第百十話 ヒーローショーにヒーローが現れなかった理由
2023/10/16 追加
雪の女王の精神世界に残されたイネスの意思の残滓は、「助かった、ありがとう!」と言葉を残して去っていく後輩勇者を見送りながら、かつての記憶に思いを馳せた。
彼が勇者として召喚され、エネルレイア皇国から強制された魔王討伐の要請を蹴り、この異世界に飛び出した当時。イネスの故郷は魔法も魔法工学も発達した世界で、イネスはそこのエンジニアだった。彼はその知識を活かし、皇国の追手から逃げることには苦心したものの、充分距離を稼いで自分の引きこもる巣を作り上げた。誰からも見つけられないように、地下に施設を作り、たまたまその土地にいた大精霊と取引をして、自分と同じようにその場所に隠れ住んでいた魔女の一族の研究をしつつ、彼は自分の身の回りを整えていた。
やがてその場所に気付き、訪ねてくる人物がいた。それがカタリナだった。彼女はエネルレイア皇国の皇女であり、聖女であった。イネスものちに知ったことだが、彼がエネルレイア皇国の追手から逃れられたのは、彼女の助力があったからだった。
彼女はイネスの居所を見つけながらも、彼を皇国に連れ戻すこともなく、たまに訪れ言葉を交わし、研究以外の生活にはとんと無頓着な彼の生活を整えた。お風呂に入ることも食事をとることも忘れがちな彼のために、様々な世話を焼いた。
イネスは、彼女が毎回苦労しながら遠くから食料を運んできていることに気付いた。
彼は地下施設の上に町を作った。
たまたまその町を見つけた旅人が始まりとなり、やがてその町はたくさんの人が生活するようになった。その町は流通が始まり、カタリナが遠くからわざわざ食料を調達する必要がなくなり、ちょっと変装をして地上に生活用品を調達できるようになった。
カタリナは、そんな遠回りで不器用なイネスを見守りながら、交流を続けた。
そんな日常から二年経った。
いつも通り地下施設の制御室で、近づくその気配に気づきながら、イネスは組み立てていく魔導自動人形に落とした視線を上げることはなかった。だが彼女は勝手知ったる部屋を進み、臆することなく単刀直入に本題を投げかけた。
「私はこれから死んじゃいます。魔王の封印に行きますので。聖女単体でできることはそれがギリギリなんです。悲しいことですよね」
イネスのスパナを握る手に、ぎゅっと力がこもる。
「お前それ、完全な貧乏くじだろ」
「そうです。貧乏くじなんですよ、この立場も、これまでのなにもかも全部」
「なら別に、お前がそれにならなくたっていいじゃん」
イネスは逃げた。理不尽な役割だったが、求められたことから逃げた。だけど、カタリナは違った。イネスが放棄した分も、抱えて逝こうとしている。
「でも、誰かがやらなきゃいけないことなんです」
「だから、お前がその誰かにならなくったっていいだろ!」
「ならば、誰がそれをやるんです?さらに無関係の人間に押し付けるのですか?」
今から死にに行くというのに、彼女の声は揺らいでいなかった。
「……」
「私は、無関係の人間に押し付けてのうのうと過ごすなんてできません。そうして生きながらえたとしても、一生消えない罪悪感に、楽しい時もうれしい時も、どんなに幸せな時だって、水を差されます。そんなものに私はなりたくない。だから、同じように巻き込まれただけのあなたには、私にできる最大限の自由を用意したつもりです。私自身が、自分の意思関係なく犠牲のシナリオに巻き込まれた者だからこそ、他に強要することは嫌です。これは、役目とか責任とか、そういうことではないんです。私の生き方の問題なんですよ」
「……」
イネスはゆるゆると顔を上げる。
「だから、死にゆく私からのせめてのお願いです。私の命を使っても、魔王を封印できるとは限りません。できたとしても、魔王はいずれ復活する。特に私一人の封じでは長くもたないでしょう。それに、あなたがもし重い腰を上げて、私とともに戦ったとしても、倒すのは難しい。勇者と聖女がそろったこれまででも、一度も成功していないわけですからね。だからこそ、あなたの次か、その次になるかはわかりませんが、いずれ訪れるその時のために、あなたの力を貸してあげてほしい」
「今までの勇者と同じように、か?」
「どんな形でも構いません。それが有効かもわかりませんし。でも、私も自分の勝手で次代以降の聖女に難題を先送りしますからね。封印で終わらせようとするということはそういうことです。このシステム自体を壊す力は私には無い。この因果は続くでしょう。だから少しだけでも、のちが楽になることがあるのなら、用意しておいてあげたい」
話そうとすればするほど、呼吸がしづらくなって言葉が出ない。落ち着こうと息を長く吐いた。
「……あいにく、俺に誰かへ残せるものはなにもない」
「……そうですか。それならそれで、仕方ありません。ないものは、残せませんしね。だけど、『正義は必ず勝つ』のです」
「なんだその、ヒーローが言いそうなセリフは。ヒーローは現実には存在しない。おとぎ話の中だけの存在なんだ」
「あなたが『いない』と断言するのは、あなたが救ってほしかった時に、その『ひーろー』は来てくれなかったんですね」
どきりと、心臓が一際大きく鳴った。
イネスが幼い頃、彼はヒーローの特撮が大好きだった。憧れた。どんな人も助ける、悪人だろうが善人だろうが困っていたら助けて、ありがとうと言ってもらう。そんなかっこいい『ヒーロー』になりたかった。だがそれはテレビの向こうの話で、学校で、いじめられて、殴られて、辱めを受けて。どれだけ助けを叫んでも、現実では彼が助けてほしかった時にヒーローは現れなかった。イネスに出来たのは引きこもって陰気に陰口をネットに書き込むだけ。嫌いな奴は嫌いなままだし、困ってるやつも特に興味がわかない。自分はヒーローには向いてないと悟った。
だがカタリナは、そんな諦めを抱えるイネスに、期待を伝える。なぜならカタリナは知っていたから。二年間の言葉を交わす中で、自分の勇者が、貶しながらも自分の故郷の『ヒーロー』について話したとき、憧れを捨てきれていなかったことと、語る目が輝いていたこと。
「……」
「正義は人によって違います。『正義は必ず勝つ』の正義は、世間一般に正義と呼ばれるものです。あなたにはそれが欲しかった時に、現れなかった。けれど、だからこそ、あなたは、誰よりも『ひーろー』になれる。『ひーろー』がどんなものか、よく知っているあなただから。だからどうか、のちの人達にとっての『ひーろー』であってください。その、いつか、が来た時のために。どうか」
「俺は、ヒーローにはなれない。そんな器じゃない」
必死の懇願にもすげなく返すイネスに、カタリナは憂いない笑顔を返した。そんな彼女にイネスは顔をそむける。
「では、もう行きます。お元気で」
それは永遠の別れの言葉だった。法衣を翻して彼女が去った制御室で、考える。
別に自分が望んだことではなくても、カタリナは恩人だった。その彼女が死にに行くというのに、自分は彼女を守るための行動に移せなかった。
この世界で唯一、己を大事にしてくれた人を見捨てた。
自分の身の可愛さで、なにもできない俺が『ヒーロー』なんかできるはずがない。なんなら彼女のほうが『ヒーローではないか』
だけど……。
イネスは小さい声を落とす。
「もし俺の目の前に来た奴なら、手伝ってやるよ」
助けてはやれない。でも、手伝うくらいはしてやる。恩人の、最期の願いだから。
そこまで振り返って、残滓のイネスは笑う。
カタリナが死んだあと、シルフからの依頼で、雪の女王の暴走を止め、瘴気の巨人を倒した。そして封印を施した。
魔王ではない。だが、千年前の世界滅亡の危機を救ったのは確かに自分だった。だがそれは誰も知らない事実だ。ただカタリナが救った世界が壊れるのが許せなくて、珍しく本気で動いたことだった。だから、誰からも感謝されることもなく、裏でこそこそしてただけだった。
でも、千年経った今。「ありがとう」と言われた。
「約束は果たしたと思っても、いいよな?カタリナ」
そのままイネスの“残滓”は消えていった。




