噛まれた傷の悪化
少ないながらも食料が確保できたので、鈴ちゃんと一緒に二階へ行くと外を眺める。
幽魚と目が合った。
家の敷地内に入れないけど、前にいてじっと僕と鈴ちゃんを見ている。直接対峙したときの恐怖感は出てこない。祀っている神様のおかげだろうか。
「ああやって、私を狙っていることが多かったの」
「お父さんは知っていたの?」
「ううん。お母さんが黙っておきなさいって」
「そっか……」
事情を知られたら別れてしまうとでも思っていたのであれば、兄さんを勘違いしている。一度愛した人を見捨てるような性格じゃないからだ。
幽魚の存在を知っていたら、守るために何でもしただろう。
「幽魚が見張っている限り外には出れないね」
「うん。それにあれを見て」
鈴ちゃんが指を指したところは近くの通路だった。魚顔になった人が徘徊している。地面に血痕が残っていて、誰かが犠牲になったのがわかる。
敵は幽魚だけじゃない。無理やり孕まされて生まれた子供もいる。しかも長い年月をかけて繁殖してきたから、数が多い。ぱっと見だけで10体はいる。他の島民や観光客は逃げられているだろうか。
家みたいに神様を祀っていれば生き残っている可能性はあるけど、違ったら全滅しているかもしれない。
「どうしてアイツらは今、出てきたんだろね」
愚痴を言うようにつぶやいてしまったけど許して欲しい。
相手をするのが幽魚だけなら希望はあったけど、あの数じゃどうしようもない。絶望的だ。タイミングが悪すぎる。
「守り神様が死んじゃったから?」
「加護で幽魚の力を抑えていたのか」
僕が保護者になったときには島の守り神の石像は壊れかけていた。あれが加護の限界を教えてくれていたというのであれば、日用品のじいさんが全く反応しなかったのは予兆とも考えられる。
この考えが正しいかはわからないけど、今までで一番納得のいく説明ではあった。
でもこの際、原因はどうでもいい。重要なのは鈴ちゃんと生き延びることにあるのだから。
「これからどうするの?」
「しばらく様子を見てから決めたいな。鈴ちゃんは休んでていいよ」
「雪久おじさんと一緒にいる」
言い終わると抱きつかれてしまった。体が震えているように思えるけど、無理もない。離島がおかしくなった上に、幽魚が目の前にいて狙われているのだからね。
触れていることで安心できるのであれば、気が済むまでずっといていいよ。体だけじゃなく心を守るためにも保護者はいるんだからね。
◆◆◆
幽魚は夕方ぐらいになると家から離れてどこかへ行ってしまった。
それで安堵したのが悪かったのか、消毒した肩の傷が痛み出した。熱が出てきて意識がもうろうとする。息が荒くなってきた。
「雪久おじさん!」
体を揺さぶられている。鈴ちゃんが泣きそうな顔をしていた。
誰が悲しませているんだ? ああ、俺か。元気に見せないとダメじゃないか。
「大丈……夫……元…………気だよ」
「すごい熱! どうしよう!?」
慌てた様子の鈴ちゃんは、ドタドタと足音を立ててどこかへ行ってしまった。
外を見ると夕日が眩しい。魚の顔をした人の姿は見えない。家に帰ったのだろうか。一時的にでも離島に平和が戻ったのであれば、これほど喜ばしいことはない。
ドサッと音がした。
気がついたときには視界が変わっていて天井が見えている。どのぐらいかわからないけど、意識を失って倒れてしまったみたいだ。
風邪を引いたときのような熱を感じる。
体調の悪さが自覚できた。
「雪久くん!!」
宮子姉さんの声がした。おでこに手が当たってひんやりと冷たい。ちょっとだけ体が楽になった気がする。
「ごめんなさい…………ちょっと…………無理…………か……も」
大人しかいないと思って弱音を吐いたんだけど、離れたところで鈴ちゃんが立っていた。
失敗したなあ。ますます悲しませてしまっている。保護者失格じゃないか。
「これから病院に連れて行くから!」
「危…………な……い」
だって幽魚がいつ出てくるかわからないんだよ。
魚顔の人だって徘徊しているかもしれない。俺なんて見捨てればいいんだ。
「鈴ちゃんは家に置いていくから幽魚が来る可能性は低い! 魚顔は車で吹っ飛ばしてやるんだから!」
過激なことを言った宮子姉さんは、僕の腕を肩にかける。引きずるようにして一階、そして玄関へ移動すると、車の後部座席に入れられた。
エンジンがかかったようで車が振動する。
「朝まで私たちが戻らなければ、フェリーが来たら逃げるのよ!」
「いやです! ずっと待ちます! 帰ってきてください!」
「頑張るわ。でもダメなときは……」
「そんなときは来ません! そうですよね? うんと言わないなら私も行きます!」
意見を変えない鈴ちゃんに宮子姉さんは黙ってしまった。
一緒に連れて行くと危険度が上がってしまう。安全な場所からは出せないので、別行動をしなければならない。
連れて行くわけにはいかないのだ。
気力を振り絞って体を起こすと鈴ちゃんを見る。
「わがままは……ダメ、だよ」
「雪久おじさん」
名前を呼んだ後は口を閉じる。
数歩離れて寂しそうな顔をしていた。
「待っていますね」
最後の言葉を言うと、くるっと反転して玄関の奥へ行ってしまった。
これなら独断行動はしないだろう。
力が抜けてまた横になる。
「荒っぽい運転になるけどごめんね!」
返事する前に車が走り出した。
宣言通り上下左右にガタガタと動いて傷に響く。それでも僕たちは止まるわけにはいかなかった。




