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第九十四話 一方その頃の少し前

「どこに行ったの、あの子。……リリア」

 妹の名に気持ちがこもる。

 振り返りざまぐしゃりと切り捨てられた魔物が崩れた。エレノアは剣の血を払いながら、迷路のように続く通路の先を見据えた。

 ルインの冒険者ギルドでリリアが迷子になっていると聞いて数時間後、彼女をおいかけることに迷いはすれど捨て切れなかったエレノアは、リリアが向かったと思われるルフロワ遺跡まで来ていた。リリアには死んだと思われているかもしれないし、そうでなくても疎まれている。死んだと思われているのなら好都合。だからこそ姿を見せる気は毛頭なかったが、聞いてしまった、知ってしまった以上、このまま放置して憂いなく勇者を探すという目的に邁進できるとも思い切れなかった。今更家族として心配し、姉として気に掛けるなんて、リリアとすれば激怒する事柄であろうけれど。恐らく誰から見ても本当に今更、なのだから。

 けれどエレノアとしては、城から出て世間的には死者となり、勇者を未だ見つけられない現状の今が、エレノアに許された束の間の自由でもあった。

今更と言われればそれまでだが、今だからこそ動くことができる、といいうことでもでもある。

もしかしたらこの遺跡の中に探している勇者がいるかもしれない。そんな時にたまたま妹を見かけて、自分に立ちはだかる魔物を切り捨てていたら妹を襲う魔物もいなくなっていた。そんな言い訳を心の中でとある相手に向けながら、エレノアはリリアを追いかけてきた。

半分埋まった入口とも呼べない穴を見つけ、内部に侵入した後は薄暗い通路と、なぜか大量に発生している魔物をくだして、あの懐かしい赤髪を探す。

 片っ端から魔物を切り捨てても次から次へと間欠泉のように湧き出てきて、エレノアは剣を振っても落ちなくなった血脂を持ち歩いている布で拭った。

 浄化の魔法を使ってもいいが、エレノアは魔法や魔術は不得手だ。魔力も温存したいこともあり、疲れた様子も見せず歩みを進める。

 疲れてはいないが、エレノアは順調に歩みを進めることはできなかった。

 ある時は少し浮いた石に躓いて転んだ。その際前のめりで地面に体を打ち付けるが、その際体で押さえることになってしまった床石一つが沈んだ後、頭上でひゅんっと矢が飛ぶ。あのまま転んでいなければ頭を打ちぬかれていたであろう矢を気にすることなく、地に打ちつけ軽く赤くなった額をさすりながら、少し恥ずかし気にエレノアは立ち上がった。

 またある時はとびかかってくる魔物を避けようとすると、落とし穴の仕掛けが作動し床が消え、飛びかかってきた魔物達がエレノアとともに落下する。エレノアは咄嗟に身をひねって魔物の体を踏みつけて跳躍すると、力を入れすぎて天井に頭をぶつけ、涙目ながら安全な地に降り立った。一方踏みつけられた魔物達は槍だらけの落とし穴に吸い込まれ落ちていく。「うう、痛い……」とこぼしながら頭を抱え痛みが引くまで耐える。ちらりと落とし穴の底を見ると、槍に貫かれた魔物達がまだかすかに動いていた。ふと、その魔物達がよく森で見かける種の魔物ばかりだな、と思う。けれど、そのことを深堀して考える気にはなれず、頭の隅に追いやった。

 遺憾なく発揮されるエレノアのドジのためそうこうしているうちに、ズドン、ドドドドドと地が揺れ、思わず壁に手をついた。それと同時に、エレノアの右目が疼いて押さえる。鏡があればエレノアの右目から四つの歯車が浮かび上がった姿が見えただろう。

「これは……、お母さん?」

 エレノアは右目に起きた異変に思い当たることがあった。

 別の場所で起きた何かに共鳴したのか、エレノアに残された微かなエレノアの母の魔力が引きずり出された。

 もしこの場に優人がいれば中二病設定……、と呟いたかもしれないが、ここに優人はいない。

 エレノアは引きずり出される魔力をぐっと力を込めて収め、魔力が引き寄せられるほうに歩を進めた。やがて辿り着いたのは石の扉。それを開くと、そこは広い地下空間で、たくさんの建物や、珍しい形の建造物がひしめく場所に出る。

巨大な一つの車輪のようなものが一番に目に入り、長い蛇のような線路のあるものが目立っている。エレノアがこの不思議な空間に驚いていると、視界の下からブワリと光が発せられ、考える間もなく走り出した。この空間の地表いっぱいに広がる魔法陣。建物の屋根伝いに跳ねながら、その光が一際輝いた場所へ身を躍らせる。先にエレノアの目を引いたのは光の元よりもその近くにいる優人だった。その次に、その場にいた二人の男と一人の少女。

右目が痛む。男の一人が持つ水晶は実物を見るのは初めてだが、白い結晶の中に金の光が反射している時水晶だ。ということはつまり、この魔法陣は時間に干渉するもの。時の扱いは非常に難しいとエレノアは母から聞いていた。それに優人が巻き込まれてしまうかもしれない。エレノアは一瞬で誰を一番に叩けばいいかを瞬時に割り出し、眼鏡をかけたボサボサ頭の男に斬りかかった。

「はぁぁぁぁぁああああああああ!!!」

 しかしエレノアの剣は紺の髪の男に受け止められ、そのあと一瞬収まりかけていた地表の光が先ほどよりも強く輝き、思わず片目を閉じる。意地でも敵から目を離すつもりはなかったが、その男は光とともにどこかへ消えてしまった。

 受け止め先を失った剣先はそのことに動揺することなく、エレノアは地に降り立つと同時に蹴り上げ、下からもう一人の白髪の男の首を狙った。

しかしエレノアと男の間に紺の髪の男が再び現れる。

さすがにエレノアが目を瞠るが、白髪の男はのんびりと紺の男に問いかけた。

「おやおや、ずいぶんお早いお帰りで。どうです?会いたい人には会えましたか?」

「……」

 紺の男は悔しいことに、エレノアの剣を左手の指二本で受け止めていた。

「っ!」

 ぐっと力を籠めるが、びくともしない。押すことも引くこともできないが、エレノアは冷静に相手を観察しながら敵意を向ける。だが、一方の男はエレノアをじぃっと見つめた後、ため息をついた。見つめていた時の彼の目には、哀切が浮かんでいるように見えた。まるで、エレノアにエレノア以外を見ているような。

「そうか、君は彼女の……。それで時水晶ときずいしょうが反応したのか」

「なんの……話をしているんですか?」

 エレノアの問いには答えず、紺の男はふいっと視線をずらし、白髪の男と話し出す。

「彼女とは会えなかった」

「おや、失敗でしたか」

「いや、時間自体はとべた。だが、彼女のいる時代には行けなかった」

「なるほど。時間軸も考えなければならないということですね」

 エレノアの剣は彼の指に止められたまま動かせない。自分との実力差が明確に察せられる。だからと言って引けるものではないけれど。

 そのとき、ぶわりと黒い触手のような、煙のようなものが周囲から噴き出す。その煙が近づくごとに体内の魔力がざわつき始めた。母の魔力ではない、エレノア自身の魔力に与えられた影響。これは言うまでもなく良くないものだ。

「おお、これは!『変質』!いいですねぇ。この場所は興味がつきないですねぇ!」

「はぁ。行くぞ。あれらには手を出すな」

「おやぁ?見逃すのですか?」

「事情が変わった」

「ふむ。なるほど。……まあ、あなたがそういうなら従いましょう」

「……今日は大人しいのだな」

「ええ。手を出さないだけ・・であれば、私にも益がありますので。ヒヒヒヒヒ」

「そうか」

 一度目を閉じた紺の男はエレノアと向き直り、右手で彼女の腕を掴む。

「くっ!」

「ともに来るか?」

「お断りします!」

 一考の余地もない。母から残された魔力の共鳴によってほんの少しだけ覚醒していたエレノアは、むしろこれは捕まってはいけない男だ、という脳からの警鐘を受けている。

 エレノアはその手を振り払おうと力を込めるが、びくともしない。だが紺の男はさらに腕に力を込めた。その時みた彼の目には、暗い執着の色が見えた気がした。まずい、とエレノアは瞬時に心を閉ざそうとしたとき、優人の声が耳に届く。

「その手を離せよ」

 ゴオッと風の塊が走り抜け、紺の男とエレノアの間に叩きつけられると手が離れた。

「おお!無詠唱のうえ『変質』の影響を受けていない!これは素晴らしい!」

 白髪の男が一人ではしゃいでいるが、誰もそちらに目を向けない。解放されたエレノアはそのままふわりと崩れた屋根から離れ、優人の隣に降り立った。なぜかそれだけなのに、安心感が全身を包む。

「大丈夫か?」

「すみません、ありがとうございます」

 労わるような優人の視線にエレノアは目を伏せた。執着というものはよくない。それに触れてエレノア自身の感情が引きずられてしまうと、これまでの聖女達が多大な犠牲を払って守ってきたものが解けてしまう。

 あの紺の男の執着はエレノア自身に向けられたものではなさそうだが、あてられてしまう可能性があった。それだけ、深く暗いもののような気がした。

 だからこそそこから引きはがしてくれた優人に申し訳なさと感謝が胸に満ちる。

「いや、なんかよくわからんがあんたが来てくれて良かった気がする」

「……いいえ、恐らく私が来たせいで彼らの目的が達せられたのかもしれません」

「?」

 あの二人の目的は時間への干渉だ。だけど、おそらくなにかが足りずに発動せずに終わりそうであった。そしてそのなにかがきっと、エレノアの中にあった母の魔力で満たされたのだろう。軽率に近づくべきではなかった。

 意識なく唇を噛みしめる。

 そのとき地面が揺れ出し上から石が崩れ出した。そんな中でも紺の男が、エレノアから離れた片手を眺め、今度は優人に冷たい眼差しをむけた。

「そういうことか」

 優人の体が強張ったのを感じる。

 しかし紺の男と白髪の男はそれ以上なにもすることなく、同じ光に包まれると、一瞬で消えた。

「早く動け!」

 フードの男が鋭く叫ぶ。そういえばと、エレノアはこの場にもう一人いたことを認識した。視界には入っていたが、完全に意識の外にあったのだ。

「でも、どこに……」

「こちらです」

 緊急事態発生中のその場にそぐわない、色を感じない知らない声がかけられた。声はいつの間にか立っていた、白い魔導自動人形オートマタから発せられたようだった。はっと上から落ちてくる岩に気づいて優人を引き寄せる。

「ユートさん!」

「うえっ!」

 その、先のとがった岩は一秒前まで優人のいた場所に突き刺さった。

 エレノアの入ってきた入口は今の自分達が見下ろせる場所、つまり一段高い場所にあった。そこを目指すには危なく時間もないように感じる。エレノアもそう考えていたところに、優人もその魔導自動人形オートマタについていくことにしたようで、エレノアもそれを追いかける。やがてどこかの入り口にたどり着き、そこに入った瞬間ぶわりと風が下から舞い上がって体が浮いた感覚があったあと、目の前で優人とフードの男が消えてしまった。

「え、ユートさん?!」

「……」

 困惑しているのはエレノアだけでなく、魔導自動人形も同じようだった。エレノアの腰のあたりまでしかない体長の自動人形は、人間でいうと目のあたりになる黒い画面を忙しなく点滅させる。

「……とにかく、あなただけでもこちらへ。彼らの行く先は、この先で探すことができるかもしれません」

 困惑を伝える挙動と、無機質な声のズレに違和感があるが、エレノアは他に方法もないのでそれに従うことにした。

「それが一番いい方法ということなんですね?」

「はい。それに、他に選択肢はありません」

「わかりました」

 背後の揺れはいっそう酷くなっている。優人の気配も一切感じられない。魔力の痕跡などもあるかもしれないが、今のエレノアはそれを追いかけるすべを持っていなかった。

 動き出した自動人形を早足で追いかけると、やがて一つの部屋の前に辿り着く。閉ざされた扉に近づくと、それは自動的に開かれた。中では先ほどの地下空間以上に見慣れない空間だった。

 たくさんの自動人形に似たような機械が並ぶ場所だった。とにかく四角く、カクカクしたものや、コードのようなものがたくさんある。エレノアにはそれがなんなのかはわからないが、かつての聖女の記憶の中に似たものがあったような気がした。そう、これはこの遺跡の中を管理する装置だと、エレノアは理解する。

 一番正面奥にある巨大な壁は、モニターと呼ばれるもの。今は真っ暗だが、かつてこの場所を作った勇者は一日中そのモニターを見てなにかしていた。

 そのモニターの前には、一つの椅子が置かれていた。エレノアが近づくと、その椅子にはなにかが座っているように見えた。それがなんなのかを半ば理解しながら、その椅子の正面にまわると、そこには白骨化した亡骸があった。第三十五代目勇者、イネス・エルランジェの成れの果てだった。



副題 すれ違い

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