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第2章 東方から来た女 8

 前回に引き続き、今回も長くなってしまいました。


 2025年7月30日

 細かい改変を行いました。

 飛行能力はドラゴンの中でも一番というノエルの言葉を裏付けるような凄まじいスピードで、ウィンドドラゴンはあたしに死をもたらすべく耳を劈く様な風切り音を立てつつ急降下してきた。

 その一方であたしは、ウィンドドラゴンの咆哮に耐えきれず、意識はあるのに身体は金縛り状態という絶望的な状況にあった。

 最終手段のテイムもあえなく失敗し、死そのものにも見えるウィンドドラゴンが急降下してくるのを呆然と見上げていると、何の前触れもなく唐突に極彩色の光線が背後からあたしの肩ごしに飛んできて、ウィンドドラゴンの頭部に命中する。

 次の瞬間、ウィンドドラゴンの全身が極彩色の光の膜に包まれたかと思うと、それまで完璧な姿勢で飛行していたウィンドドラゴンが急に姿勢を崩し、あたしへの直進コースを外れて急旋回し始めた。

 金縛り状態のため身体がほぼ動かせなかったあたしには、急に方向を変えたウィンドドラゴンの行方を目で追う事は出来なかったが、あたしの視界の外にウィンドドラゴンが消えた数秒後、凄まじい轟音と地響きが巻き起こり、更に少し遅れて、巻き上がった大量の砂があたしに降りかかる。

 金縛り状態のあたしは、この降り注ぐ砂を甘んじて受け入れるしかない。

 幸い砂の雨はすぐに止んだので生き埋めになる程の量は降らなかったが、金縛り状態のせいで周囲の状況を確かめる術が限定されてしまっている中で状況が次々と変化するのは、最悪の事態が回避されたのは分かってはいても不安が増す。

 しかしあたしの金縛りは不意に解け、身体の自由が戻った。

 身体の自由を取り戻して最初にした事が、その場に膝と両手をついて涙を流しながら激しく咳き込み、口の中に入り込んだ砂を吐き出す事だったのはちょっと情けなかったが。

 (ゾラ、聞こえる?)

 落ち着いたタイミングを見計らったようにノエルからの念話が届く。

 (うん、聞こえる。申し訳ないけど、ドラゴンの咆哮で麻痺したせいでその後の状況がよく分からないの。何があったか教えて。)

 (やっぱり、あの咆哮で麻痺したんだ。僕が見たところでは、マヤがよく分からない魔法を使って、ドラゴンの方向感覚を狂わせたか何かしたみたい。)

 (あの光線はマヤが?)

 (うん。ドラゴンはそのままちょっと離れた山肌に突っ込んだみたいだよ。砂煙が酷くてよく見えないけど、あれくらいじゃドラゴンは死なないだろうね。)

 ノエルに言われて立ち上がり周囲を見渡すと、確かにあたしから結構離れた場所に大きな砂煙が上がっていた。

 ウィンドドラゴンが不可解な急旋回をした時かなりあたしに接近していたように見えたが、恐怖心がそう見せただけで、実際はもっと距離があったのかもしれない。

 とにかく離れた位置に墜落してくれた事であたしは砂を被るくらいで済んだのだから、まだ運は残っているのだろう。

 (あたしが回復したのは?)

 (ルカだよ。僕がルカの回復呪文をゾラに転送したんだ。)

 なるほど。最高レベルのメイジかクレリックでもなければ、これだけ距離が離れた相手に回復呪文をかけるのは不可能だけど、使い魔のノエルに接触して回復呪文をかけ、ノエルがあたしとの魔力的絆を利用してその回復呪文を転送するというのは確かに可能だ。

 使い魔を使った呪文転送は裏技的技法で、呪文の効果は大きく目減りする上に必ず成功する訳ではなく、効果を発揮するまで何回かかけ直した可能性もある。

 あたしは助かったが、中レベル帯のルカであってもそろそろ魔力の残量が心配になるレベルだ。

 そこであたしはルカに担がれていたカミラを思い出す。

 (カミラは?無事なの?)

 (瓦礫の陰に寝せているよ。命に別状はないけど、魔力切れで失神してるから戦力にはならない。一応、ゾラの言いつけ通りにジーヴァが来て、彼女を守っているよ。それよりも、ゾラ。)

 (ん?)

 ノエルの突き放したような言い方が少し苛つくが、緊急事態中での情報交換は素早く行う必要がある結果そういう言い方にならざるを得ないのは理解しているので、気持ちを切り替える。

 (クリスタも金縛りになっている上に、膝まで砂に埋まっている。ゾラは魔法で金縛りを解除出来そう?無理ならルカがそっちに行かざるを得ないけど。)

 (そういう事は早く言いなさい、バカ!)

 あたしは理不尽にノエルを叱りつけると、クリスタを探す。

 確かにあたしより砂煙に近い位置に、彫像のように硬直してしまっているクリスタが、膝まで砂に埋まっていた。

 マヤはもうクリスタの元に駆け寄ろうとしているし、キルスティンは既に駆けつけてクリスタのベルトを噛んで砂の中から彼女を引きずり出そうと奮闘している。

 (あたしがまずやってみる。無理だったらルカにお願いするから。)

 落ち着きを取り戻したあたしは、冷静な口調を心掛けつつ念話を送る。

 (なるべくゾラが成功させてね。僕の見るところ、ルカの魔力の残量もあまり残っていないように見える。)

 そんな事は分かっているし、そうでなくともルカはカミラやノエル達を守る為にも後方に留まった方がベストなのだ。

 分かっているから、ノエルは余計なプレッシャーをかけないで欲しい。

 あたしは金縛り状態の間も手に持ったままだった折れた魔剣を鞘に戻すとベルトに差し込み、クリスタの元に向かう。

 ただでさえ足を取られやすい砂地だったが、2回の爆発で砂が掘り起こされた結果、更にフカフカで足を取られ易くなってしまっている。

 不整地移動が得意なレンジャーのあたしでさえ、そう離れていないクリスタの元に辿り着くのに苦労する。

 それでも、先に向かっていたマヤとほぼ同時にクリスタの元に辿り着いた。

 金縛り状態のクリスタはあたしより明らかに多量の砂を被ったにもかかわらず瞬きすら出来ない状態で、見るからに痛々しい。涙を流す機能が未だ働いているのは救いだったが、ヴィジュアル面に限ると痛々しさに拍車をかけてしまっている。

 「肉体を縛る魔力の鎖よ、その役は解かれた。速やかに大気を漂う魔力へと戻れ。」

 あたしの魔力では3割くらいは失敗する確率があったので、成功率を少しでも上げる為に呪文を口に出して詠唱し、更にクリスタの額に左手に添えてから発動する。

 治癒系の呪文は総じて対象に触れた方が効果も成功率も上がるものだ。

 幸い失敗する事はなく呪文はきちんと発動し、先程のあたしと同様に金縛りが解けたクリスタは激しく咳き込み、次いで口の中の砂を吐き出す。

 「キルスティン、ちょっと周囲を見張ってくれる?」

 通じるかどうか確信はなかったがあたしが身振りを交えて言うと、小型の豹と変わらない大きさの山猫は未だ晴れない砂煙の監視を引き受けてくれたようだ。

 あたしとマヤが2人がかりで砂を払ったり、水袋を与えて口をゆすがせると、あたしより数倍多い砂を被ったらしいクリスタも落ち着いたようだ。

 「ゴメン、手間かけたね。」

 クリスタは謝るが、こればかりは仕方がない。

 少数の例外を除いて獣人は、ヒューマンに比べて身体能力で上回る分、魔力や魔法への抵抗力で劣る事が多い。

 「あたしも抵抗出来なかったから文句は言えないよ。それより早くここから抜け出さないと。ドラゴンは多分まだ生きてると思う。」

 あたしがそう言った直後、砂煙を監視していたキルスティンが警戒の唸り声を上げる。

 ほとんど同時に、先程よりさらに強いウィンドドラゴンの怒りの感情をあたしも感じ、それに圧倒されそうになる。

 顔を上げると砂煙の中からヌッとウィンドドラゴンの長い首が出てきた。

 くすんだ青色の鱗は、あたし達同様に砂まみれだ。

 ウィンドドラゴンはあたし達の方を見ると、やはり今度も何故か飛行せずに二足歩行であたし達の方に向かってくる。

 大雑把に流線型をしたウィンドドラゴンは、やはり二足歩行時はバランスが悪いようで移動速度は遅い。

 それに足場の悪さはあたし達以上に、巨体のウィンドドラゴンには足枷になるはずだ。

 飛行しない理由については分からないが、理由はどうあれこの状況を利用しない手はない。

 あたしとマヤはもちろん、クリスタ自身も手で、そしてキルスティンは後脚で彼女の周囲の砂を掻き出す。

 幸いな事に、歩行時には邪魔になる砂の柔らかさは掻き出すには都合が良かった。

 とはいえ、専用の道具がない状態ではやはり効率は悪い。

 歩行時のウィンドドラゴンは遅いとはいえ、間に合うかどうかは微妙だった。

 正直、ここでブレスや咆哮で攻撃されたらひとたまりもない。

 ブレスや咆哮は一度使用すると再使用する為の魔力チャージに時間がかかるという、どこまで正確か分からない曖昧な知識があるが、今はその不正確な知識にすがって可能な作業に専念するしかない。

 「ちょっと待って。もしかして抜けるかもしれない。」

 足首が見えた所で、クリスタが言う。

 もがきながらも何とか右足が抜けると、片足が抜けて踏ん張りが効くようになったせいか、もう片方もすぐに抜ける。

 「よしっ!じゃあ一旦引いて体勢を立て直そう。」

 「分かった。」

 あたしの言葉に応じて立ち上がりかけたクリスタだが、そのまま膝から崩れ落ちてしまう。

 「あれ?」

 クリスタは納得いかない様子で再び立ち上がろうとするが、脚に力が入らない様子で再び崩れ落ちる。

 不自然な体勢で砂に埋まっていたせいで脚が痺れているのだろう。魔法的な金縛りと違って自然な生理的現象なので、治癒には先程とは別の回復呪文をかける必要がある。

 「待って。今、回復呪文を……。」

 言いかけたあたしを、影が覆った。

 クリスタを砂から脱出させるのに夢中になっている間にウィンドドラゴンがかなり近くまで接近していた。後2、3歩奴が前進すれば近接攻撃圏内に入ってしまうだろう。

 「肩に掴まって!とにかく距離を稼ぐ!」

 あたしが叫ぶと、クリスタは申し訳なさそうな顔をしつつ黙って従う。

 反対側はマヤが支えようとする。

 キルスティンがあたし達の前でウィンドドラゴン相手に身構え、唸りながら威嚇する。効果は無いだろうが、その心意気は単純に嬉しい。

 と、歩みを止めたウィンドドラゴンがその巨体を反転し始めた。

 そこであたしは、この戦闘中何回感じたか分からない自分の迂闊に気付く。

 ウィンドドラゴンが噛みつき攻撃を行うには確かにあと2、3歩前進しなければ届かないが、首より長い尻尾なら現時点でも届く。

 しかも基本的に単体しか目標に出来ない噛みつきと違って、尻尾の薙ぎ払いなら同時に複数人を巻き込める。

 冷静に考えればこの状況下でウィンドドラゴンがどの攻撃方法を選択するか、分かりそうなものだ。

 「ゾラ!魔剣を抜いてテイムして!」

 「え?!」

 突然聞こえたマヤの声にあたしは理解が追いつかず、思わず訊き返す。

 「早く!」

 この死闘が始まってからも飄々とした態度を崩さなかったマヤが初めて鬼気迫る声で怒鳴ったためか、あたしは彼女の指示に反射的に従っていた。

 ウィンドドラゴンは既に横向きになり、胴体の陰から尻尾が見えかける。

 あたしは魔剣を抜くと、必死に魔力を集中させる。

 「止まれ!」

 効くかどうか確信がないまま実行したテイムだったが直後、例の魔力を一度に大量使用した時に感じる拒絶反応に襲われる。

 気が遠くなりかけるのを必死に我慢しつつ、ボヤける視界でウィンドドラゴンの行動を観察する。

 中途半端なタイミングで動きを止めたウィンドドラゴンは既に動き出していた自らの尻尾の勢いにバランスを崩し、足場の悪さもあって横転する。

 胴体が横転した事で、あたし達に向けて横回転で薙ぎ払われようとしていた尻尾が縦回転に変わってその軌道があたし達から大幅に逸れ、さらにその尻尾の勢いに巻き込まれる形で今度は胴体が半回転する。

 そこまで見届けた所で魔力の大量放出による拒絶反応が収まり、意識も視界もクリアになる。

 ふと気付くとクリスタを支えているつもりだったのに、意識が遠のきかけていた間、逆に彼女に支えてもらっていた事に気づく。

 「ゴメン。すぐ、回復呪文かけるね。」

 「あ、いや、感覚が戻ってきたから大丈夫。単なる痺れだと思うし、今はゾラの魔力は出来るだけ温存した方がいい。」

 クリスタも、あたしが何らかの形でウィンドドラゴンをテイムしている事に気付いたようだ。

 それでもあたしが心配気にクリスタの足元に視線を落とすと、彼女はブーツを履いた自分の足首を動かしてみせた。

 どうやら本人の言う通りに大丈夫っぽい。

 「それじゃあ、クリスタとキルスティンにお願いしようかな?」

 そう発言したのはマヤだ。

 今まで冒険に関する事は大抵あたし達に丸投げだったマヤが、突然口を挟んできた事にあたしは驚く。

 「何かな?」

 クリスタの声にはわずかに棘があり、まだマヤの事を信用していない事が伺えた。

 「あたしにちょっと作戦があるの。実行するのはゾラになるけど、少し時間がかかるかもしれないし、あたしもゾラのサポートに専念する必要がある。だからあなたには、囮になってウィンドドラゴンの注意を引いて欲しい。」

 クリスタは、胡散臭そうな視線を隠そうともせずにマヤを凝視したが、最後にチラッとあたしに視線を走らせてから小さく溜め息をつく。

 「まあ、今となってはゾラの能力に頼るしかないしね。やってみるよ。」

 そう言って、クリスタは腰に吊った2本のショートソードの柄を軽く叩く。

 「1つ、アドバイスすると。」

 その仕草を見たマヤが、いつもの胡散臭い笑顔を浮かべた。

 「剣ではなく、弓矢で戦った方がいい。」

 「はぁ?」

 クリスタの片眉が吊り上がる。

 「弓矢が通用しなかったから前線に出てきたんですけど?」

 半ギレ気味に言うクリスタにも動じず、マヤは淡々とした口調で言う。

 「別にダメージを与える事が目的じゃないからね。とにかくドラゴンの目を狙って矢を放って。防御呪文のせいで矢は逸らされると思うけど、当たらないと分かっていても、しつこく目を狙われれば生き物の本能として嫌悪感を抱くはず。そうでもしなければ、ドラゴンは目の前のあなたを無視して一番の脅威であるゾラを優先的に狙ってくるはずだから。」

 マヤの説明を呆れたように聞いていたクリスタだが再び、今度は大きな溜め息を吐く。

 「いかにも性格の悪そうな奴の考えた作戦っぽいけど、やってみる価値はあるわね。キルスティン、手伝って。」

 キルスティンは顔を上げ、多分ルカがいるであろう方角に視線を走らせてから、クリスタに向けて頷く様な仕草を見せた。

 相棒は基本的に主人の命にしか従わない。

 おそらくあたしと聴覚を共有しているノエルが今の会話をルカに中継し、それを聞いたルカが念話でキルスティンに許可を出したといった所だろう。

 転倒していたウィンドドラゴンもゆっくりと起き上がる。

 いかに砂地とはいえ、猛スピードで地面に激突しても傷1つ負わないウィンドドラゴンが、尻尾の空振りによる転倒でダメージを負うとも思えないが、もしかしたらドラゴンといえども脳震盪や三半規管の乱れとは無縁ではいられないのかもしれない。

 ウィンドドラゴンは明らかにあたしを見たが、そのタイミングでクリスタが予定通り目を目掛けて矢を放つ。

 当然の如く矢は不自然に軌道を変え、あらぬ方向に飛んでいく。

 ウィンドドラゴンはクリスタを無視してあたし達の方に歩を進めようとするが、しつこくクリスタが二の矢三の矢を放つと、苛立たし気にクリスタの方に首を伸ばして噛みつき攻撃を仕掛けてきた。

 しかしその攻撃は、丁度あたし達が煩くまとわり付いてくる羽虫の類を手で払う程度のテンションで、あたしやマヤに向けたような殺意は感じられない。

 しかしその攻撃の為に頭の位置が下がったタイミングで、キルスティンがウィンドドラゴンの右目を目掛けて飛びかかった。

 その攻撃は、惜しくも目の近くの鱗の表面を引っ掻いただけに終わったが、ウィンドドラゴンにとっては完全に不意を突かれた格好になったらしく、一瞬呆然とした後に、苛立たし気に唸るとあたし達を無視してクリスタ達を追いかけ始めた。

 クリスタ達は巧みにあたし達から離れるように移動しながらウィンドドラゴンを挑発するような攻撃を繰り返す。

 「これでしばらく時間が稼げそうね。」

 マヤはいつもの本心の読めない笑みを浮かべる。

 「何かするなら早い方がいい。もう一度ブレスや咆哮があったら今度こそ終わりよ。」

 焦りもあってあたしはつい、ぶっきら棒な口調になる。

 「そうね。じゃあ、手短にいこう。ゾラ、あなたはドラゴンテイマーか、それに類するクラスを持ってるわね?」

 ドラゴンテイマーは今の西方世界ではマイナーなクラスでその存在自体知らない者も多いが、東方出身でかつ広く浅い知識を持つバードのマヤなら知っていてもおかしくはない。

 「そうね。」

 「そしてその魔剣の能力の1つはドラゴンテイマーの能力を底上げする力だと思われる。」

 「多分、そうね。」

 最初と、金縛り状態の時のテイムが失敗したのはこの魔剣を手に持っていなかった為、という仮説は十分成り立つと思う。

 「そのテイム能力を使って、あのドラゴンにかけられた魔剣の守護者の呪いを解く手助けをする。」

 「そんな事、出来るの?」

 あたしは、あからさまに疑わしげな声を出してしまう。

 三重の意味で不可能だと思ったからだ。

 「大丈夫、勝算は充分ある。」

 マヤは自信満々に言う。

 「聞かせて。」

 「まず、呪いの効果自体かなり弱まっている。確かに呪いの効果によって、ドラゴンの行動は制限されているし、恐らく本来のドラゴンの自我さえも抑制されていると思うけど、それでも時々魔剣の奪還より自分の本能を優先させてるでしょう?」

 魔剣を持ってるあたしを放っておいて、挑発を繰り返すクリスタ達を追い回すウィンドドラゴンを目で示しつつマヤが言う。

 「つまりは呪いの強さにムラがあるって事?」

 「そうね。それでもあたし達が外側から呪いを除去しようとしても、魔力不足のせいで十中八九失敗するでしょう。だから魔力が豊富なドラゴン自身が解呪するように誘導し、成功率を高める為にあたし達の魔力をドラゴンに上乗せする形にするの。ドラゴンテイマーのクラスを持つあなただからこそ出来る方法よ。」

 高レベルメイジ以上に高い魔力を持つドラゴンにかけられた呪いならその解呪にはそれ以上の魔力が必要なはずで、長い時間を費やしての儀式呪文ならともかく、短時間の一発勝負での解呪なら、明らかにあたし達の魔力を合計出来ても成功する確率は皆無だ。

 でもマヤの提案なら、少なくとも魔力不足の問題はクリア出来る事になる。

 でも、まだクリアしなければならない問題がある。

 「解呪には、呪いであのドラゴンを縛っているこの魔剣自体の力も借りないといけないのよね?」

 「そうね。ゾラの素のドラゴンテイマーの力では、ドラゴンの意思を呼び起こして解呪に導くのは難しいと思う。」

 「自分にとって不利になる行為にこの魔剣が力を貸すとは思えないんだけど。」

 「意識を持った魔剣ならそういう可能性はあるけど、少なくとも今現在、この魔剣に意識は感じれらない。だから、今はこの魔剣は単なる道具として考えて構わないわ。道具は自分にとっての有利不利を考えて行動したりはしないでしょ?」

 何となく引っ掛かる部分はあったが、マヤの説明は理路整然としているように聞こえた。

 時間的余裕はないという焦りもあったし、明確な反論を思いつかない以上、ここまでは一旦納得する事にする。

 最後にあたしは最大の懸念について尋ねる。

 「いくらドラゴンテイマーといえども、既に敵対状態に入っている相手に、負担の大きな命令は下せない。」

 呪いに抵抗するには長時間の集中と、解呪に抵抗する呪いそのものからもたらされる苦痛に耐える必要がある。一瞬だけ行動内容を変化させる命令と違って、この手のテイムは信頼関係にある相手でなければ自動的に失敗するだろう。

 呪い除去の成功率を上げる為にあたし達がドラゴンに分け与えようとする魔力だって、自動的にドラゴンに拒絶されるはずだ。

 「そこも考えているわ。あたしが、あなたとあのドラゴンの魔力を直接結びつける。」

 ……またこの女は、とんでもない事を言い出したな。

 「どうやって?」

 あたしが尋ねると、珍しくマヤは困ったような表情をした。

 「今は詳しい事を説明している時間はないの。ある種の魔法とでも思って。とりあえず、信用してもらうしかない。」

 どんな状況に対してもそれらしい言い訳を用意していると思っていたマヤにしては余りに芸の無さすぎる、開き直りともいえるゴリ押し的なお願いだった。

 でもそのマヤらしからぬ物言いが、逆にマヤの言う事の信憑性を高めているように感じられた。

 「魔力を結びつけてどうするの?」

 「そうすれば敵対的な状況とか関係なく、フラットな状態でゾラのドラゴンテイマーの力をあのドラゴンに行使できるはず。ただ、リスクはあるけど……。」

 「それは?」

 「魔力と同時に精神もドラゴンと結びついてしまう可能性もある。ドラゴンの内面を見る事で、ドラゴンを説得出来る材料を得る可能性もあるけど、ドラゴンの強烈な自我にゾラの自我が侵食される可能性もない訳じゃない。」

 それに似た話は聞いた事がある。

 弱い術者が、自分と信頼関係を持っていない遥か上の力を持つ相手と使い魔契約や相棒契約を無理矢理しようとすると、逆に相手に使役される危険性がある、という伝承だ。

 ただそういった契約自体、実際に実行するための手段が存在しないというのが魔法の世界での常識なので、根拠のない無責任な噂の類だと思っていたが、どうやらマヤは常識外の手段が使えるらしい。

 あたしの頭に、完全な禁忌ではないがまともな秘術魔法の使い手からは白眼視されているマイナーな秘術魔法の流派が思い浮かぶ。

 酒場で自分の能力を説明した時の、秘術魔法の使用は制御に難がある、というマヤの言葉とも合致する。

 胡散臭いと思っていたが、本当に胡散臭い女だったらしい。

 あたしはチラリとクリスタ達の方に視線を走らせる。

 挑発と巧みな誘導で、一度はウィンドドラゴンを上手いことあたし達から引き離す事に成功したクリスタ達だが、矢の残りが少なくなってくるにつれ効果的な挑発が出来なくなってきたようで、冷静さを取り戻したらしいウィンドドラゴンはあたしの方に戻りつつある。

 残り時間は少ない。

 「守護者の呪いを解けなかったらどうなる?」

 「ドラゴンを殺すしか手段はないわね。たとえ逃げ出したとしても呪いがある限り、ドラゴンはどこまでも追いかけてくる。それがハーケンブルクの街中であろうと。」

 ハーケンブルクの街中にウィンドドラゴンが来襲したら、それこそ災厄だ。

 ヨハンナやソニアといった超高レベルの人材が揃っているから最終的には倒せるとは思うが、決着がつくまでに100人単位の犠牲者が出る事は想像に難くない。

 「あたし達ではドラゴンスレイヤーにはなれそうにないわね。」

 「試してみる?」

 「いいえ。試すならもっと確実で安全な方法が良いと思うわ。」

 「それは?」

 「この魔剣を捨てること。」

 穏やかな口調で言ったあたしの言葉に、マヤは一瞬真顔になったが、すぐにいつもの柔らかく胡散臭い笑顔を浮かべた。

 「あなたはそんな事はしない。」

 「どうして?」

 「さあ、どうしてかしらね?」

 マヤは誤魔化すように言ったが、その目には何故かあたしへの信頼がありありと現れていた。

 そう言えば、この女は最初からあたしへの評価が妙に高かった気がする。

 じっとマヤの顔を見つめると、彼女のいつもの胡散臭い笑顔の下に、ちょっと疲れたような表情が見えたような気がした。

 「そういう事なら、さっさと済ませましょうか。」

 あたしが言うと、マヤの顔に僅かに安堵の表情が浮かんだように感じた。

 「それじゃあ、ゾラはあのドラゴンの目を見て。絶対に視線を逸らせちゃ駄目。」

 マヤはそう言いつつあたしの背後に回り込むと、あたしの両肩を掴んであたしの身体の向きをウィンドドラゴンと正対するように変え、あたしの両肩を掴んだままその身体を近づける。

 お互い分厚いマントや革鎧を着込んでいるのでそんな事はあり得ないのだが、マヤの身体の感触や体温が生々しく伝わってきたような気がして、微妙に心臓の動きが早くなるのを自覚する。

 「ドラゴンに集中して、視線を離さない……。」

 マヤがあたしの耳元で囁く。

 その声が妙に気持ちよく、逆らえないような気分になる。

 続いてマヤが更に何か囁いたが、その具体的な内容は聞き取れなかった。

 ただ、その囁き声は耳に心地良く、意識がぼやけていく。

 ふと気付くと、あたしは宙に浮かんでいた。

 眼の前にはウィンドドラゴンが鎮座している。

 でも、何かおかしい。

 眼の前の存在がウィンドドラゴンだという事は何故かハッキリと分かるのだが、ジッと見つめても具体的な形状を認識できない。

 さらにあたしは、自分がヘスラ火山の山腹にいるのも分かるのだが、その具体的な風景も認識できない。

 夢を見ている時の感覚に近いかもしれない。

 そしてそんな異常な感覚を自覚していたにもかかわらず、その異常さを小さな雑事に感じたあたしは内から湧き上がる使命感に突き動かされるようにその違和感を無視して、ウィンドドラゴンに意識を集中した。

 相変わらず圧倒的な存在感から来る圧は感じたが、何故か先程と違って恐怖はさほど感じなかった。

 あたしはウィンドドラゴンを理解しなければ、という強迫観念的な意思に突き動かされ、ウィンドドラゴンに近づこうとする。

 そう思った瞬間、まるで距離の概念が無いかのようにあたしはウィンドドラゴンに隣接する位置に一瞬で移動し、無意識の内にそのくすんだ青色の鱗に触れていた。

 ウィンドドラゴンの感情がジワジワとあたしの中に流れ込んできて、あたしは少しずつそれを理解していく。

 ウィンドドラゴンは激しい怒りに支配され、それ故に怒り以外の感情が希薄になっていた。

 ただ、その怒りは嵐のように荒れ狂い周囲のモノ全てを巻き込むような激しいものだったが、あたしや仲間達に向けられたものでは決してなく、あたし達は単に巻き込まれただけだった事が分かり、少し安心する。

 あたしは、直感的にこのウィンドドラゴンの『中に』入れる事を理解する。

 そして、『中に』入らなければならない必要性も感じていたが、その方法が分からない。

 とりあえずその表面を押してみるとその鱗は硬く、しかもあたしを拒否するような力が内側から放出され、あたしの手を弾き飛ばす。

 どうしようかあたしが思案していると、何かがあたしにそっと寄り添ってきた。

 何だか知り合いのような気もするが、具体的に誰なのかはよくは分からない。ただ、その存在はあたしに確かな安心感を与えてくれた。

 その存在に背中を押されるようにもう一度、ウィンドドラゴンの中に入りたい遠く願うと、今度はスルンと何の抵抗もなくウィンドドラゴンの中に入り込めた。

 (ドラゴンに呑み込まれないように、しっかりと自我を保つのよ……。)

 何者かが心配気に警告する声が響く。

 ハッとしてその存在を確かめようと意識を集中するが、あたしに寄り添ってくれた存在がゆっくりと消えていくのが分かっただけだった。

 ウィンドドラゴンの中は色とりどりで、場所によって濃度の異なる不思議な液体で満たされていたような感覚だったが、どういう訳かあたしは普通に呼吸も出来たし、特に明かりも無かったのに遠くまで見通す事も出来た。

 不思議な事に、あたしがこの非現実的な世界に入り込んでから、普通なら理解出来ない事象に直面してもそれを普通に受け入れ、それが何なのか即座に理解も出来てしまっている。

 この時も、あたしはすぐにこの液体がウィンドドラゴンの感情が具現化したものである事を即座に理解した。

 色は怒りや悲しみといった感情の種類、濃度は感情の強さだ。

 ただ、色も濃度も一定ではなく常に流動的で、別の色が混じり合って他の色に変わったり、濃度も濃くなったり薄くなったりをゆったりとしたペースで繰り返している。

 明るい色がポジティブな感情で暗い色がネガティブな感情のように思えるが、8割くらいは暗い色彩の液体のようだ。

 そして、この液体のあちらこちらに気泡が浮かんでいた。

 どうやらこれは、ウィンドドラゴンの記憶の断片らしい。

 気泡の周囲の液体の色で、ネガティブな記憶かポジティブな記憶かが分かるような気がする。

 あたしは明るい色に囲まれた気泡を探し、オレンジ色の液体の中に浮かぶ気泡を見つけるとそれに近づいてみる。

 その気泡に手が届きそうな距離まで近づくと、中からイメージが伝わってくる。

 気泡の中の記憶は時系列順に整えられている訳ではなく、分断された小さなイメージの集合体で具体的な事がハッキリと分かる訳ではなかったが、その断片をパズルのように組み合わせて想像するくらいの事は出来た。

 人族の女に自分を見出されて初めて自分の価値を知った喜びや、初めて信頼出来る人物とのぎこちないながらも暖かい日々の記憶だ。

 空白部分を勝手にあたしの想像で埋めた形だから信憑性には乏しいが、そのような記憶のように思える。

 続いて、青色の液体の中を漂う気泡に近づく。

 女を背に乗せ戦場を駆け巡りながら共に武勲を上げ、女の掲げた目標に着実に近づいていく充実した日々の記憶だ。

 あたしは次の気泡を探すべく周囲を見回すが、そこで周囲を暗い色の液体に囲まれている事に気付く。

 暗い色の液体に囲まれた気泡はトラウマ物の記憶の様な気がして近づかないようにしていたのだが、そうも言ってられないようだ。

 あたしがその中でも比較的明るそうな深緑色の液体の中に浮かぶ気泡に近づこうとした時、それまでゆっくりと流れていた液体があたしの周りで急に渦を巻き始めて激流と化すと、それに伴い無数の気泡が次々とあたしに迫ってきた。

 女との死別。

 彼女と死別する際にその庇護を頼まれた、彼女の子孫達によるドラゴンに対する裏切り。

 信頼ではなく呪いによって強制的に使役され続けた屈辱の日々。

 恨みから目が曇り、彼女の子孫の中で唯一自分に味方してくれた者を誤って殺してしまった後悔。

 次々と襲い来る記憶の奔流に、あたしはそれを整理する時間も理解する時間も与えられず、次第に記憶よりも感情だけが心に焼きつけられる。

 (ドラゴンに……呑み込まれては……。)

 微かに先程の声が再び聞こえてきたが、もはやその声に従う余裕もなく、感情の激流に翻弄される。

 怒り。

 悲しみ。

 喪失感。

 後悔。

 屈辱。

 そうした負の感情の奔流に流されている内に、あたしは自分を形作っている大事なモノが少しづつ削り取られて周囲の液体と同化しつつある事を自覚したが、抵抗する手段が見つからないばかりか抵抗しようとする意思すら削られ始める。

 色とりどりだった液体は、暗い色ばかり集められて濃縮され、混ざり合い、少しづつ黒一色に染まりつつあった。

 その黒くなりゆく液体の中で、あたしは成す術なく周囲の液体と同化して輪郭が薄れていく自分を、次第に薄れていく意識の中でぼんやりと受け入れつつあった。

 (ゾラ!)

 誰かが名前を呼ぶ。

 それが誰の名前なのか、瞬時には分からないくらいあたしの自我は薄れかけていた。

 誰かが再びあたしに寄り添う。

 ウィンドドラゴンの中に入る時と同じ存在のような気もしたが、違う存在のような気もする。

 ただ、先程と同様にあたしに温もりと安心感を与えてくれた。

 (ゾラ。しっかりと自分を保ちなさい。)

 叱咤する声に、あたしはそれが自分の名前であることをハッキリと認識出来た。

 その存在は、やはりすぐに消えてしまった。

 相変わらずあたしの周囲では限りなく黒に近い液体が渦巻いていたが、渦の外に出る事を念じると呆気なく外に出られた。

 外に出ると、外側から渦を見る事が出来た。

 暗色の液体が球状に固まってそこだけ激しく渦巻いているが、そこに暗色の液体が集中しているせいでその周囲は液体の濃度が薄く、気泡もかなりまばらになっていて周囲を遠くまで見渡せた。

 遥か遠くに、白っぽい楕円形の塊が見えた。

 その直後、暗色の液体の塊が溶け始め四方八方に触手のように広がり始める。

 あたしを探しているのが直感的に分かったので、あたしは白っぽい楕円形のモノの手前まで行く事を決める。

 例によって決断した直後には、あたしはその物体の手前にいた。

 楕円形に見えたそれは、巨大な卵のような物体だった。

 そして卵は、錆び付いた鉄で出来た鎖でグルグルに巻かれていた。

 卵の殻はかなり硬そうで、どうやっても壊れないように感じられた。

 そしてこの卵から、この世界を占めるあの液体が染み出している事も分かる。

 現に今も、黒に近い紫色や暗緑色がジクジクと卵から染み出していた。

 一方で、鎖の方は錆びた鉄のような外見にもかかわらずその頑丈さは尋常ではなく、卵の殻以上の強度である事が分かる。

 その鎖は、まるでそれ自体が意思を持っているかのようにギリギリと卵を締め上げていた。

 あたしは卵の殻に触れてみた。

 するとウィンドドラゴンの体表に触れた時と同様に、激しい拒絶の力があたしの手を撥ね退けようとする。

 その拒絶の激しさにあたしは戸惑いかけたがその時、再び何者かの声が響く。

 (ゾラなら出来る……。)

 根拠も無しによく言う、といつものスレたあたしなら思う所だったが、この時は素直に心強く感じ、その声に押されてあたしは少しばかり大胆になった。

 今度は両腕を広げて腕全体で卵を抱えようと試みた。

 卵は巨大過ぎて、あたしが抱えるというより卵にしがみつく様な格好にしかならなかったが、実態はともかく胸に卵を抱えている心づもりだった。

 再び拒絶の力があたしを弾き飛ばそうと卵から放出されるが、何故か今度はその力はあたしを素通りしていった。

 あたしはその体勢のまま、待ち続けた。

 一度引き離した暗色の液体の塊が、あたしに追いつき再びあたしを囲って暗い感情と記憶をあたしに叩きつけ始めても、あたしは卵を抱え続けた。

 時間の流れが存在するのかすら分からないこの空間の中でどれだけ長時間そうしていたのかは不明だが、ふと気付くと卵から救いを求める声が微かだが、しかしハッキリと聞こえた。

 あたしはその声に耳を傾け続け、やるべき事と必要な知識、そしてその手法を理解する。

 正直、あたしの能力では成し遂げられるか心許ないが、これが現時点では唯一の手段である事を理解した。

 あたしが覚悟を決めた瞬間、現実世界に引き戻された。

 とはいえ、すぐには現実世界の感覚に適応できずに少なからず五感が混乱する。

 それにまだ、ウィンドドラゴンの精神世界を漂っていた時の自分と世界の境界線が曖昧な感覚も残っており、意識もボンヤリとしている。

 それでもあたしの両肩を掴んでいる手の感触が、ゆっくりと、しかし確実にあたしを覚醒させてくれた。

 「おかえり。」

 背後からマヤの声がした。

 いつものように軽い口調ではあるが、少し声が掠れている。

 振り返り、自分の肩越しにマヤの顔を見ると、いつもの胡散臭い笑顔を浮かべてはいたが、先程より明らかに疲労による疲れがハッキリと見て取れた。

 「ただいま。申し訳ないけど、もう少し手伝ってもらうわよ。」 

 「魔力をあなたに注げばいいのね?」

 マヤは全て分かっているとばかりに言葉を返してきた。

 そのちょっとしたドヤ顔は、普段ならイラッとしただろうが今は頼もしかった。

 あたしは正面に向き直った。

 いつの間にかウィンドドラゴンはかなり接近してきており、あと数歩であたしを攻撃圏内に捉えるだろう。

 そのウィンドドラゴンとあたし達の間にはクリスタとキルスティンが陣取っていた。

 既に矢筒が空になっていたクリスタは、両手にそれぞれ短剣を持って威嚇するように両腕を広げた構えを取っているが、ウィンドドラゴンの視線は足元のクリスタとキルスティンには向いておらず、その頭上を超えてあたしに向けられていた。

 「クリスタ。」

 あたしは彼女に呼びかける。

 「時間を稼いでくれてありがとう。後はあたしが何とかするからキルスティンを連れて下がって。」

 クリスタは振り向き、少しの間あたしの事をジッと見たが、ニッと笑うとキルスティンを手招きして共に脇に退く。

 その顔には明らかに疲労の色が出ていたし、あたしがウィンドドラゴンの精神と接触している間にも色々あったのだろう。

 クリスタが退却しても、ウィンドドラゴンはそれを全く気に留める様子もなくあたしに近づいてくる。

 明らかに攻撃圏内にあたしを捉えた所で、ウィンドドラゴンはその足を止めた。

 そして、威嚇するように低く唸る。

 人の根源的な恐怖心を直接揺さぶる様なその唸り声は、先程までなら充分あたしの足を竦ませていただろう。

 でも今のあたしには、自らの苦痛を訴える悲痛な懇願にしか聞こえなかった。

 あたしはベルトに挟んだ鞘から折れた魔剣を引き抜き、それを両手に持って掲げつつ宣言する。

 「大地に縛り付けられし天空の王、風竜テンペストよ。

 魔剣トールの新たなる持ち主、ゾラの名において命ずる。

 汝を魔剣トールの守護者の任から解放する。

 汝を縛り付けるのはもはや汝自身の意思のみ。自由の身となり、再び天空を翔け巡れ!」

 魔力の込もったあたしの言葉が発せられると同時に、折れた魔剣から眩い光が発せられた。

 同時に、あたしの体内から大量の魔力が抜けていくのが分かる。

 その精神世界の中で、ウィンドドラゴンにテンペストという名前があるのを知り、折れた魔剣の名がトールであることを知り、テンペストを魔剣トールの守護者の呪いから解放する方法も完全に理解した。

 だから、最大の懸念も分かっていた。

 あたしの魔力量は、やはり呪いを解くには圧倒的に足りないという事だ。

 しかし、魔剣の呪いを解く為に魔剣の能力を使うという裏ワザ的手法に加え、ドラゴンテイマーの能力でテンペスト自身に呪いを解かせるように導くというマヤのアイデアにより、あたし一人だけが全ての魔力を負担して呪いを消すという状況ではなくなった。

 テンペストというウィンドドラゴンの名と、トールという魔剣の名を知った事により、その名を具体的に唱える事によって、更にもう一段必要な魔力量も減らせた。

 それでも、足りない。

 やはりあたしのレベルが低すぎるせいだ。

 ここでもやはり、無計画ににクラスを乱取りしてしまった選択ミスが、あたしの足を引っ張ってしまう。

 それでも、やるしかないのだ。

 魔剣が折れている事により、呪いも弱まっているはずだ。

 まだ正式に主人となっていないあたしが、魔剣の力を一部使えたのは、折れた事によりその制御力が弱まっている事の証左だろう。

 それに、マヤが足りない分の魔力を補充してくれる。

 事前準備無しの他人への魔力補充は、一卵性の双子のような奇跡的に魔力の相性がよい相手以外には魔力のロスが多すぎてあまり実用的ではないが、魔力不足を補うにはそれしかない。

 事前に精神的な接触を行った結果か、テンペストはあたしの魔力を意外な程素直に受け入れてくれ、あたしの意図を理解し、自らにかかった呪いを解くべく集中を始める。

 しかし、すぐにあたしは自分の見通しの甘さに気付く。

 魔剣の呪いを解く為に魔剣の力を借りるという苦し紛れの裏ワザに、やはり落とし穴があったのだ。

 魔剣そのものは、マヤの言う通り意志の無い道具としてあたしに従ったが、魔剣にかけられた呪いはそうではない。

 解呪に抗しようとする呪いの力が、魔剣の制御権をあたしから奪おうとあたしに直接攻撃してきた。

 呪いを自ら解こうとするテンペストへの攻撃にも力を割かねばならない為、あたしへの攻撃に向けられる力は精々3割程度だろうが、それでも皮膚を剥がされ血液が沸騰するような激痛が瞬時にあたしの全身を襲った。

 この最初の一撃のショックで気絶しなかったのが不思議なくらいだが、この激痛はその後もジリジリとあたしを苛み続ける。

 これがあと、数分も続けば遠からず正気を失ってしまう程の痛みだ。

 あまりの激痛により魔力を集中させる事が困難になり、テンペストへの魔力供与が途切れ、魔剣の支配権をも呪いに奪われそうになる。

 もしあたしが魔剣の支配権を失えば、あたしとテンペストの間の魔法的繫がりは更に細くなってしまう。

 今のテンペストは、あたしのテイム能力によって封印されていた理性を無理矢理引き出された事により、呪いに抵抗している状態だ。

 魔剣の助力がなければ今のあたしのレベルではこんな力技の維持など出来ようはずもなく、テンペストは再び理性を失い、呪いへの抵抗など即座に止めてしまうだろう。

 だから魔剣の支配権だけはなんとしても死守しなければならないが、全身を襲う激痛は容易くあたしの集中力を削ぐ。

 痛みが見せた幻覚か、呪いそのものが擬人化したような影があたしの目の前に現れ、あたしを嘲笑う。

 その得体のしれない存在に、あたしは怯え慄く。

 (ゾラ。)

 両目と口だけの人の顔を簡略化したようなその影は、それでも表情豊かに笑いながら、あたしの恐怖心を具現化したような外見とは裏腹に甘い声で毒を囁く。

 (お前がそこまでする必要はない。剣を手放せ。それでお前は苦痛から開放される。)

 確かにそうかもしれない。

 依頼されたアイテムがドラゴンに守護されてるなんて、聞かされていなかった。

 これは依頼人の事前調査の重大過ぎる手落ちであり、依頼を放棄しても咎められる事のないレベルの事案だ。

 ドラゴンを呪いから救う?

 あのドラゴンはあたし達を殺そうとした。

 救う義理など1つもない。

 剣を手放すのだ。

 そうすれば、この苦痛からも解放される。

 解放されるのだ。

 ……。

 苦痛からの解放?

 それが意味するのは、単なるあたしの死でしかない。

 死ねば確かに、それ以上の苦痛は感じないだろう。

 呪いは、それを甘美なもののように装ってあたしを陥れようとしているに過ぎない。

 ドラゴンと遭遇してからあたしは、あたし達は細い可能性の糸を手繰り寄せて生き延びてきた。

 それは、まだ、続いている。

 あたしの背中からは相変わらずマヤの魔力が注がれ続けているのを感じる。

 あの、いかにも胡散臭くいい加減そうなマヤがまだ諦めていないのだ。

 あたしが先に諦める訳にはいかない。

 あたしの弱さで終わらせる訳にはいかない。

 「陳腐なやり方だ。」

 あたしは、敢えて声に出して呟く。

 これは単なる、呪いによるあたしへの攻撃に過ぎない。

 肉体に激痛を与えると同時に、精神に甘く嘘を囁きかけて心を折る、ありふれた攻撃に過ぎない。

 目の前であたしを嘲笑う、恐怖を具現化したような幻影も、誰かが作った魔法による現象に過ぎない。

 あたしは開き直り、再び精神を集中しようと試みる。

 幻影は相変わらずあたしの目の前にあったが、それは半分透けていて、幻影である事がハッキリと分かってしまっている。

 激痛も相変わらずあたしの全身を苛むが、先程よりは軽くなった気もする。

 少なくともあと数分は耐えられる程度だ。

 あたしの集中の試みは成功してテンペストとの魔力的リンクを再構築出来たので、あたしは魔力供与を再開し始めた。

 (人族の娘よ……。)

 あたしの中に声が響く。

 初めて聞くその重低音の声は、テンペストのものだとあたしにはすぐに分かった。

 封印されていたテンペストの自我が、呪いのさらなる弱体化によってあたしの助力無しでも解放されつつあるのを感じた。

 (よく耐えた。もうすぐだ。あともう少し、我に力を貸してくれ……。)

 「端からそのつもりよ!」

 あたしは声に出して答える。

 声に出して自らを鼓舞しなければすぐに弱気になりそうな程度には、あたしも疲弊していた。

 それでも絶え間なく背中から注がれるマヤの魔力が、叱咤しつつもあたしを支えてくれる。

 それにしても、何の事前準備も無かったにもかかわらず、マヤからの魔力供給には尋常でないレベルでロスが少なく、しかもその少ないロスも時間経過と共に更に少なくなっていく。

 これについては、元から期待はあった。

 マヤと初めて会った時や、初めて直接触れた時に感じた不思議な現象は、実は魔力の相性が奇跡的に良い結果起こった事ではないか、という推測が以前からあったせいだ。

 まあ、特に根拠のある推測ではなかったので、ちょっとした期待でしかなかったが。

 それより驚きなのが、マヤの異常な魔力量だ。

 先程からずっとあたしに魔力を注ぎ続けているというのに、未だ魔力が尽きる気配がない。

 ここまで魔力が尽きないとなると、その魔力量は最高レベルのメイジで、かつアルビノである妹のヨハンナに匹敵する。

 単なるヒューマンのバードであるマヤには、普通では考えられない魔力量だ。

 確かに、マヤのテンペストを手玉に取ったあの回避術にしても、あたしの精神をテンペストの中に送り込む際に用いた正体不明の魔術からしても、マヤが自己申告よりずっとレベルの高い、最高レベルのバードである可能性もある。

 でも、それを勘案したとしてもこの魔力量は異常だ。

 マヤの正体について考えると少しうすら寒い気分になるが、でも今はそれを気にするより、得体が知れなくとも利用してやるべき事を行うだけだ、と気を取り直す。

 あたしの手の中で、魔剣が熱を帯び始め、小刻みに震えだした。

 魔剣に込められた呪いが、その力を失いかけているのが分かる。

 本当に、あともう一息だ。

 そして遂に、最初に魔剣が、一瞬遅れてテンペストが閃光に包まれる。

 普通なら視力を奪いかねない強力な閃光だったが、何故かあたしの目を焼き尽くす事もなく、視界はクリアなままだった。

 テンペストを縛っていた呪いが、魔剣トールから伸びてテンペストの身体を縛り付ける鎖の形で可視化する。

 しかし可視化した次の瞬間には、その鎖が粉々にちぎれて飛び散る光景が、激しい光の中でもはっきりとあたしには見えた。

 その直後、テンペストと魔剣トールを中心に発した膨大な魔力の爆発があたしを襲うが、しかし何ら物理的な影響を与える事なくあたしの身体をすり抜けていく。

 そして静寂が訪れる。

 あたしの全身を襲っていた激痛は、嘘のように消えていた。

 それでも、身体のあちこちにチクチクとした痛みは残っている。

 呪いが、あたしの全身に細かい裂傷を刻んだのだろう。

 まあ、裂傷と言っても血が滲む程度の浅い傷だろうし、まだ戦いの高揚感が残っているせいで痛みもさほど感じない。

 落ち着けば傷の痛みが襲ってくるだろうが、その前に治癒呪文をかければ済む話だ。

 傷の範囲は広いが、この程度の傷ならあたし程度の治癒呪文でも完治するだろう。

 あたしは視線を下げると、左手に持った折れた魔剣を見下ろす。

 魔剣からはもはや何の魔力も感じなかった。

 無理に呪いを解いた反動で、残っていた魔力も全て消え去ったのかもしれない。

 少し感傷的な気分でそんな事を考えていると、激しい目眩に襲われると同時に意識が遠のきかけ、その場に倒れそうになる。

 明らかに魔力の過剰使用の拒絶反応だ。

 そんなあたしを背後からマヤが支えてくれた。

 拒絶反応が出ても魔力切れの症状が出なかったのは、マヤがその膨大な魔力を注いでくれたおかげだ。

 振り向いてマヤの顔を見ると、彼女の白い肌にも無数の細かい裂傷がある。

 そこであたしはふと気づいた。

 途中から呪いのもたらす激痛が軽減したのは、何らかの方法であたが受けた呪いの攻撃の一部を彼女も引き受けてくれたからではないだろうか?

 もしかしたらあたしより酷い傷かもしれないのに、マヤはいつもの柔らかく胡散臭い、でも魅力的な笑顔を浮かべていた。

 「お疲れ様。」

 そう言う彼女の顔は、化粧っ気もなく、無数の細かい裂傷のせいで酷い状態なのに、思わず惹き込まれそうになる。

 少なくとも色々と彼女に問い質したいと戦闘中に思っていた事が、どうでもよいと思えるくらいには魅力的にあたしの目には映った。

 「半分以上はあなたのおかげよ。」

 結構それなりの感謝を込めて言ったつもりの言葉だったが、マヤは軽く笑みを浮かべただけで、何だか軽く受け流されてしまった気がする。

 そこへ、聞き慣れた不器用に飛ぶ羽の音がした。

 「今度ばかりは無茶し過ぎだよ、ゾラ!」

 開口一番、文句をブーたれながら、いつものように危なっかしくノエルがあたしの右肩に止まる。

 「結果、上手くいったんだからいいじゃない。」

 拒絶反応がようやく収まりつつあったあたしは、ちょっと無理して笑顔を浮かべながら憎まれ口を返す。

 ノエルが更に何か言い返す前に、ジーヴァがやってきてあたしの膝に甘えるように顔を寄せる。

 あたしが屈んでジーヴァの顔をワシワシしていると、クリスタとキルスティン、少し遅れてルカと彼女の肩を借りたカミラが近付いてきた。

 すっかりリラックスした様子のノエル達と異なり、ルカ達の表情は未だに緊張していた。

 その視線の先にはテンペストの姿があった。

 テンペストは、あたし達の正面で後ろ脚を曲げ、まるで膝をつくようにしてうずくまっているが、垂れ下がった頭部からはハッキリとした呼吸音が聞こえる。

 あたしと魔法的に繋がっているノエルやジーヴァは、あたしの精神が落ち着いた事からもう危険は去ったと判断したのだろう。

 しかし、ルカ達には未だ状況の判断がつかないはずだ。

 あたしが何かをしてテンペストが動きを止めたのは分かってはいるが、動きを止めただけで明らかにテンペストはまだ生きている。

 あたしの使い魔や相棒が安心した様子で駆けつける様子を見て、戦いは終わったらしいと推測はしたが、相手が相手だけに確信が持てずに不安なのだろう。

 そして彼女達の判断は、ノエル達より正しい。

 あたしは戦いが終わったと判断したからリラックスしている訳ではなく、もうやれる事はやり尽くしたので開き直っているだけだ。

 テンペストにかけられた守護者の呪いを解いた確信はあるが、呪いを解かれたテンペストが果たしてあたし達に友好的になるかどうかはまた別問題だ。

 そんな事を考えていると、マヤが囁く。

 「大丈夫。心配はいらないわ。」

 どれについての心配か、疲労であまり働かない頭で考えていると、頭を垂れていたテンペストがゆっくりと頭を上げ始めた。

 その長い首を最大限持ち上げれば5メートルは軽く超えるだろうが、あたしの頭の位置と同じ高さで持ち上げるのを止める。

 その目は、明らかにあたしを見つめていた。

 テンペストの意図が分からず、ルカ達に緊張が走る。

 でもあたしは、テンペストの目つきがそれまでと変わっている事に気付いた。

 それまでの怒りに支配された凶暴な目つきと異なり、穏やかで理知的な目をしている様な気がした。

 (人族の娘よ。)

 ウィンドドラゴンは低い声で唸るが、あたしには念話としてその意図が明確に伝わった。

 (まずは最初に礼を言わせてもらおう。儂は、儂自身の恨みと後悔に付け込まれ、呪いを受けてしまった。儂を呪った者は既にこの世に無いが、しかし呪いは残り続け、長きに渡って儂は獣同然の存在だった。

 そなたは儂を昏き呪いから解き放ち、儂自身を取り戻してくれた。その事に対してまず礼を言いたい。

 ありがとう。)

 そう念話を送ると、テンペストは頭を下げたつもりなのか、頭の位置が少し低くなる。

 素直な感謝に慣れていないあたしは、ドラゴン相手でもつい混ぜっ返してしまう。

 「いや、生き残る最善の手段だと思ったから呪いを解いただけで、善意からそうした訳じゃないから。」

 (確かにそなたの今の力では、儂の呪いを解く以外の方法で生き残るのは至難の業であったろうが……。)

 照れ隠しで言った言葉に、テンペストは真面目に返してきた。

 (しかしその剣を捨て去れば、もっと簡単に生き残れただろうに。)

 テンペストは目だけを動かし、あたしが左手に持ったままの、折れた上に魔力も無くなったぽい魔剣を見る。

 自らを呪いで縛っていた剣をテンペストに見られて、あたしは気まずい気持ちになる。

 「これ、持って帰りたいんだけど……。ダメ?」

 (構わん。確かにその剣は儂にとって思い出深い物ではあるが、それ以上に儂を長年縛ってきた呪いの触媒となった品だ。今更思い入れもないし、そもそもそれはそなたの戦利品だからして、儂に断りを入れる必要も無い。)

 「じゃあ、遠慮なく貰っていくね。……もう魔力も残って無さそうだけど。」

 思わず余計な事も口走ってしまったが、テンペストには聞こえなかったのか、それとも敢えてスルーしたのかそこには触れず、話題を変えてきた。

 (ところで儂は、そなたに大きな借りが出来た。出来ればそれを返したいが、何か希望はあるか?)

 テンペストに問われ、あたしの胸が高鳴る。

 これは、彼と乗騎契約をするチャンスではないか?今まで死にクラスだったドラゴンテイマーが役立つ絶好の機会だ。

 というより、あたしはこの瞬間の為にドラゴンテイマーのクラスを選んだはずだ。

 (ふむ。確かに、竜使いの能力を持つそなたなら儂と乗騎契約する事は可能だ。それにそなたは、現時点での力量は頼りないが、高潔なる魂を持っている。儂としては、力があっても昏い魂を持つ者より、そなたのような魂を持つ者の騎竜になる方が望ましい。)

 あたしの考えが、無意識の内に念話となって伝わったのか、テンペストも何故か前向きな事を言ってくれる。

 まさしく子供の頃に憧れていた、建国伝説に登場する竜騎士達が困難を乗り越え騎竜と絆を結ぶ名場面を今、あたしが現実に再現しようとしているのだ。

 断る理由は何もなかった。

 後は希望を言葉にして出せば、子供の頃からの夢は叶う。

 その時、背後からあたしの身体を支えているマヤの手に、わずかに力が篭ったような気がした。

 同時にここで乗騎契約を行うのは違う、という直感があたしの頭に浮かぶ。

 間違っているとか、違和感とかではないし、あたしがスレ過ぎたせいで眼の前に転がってきた幸運に捻くれた態度を取った、とかでも無い。

 テンペストとの乗騎契約は、あらゆる面であたしにとって利益しかない。

 それでもテンペストとの乗騎契約は、正しいが違う、という考えが頭にこびり付いて離れない。

 迷っている時の悪い癖で、つい無意識に愛想笑いを浮かべつつ考え込むと、テンペストの大きな瞳が僅かに動き、あたしを背後から支えているマヤを見た。

 (なるほど……。)

 「え、何ですか?」

 意味深な呟きに、あたしは思わず訊き返す。

 (竜使いといえども、一生の内に騎竜契約出来る相手の竜は1体のみ。まあ、今すぐ決める事もあるまい。)

 テンペストの返事は何かを誤魔化すようにも聞こえたが、それを突っ込む前に話題を戻してきた。

 (まあ、騎竜の件は後回しにするとして、他に希望は無いか?ねぐらまで戻ればそれなりの財宝もあるが?)

 財宝。これは馬鹿に出来ない。

 冒険者を引退しても不自由ない生活を送れるようになるし、冒険者を続けるにしても装備の質が向上すれば生存率も劇的に向上する。

 でもあたしは、あまり心が動かなかった。

 多分、あたしの子供っぽいドラゴンへの憧れが、現実的で生々しい報酬によって穢されるように感じたのかもしれない。

 ヨハンナやエレノア辺りに知られれば、白い目で見られるような幼稚な考えである自覚はあるけど。

 「ゴメン、先延ばしで悪いけど、今は何も思いつかない。とりあえず、困った時には助けてもらえるって約束してくれればいいかな?」

 (ふむ、そういった約束が結局は一番高くつくような気もするが、そなたが儂にしてくれた事を考えれば、大抵の事は無茶とは言えないであろう。 

 分かった。儂が必要な時はいつでも呼ぶが良い。)

 ドラゴンとのコネ。これは結構大きな財産のような気もする。

 まあ、使い勝手は悪そうではあるが。

 ハーケンブルクの街中でのトラブルで呼ぶのは難しそうだし、アビスで危機に陥ったとしても駆け付けられるとも思えない。

 「まさかとは思うけど……。ゾラ、もしかして、ドラゴンと会話しているの?」

 あたしは思った以上に自分の世界に入っていたらしく、周囲の仲間達の存在がすっかり頭から抜けていた。

 カミラの事をクリスタに任せたらしいルカが、恐る恐るといった様子であたしに尋ねてくる。

 「あ、まあ、そういう事になるかな?」

 あたしの返事がワンテンポ遅れたのは、テンペストからの念話が他の人には聞こえない事実に気付くのに時間がかかったからだ。

 (この者達の事は朧気ながら覚えておる。そなたの仲間に相応しく、勇敢な者達だな。)

 伝説に伝わるドラゴンのテンプレを証明するかのように、テンペストも謎の上から目線でルカ達を評価するが、やはりこの念話もあたしにしか伝わっていないようだ。

 「まあ、ルカの言う通りかな?詳しい事は後で話すけど、曲がりなりにも目的は果たしたから、とりあえずここから退散しない?あたしを含めて皆疲弊してるし、ここはとても安全な場所とは言えないし。」

 「出来るならそうしたいけど……。」

 あたしの口調は我ながら言い訳がましかったが、有り難い事にルカはその事には突っ込まず、確認を求めるようにマヤを見る。

 「ええ、依頼は達成した事になるからあたしとしても異存はないわ。」

 マヤの言葉に、ルカはホッとしたように息を吐いた。

 「それじゃあ、ここで最低限の治療だけして戻りましょう。かなり疲弊しているから帰りは慎重にね。」

 「じゃあ、困った事があったら頼るからよろしく。」

 あたしがテンペストに挨拶するのをルカ達は未だ半信半疑の面持ちで眺めている。

 その時、あたしはおよそ3年ぶりとなる、ほとんど忘れかけていた感覚に包まれた。

 それは、久々にレベルが上がった感覚だった。

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― 新着の感想 ―
うぉあ ここの内側からの満足が広がるのを感じる 実にいい 続けてくれ
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