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第百話 タイトル未定

  やきとりがあわてて受け止めると、その少女はここに来るときに俺達を飲み込んだ、雪の女王の姿をしていた。だが、明確に違いもあった。その少女の胸から下が、木の根のような、凝り固まってしまった巨大なイボのようなものと一体化していた。

 素人目に見た判断にはなるが、足が完全にイボに覆われて、むしろこれは両足がくっついてしまっているようにみえる。彼女は精霊ということだし、人間として考えてはいけないだろうが、まともに歩けそうにない。

 女性に触れるのもどうかと思うが、あまりにも痛々しいそれに触れる。その瞬間、彼女の目がかっと開かれた。そしてそのまま上体を起こすと、手で押し払われる。

「ぐっ!」

 思った以上によろめいてしまって、自分でも驚く。自覚こそなかったが、かなり体力も気力も消耗しているらしい。自覚がないってことは、脳内麻酔が出ているんだろう。できることなら、この事態から抜け出せるまではそのまま麻痺していてほしい。動けなくなったから、完全に終わりだ。

 とはいえ、一度自覚しかけてしまうと、じわじわと体が重くなってきているのは否めない。

『優人君!しっかり!』

「んにゃっ」

「こけ!」

「きゅー」

 月夜が影で、白桜は頭で俺の背を押し、やきとりは俺の服の襟を咥えて倒れない世に支えてくれる。

「さんきゅ」

 ……。っていうか、やきとり!お前、俺の背丈ほどの大きさに巨大化することもできたんか!

 口に出す余裕も元気もなくて、頭の中でだけつっこみをいれる。やきとりは馬ほどの大きさになっていた。

 まあそんなことはいったん置いておいて。

 俺が彼女に視線を向けてなにかしら言葉を紡ごうとしたとき、彼女は手招くしぐさをすると、それに応じたかのように、未だ周囲に漂っていた泥波がずずずと近づき、雪の女王をそれを布を羽織るかのように自分の体に纏わせた。

 俺に対しての拒絶の視線と、それと対照的な泥波のへのしぐさで俺は察する。

 雪の女王は呪いに絡めとられていたわけではない。彼女は自分からそれらを受け入れている。その証拠とでもいうように、彼女に巻き付いた泥波はドレスのように彼女になじんでいた。

 そのあとは、先ほどよりも強い冷気の吹雪が巻き起こり、氷の短刀がいくつも頬をかすめ、血がすらりと流れたと同時に、泥波が俺を覆いかぶさろうとした。

 咄嗟に動けるわけもなく腕で庇うことしかできない。そのとき、間抜けな掛け声が突き抜けた。

「とぉーう!」

 日朝ニチアサのヒーローのような腕の動きで、手先から生み出したバリアのような透明な壁を形成しながら泥波をはじき返したのは、みたことのない、長い緑の髪をした白衣の男だった。

 足元のサンダルと容姿が、掛け声とちぐはぐだ。さっきから戦隊モノのヒーローのようなポーズをとっているが、その腕は青白く細い。更に目にはひどい隈もあり、丈夫そうにはとても見えないにも関わらず、なぜかこちらに向けられた背中には頼もしさを感じた。

「怯えてるのはわかるが、ちょっと俺が話す間は大人しくしとけ、なあ」

 ニヤリと余裕の笑みを浮かべ人差し指をおろす動作をすると、雪の女王ともども泥波が白いベールのようなもので上から押さえつけられた。ドン、ドン、と水色のベールをう破ろうとする振動はあるが、いまのところベールに異変はない。

「さて、これでちょっと時間稼ぎはできるな。なあ、勇者くん?」

 呆気に取られる俺達を面白がるように、その男はくるりと振り向いて笑った。人のことは言えないが、真正面からみると目つきの悪さが印象的だ。

「なんで……俺のこと勇者だって……」

 思ったより口が乾いていた。俺はごくりと唾を飲み込み、喉を潤す。

「そりゃお前、俺が天才だからだよ」

「……はぁ?」

『どや顔が上手だねぇ』

 ぱっと現れたウィンドウ画面は、話の邪魔をしないためかのようにパッと消えた。

「解説が必要か?まずはそれだよ」

 男が指したのは、俺のそばで浮かび続ける魔導書だ。

「その魔導書、他の勇者が作ったものだろ。いや、魔力の質的に、誰かに作ってもらったものに勇者じぶんの魔力を込めたってとこかな」

 その通りだ。

「そんなこと、一目見ただけでわかんのか」

「普通はわかんねぇだろうな。ところがどっこい、俺は普通じゃないわけよ」

「は、天才だからってか?」

「それもある。それもある……が」

 男は腰を折って目線を合わせ、俺の額をつついた。

「俺も勇者なのよ。お前と同じでな」

「……」

 俺は目を見開いた。

「だから、勇者の気配には割と敏感なわけ。その魔導書に込められた魔力も、なんとなく同類の気配がすんのよ。それと、今の俺はその魔導書に残ってた勇者の意思とおんなじ存在なんだわな。さっきまでお前が相手してたあの雪の女王を封印するのに使われてた、元の俺の魔力に残ってた、意識の残滓ざんし

「……あんたが、勇者だっていうなら」

 腹の奥底から、ざわざわと騒ぐ何かがあった。それは興奮なのか、動揺なのか、戸惑いなのか。わからない。が、どうすればいいのか、俺がずっとどうしたかったのかは明確だった。

「だったら、教えてくれ!元の世界に帰るには、どうしたらいい!!」

 ずっと、ずっとずっと聞きたかったことだった。

 神ですら答えられなかった問だった。

 これを知るために、ここまで旅をしてきた。たぶん、やり残したことは多くある。あの霧の教会や、水聖殿でのことも、本当は最後まで見届けたい気持ちは常にあった。それを振り切ってまで進むことを優先したのは。

 他の勇者の痕跡を追うことでしか知ることができないと思っていた。だが、目の前にかつての勇者がいるというのなら、ようやく知ることができる!

「……元の世界に帰る、か」

 男はなにかを考えるしぐさをした。

「その問いがでてきたことに多少驚きを感じるが、俺の感想はいらねぇよな。お前の切実さはその目を見ればわかる」

 男はぽんっと俺の頭に手を置いて、わしゃわしゃと撫で始めた。

「なっにすんだよ!」

「帰り道は、お前が召喚されたあの魔法陣だ」

「っ!」

 脳裏に最初のあの塔での出来事が流れていく。

「お前が『勇者』であるって言うことは、必ずあの魔法陣を通ってこの世界に来たはず。だから、帰るための出口もあそこだ。だが……」

「だが?」

 洋一の言葉の意味が理解できた気がした。入口と出口は同じ。つまりそういうことだ。俺は男が濁した先を促す。

「魔法陣には発動条件がある」

「発動条件……」

 そういえば、神もそんなことを言っていた。そもそも俺が召喚されてしまったのも、たまたまあの魔法陣の発動条件に合致してしまったからで、本来は当てはまらずに発動することはないはずだったと。

「その発動条件って……!」

 身を乗り出しかけた俺に、男は首を横に振った。

「悪いが、俺もあの魔法陣を見たのは二、三回だ。しかもそのどちらも興味を持ってみたわけじゃない。だから詳細な発動条件はわからない、が、予測はできる。そもあの魔法陣は必要があって作られたものだ。それを達成できると期待されて勇者は召喚される。つまり、その勇者の役目を果たせば、勇者の必要性はなくなり、帰るための発動条件を満たすと考えられる」

「……ていうことは」

「勇者の役目は、魔王を倒すこと、だな」

「え、だけど!」

 思わず叫びそうになって、男の目が深い悲しみを湛えていることに気づいた。それがなぜだかはわからないが、おかげで俺は叫びを飲み下して冷静な声が出せた。

「魔王は、目覚めてない。じゃあ、倒すなんてこと無理だ」

「……え?」

 男はぽかんと口を開けて俺を見つめた。

「魔王が、目覚めてないだと?目覚めてないのに、なんで勇者が……」

「それは……」

 俺はかくかくしかじか説明する。

「そいつは災難だったな。だが、まさか魔王が復活していないのに勇者が現れるとは……。でもだとしたら、お前の期待する帰る方法は別のを探して……」

 と、話の途中にも関わらず、ビキキッと罅の入る音がしたかと思うと、バリンという破壊音ともに、男の放ったベールが破れ、抑え込まれていた呪いがぶわりと噴火のように噴き出た。

 そしてそれはまっすぐに俺に向かい、黒い泥波に俺は飲み込まれる。

 その泥波は激しい異臭がして、俺の耳から目から、鼻から、口から、入り込もうとしてきた。その中で、最初に聞いた声よりももっと激しい「痛い、苦しい、つらい、なんで」といった負の感情が俺の中に流れ込んできて、それが共感するように俺にもその苦しみが胸を刺し貫き、体を引き裂かれるような激痛が脳天から足先迄を覆いつくした。そしてその中でそれらとは異質な感情の塊があることに気づく。それは、これらの痛みをかわいそうと、思う感情だった。本来なら気絶してもおかしくないような心身ともの痛みにも関わらず、俺は目をかっと見開く。

 強制的に共感させられているような状態だが、そのために俺もそれらの死者の痛みを可哀そうとも思う。だが、俺は、そんなことより、なによりも!

 怒っていた。

 痛みにも勝る怒りが、腹の底から湧き出てくる。その爆発するかのような感情が呪い達を弾き飛ばし、俺はその塊を見下した。

「いま、俺は!ほんっとーに大事な話をしてんだよ!ちょっとそこに座って俺の話が終わるまで待っとけー――――――――!!!!!!」

 俺から発せられる、尋常ではない覇気。

 そこから剥がれ落ちた黒い泥波は、べちゃりと地に落ちて戸惑うように揺れる。しかし襲ってはこない。

「はぁはぁ。あのな。お前らのほうもなんとかできるよう考えてやるから、ちょっと待っとけ。な!お前らの無念さとかも、身をもってわかった。文字通りお前らの痛みを体感したからな!そこのあたりをどうしたらいいのか俺も考える。だけど、それも俺の用事が終わってから!絶対見捨てたりしないから。大人しくしとけ、な!」

 腰に手を当ててそういうと、その泥波はただの水の波のように打ち寄せては返すだけを繰り返すようになった。それをみて、俺は改めて男に向き直る。

「よし、話の続きをしたいんだが」

「……あっはっはっはっ」

 しばらく唖然と俺をみていた男だったが、真剣に言った俺に思いっきり笑いやがった。

「はぁー。いいねぇ。大物だなぁ、お前」

 男はひとしきり笑って、そして優し気な眼差しで泥波をみた。

「だそうだ。見捨てないってさ。よかったな」

「だそうだ。見捨てないってさ。よかったな」


 男は憮然としている俺にニヤリと笑った。


「あんた、あいつらになにか思い入れでもあんのか?」


「ん?んー」


 両手をポケットに突っ込み、軽く砂を蹴るような仕草をする男からは、あの呪いの塊たちに対する敵意が感じられない。そもそも敵の前で両手をポケットに突っ込むなんて真似はできないだろうし。


「まあ、あいつらがどうしてこうなったかってもの知ってるしな。それに千年以上も見守ってるとな。情もわくっつーかな」


「そんで、話の続きなんだが」


「切り替え早っ。お前が聞いてきたのに!まあ、時間もねーのは確かだ。


話を戻すと、魔王を倒すことが魔法陣の発動条件だというのなら他の方法を探さなきゃなんないだろうが、それこそ例の魔法陣をみないとそこらへんは俺にはなんとも言えねぇな」


「じゃあ、あんたを魔法陣のとこまで連れて行ったらいいのか?」


 俺の提案に男はぎょっと目をむく。


「連れてく!?俺死者だぞ。そこまで付き合えねぇよ。現実問題、そこまで〈俺〉が耐えられない。俺はあくまで残留思念だ。さっきも言った通り、はるか昔に生きてた俺が施した封印にくっついていた残りかすで、俺そのものは封印の魔力だ。しかも千年規模の年月ので劣化も激しい。陣自体もボロボロ。本来なら、こんな風にお前の前に現れることができる状態にすらならなかったはずだ。もう少ししたら、跡形もなく消える運命よ。てかむしろ褒めたたえよ!ここまで持つシステムを構築した俺を!」


 俺は首をひねる。


「じゃあなんであんたがここにいるんだよ」


「そりゃぁ……なぁ」


 天才だからだ!と返すと思った男は予想に反して宙を見上げる。


「聖女の、愛ってやつだよ」


「エレノアの?」


 声に出して、あ、たぶん違うと自分の頭の声が否定する。聖女を語る最初だけ、細められた男の目が違う誰かを思い浮かべているようだったから。


「〈お前の〉聖女はエレノアか。さっきもお前の危機に力だけ飛ばしてきてただろ。悲しいかな、聖女って生き物は、勇者に対して傍はたから見れば引くほどの献身を勇者に捧げるようにできてる・・・・からな。その影響の副産物で、昔の勇者と現在の聖女っていう関係性の縁で増幅されて俺は形になれた。改めて〈勇者〉と〈聖女〉の感応力と共鳴力ってのは恐ろしいよ」


「できてる……」


 別の意を感じる言い方だった。それに、さっきの光の人型はやっぱり……。いや、待てよ。


「献身っていっても、あいつは俺が勇者だと知らないんだが……」


「あれ、でもお前自分が勇者で、あっちが聖女ってことは知ってるんだよな?」


「知ってるが、言ってない……」


「うーわー……、それは……お前、酷な奴だな」


 男がジト目で見てくる。なんだよ、俺がすげーひどい奴みたいじゃないか。


 なんとなくばつが悪くなる。


「そ、そこまでいうほどか?」


「そりゃあ、俺が言うのもなんだが、聖女の性質を考えたら……。さっきの見たならお前もわかるだろ。勇者だってことを知らないまま、無自覚でも、お前を助けるために力を使って守っているって。あーでも、そうか。お前の場合は……。魔王も復活してないって言うなら、むしろ賢いのかもな。少なくとも、俺と同じ轍は踏まずに済む」


「……なんだよ、その含むような言い方」


「いやぁ、逃げられるといいな。もしくは……」


「……」


「…………」


 もしくは……なんだよ。


 身を乗り出しかけて、意味深に笑うだけの男にがくっとなる。


 はいはい、そっから先は言わねーのな!


「どちらにせよ、お前の望みが叶うことを祈ってるよ。後輩君」


 そこで男の目が、曇った緑色をしていることに気づく。深い深い水底のようなその色が三日月型に細められていた。


 普通に怪しい奴の笑い方だ。白衣にがに股でつっかけで、ボサボサの頭に、人のことは言えないがひょろい体。だけど……。


「悪いが時間切れだ。俺も体もだが、外ももたねぇようだ。あー、中もだな」


 見上げる男につられて俺も見上げるが、宙には暗闇しか存在しない。


「外でなにかあったのか?」


「むしろ、外でなにも起きてないとでも思ってたのか?」


「いや」


 自分でもそれはないだろうなと思う。ここに来る直前までにもいろいろあった。時間は進行しているんだ。


 その時、俺の頬を冷気がかすめると、パキパキと氷の割れるような音がした。いやような、ではない。さっき男が振り下ろした封印の布が、氷におおわれてヒビが入っていく。



 


ついに百話行きました。こんなに待たせている小説を読んでくださる皆様のおかげです。ありがとうございます。

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