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第4章 3つ首の竜 10

 まだ早いですが、恐らく今年最後の投稿になると思います。

 読んで下さった方、ブックマーク登録や評価、リアクションして下さった方、本当にありがとうございます。

 アビスのテレポーターを使用した時と同様の、まるで五感全てが狂ってしまったような独自の感覚を耐えていると、不意にあたしは現実に引き戻された。

 その瞬間、アビスのテレポーターを使用した時以上のテレポート酔いに襲われ、あたしは四つん這いになるとすんでの所で嘔吐を抑え込み、荒い息を吐いた。

 叩きつける様な激しい雨が降っているのをマント越し感じるが、テレポート酔いが酷すぎて、正直それがどうでも良く感じるくらいだ。

 「大丈夫、姉さん?」

 雨の音に紛れて、頭上からヨハンナの声がした。

 「大丈夫。単なるテレポート酔いだから、すぐ収まるはず。」

 あたしは吐き気と戦いながら何とかそう答える。

 ただ、テレポート酔いは何度も経験してきたがこれ程酷い症状は今まで経験した事がないし、いつもはごく短時間で収まる症状も中々収まる気配がない。

 それでもいつもの倍以上の時間が経過した所でようやく吐き気が少しずつ収まり始め、呼吸も楽になってきた。

 そこでようやくあたしは顔を上げて周囲を観察する余裕が出来た。

 強い雨に打たれながら周囲を見回すと、現在地は5階建ての住宅に挟まれた路地の一角のようだが、ハーケンブルクの下町ではありふれた光景なので、それだけではここが何処なのかよく分からない。

 また、ゲーゲンから瞬間移動の呪文で転移したのは昼前くらいの時間帯だったが、分厚く立ち込めた黒い雲のせいでまるで夜の様に暗い。

 そこまで確認した後、やっとジーヴァが心配そうにあたしに寄り添ってくれている事に気づいた。

 「いつもよりテレポート酔いが酷いみたいだけど。」

 いつの間にかヨハンナの肩に移っていたノエルも心配そうに声をかけてきた。

 ノエルもテレポート酔いが酷い方だが、その彼が既に回復しているのを見るに、あたしがいつもより酷いテレポート酔いなのはヨハンナの遠距離瞬間移動の呪文が原因という訳ではないらしい。 

 あたしが心配してくれた彼らを労おうとした瞬間、誰かがあたしの顔を覗き込みつつ声をかけてきた。

 「あら、回復したみたいですね。」

 「うわっ!」

 完全に不意を突かれたあたしは驚きのあまり後にのけ反った挙げ句、勢い余って尻餅をついてしまった。

 「あらあら、大丈夫ですか?」

 のんびりした声で話しかけてきたのは、娼館の双子の片割れだ。

 右手に水袋を持っているので、エマだろう。

 「これをどうぞ。」

 差し出された水袋を受け取り、中身を飲む。

 ただの水のようだが、やたらと美味しく感じた。

 「ありがとう。人心地着いた。」

 笑顔を作って水袋を返しつつ改めてエマを見ると、彼女は何時も着ているいかにも娼婦らしい煽情的なドレスではなく、艶を消す加工がなされた焦げ茶色の革鎧の上に雨具のマントを着込んでいた。

 エマはニッコリ愛想よく微笑むと、ヨハンナと共にあたしから離れて2人で何やら話し始めた。

 断片的に聞こえる単語を総合するとナギが拉致された時の状況の確認らしいく、どうやらナギは異人街の治療院に出勤する途中に不意を打たれたらしいが、会話が短時間で終わったので詳細は分からなかった。

 最後にエマがヨハンナに小さな革袋を渡していた。

 「後で予想通りか確認する。」

 そう言いつつヨハンナは革袋を受け取るとそれを懐の中に仕舞い、2人は並んであたしの所へ戻ってきた。

 ヨハンナがノエルをあたしに差し出しながら尋ねてきた。

 「そろそろ落ち着いた、姉さん?」

 あたしは頷きつつ立ち上がるとノエルを受け取り、右肩に乗せた。

 「ええ、迷惑かけたわね。ところで、どうしてエマがここに?」

 あたしの問いに対してエマではなくてヨハンナが答える。

 「遠距離瞬間移動の呪文の目標となる魔石を設定してもらったの。」

 ヨハンナの言葉を証明するように、エマが路面を目線で示した。

 そこには、砂粒のような物で出来た高さ3cm程の円錐状の小さな塊があった。

 魔水晶と同様、瞬間移動の目標を指定する役割を持った魔石だったのだろう。

 魔水晶を瞬間移動1回で使い潰したのと同様、この魔石も1回の呪文の発動で使い潰した結果、砂粒と化したたらしい。

 用途が限定されるこの手の魔石は魔水晶よりは安価ではあるが、それでもあたしには使用を躊躇する程度の価値はある。

 「それで、ここは何処?」

 あたしが尋ねると、ヨハンナはチラリとエマを見た。

 「異人街の一角です。カシュガルという虎の獣人の廃品回収業者の事務所の裏口から少しだけ離れた場所になります。」

 「カシュガル?あんな奴にナギが拉致されたの?」

 あたしは首を傾げた。

 不意を討つ事であたしもカシュガルに一方的に勝てたが、正面から戦えばあたしが彼に勝つのは難しい。

 だが、ナギとカシュガルではナギの方が2枚も3枚も上手な気がする。

 マヤの人格の時に襲われたとしても、何となくだがマヤならカシュガル程度、手玉に取って上手く逃げ出す気がする。

 「あたしも一報を知った後、最低限の手配をしてからすぐ姉さんを迎えに行ったから詳細は知らない。でもあたしの推測が正しければ、犯人は姉さん以上にナギさん達の事を知っていて、その弱点を突けるようしっかりと準備をしてきたって事よ。」

 「あたしより知っている?弱点?どういう事?」

 あたしはヨハンナに詰め寄ったが、ヨハンナは怯む事なく堂々と話を変えてしまう。

 「それより姉さん。何時もよりテレポート酔いが酷かったんじゃない?」

 「それはもう収まったし、どうでもいい。それより……。」

 ヨハンナはあたしの言葉を遮りつつ、より口調を強めて言う。

 「最近寝れてないんでしょ?だから何時もよりテレポート酔いが酷かったんじゃないの?自覚してるか知らないけど、目は真っ赤だし、メイクで誤魔化せないくらい顔色だって悪いわよ。」

 ヨハンナの強い口調に一瞬言葉に詰まるが、ほとんど反射的に言い訳がましい事を言ってしまった。

 「足を引っ張ったりはしないし……。」

 「それは当然よ。」

 ヨハンナは容赦なくピシャリと言う。

 「本調子でない事を自覚しているなら、あたし達の指示に従ってね。もし姉さんが突っ走ってしまったら、助けられるものも助けられなくなるから。」

 やけに厳しい口調だと思ったら、あたしの暴走を心配していったのか。

 「分かった。あんた達の指示に従うから。で、ナギを助ける計画はどうなっているの?」

 あたしの返答を聞いてもヨハンナはまだ疑わし気な表情のままだったが、何も言わずにエマを見た。

 「まずはこちらへ。」

 エマはそう言うと、殆ど足音を立てずにあたし達を先導した。

 幾らも歩かぬ内に、物陰からエマと全く同じ装備のエルマが姿を現した。

 相変わらずそっくり過ぎる双子だ、と思っているとエルマの背後から別の人物が現れた。

 女性の中では背が高い方に分類されるあたしとほぼ同程度の身長のその女性は、マントのフードをズラして自らその顔をあたし達に曝す。

 如何にもエルフっぽい細長く尖った耳とスレンダーな体格、金属的な光沢を持つプラチナブロンドのストレートヘアのその女性は、エルフのもう一つの特徴である雪のように白い肌ではなく、ドワーフや南方人よりさらに濃い、褐色を通り越してもはや漆黒と表現して良い肌色をしていた。

 西方では他に類を見ない雑多な種族や人種が集うこのハーケンブルクでも、滅多に見かけない種族であるダークエルフだ。

 そして単に物を知らないだけかもしれないが、ヨハンナと知り合いのダークエルフなど、あたしには1人しか思い浮かばない。

 「中の様子はどう?」

 ヨハンナは気楽な調子でダークエルフに話しかけた。

 「予定が狂って、連中はかなり苛ついているようね。」

 ダークエルフの方も気楽な口調で返事をすると、あたしの方を見てニヤリと笑った。

 「お姉さんのはずなのに、中々のイケメンじゃないか。」

 「あ〜、はい、そうね。」

 ヨハンナはダークエルフの冗談を軽く受け流すと、あたしの方を向く。

 「もう感づいていると思うけど、彼女はアビゲイル。あたしの冒険者時代の戦友で、今は闇ギルド『紫霧』の首領よ。

 アビゲイル、今は男に変装しているけどあたしの姉のゾラよ。」

 「よろしく、ゾラ。ヨークから聞いていると思うけど、あんたには前々から興味があってね。」

 そう言うとアビゲイルは、何故か笑いを堪えるような表情をしつつ右手を差し出してきた。

 あたしは酷く驚いたせいか、何時も右手の義肢をアピールしてから左手を差し出すお約束も忘れ、アビゲイルの右手をそのまま義肢で握ってしまった。

 「じゃあ話は後にして、サクサクと進めますか。改めて状況を聞かせて。」

 あたし達の握手終わると、ヨハンナがテキパキと場を仕切りだす。

 色々と訊きたい事はあるのだが、ナギの救出が最優先なのはあたしも勿論賛成だ。

 「中にはカシュガル以下、10人程います。ナギさんはここに運ばれてから外に運び出された気配は未だないので、まだここにいるかと。」

 「ちょっと、いいかな?」

 話の腰を折るのもどうかと思ったが、疑問に思った事があったので、あたしは質問する。

 「はい。」

 「連中はどうしてここに籠もっているの?ここにナギと共に留まっているのはリスクでしかないと思うのだけど?」

 「ああ、それはあたし達が連中の所有する馬車や荷車の車輪を片端から壊したからです。」

 エルマがニッコリ笑いつつ言う。

 「拉致した人間を目立たずに遠くまで運ぶには馬車なり荷車が必要ですからね。」

 「そもそも連中にとって、こんなに早く拉致がバレる事自体予想外だったはずだ。何と言っても、あたしの手下が何人かがわざと連中の前にそれとなく姿を見せて、拉致がバレている事と既に包囲されている事をわざとアピールしたしな。連中としても動くに動けなくなったって事だろう。

 まあ、拉致を知った直後はまだ人数が揃っていなかったからハッタリでしかなかったが、連中が躊躇している間に人数を集めて本当に包囲してやったよ。」

 アビゲイルは意地の悪い笑顔を浮かべつつ言う。

 確かに、パッと見ただけでも如何にもシーフらしい格好をした連中がチラホラ見えた。

 彼らは一応隠れている体を装ってはいたが、身の隠し方が素人目から見てもいい加減だ。

 いい加減に身を隠しているのは、アビゲイルの言う通り包囲されているのを中の連中に自覚させるためであろう。

 だが逆に言えば、既に中の連中は敵対者の存在に気づいており、防備を固めているという事でもある。

 「中の様子は?」

 「連中を刺激しない様に、まだきちんと調べてはいない。」

 「じゃあ、今から見るわ。」

 「分かった。じゃあこっちへ。」

 アビゲイルの先導であたし達は今居るのとは別の更に狭い路地へと入っていく。

 建物と建物の隙間の路地で、殆ど人が通らないのかゴミとかが散乱して中々汚い。

 「この壁の向こうがカシュガルの事務所。事前情報では2階と3階はカシュガルと手下共の私室で、4階と5階は一部倉庫代わりに使っているけど、ほぼ空き部屋ね。」

 「分かった。じゃあ中を見てみるね。」 

 そう言うと、ヨハンナは持っていた杖を構え、ブツブツと呪文を唱え始める。

 「……真実を求める我が目の前には、石の壁も鉛の板も意味を成さず、その姿を我が目に曝すだろう……。」

 呪文を唱えると、ヨハンナの赤い瞳が柔らかい光を放ち始めた。

 どうやら透視の呪文でも使ったらしい。

 高レベルの魔術師ともなると、何でも有りだな。

 透視の呪文で壁の向こう側を伺っていたヨハンナだが、暫くして呪文を終了させると小さな黒い金属製のタブレットとペン型の金属棒を取り出した。

 おそらく雨に濡れても支障のない簡易型の筆記用魔道具の類だろう。

 ペンで紙に文字を書く時と同様に、ペン型の金属棒をタブレットの上で動かすと、どういう理屈か白い線がタブレットの黒い表面に浮かんでくる。

 しかも、タブレットの表面が雨で濡れても消えるどころか滲みもしないのに、軽く指で擦ると白線は消えてしまう。

 この場では過剰に思えるくらいの高度な技術を用いて、おそらくカシュガルが居る建物の1階部分の俯瞰図をタブレットに描きながらヨハンナは内部の状況を説明する。

 「1階には男が9人と女性が1人。

 女性は後ろ手と両足首を縛られ床に転がされている。長い黒髪を結っているのは分かるけど、猿ぐつわと目隠しをされているせいで人相は分からない。服装は焦げ茶のシンプルな長衣ね。

 恐らく彼女は気を失っているのでしょう、ピクリとも動かないわ。」

 楕円形でその女性の位置を書き込みながら説明していたヨハンナは、そこまで言うと言葉を切ってあたしを見た。

 「続けて。」

 ある程度覚悟はしていたとはいえ中々剣呑な状況に内心動揺はしていたが、冷静を装ったあたしの言葉にヨハンナは小さく頷き、話を続ける。

 「男達は全員武装している。チェインメイルが3人、スケイルメイルが2人、後は革鎧ね。得物は剣、斧、棍棒と色々あるけど全員片手武器よ。予備の武器やクロスボウもあるけど、それは壁に掛けられていたり部屋中央のテーブルに積まれているから咄嗟には手が届かないでしょうね。」

 丸印で中の人間の配置を描き込み、最後に大きな長方形でテーブルの位置をヨハンナは描き込んだ。

 「2階以上には今の所人の姿は見えないけど、特に4階や5階は距離が離れて透視の呪文の精度が落ちるから断言は出来ないわ。」

 「で、具体的な作戦は?」

 アビゲイルの質問に、ヨハンナは淡々と答える。

 「正面扉前に見張りが2人立っていたわよね?」 

 「ええ。」

 「そいつ等を中の連中に気づかれない様に、アビゲイル達で無力化して。方法は任せる。」

 「分かった。それから?」

 ヨハンナは結構難易度の高い要求をした気がするが、アビゲイルはあっさりと了承した。

 「次にあたしが正面扉前に回り込んで、あたしの魔法で正面扉ごと吹き飛ばす。」

 いきなり飛び出した乱暴な言葉に、あたしは慌てる。

 「ちょっと、それって中にいるナギは大丈夫なの?」

 「発動時にもう一度透視の呪文を使って中を観察しながら唱えるから大丈夫。ちゃんと加減もするし。」

 ヨハンナが真顔で結構怖い事を言う。

 「その後は?」

 アビゲイルの質問に、ヨハンナはタブレットの白丸の1つを金属棒で示しつつ言う。

 「ここに居るのが首領格のカシュガル。虎の獣人で、事前情報ではこいつが抜きん出て手強いらしく、加えて最も情報を握っているはず。あたしが呪文で扉を破壊したら、アビゲイルが真っ先に中に突入してこいつを無力化して。後で尋問して情報を聞き出したいから、可能な限り生け捕りで。」

 「了解。」

 ヨハンナの言葉に、アビゲイルは再び軽い口調で答える。

 あたしの見立てでは中レベル帯半ば相当の実力を持つカシュガルでも、アビゲイルは軽く生け捕りに出来る自信があるのだろう。

 「エマとエルマはアビゲイルの後に突入して、最初の呪文であたしが討ち漏らした奴がいたら無力化して欲しい。ナギさんの近くにいる者から優先して無力化してね。」

 「生け捕りですか?」

 エルマの問いに、ヨハンナは首を振った。

 「最初の見張りを含めて、殺す必要はないけど無理して生け捕りにする必要もないわ。確実に無力化してくれるなら生死は問わない。」

 「了解です。」

 あたしの中のイメージのヨハンナからしたらまず言わないだろう事を現実のヨハンナが平然と口にした事にあたしは軽くショックを受ける。

 加えて、それをやはり平然と受け入れる双子にも二重にショックを受けた。

 娼婦としての彼女達の姿はあくまで隠れ蓑で、本職は闇ギルド『紫霧』の構成員という事になるのだろう。

 様々な情報を処理し切れずに少し呆然としていると、ヨハンナが首を巡らしてこちらを見た。

 「姉さんはエマとエルマの後に突入して、ナギさんの元に一直線に駆けていって、彼女の状態の確認と、安全の確保をして欲しい。」

 「……ああ、うん。」

 『仕事モード』のヨハンナの姿にどうしても慣れない事もあって、あたしはつい呆けた様な返事をしてしまう。

 ヨハンナは少し間を置いてから、ナギを示しているらしいタブレット上に描かれた白い楕円を、金属棒をグリグリと動かしてその周囲まで白く塗り潰しながら言う。

 「あたしがカシュガルの立場なら、部下の一人に黒髪のカツラを被せて偽の人質を用意するわ。そして、姉さんがその偽物を助けようと縄を解いた瞬間を狙ってその偽者に攻撃させる。」

 「ああ、そういう事もあるかもね。」

 右肩のノエルが、妙に感心したように同意した。

 確かに、カシュガルがそこまで頭が回るかは別として、ありそうな策ではある。

 「本物のナギさんは別の場所に隔離されていて、あたし達が騒ぎを起こした瞬間にブスリって事もあり得る。

 実際、中の連中がそこまで企んでいるとはあたしも思わないけど、姉さんをナギさんの救出に向かわせるのは、人質が本当にナギさんなのか、この面子の中では一番素早く見分けられるからなのよ。」

 「ああ、うん。分かっている。」

 ヨハンナの口調がいつになく厳しいのはあたしの身を案じての事なのは分かっていたので、あたしは気を引き締めて返事をした。

 更にあたしはそこから間を置かず、半分はヨハンナの矛先を他に向ける意味もあって逆に質問をする。

 「それで、この建物を包囲している人達の役割は?」

 「彼らは突入はしない。逃げ出そうとした者が居たら確保するだけよ。」

 あたしの質問に答えたのはアビゲイルだった。

 「まあ、彼らのメインの仕事は強襲そのものではなく、その後始末だから。」

 『後始末』とか、ヨハンナが相変わらす怖い事をシレッと言った。

 「じゃあ、始めますか。」

 ヨハンナが、取り出したスカーフを口周りに巻く。

 アビゲイルと双子もそれに倣った。

 「え、変装するの?」

 「まあ、一応、あたしは自宅で寝込んでいる事になっているし。」

 確かに表向きはそうだったな。

 しかし、呪文で完璧に別人に変装出来るのに、口元をスカーフで隠すだけというチャチな変装を敢えてする意味などあるのだろうか?

 あたしの疑問が顔に出ていたのか、ヨハンナはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。

 「騒ぎが起これば野次馬が駆けつけたりして、意図せずに姿を見られる事だってあるし、それに備えてね。」 

 「ならもっとちゃんと変装した方が……。」

 「いえ、この強襲はヨハンナとアビゲイルが行った可能性がある、でも確証は無い、程度に敵の黒幕連中に思われるのが、あたし達としては一番都合が良いのよ。」 

 中途半端に疑われるのを狙っているのか?

 よく分からないがヨハンナの事だ、あたしより深く考えているのだろう。

 「あ、姉さんは口元を隠さなくて良いわよ。付け髭を見せた方が変装の効果は高いから。」

 「分かった。」

 あたしが頷くと、アビゲイルを先頭にゾロゾロと路地とも言えない狭い隙間を進んでいく。

 やがて隙間の出口が見えた辺りでアビゲイルが手を上げてあたし達に止まるよう合図をすると、独り先行して角から先を覗き込んだ。

 彼女はすぐに戻ってきた。

 「この大雨で、通りにはカシュガルの部下の見張りとあたしの配下しかいない。おあつらえ向きだね。」

 「でもこの手の雨は突然上がったりするわよ。」

 「ならさっさと片付けよう。あたしが見張り2人を片付けるから、エマとエルマはバックアップを頼む。」

 「分かりました。」

 そう言って3人は隙間から通りに出たが、1分も経たない内に双子の片割れが戻ってきた。

 「終わりました。」

 「もう!?」

 思わず声を上げたあたしをヨハンナが少し呆れた様に見た。

 「アビゲイルならチンピラの2人くらい瞬殺よ。」

 そんな事も分からないの、という顔で見られてしまった。

 多分、あたしとヨハンナの冒険者としての実力が違い過ぎるせいで、普通に見えてる景色が違い過ぎるのだろうな、と少しネガティブな気持ちになる。

 通りに出ると、アビゲイルの部下らしいマントを着た男達が、ぐったりとして動かない見張り役だったらしい2人を運ぶ場面が見えた。

 「なるほど、確かに『後始末』をしている。」 

 あたしはそう呟きながらふと横を見ると、ヨハンナは上空を見上げていた。

 「もうすぐ雨が止むかもしれない。急いだ方が良いかも。」

 ヨハンナの呟きを聞いて上空を見上げてみる。

 相変わらず強い雨が降ってはいたが、少し前まで分厚い雲で一面真っ黒だった空に、所々薄い灰色が混じり始めていた。

 確かにこれは、もうすぐ雨が止む兆候だ。

 アビゲイルの部下達がカシュガルの部下2人を何処かに運んで行き、あたしもノエルをカシュガルの事務所の斜め向かいの建物のベランダに退避させると、カシュガルの事務所の正面扉前にはあたし達5人とジーヴァだけが残った。

 ヨハンナが一歩前に出て、杖を掲げながら先程と同様に透視の呪文を唱え始め、彼女の赤い瞳が再び輝き始める。

 続いてヨハンナは別の呪文を唱え始めた。

 1つの呪文を唱えながら、もう1つ別の呪文を唱えるのはかなりの高等技術だ。

 使い魔や特別なアイテムの力を借りればあたしにも可能だが、その場合でも、双方の呪文の精度も威力も落ちてしまう。

 西方世界で五指に入ると言われているヨハンナの場合はどうなのだろうか?

 「この大地の深淵にて、その身に宿した業火をもって罪人を永遠に苛む地獄の番犬よ。我は命じん、その灼熱の業火で我が敵を焼き尽くせ!」

 呪文の詠唱が完成すると、ヨハンナの杖の先端の少し上にオレンジ色の小さな球体が出現した。

 その球体はフヨフヨとした動きで杖から離れ、カシュガルの事務所の正面扉へとゆっくりと近づき、扉に触れたかと思うといきなり爆発した。

 「ちょっ……!」

 『加減する』というヨハンナの言葉から想像した火力を遥かに上回る爆発に、あたしは一瞬絶句してしまう。

 しかしアビゲイルは絶句しているあたしをよそに、もうもうと煙が立ち込める中、躊躇なく破壊された正面扉を踏み越えて中に飛び込んだ。

 双子も同様に、アビゲイルの姿が建物の中に消えるのを待ってから、彼女の後を追って破壊された扉の中へと飛び込む。

 唖然としてしまったあたしは、明らかに出遅れてしまった。

 だがすぐに、あたしは気を取り直す。

 本来なら、ナギに惚れているあたしこそが先陣を切るべきなのだ。

 それなのにナギの救出に際して、あたしは今までほぼヨハンナ達に丸投げ状態だった。

 ヨハンナに拉致事件そのものを知らせてもらい、現場に連れてきてもらい、作戦が始まった今も出遅れてしまっている。

 無論、実力的にも状況的にもあたしに出来る事はヨハンナやアビゲイルに比べると僅かしかないが、与えられた任務くらいは全力で遂行しなくては。

 予想外の大爆発に数秒だけ逡巡してしまったが、気を取り直したあたしは壊された扉の中へと踏み込んだ。

 足元では何時ものようにジーヴァが付き添ってくれている。

 気合を入れて建物の中に入るが、中に入ってすぐに、事態がほぼ収束しつつある事に気づいた。

 吹き飛ばされた正面扉だけは原型を留めない程粉々になっていたが、それ以外事務所の中には破壊の形跡はほぼ見当たらなかった。

 何より驚いたのは、事務所中に横たって呻き声を上げているカシュガルの手下達が、パッと見で命に別状がないがすぐには動けない、という絶妙に生け捕りし易い状態になっていた事だ。

 おそらくこれは、ヨハンナの呪文の威力のコントロールが常人離れしている事の証左だろう。

 強力な呪文を使える事よりその精緻過ぎる呪文の制御力の方が恐ろしい。

 ふと奥を見ると、アビゲイルが既にカシュガルを組み伏せていた。

 逡巡していた時間があったとはいえ、それはほんの5、6秒だ。

 つまりアビゲイルは、呪文による不意討ちもあったとはいえあのカシュガルを文字通り一瞬で制圧したという事になり、こちらも底が見えない。

 双子はというと、手際よく分担して男達から武装を取り上げていた。

 ほぼ抵抗能力を失っている連中相手とはいえ、武器を取り上げつつ、男達自身の上着やベルトを利用して次々と拘束までする様はかなり手慣れているように見えた。

 結果としてあたしは、気合を入れて飛び込んだものの、何の障害もなくナギの元に駆けつける事が出来た。

 とはいえヨハンナが言うように、ナギが偽物である可能性だって否定出来ないので、ここで気を緩める訳にもいかない。

 ヨハンナがタブレットに描いた図面通りの位置に、ナギらしき女性が両手を後ろ手に縛られ、更に両足首も縛られた状態で冷たい石床の上に転がされていた。

 ただ、髪型や服装は何時ものナギだったが、予めヨハンナが言っていたように猿ぐつわと目隠しをされているので人相まではわからない。

 その酷い扱いにあたしは頭に血が上りかけたが、何とか冷静さを維持しようとしつつ目隠しと猿ぐつわを外す。

 「ナギ、大丈夫!?」

 目隠しと猿ぐつわを外すと、偽物という事もなくナギ本人だと分かったが、悪いことにぐったりしたままあたしの呼びかけにも全く反応しない。

 少し荒い呼吸はしているので生きているのは確かだが、顔色が悪い上に完全に意識は失っているようだ。

 「本人で間違いない?」

 いつの間にかあたしの背後に立っていたヨハンナが、冷静な口調で尋ねてきた。

 その冷静過ぎる口調にあたしは少し苛ついたが、ここで妹にキレる事が筋違いな事が分かる程度には冷静だったので、あたしは静かな口調で答える。

 「間違いないわ。完全に意識を失っているけど。」

 ……冷静な口調を心掛けたつもりだったが、実際に口から出た声は八つ当たり気味のかなり強い口調だった。

 「取り敢えず、手足を縛っているロープを切ってあげて。」

 あたしの八つ当たりじみた口調にもヨハンナは冷静さを失う事なく、建設的な事を言う。

 最初はロープの結び目を解こうとしたが、ナギを縛った馬鹿がやたら固い結び目にしていたので、あたしは小声で悪態を吐くと大型万能ナイフを抜いてロープを切り始める。

 ロープ自体も頑丈で切るのに苦労したが、何とかナギの両手首を縛っていたロープを切り終えた直後、あたしの左手にヌルリとした感触があった。 

 何だと思って左手を見ると、あたしの左手が血に濡れていた。

 慌ててナギの身体を確かめてみると、彼女のいつも着ている焦げ茶色の長衣の右脇腹の辺りが切り裂かれ、その周囲が血で濡れていた。

 「ヨハンナ!」

 あたしは叫びつつ、ナギの腰紐を解いて長衣を捲ると、白い麻製の胴衣の上から乱雑に汚い包帯が巻かれているが見えた。

 一応止血は行われたようだがあまり効果は無いようで、黄ばんだ包帯に血が滲み出ていた。

 「姉さん、傷口を上に向けて。」

 ヨハンナはすぐに状況を理解して、杖の先端をナギの傷口に向けつつ何やら矢継ぎ早に短い呪文を唱えていた。

 おそらくあれは、傷口の状態や毒や感染症の有無を探る呪文だ。

 治癒呪文は症状に合わせて複数の呪文が存在し、複数の症状が重なっている場合は適切な順番で呪文を唱える必要がある。

 例えば傷口から雑菌が入っている場合、雑菌を消毒する呪文、炎症を抑える呪文、最後に傷口を塞ぐ呪文という順番が重要だ。

 順番が前後しても一定の効果はあるが、治りが遅くなったり後遺症が出る可能性も高くなる。

 だからヨハンナが治癒呪文をかける前に、状態を詳しく調べる呪文を先にかけたのは何も間違ってはいないのだが、どうしてもあたしはヨハンナがのんびりと行動しているように感じて苛つきを抑えられない。

 それでもヨハンナが治癒呪文をかけ始めるとナギの荒かった呼吸は落ち着き、気のせいかもしれないが、その白い頬に僅かながら赤みも戻ってきたような気がする。

 「取り敢えず傷口は塞いだわ。今はこのまま寝かせておいて。」

 治癒呪文は対象が覚醒している時より睡眠時の方が効果は高まるので、ヨハンナの判断はここでも正しい。

 「分かった。」

 ナギの溶体が落ち着いたのを見て、ヨハンナに対する明らかに八つ当たりでしかない怒りが収まってきたあたしは、気休めでしかないがマントを脱ぐとそれを床に敷いて彼女の身体を横たえる。

 そして、ナギの両足首を縛っているロープを大型万能ナイフで切り終えたタイミングで双子の片方がヨハンナに近づいてきた。

 彼女は右手で布越しに短刀を摘んでいたが、その短刀は刀身がかなり湾曲しており、西方世界ではあまり見かけない形状をしていた。

 「カシュガルが持っていたらしい短刀です。おそらくこれも……。」 

 カシュガルが持っていた、という言葉を聞いてあたしは立ち上がり、エマに近づいた。

 何気なくあたしの方を向いたエマが、ギョッとした表情になる。

 「カシュガルがその短刀で、ナギを刺したの?」

 あたしは低い声で尋ねた。

 「あ、えっと、多分……。」

 エマは初めてあたしに狼狽えた表情を見せると、助けを求めるようにヨハンナを見た。

 「姉さん。」

 ヨハンナはエマの前に立つと、あたしの事をジッと見つめた。

 「何?」

 あたしの口から冷たい声が漏れた。

 「姉さんが望むなら、後で幾らでもカシュガルに復讐する機会は与える。だから今は引いて。」

 ヨハンナは全くあたしに怯む様子もなく、淡々とした口調で言った。

 頭に登った血が少し引いていくのを感じたあたしは、自分を落ち着ける為に大きく深呼吸をした。

 「……悪かったわ。」

 「いいのよ。姉さんの気持ちも分かる。」

 そう言うとヨハンナは緊張感を和らげる為か笑みを浮かべ、エマに目配せをした。

 エマは頷くと、先程より声量を下げて何やら話を続ける。

 聞き耳を立てようと思えば立てられたが、あたしは敢えて聞かないようにしつつナギの傍らに跪いてその手を握った。

 ナギの手は、血を失ったせいか冷たかった。 

 最終的にエマは例の湾曲した短刀をヨハンナに渡し、受け取ったヨハンナはそれを懐から取り出した革袋に入れると、その革袋を懐の中へと戻した。

 周囲を見回すとアビゲイルの部下達が建物内に続々と入ってきて、アビゲイルや双子によって簡易的に拘束されたカシュガル達を本格的に拘束したり、事務所の中の家探しをしたり、といった作業を始めた。

 双子同様、彼らの手際も良い。

 「あいつ等はどうするの?」

 拘束された手下達を視線で示しつつ、あたしは誰に対してともなく尋ねた。

 「頭が居なくなれば雑魚の集まりですし、大した事は出来ないでしょう。拘束した状態でここに放置ですね。」

 早くも調子を取り戻したエマがあっけらかんとした口調で答えた。

 「カシュガルだけは連れて行くんだよね?どうやって運ぶの?」

 「袋に詰めて荷物に偽装してから、ここの荷馬車を借用して運びます。」

 「え?でも、ここの荷馬車はあなた達が全部壊したんじゃ?」

 そこで、エマは少しドヤ顔になった。

 「幾つかはすぐ直せる様な壊し方をしたので。」

 「彼らが真面目に廃品回収業をしていれば、仕事道具ですし彼らもすぐに直せる事は分かったでしょうけど、彼らが真面目に働いていないのは知ってましたから。」

 いつの間にか近くにいたエルマも、愉し気な口調で後を継いだ。

 そこに、カシュガルの『後始末』を部下に任せたアビゲイルも近づいてきた。

 「それで、これからどうする?」

 アビゲイルの質問にヨハンナが即答する。

 「ナギさんと姉さん、それにエマとエルマはあたしの転移呪文で『ローゼン・ガーデン』に戻るわ。」

 ヨハンナはそう言ってから少し申し訳無さそうに付け加える。

 「ただ、転移呪文は同行者が多くなると魔法陣を描いたりとか余計な準備が必要だから暫く時間をちょうだい。」

 「分かった。あたしは?」

 「アビゲイルはカシュガルの護送に同行して、そっちが一段落ついてから『ローゼン・ガーデン』に戻ってきて。」

 「そういう事ね。こいつに訊きたい事は、背後関係中心で良いの?」

 「取り敢えず今はそうだけど、後で別に訊きたい事も出てくるかもしれないし、やり過ぎないで。」

 「その辺は心得ているよ。」

 ヨハンナとアビゲイルが何やら怖い会話を交わしているが、カシュガルがナギを傷つけた事を具体的に知ったからか、先程と違い彼女達の会話をあたしはそれ程怖いとも思わなくなっていた。

 ヨハンナが床に魔法陣を描いたり、消耗品の魔道具を並べたりして長距離転移呪文の準備をしているのをナギの傍らに跪いたまま眺めていると、外で見張っていたアビゲイルの手下が駆け込んできた。

 「アビゲイル様……!」

 手下はアビゲイルに近づくと、何やら囁く。

 アビゲイルはそれを聞くと、手下に命じた。

 「取り敢えず、中に通しなさい。こちらからは絶対に手を出しては駄目よ。」

 「畏まりました。」

 手下は一礼すると再び外へと駆け出す。

 その後ろ姿を見送ってからアビゲイルはヨハンナの方を向いた。

 「どうも時間を掛けすぎたようだね。お客さんだ。」

 ヨハンナの表情がさっと引き締まる。

 「取り敢えず、姉さんはナギさんを守って。エマとエルマはあたしに接近戦を挑もうとする者がいたら阻んで欲しい。」

 緊張感こそあるが、さして焦っている訳でもない所を見ると、ヨハンナ達にとって『お客さん』の来訪は想定内の出来事らしい。

 だが、事情を良く知らないあたしにはさっぱり訳が分からない。

 だが詳しく事情を訊く間もなく、破壊された正面扉の残骸を踏み越えてゾロゾロと一団が入ってきた。

 その構成員は、半分が獣人で半分がヒューマンといった所だ。

 あたしはすぐに彼らの正体について見当がついた。

 ヒューマンの中に特徴的な人物が居たからだ。 

 2m20cmは余裕でありそうな大男。

 人相についてはうろ覚えだが、その特徴的な体格については覚えている。

 異人街で無法を働き、ナギに現行犯で捕らえられたものの、その後内通者によって留置場から逃亡した闇ギルド『獣牙』の構成員の大男だ。

 この大男の存在と、半分が獣人である事からして、おそらく他の面々も『獣牙』の構成員という事になるのであろう。

 彼らの人数はパッと見で10人前後。

 姿を見せていないバックアップ要員もいるかもしれないが、先程のヨハンナとアビゲイルの手腕からして、目の前の10人は彼女達2人で圧倒出来る気がする。

 というか、目の前の10人は1対1ならあたしでも勝てそうに見える程度の連中ばかりだ。

 そう思って緊張の糸が緩みかけたその時、男達の集団が割れ、奥から1人の女が現れた。

 入ってくるなりマントのフードを下ろしてその素顔を自ら晒した女は、かなり短く刈り込んだ赤毛、彫りの深い顔立ちに白い肌、何より強烈な自我を感じさせる強い光を放つ青い瞳が印象的だった。 

 だが、そうしたパンチの効いた容姿の印象は、一瞬遅れて感じた、背中に電流のように走る強烈な感覚に駆逐されてしまった。

 レンジャーの危険察知能力が発動した時の感覚に似ているが、危険察知の時に伴う嫌悪感はなく、それでいて衝撃自体の強さはもっと強烈なものだ。

 それは過去2回しか感じた事のない感覚だった。

 初めてナギと会った時と、初めてマヤに会った時だ。

 正確にはマヤの人格に会った時となるのだろうが、今はそんな事はどうでもいい。

 どうしてナギ達に感じたのと同じ感覚をあの女から感じたのだろうか?

 混乱したまま赤毛の女を凝視していると、女の方もあたしを見て、ニヤッと笑った。

 「おやおや。まさかここで、見知らぬドラゴンテイマーに会えるとは思わなかったよ。」

 赤毛の女がいきなりそんな事を言い出し、あたしは更に混乱する。

 確かにあの感覚は、感情的なものというより魔法的なものである事は最初から分かってはいたが、ドラゴンテイマーに関係した能力という事か?

 そこまで考えた所で、鈍いあたしもようやくある推論に思い至る。

 が、その推論の正否を吟味する前に、ヨハンナが赤毛の女の視線を遮るようにあたしの前に移動した。

 「四大商家の1つ、モリソン商家当主の護衛のクロエさんが、スラムの闇ギルドのチンピラを従えてこんな所に現れるのは問題だと思いますが。」

 ヨハンナは煽る様な口調で言う。

 なるほど、あの女がルドルフの言っていた、ドレイクとの噂のあるロジャーの愛人兼護衛のクロエか。

 「自宅で寝込んでいるはずの元冒険者ギルドの副ギルド長が、押し込み強盗を行う方が余程問題だと思うけど?」

 悪怯れる様子もなく冷静に言い返してくるクロエ。

 「あら、誰の事かしら?」

 ヨハンナは惚けるが、口元をスカーフで隠すだけの手抜きの変装で堂々としらを切るのは我が妹ながらかなり図太い。

 「しかし、副ギルド長と共にいるという事は、そこのドラゴンテイマーはここ数日姿を消していたという賞金首の姉か……。そう言えばそいつは髭面の男に変装するという情報があったな。未知のドラゴンテイマーだと思ったが、違ったか……。」

 ブツブツと呟くクロエ。

 どうやらクロエは、というよりモリソン商家はあたしの情報を予想以上に詳しく知っているらしい。

 それからクロエは顔を上げ、自信満々の口調で言う。

 「ものは相談だが、君の男装したお姉さんの後ろで気を失っている東方人を、我々に渡してくれないかな?」

 クロエの言葉を聞いて、あたしは気絶しているナギの右手を思わず強く握った。

 そんなあたしを一顧だにせず、ヨハンナは呆れたように尋ねた。

 「そんな事、了承すると思う?」

 「まあ無理とは思うが、言うだけはタダだしな。」

 一方のクロエも軽い口調で答えてから、あたしが背後で庇っているナギに視線を移す。

 「だがその東方人は、私の同胞であり私の主人が求める者でもある。申し出を拒否すれば、我らに対する宣戦布告も同様だという事を踏まえて、もう一度返答してくれないか?」

 「拉致しようとした相手を同胞と呼ぶとは笑わせる。」

 横からアビゲイルが口を出した。

 「同胞じゃなくて、単に同じ種族ってだけの話だろう?

 1つ教えておくが、ここハーケンブルクでは同族とか同郷ではなく、信頼出来る仲間の事を同胞と呼ぶのだよ。」

 クールな印象のアビゲイルから飛び出したとは思えない熱い言葉だったが、言葉の内容とは裏腹に口調はあくまで淡々としたものだった。

 考えてみれば確かに、ハーケンブルクは故郷に居場所を無くした者達が集まって築かれた街とも言え、アビゲイルの言葉は単にその現実を指摘しただけとも言える。

 「なるほど、それは失礼した。」

 クロエはアビゲイルの言葉を茶化す様子もなく、あっさりと引き下がった。

 「それで、どうする?あなたの言葉によると、あたし達は宣戦布告してしまった事になるんだけど、力尽くで取り戻す?」

 結構物騒な言葉を淡々と語るヨハンナに対してクロエは肩を竦めた。

 「あたしだって、伝説的な冒険者パーティ、『シーカーズ』の事くらいは知っている。そのパーティメンバーの半分がいるのに手を出す程、無謀じゃないよ。」

 「いいんですか!?」

 クロエの言葉に真っ先に反応したのはヨハンナでもアビゲイルでもなく、クロエの背後に控えていたあの大男だった。

 大男の明らかに抗議めいた口調に、クロエは振り向くとジロリと大男を見上げた。

 「あたし達の話し合いに口出しするとは、それなりの覚悟があっての事だろうね?」

 静かではあるが明らかに威圧を込めた声に、大男はその巨体を縮こませた。

 「あ、いえ、そんな訳では……。」

 「じゃあ黙ってな。」

 しどろもどろに釈明しようとする大男の言葉を吐き捨てるように斬り捨てると、クロエはこちらに向き直り、口元だけで笑った。

 「躾のなっていない奴が口出しして悪かったね。まあ、こいつ等は借り物であたしの部下って訳じゃないんだ。そこに免じて許してくれないか?」

 「どっちでもいい。そっちのゴタゴタが収まったのなら話を続けるだけだ。」

 アビゲイルは突き放すように言う。

 「じゃあ改めて言おう。

 あたし達は今ここで争うつもりはない。どうしてもその東方人を連れ帰るっていうなら今日の所は引き下がるよ。

 お互いに手を出さずに平和裏に別れるって事でどう?」

 クロエの言葉にヨハンナとアビゲイルが素早く視線を交わすと、今度はヨハンナが口を開く。

 「あなた達は、それなりに資金と人員を使い、リスクも負った上で拉致を実行した。その戦利品を途中で奪われて、大人しく引き下がるってのはあたしにはちょっと信じられないのだけど?」

 「まあ、そう思うのは勝手だが、一つ言わせてもらえばあたしは代理として急遽この現場に回されただけ。いわば片手間仕事だ。資金と人員を使ったのはあたしじゃないし、リスクだってあたし自身は負ってない。」

 「ふ〜ん。手ぶらで帰ってもご主人様は許してくれるんだ。随分と甘い御主人様だね。」

 「止めなさい。」

 明らかに煽る口調で言うアビゲイルをヨハンナが制止するが、クロエはアビゲイルに一歩近づく。

 「誰に対しても甘い訳じゃない。あたしが特別な存在ってだけだ。」

 そう言うと、クロエの全身から明らかに魔法的なオーラが噴出した。

 そのオーラに当てられ、あたしは一瞬呼吸が苦しくなり膝から力が抜けかける。

 その感覚には覚えがあった。

 ヘスラ火山で風竜テンペストと対峙した時、テンペストが放った咆哮を受けた時と同じ感覚だ。

 テンペストの時は完全に麻痺してしまった事を考えるとその威力は低いのだろうが、クロエの場合は実際の咆哮を伴わないオーラだけである事を考えると単純に比較する事は出来ないだろう。

 脂汗を流しつつ何とかそのオーラに耐えていると、ヨハンナが平然とクロエとアビゲイルの間に割って入った。

 「2人共止めなさい。」

 「ふん、この程度の子供騙しじゃやっぱり効果は無いか。」

 クロエはそう言うと、あっさりとオーラを引っ込めた。

 子供騙しとか言いつつ、クロエの連れてきた『獣牙』の面々はオーラに当てられてその場に這いつくばっている者もいるし、アビゲイルの手下達にしても似たような状態だ。

 双子はあたしよりマシに見えるが、それでも青ざめた顔色になっている。

 全く意に介していないのはヨハンナとアビゲイルだけだ。

 我が妹とはいえ、やはり常人離れした実力者という事なのであろう。

 それに比べて、あたしは自分自身を不甲斐なく感じてしまう。

 今回のナギ救出において、自分が果たした役割の小ささを再び感じされられてしまった気がした。

 ヨハンナはもう一度アビゲイルを咎めるように一瞥すると、クロエに向かって言う。

 「では、改めて提案します。あなた達がここですぐ踵を返して去るのなら、我々はあなた達の背中を襲ったりはしない。それでどうですか?」

 「いいね。話が早いのは好きだ。その提案に乗るのは吝かじゃない。ただし、あんたがそこのダークエルフを抑えるのを確約するのが条件だ。」

 「悪かったよ。もう余計な口も手も出さない。」

 アビゲイルの方も肩を竦めつつあっさり引き下がった。

 クロエは疑わし気にアビゲイルを見たが、それ以上は追求しなかった。

 「じゃあ、話は以上だな。あたし達は去る。ほら、さっさと立て!」

 クロエはそう言うと、うずくまっていた『獣牙』の連中を立たせ、追い立てるように先に建物の外に出した。

 それから振り返ってあたし達、というかヨハンナとアビゲイルを見た。

 「今日、引き下がるのは大事の前で万が一を避けたかっただけだ。次は容赦しない。」

 「もう会わない事を願うよ。」

 クロエの捨て台詞に対し、アビゲイルが薄ら笑いを浮かべて返す。

 「いいや、そうはいかないね。」

 クロエは口元に残虐な笑みを浮かべると、踵を返してゆっくりと建物から出て行った。

 クロエが出て行くと、主にアビゲイルの手下達の口から大きな溜め息が漏れ、場の空気が一気に弛緩する。

 「あんた達、気を緩めているんじゃないよ。連中がちゃんとここを去るのか確認してきな。最低でも異人街を出るまでは尾けるんだ。」

 真顔に戻ったアビゲイルの命令で、3人程の男が建物を出て行く。

 「尾行がバレても構わないが、絶対に戦うなよ!」

 アビゲイルは男達の背中に呼びかけると、ヨハンナの方を向いた。

 「確認が取れたわね。」

 「ああ。煽った甲斐があったな。まあ、それで目をつけられてしまったけど。」

 ヨハンナの言葉にアビゲイルが苦笑を浮かべたが、あたしには2人の会話の意味がサッパリ分からなかった。

 戸惑っているとアビゲイルとヨハンナがこちらを向いた。

 「クロエについては事前に情報を得てはいたけど、実際に会ったのは初めてだから、これ幸いとばかりに事前情報とすり合わせをしたんだ。」

 「それもあるけど、今まで前面に出てこなかったクロエが急に出てきたから違和感も感じたのよね。」

 アビゲイルとヨハンナの言葉にあたしは唖然とする。

 あの一瞬でそんな事を考え、打ち合わせもなく煽り役と制止役の役割分担まで即興で決めて行動するとは。

 「……それで、確認が取れたとは?」

 あたしは最も気になった部分を尋ねたが、ヨハンナは首を振った。

 「それは後で話すわ。今はすぐ、ここを離れなくては。」

 そう言うと、ヨハンナはアビゲイルに視線を移した。

 「じゃあ、ここは任せるわね。」

 「ああ。なるべく早くあたしも戻るよ。」

 ヨハンナはアビゲイルの言葉に頷くと、転移呪文の準備を再開した。

 読んで下さりありがとうございます。

 次回の投稿は来年1月上旬を予定しています。

 拙作に1年間付き合って下さった読者の皆様には感謝しかありません。

 来年もよろしくお願いします。 

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