろめきながらも前に進み、貞を振り返る。


「お前たち、何をしているのよ! さっさとそいつの頭を地面に……いいえ、池に押しこみなさい!

 溺れさせてやる!」


「し、しかし、貞花妃様、采夏妃については、秦漱石様よりくれぐれも……んぐ!」

 貞が、話す侍女の喉を掴む。

 途中で言葉を失った侍女が苦しそうに顔を歪ませた。


「お前は、誰に向かって口を利いてんだ! いいからさっさと、やるんだよ!」

 そう叫んで、貞は侍女を解放する。


「ふぐ、ごほ、ごほ……は、はい……!」

 侍女は、胸を押さえて息をしてから、辛うじて返事を返す。


 そして恐怖で怯えた顔で采夏を見た。

 その侍女に続いて、他の侍女達も顔を強張らせて采夏に詰め寄る。


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