第百六話 実験の跡
テルマ視点 かなり残酷描写あります。ご注意ください。
ルインの町は猛吹雪に襲われていた。つい二時間ほど前は夏特有の暑い日差しが注ぎ、鬱陶しい湿気が漂っていたにも関わらず、だ。テルマはノースリーブの服にマントの前をかき寄せながら、町の混乱を思い浮かべた。
急激な寒さと吹雪に襲われた町は混乱している。そもそも最近頻発していた地震やスタンピードによって町には徐々に不安感が高まっていた。そのうえ、住人が突如魔族になるという奇病も発生したことで、何かしらの異変の存在を町の全員が認識したばかり。幸か不幸かその異変への究明及び対処のためにエリアマスターが現在の吹雪に対して住人の避難などの指揮ができる人間はいるが、果たして逃げ場はあるのだろうか。
テルマは避難する町の人が右往左往する状況を置いて、町から離れる自分にぎゅっと拳を握る。
「エリマスとアランさんが奔走してたし、あたしはあたしの依頼をこなすよー」
もしこのまま自分も町を出てしまえば、自分の仕事を達成する機会がなくなるだろう。そんな予感がしていた。
テルマは胸元にしまっている包みをぎゅっと手を当て、右手でペンデュラムを垂らした。
じっと待つ間、吹雪に煽られて髪が揺れる。逆に重りはぴんと糸を伸ばし、やがて右に引っ張られた。
「あっちなのね」
テルマはペンデュラムの導きの通りに足を進めた。
森を進み、何度かむき出しの遺跡の一部を通り過ぎていく。そこまでもだんだん強くなる地響きに足をとられることはあったが、その時は一際大きな地震が起きてよろける。
「くっ!」
足を踏みしめても足らず、地に尻もちをついてしまったが、地響きはおさまった。
そのまま立ち上がろうと見あげると、そこには吹雪の渦巻く塊のような巨人が立ち上がろうとしていた。
「あれ、なに?!」
吹雪の塊はもはやぐるぐる巻きにした糸に見える。ミイラにみえるそれが吹雪だとわかるのは、それが振り下ろした拳の周りがぎゅるんと木や建物を根こそぎ巻き込んでえぐらせるからだ。それが、恐ろしいほどの強風によるものだとわかる。
その巨人はルインの町の中心部へと一歩一歩踏み進めた。その一歩をされるたびに、地面はえぐれてまさに破壊の足音だ。
それが巨大がゆえにテルマもその様子を見られたが、近づけばひとたまりもないことはすぐにわかった。そしてひとたまりもないのは、ルインの町も同じだという予感に背筋が凍る。
「ど、どうしたらいいの!」
あんなわけもわからない巨人が町に入れば、すぐに避難個所に辿り着いてしまうのではないだろうか。
巨人が進むたびに立ち上がれないほどの地震に翻弄されながら、テルマは唇を噛みしめる。
それまで受けていた風とは違う気配の清浄な風が、まるで背を支えるようにテルマの周り吹き始める。地震はそれまでと変わらないにも関わらず、しっかりと立ち上がれたテルマは目を瞬かせながら、その風に触れようとした。だが当然のごとく、風には触れられない。
そんなとき、再び頭上で不可思議な音がして見上げると、赤と青の白の、なんとも形容しがたい巨大な、人の形をしているにしてはとてもカクカクしていてつるつるしているものが現れ、吹雪の巨人に腕を伸ばしていた。
その腕はなぜか火を噴きながら巨人に発射され、吹雪の巨人にぶつかるとぎゅるんと吹雪を吸い込むようにしてその部分だけ掻き消える。けれど雪の巨人のその部分はすぐにまた吹雪で埋まってしまった。
発射された腕はまた元の腕に戻ってきて接合される。
そこまできてテルマもやっと理解した。あのカクカクした巨人は、吹雪の巨人と戦っている。
それが敵なのか味方なのかはわからないが、なぜかテルマの周りの風の音が心配するなと言っているように聞こえて、テルマは再びペンデュラムの導く方向へ足を進めた。
やがて遺跡の中へ入り、持ち歩いている魔力灯で先を照らしながら地下へ地下へと潜っていく。時々テルマには理解できない様相の部屋を通り過ぎながら辿りついた先には、これまで通り抜けた小部屋よりは広い空間に出た。その空間には、机の上には紙が散乱し、自分の背丈の大きいものから手のひらより小さいものまでのガラス器具のようなものが乱立し、
そして血と肉の腐ったにおいが充満していた。
袖で鼻と口を覆いながら歩みを進めると、空間の奥に鉄格子があった。いくつもある牢屋の中には扉が開いてなにも入っていないものもあったが、閉じているところには無残な死体が何体もあった。
テルマは気の毒そうに目を眇めながら、そのうちの一つの牢屋に入る。
「……ここにいたんだね」
テルマはしゃがみ込みながら、目の前に落ちていた腐りかけた小さな腕に声をかける。
そして胸元にしまっていた包みを取り出して、その中にあった櫛や髪飾りや紙切れなど様々ある中の一つの小さな人形を取り出した。
「あなたは、これだね」
ペンデュラムはその人形の持ち主を示す。テルマが周囲を見渡せば、牢屋の中に転がる死体だけではなく、壁際に置かれたいくつかの樽にも手足や肉の塊がはみ出している。それは人のものだけではない。
「帰ろうか。お父さんとお母さんのところに。あなたのこと、待ってるよ」
テルマはそっと目を伏せる。依頼人たちから預かった、行方不明者たちの愛用品や所縁のものの持ち主は、全員この場にいるようだ。
テルマは切ない顔で、ペンデュラムの導くままに体の欠片たちを集め、丁寧に包みながら声をかけ続けた。
「つらかったね、苦しかったね」
「できるだけ、みんなをお家に戻してあげるからね」
「全部は無理なの。ごめんね」
テルマは涙を流すことはなかった。




