第2章 東方から来た女 6
2025年7月12日
細かい修正を行いました。
ヘスラ火山探索の初日はひたすら山登りに費やされた。
ヘスラ火山が冒険者に人気のない理由の1つがこれだ。
アビスならテレポーターで転移した5分後には魔物と遭遇出来る。ザレー大森林でも、1時間も奥に進めば魔物と遭遇可能だ。
しかしヘスラ火山の場合、最初の1日はひたすら山登りに費やす必要がある。その間、魔物との遭遇の確率は低く、遭遇しても低レベルの魔物くらいでほとんど金にはならない。
ヘスラ火山は禿山のイメージが強いが、4合目くらいまではほぼ森林地帯で、視界の効かない森の中を黙々と登り続けるのは中々に忍耐がいる。
ただ、その登山道は結構整備されている。
冒険者を少しでもヘスラ火山に向かわせたい冒険者ギルドが定期的に、駆け出しの冒険者達を中心に整備の依頼を出している為で、その際登山道周辺の魔物も可能な限り討伐している。
地味でキツい肉体労働だが、魔物との戦闘メインの仕事に比べれば危険は少なく、報酬も良いので駆け出し冒険者にとっては意外と割の良い仕事だったりする。
あたしも昔は懐が寂しくなるとよくやったものだ。
早朝にハーケンブルクを出発すると、慣れた冒険者なら昼過ぎに、慣れてなくとも標準的な冒険者としての体力のある者なら夕方前には4合目にある冒険者ギルドが管理する山小屋に到着する。
あたし達の最初の懸念は実はここまでの行程だった。
マヤがどの程度の体力の持ち主か、今ひとつ分からなかったからだ。
登山に慣れておらず、元々の体力も低い者ならば、暗くなっても山小屋に到着出来ない可能性もあった。
結果としては杞憂で、マヤはその容姿のイメージとは裏腹に健脚であり、野営の為の荷物を背負った状態でも軽々とした足取りで全くペースが落ちなかった。
どちらかといえば、カミラの方が最後はへばり気味だったかもしれない。
夕方少し前に山小屋に着いたあたし達は少し休憩した後、食事をしながらマヤが持参してきた手描きの地図を囲んで明日以降の予定を立てる。
マヤが古文書の記述を参照して描いたという手描きの地図は、簡単なイラストにメモを書き込んだような代物で、かなり大雑把な代物だ。
それによると、祠の位置はハーケンブルクとはちょうど反対となる東側の山麓の6合目か7合目となる。
山小屋はハーケンブルクからほぼ一直線に4合目まで上がる登山道の終点にあるので、今現在滞在している山小屋から見ても、祠は山頂を越えた反対側となる。
山小屋の管理人のアドバイスも参考にして、あたしたちは5合目まではそのまま登り、その後北回りに山麓を横断しつつ、地形や魔物の状況と相談しながら少しずつ高度も上げながらヘスラ火山の東側を目指す、という大雑把な予定を立てた。
その後山小屋に1泊し、翌朝早くに出発する。
山小屋は安全を考慮して、魔物が多く出没する地域から離れた地点に建設されているので、出発から2時間は1日目と同様の山登りだ。
そしていよいよ5合目に突入する。
5合目になると、背の高い樹木はほとんど無くなり、所々に灌木が点在している草原へと風景が変わる。
そして、5合目になると魔物との遭遇も急激に増える。
ザレー大森林での人型の魔物といえばゴブリンであるが、ここヘスラ火山ではオークだ。
そして、あたし達も何度かオークの小集団に遭遇した。
ゴブリンより不器用で鈍いが、腕力が強く頑丈なオークは、乱戦に持ち込まれると厄介な存在だ。
だが見通しが良い地形の上に、匂いに敏感なジーヴァやキルスティン、上空から偵察出来る鳶のハーヴェイのいるあたし達のパーティは、常に先手を打てたおかげで比較的安全に撃退出来た。
ただこの5合目は、ザレー大森林の外縁部と同様、ある程度経験を積んだ冒険者にとってはそれ程の危険はない。
懸念の1つの飛行系の魔物もまだあたし達でも余裕で対応出来る強さのものしか遭遇しなかったし、最大の懸念の階層破りにはまだ幸いにも出くわしてはいない。
そこであたし達は思い切って少し高度を上げる事にする。
ヘスラ火山は大雑把な円錐形をしているので、高度を上げる程結果的に移動距離が短くなるからだ。
移動距離の短縮は時間の短縮に繋がり、滞在時間が短くなればそれだけリスクに遭遇する確率も低下する。
あたし達はヘスラ火山の中腹部を北回りに東に向かいつつ、登りや易そうな場所を探しながら少しづつ高度を上げ、昼過ぎには6合目まで登った。
6合目からがヘスラ火山の本格的な冒険の舞台といえる。
地を這うような雑草がまばらに生えている以外は植物の姿は無く、ガレ場か砂地の地面に急な斜面という不安定な足場に加えて、海沿いの独立峰という事もあって、しばしば身体を持っていかれそうになる程の強風が断続的に吹き付けてくる。
周囲に高い山が無いせいでヘスラ火山はかなり標高の高い山に見えるが、実際はその見た目程標高は高くはなく、6合目辺りではまだ空気は薄くないのは救いだったが、この環境下で魔物と戦闘するのかと思うと正直気が重い。
そんなあたし達の前に現れたのがハーピィの群れだ。
猛禽と人型女性の醜悪な組み合わせといった外見の魔物のハーピィは、あたし達全員が既に『アビス』で遭遇した経験があった。
正直、アビスでは上層階に出現するザコ魔物でしかないが、狭いアビスと異なり自由自在に飛行できるこのヘスラ火山では全く油断できない。
加えて踏ん張りの効かない足場では、攻撃にしても防御にしても、思った以上に身体が自由に動かない。
出現したハーピィの数が少なかった事もあり結果的には大した怪我もなく撃退できたが、予想以上に難度の高い地形状況にあたし達は精神的に疲弊し、結局5合目まで高度を下げる事にした。
移動距離が伸びたとしてもなるべく5合目の高度を維持したまま移動し、目的地直下に至った所で高度を上げる事で、6合目以上に滞在する時間を極力減らそうという方針に変換したからだ。
その為全体的な滞在時間は伸びてしまうが、より安全を期す為にはそこは甘んじて受け入れるしかない。
元々この日は目的地の祠の手前まで移動する予定だったが、結果的に大回りのルートを取った事でその予定の4分の3程度の行程を進んだ所で日没が迫り、そこでその日の行軍を終えて野営する事に決めた。
4人がギリギリ入れる簡易テントを設営し、周囲を探して最低限の薪代わりの灌木の枯れ枝を拾い集める。
それから手頃な石を積み上げて竈の代用品を作ると、玉葱と干し肉と乾燥ハーブで簡単なスープを作る。
本当はお茶も作りたかったが、燃料となる薪代わりの灌木の枯枝があまり見つからなかったので諦めた。
とはいえ、こんな味気のないスープでもヘスラ火山の野営では貴重だ。
ヘスラ火山は雨自体は多いが、砂地が多いため雨水の多くは地下に染み込むため沢や川の類はほとんど無く、水は手に入り難い。
しかしドルイトであるルカは、その自然魔法の力でかなりの量の真水を生成する事が出来る。
レンジャーであるあたしやクリスタも真水生成の自然魔法は使えるが、魔力の低さ故にせいぜいギリギリ2人が生き延びるのに必要最低限の量の真水しか作れないので、料理やお茶の為に魔法で生成した水を使うという発想自体無かった。
かなり薄味のスープに、味より保存期間の長さを重視した硬いパンを浸しながら食べ、少量のナッツやドライフルーツを摘んで夕食は終了した。
夕食を食べながら明日の予定や、今夜の見張りの順番を決める。
結果、見張りは2交代制で、最初はルカとカミラ、後半はあたしとクリスタが担当する事に決まる。依頼人のマヤの見張りは免除となった。
テントは気密性に優れていないので隙間風が入るし、床も地面に直接布を敷いただけなので固い。
それでもリュックを枕代わりにし、ロングマントと毛布で2重に包まると、自分の体感以上に疲れていたのか、すぐに眠りに落ちた。
ただ眠り自体は浅かったらしく、夢を見た。
2人の人物が何やらあたしの目の前で口論していた。
2人とも人族のようだが夢の中のせいか全体的に具体性に欠け、種族も性別も年齢も分からない。
あたしの中で、理由分からないが2人を仲裁しなければならないという強迫観念が湧き上がり、あたしは2人の間に割って入る。
『待って。どうして言い争っているの?』
『あなたには関係ない。』
『助けてくれるの?』
2人はあたしをシンクロした動きで同時に見ると、対照的なリアクションをする。
あたしが戸惑っていると、あたしの仲裁を受け入れるか否かで、2人は再び口論を再開してしまう。
あたしは再び2人を仲裁しようと声を掛けるが、今度はあたしの声が聞こえないかのように2人からの反応がなくなる。
どうしようか、困ったあたしはふと気づいた。
口論している2人の影が、重なり合って何かの形を作っていた。
どこかで見たような影の形だが、あたしはそれが何なのか思い出せない。
その影をもっとよく見ようと顔を近づけた所で、外からの声によってあたしは夢から醒めた。
「ゾラさん、起きてください。交代の時間ですよ。」
カミラに起こされ、あたしは目を覚ました。
あたしは寝ぼけ眼でぼんやりとクールビューティ然としたカミラの顔を眺めるが、その間にもつい先程まで見ていた夢の内容が急速に記憶から薄らいでいく。
「ゾラさん、大丈夫ですか?まだ寝惚けてます?」
あたしが余程酷い顔をしていたのか、カミラは笑いを堪えるような表情になる。
あたしはまだ半分寝惚けていたが、染み付いた愛想笑いをカミラに向ける。
その時にはもう、夢を見た事実だけは覚えていたが、その内容は全く覚えていなかった。
「分かった。今、起きる。」
「悪いけど、クリスタさんも起こして下さいね。」
寝ぼけていたせいか、カミラの意図が一瞬分からなかった。
カミラの掌に浮かぶボンヤリとした魔法の灯りを頼りに周囲を見回し、ようやくテントの中である事を思い出す。
一応、4人用のテントのはずだが3人でも結構窮屈なので、カミラが中に入るより隣で寝ていたあたしがクリスタを起こす方が良いのは確かだ。
まあ、窮屈な理由の1つはジーヴァがあたしの隣で寝ていたからだが。
「クリスタ、起きて。見張りの時間だよ。」
「ああんっ、もう?」
クリスタは寝惚けているのか不機嫌そうに唸る。
黙っていれば妖艶な印象さえある美貌のクリスタだが、結構、発言や行動がズボラというか大雑把なのは残念でもあるし、同時に親近感も持てる。
「寝惚けてないで起きて。あたし、先に出てるから。」
自分の事は棚に上げてそう言うと、あたしは這うようにしてテントから出ようとする。
「ようやく寝付いた所だったのに。」
背後でクリスタがブツブツ文句を言ってるのが聞こえる。
「見張り、ご苦労さま。何もなかった?」
「静かなものですよ。意外と星明りで明るいので、灯りも要りませんよ。」
テントの入口でカミラに声を掛けると、柔らかい笑みを浮かべながら返事をしてくれる。
カミラはカミラで、クールビューティな印象を与える美貌の持ち主だが、その中身は気遣いの人って感じがする。
「結構寒いよ。マントだけでなく毛布もあった方がいい。」
まだ見張りを継続中のルカが声をかけてくれたので、あたしは片手半剣と長弓だけでなく、毛布もテントから引きずり出した。
外に出ると、ルカの言う通り結構寒い。風も強く、まばらに生えた灌木程度では全く風除けにはなっていない。
海に面した南側よりザレー大森林に面した北側の方がまだ風が弱いという山小屋の管理人の話だったので北回りを選んだのだが、それでもかなりの強風だ。
独立峰だし、ほんのちょっとだけこちらの方がマシ、という程度でしかないのだろう。
一方、空は満点の星空であり、三日月も煌々と輝いていた。
カミラの言う通り、エルフの能力を半端にとはいえ引き継いだあたし達ならば、昼間と同様とはいかないまでも、問題なく行動できるくらいの明るさだ。
ジーヴァもテントから出てきてあたしのふくらはぎに身体を寄せる。彼の体温が温かい。
ついでに、テントから出て早々にあたしの右肩に乗ったノエルも、いつもよりかは温かく感じる。
「寒いね、結構。」
そう言いつつ、クリスタもテントの中から出てきた。
両腕で相棒のトンビ、ハーヴェイを抱えているのは暖を取る為かもしれない。
それにしても、あんな大人しい猛禽は初めて見た。
まあ、動物を研究している賢者の見解では、『相棒』になった時点で本来の動物とは別の存在になるらしいが。
「じゃあ、後はよろしくね。」
「よろしくお願いします。」
「まかしとき〜。」
クリスタは入れ違いでテントへと入っていく2人に、少しおちゃらけた返事をする。
2人に続いて、キルスティンもテントに入っていくが、その前にわざわざ遠回りしてジーヴァの前まで行き、ジロっとひと睨みしていく。
初対面の時からキルスティンはジーヴァに対し、マウントを取ろうとする行動が目立つような気がする。
ジーヴァもジーヴァで、そういう時自力で対抗しようとはせず、助けを求めるようにあたしを見上げるだけだし。
「しかし、こんな寒いとはな〜。知ってた?」
クリスタは寒さを確かめるように、白い息を吐いてから尋ねてきた。
「話には聞いていたけど、ヘスラ火山での野営は初めてだし。」
「そっか〜。ザレー大森林での野営は何回もあるけど、ここに比べればあそこは天国だね。」
「そうね。ところで、周りは見える?灯りの魔法は必要ない?」
「今の所はいらないね。じゃあ、早速始めますか。」
狐の獣人は、視力自体は並だが夜目は効いたはずだ。加えて聴覚と嗅覚にも優れていたはず。
一方、夜ではトンビのハーヴェイの鋭い視覚は役には立たず、クリスタの湯たんぽ代わりにしかならなそうだ。
まあ、それはウチのノエルも一緒だが。
ジーヴァ君は、クリスタ並に役立つだろう。つまりそれは、あたしより役立つということだ。
あたしとクリスタは、360度なるべく死角を作らないよう、テントを挟んで大雑把に対角となるような位置取りで、少し離れた場所に座る。
大声を出さなくとも互いの声が聞こえる位の位置取りだ。
あたし達はマントの上からさらに毛布を羽織り、しばらく無言のまま見張りを続ける。
煙管を吸いたくなったが、ここは慣れていない土地で初見の魔物も出る可能性もあるし、煙管の匂いや火皿で燃えている煙草が灯り代わりになって魔物の注意を引く可能性もないとは言えない。
おそらく気のし過ぎだろうが初めての場所では神経質過ぎるくらいの方がいいと思い、煙管はとりあえず我慢する事にする。
「ねえ、ゾラ。」
クリスタが、彼女らしくもない間延びした声で話しかけてくる。
「ん?何かあった?」
「そうじゃなくて、何か話してないと寝落ちしそうな気がしてきた。とりあえず、話し相手になって。」
いつもサバサバかつハッキリとした喋り方のイメージがあるクリスタの間延びした口調にあたしは吹き出しそうになるが、あたしも眠気を感じていたのでその提案に乗る事にする。
とはいえ、クリスタと1対1で話すのも仕事以外の会話をするのもほぼ初めてなので、最初は話題を探り探り進めていく。
あたし達の分かり易い共通点であるオッドアイについての話は、意外とあまり盛り上がらなかった。ちょっと目立ってしまうよね、くらいで終わってしまった。
意外と盛り上がったのが長弓の話題だ。近接武器と長弓を併用している者が少ないので、近接戦闘中の長弓の保持の仕方とか、長弓の手入れの仕方とか、射る時のテクニックとか、そういった情報交換で結構盛り上がった。
話が弾んで互いに対する心理的な壁が随分と低くなってきた頃、唐突にクリスタが話題を変える。
「そう言えばさ。」
「ん?」
「マヤさん。もっと派手でヒラヒラした格好で来ると思ったけど、結構普通に野外用の装備で来て、それが意外過ぎた。」
どうしてここでマヤの話が出てくるのか咄嗟に分からず、あたしは一瞬フリーズしてしまった。
落ち着いて考えれば、クリスタはずっとマヤをネタにした話題を出したかったのだが、本人がずっと傍にいたせいでそれができず、今になってようやくその機会が訪れた、というだけの話だろう。
あたしとの心理的な壁が低くなったと感じた時点で、話したいと思っていた話題を出すのは自然の流れだ。
「うん、まあ、でも、そもそも、あたし達に強引に話しかけてきた時以外は、そこそこ常識的だったと思うけど?」
結構シドロモドロになりながら深く考えずにあたしの口から出てきた言葉は、意図せずマヤをやんわりとながらも擁護する言葉になっていた。
「意外とそうなんだよね。今日も、我儘言い放題になるのを覚悟していたんだけど、優良過ぎる依頼人のお手本みたいな態度で、それも意外過ぎた。」
お互い顔も見ず、意識の半分は見張り作業に費やしていたせいか、クリスタはあたしの動揺に気付いた様子もなく、気楽な調子で返してきた。
確かに今日のマヤは良い意味での空気みたいな存在で、必要最低限の言動はしっかりしつつも、あたし達の集中力を害するような余計な言動はなかった。
それが最も現れたのが数回あった戦闘の場面で、彼女は魔物が現れても全く慌てふためいた態度も見せず終始落ち着いたまま、あたし達の邪魔にならず、かつ敵からも狙われにくい位置取りを自然と行っていたような気がする。
その時はあまり深く考えなかったが、今思い返してみると結構場数を踏んでいなければそういう態度も行動も出来ないような気もしてくる。
途切れ途切れの会話を挟みながら見張りは続き、途中、野営地の上の方で魔物らしき影が動く気配があって、静かに毛布を脱いで矢を弓に番えたりしたが、気休め程度の効果しかないと思っていた野営地の周囲に展開した気配消しの結界の魔法が意外と功を奏したのか、その気配は結局こちらには近寄って来る事なく去っていった。
5合目で野営したのも良かったのだろう。6合目だったら見つかっていた可能性もあった。
やがて海に面した東の空が白み始め、そろそろテントの中の3人の誰かが起きだす頃合いかもと思っていると、テントの中から誰か出てきた。
背格好からして、ルカではない。
お洒落な感じに結った髪型からして、マヤだろう。
カミラは前下りショートボブなので、長さ的にあんな感じに結えないはずだ。
マヤはまずクリスタに近づき、
「見張り、お疲れ様です。」
と、いつものように、ナチュラルにちょっと媚びたように聞こえる口調で言う。
「ありがとう。早起きだね。もう少し寝ててもいいのに。」
クリスタの方も愛想良く応じ、短い世間話をしてからマヤはあたしの方にやってくる。
「お疲れ様。寒いね。」
マヤは身体に毛布を巻き付けながら、当然のようにあたしの隣に腰を下ろす。
そして、やっぱり距離が近い。
流石にこんな山の中では香水の類はつけてはいないはずだが、それでもやっぱりいい匂いがする気がする。
そして、切れ長の目を更に細くして笑う笑顔はやはり蠱惑的で、あたしには刺激が強すぎた。
「そろそろ夜明けね。」
妙に意識してしまうのを誤魔化す為だけに、あたしは顔を彼女から逸して、正面の、水平線上がうっすらと明るくなり始めている海の方に向け、当たり障りのない事を言う。
「そんなに警戒しないでよ。取って食べたりはしないから。」
マヤは、クスクス笑いながら言う。
「そんなつもりはないけど……。」
あたしの言い訳がましい誤魔化しなんぞマヤにはとっくにお見通しなんだろうとは思うが、それでもあたしはマヤに対する感情を彼女に知られるのには抵抗があった。
マヤのあたしに対する好意の表現があまりにあからさま過ぎて嘘臭くすら感じているのに、それでもあたしはマヤに対して、単に好意と呼ぶには欲望に忠実過ぎる感情を抱き始めてしまっている。
多分どこかであたしがレズビアンである事を聞きつけて、都合よく利用する為に色気を振りまいているのだろう、なんて邪推もしてしまうが、その邪推をしてしまうのもマヤに欲望を抱いている気持ちを何とか振り払いたいからだ。
それは、ルカ達同様に彼女の事を胡散臭く感じていて、彼女に惚れるのは危険だと感じているからでもある。
それほど警戒していても、気づくと彼女の掌の上で転がされてる自覚もあって、自分と彼女の両方に腹が立つ。
「あっ、日が昇ってきた。」
普段は色気過剰の声色で話すのに、急に無邪気な声を上げるマヤ。
思わず、マヤの顔を見てしまう。
まだ薄暗くてハッキリとは見えないにもかかわらず、切れ長の目の奥の漆黒の瞳がやけにキラキラしているような気がした。
そして、あたしはマヤと知り合ってまだ数日しか経っておらず、彼女についてはその上っ面の部分以外ほとんど知らないのだ、という当たり前の事実に思い至る。
視線をマヤと同じように、水平線からわずかに頭を出しただけの太陽に向ける。
ハーケンブルクでいつも見る朝日は、高層住宅の隙間からか、今現在いるヘスラ火山から昇ってくるものなので、水平線から昇る朝日は新鮮に感じた。
ルカとカミラも、程なく起き出してくる。
ルカはそれなりに眠れたようだが、カミラはあまり眠れなかったらしく、疲れたような表情をしている。
あたし達は昨日の夕食と全く同じ朝食を取ると、テント等を撤収して出発する。
現在地はヘスラ火山の北東部辺りなので、マヤの情報が確かなら今日の昼前後には祠があると思しき一帯に着くはずだ。
出発してしばらくは、昨日と同様に高度をあまり上げずに水平に進んでいたが、傾斜が周囲より緩やかな場所を見つけた所で高度を上げていく。
すると、6合目に入っていくらもしない内に、オークの群れと遭遇した。
見晴らしの良さに油断していたが、岩陰であたし達を待ち伏せしていたらしい。偵察に飛ばしていたトンビのハーヴェイのおかげで不意打ちこそなかったが、かなり接近した状態で泥沼的に戦闘に突入してしまった。
オークのくせに待ち伏せなんて小癪な真似を、と思っていたらオークの上位種のオークチーフが指揮を取っていた。
チーフは上位種の中では一番の格下で、ロードのように優れた個人戦闘能力は持ってはいないが、それでも指揮能力は高い。
そのせいで、無事に撃退はしたものの結構苦戦してしまった。
しかも戦闘終了後、水晶玉に倒したオークの証拠画像を記録している途中に、昨日と同様にハーピィの群れが襲撃してきた。
更に、ハーピィの群れとの戦闘が始まってしばらく経ったタイミングで、2匹のファイヤーイーグルという大型の鳥型の魔物も襲撃してきた。
ハーピィとファイヤーイーグルが連携していたらちょっと危なかったかもしれないが、実際には連中は共同戦線を張らず、むしろ三つ巴の戦いになったのは運が良かった。
結果的にはハーピィもファイヤーイーグルも撃退したのだが、連戦になったのは決して不幸な偶然ではないだろう。
見通しの良い場所故に、戦闘のような派手な行動を取れば、周囲にいる他の魔物の注意を引いてしまうという状況が原因なのは明らかだった。
つまりそれは、今後も一度戦闘が発生すれば、今のように連戦になってしまう可能性が大いにある事を示唆していた。
あたし達は手っ取り早く消耗した魔力を回復すべく、その場で魔力回復ポーションを飲む。
高価な上に、専用の容器に密封しても4、5日で効果は無くなる程有効期間が短く、結構な量を飲まなくては効果を発揮しないので一服分の容器が大きく荷物として嵩張るなと、冒険者には不人気な代物だが、背に腹は代えられない。
ついでに言えば、独特の匂いと味はいつまで経っても慣れる事はなく、飲んでるそばから吐き気がしてくる。
それでも我慢して飲み干すと、魔力が内側から回復してくるのを実感する。
ルカ達も皆、ポーションを飲んでしばらくの間は顔がブサイクになっていたのは笑えたが、それを指摘するとブーメランが返ってくるのが目に見えていたので、黙っていた。
それにしても、暑い。
夜の間は風も強くてかなり寒かったのに、太陽が昇り始めると同時にぐんぐん気温も上がっていく。
風があれば少しは楽なのだろうが、6合目に登ってきた頃からピタッと風が止んでしまった。
あたしはまだマシだが、カミラはかなりヘバっている気がする。
そう言えば、夜もあまり寝れなかったとか言っていたな。
彼女の持っているクラスからして野外のサバイバル向きではないし、意図してこうした環境下での経験を積まなければ中々厳しいものがあるかもしれない。
そういう意味で意外だったのはマヤだ。
依頼人という立場上、戦闘や見張りは免除されてるとはいえ、昨日や一昨日と同様に、やっぱり彼女は元気そうで足取りも軽い。あたし達程ではないが、彼女だって結構な重さの荷物を背負っているのに。
彼女の周りだけ、涼やかな風が吹いているような気さえする。
そのマヤに、ルカが近づく。
「ちょっと、確認しておきたいんだけど?」
「うん?何かな?」
ルカは完全にビジネス口調なのに、マヤの方はやっぱりちょっと媚びてるような口調だ。
もしかしたら彼女の媚びたような態度は、半分無意識の癖の様なものなのかもしれない。
「もう、あなたの目指す祠があってもおかしくない地域に入っていると考えていいのかな?」
「うーん、多分もうちょっと先だとは思うけど、見通しがいいから祠が健在ならもう見えていてもおかしくはないわね。」
ヘスラ火山の南側と東側はそのまま外海に面しているし、北側はザレー大森林、西側は眼下にハーケンブルクの町並みとその先の特徴的な形をしたクレタ湾があるので、方角は分かり易い。
「それで、これからどうするの?虱潰しに範囲内を探すつもり?」
「いざとなったらそれも手だけど……。その前に、ちょっと試させて。皆、あたしの後に固まってくれるかな?あ、もちろん魔物が現れたらあたしの作業を無視して戦闘に入ってもらって構わないから。」
あたし達は、不審に思いつつもマヤの言う通りにする。
マヤが何をしているのか、背後に回ったあたし達には判然とはしないが、複雑な儀式呪文を唱える時のような魔力の集中を感じる。
「何してるの?」
クリスタが小声で尋ねる。
「恐らくですけど、祠にあるという魔法のアイテムの魔力を感知しようとしているのでは?」
「あたし達を後に下げたのは、あたし達の持つ魔力を除外する為ね。」
カミラが答え、ルカが補足する。
あたしの予想も同じだ。
しばらくして、マヤが振り返る。
その表情は、少し困っているように見えた。
「あの辺一帯に魔力を感じる気はするんだけど、ちょっとあたしの感覚ではあやふやで、断言は出来ないわ。」
マヤが指差した辺りは結構ここから離れているが、少し岩が散在している以外は一面の砂地で、周囲と変わった所はなく、ここからでは人工物の類は確認出来ない。
「あの辺りから感じたの?」
指差しつつ尋ねるルカに、マヤは眉尻を下げる。
「そう感じたけど、あたし、探知魔法の類は得意じゃないし、自信を持って言う事は出来ないかな。」
同じ様な事を繰り返すマヤだが、この言葉で魔力を探知魔法で探っていた事がハッキリする。
でも、呪文の詠唱はしてなかった。
秘術魔法なので呪文の詠唱を省く事も可能であるが、時間もあって、隠密性も必要ないこの状況で詠唱を省くメリットはないはずだが。
「ノエル、あんたあの周辺まで飛んで、近くで魔力探知の魔法をかけてこれる?」
ヨハンナくらいの高いレベルと魔力を持つメイジなら別だが、あたしやノエルくらいの魔力と秘術魔法のレベルでは、物理的な距離が探知魔法の精密さに直接関わってしまうので、接近して探知魔法をかける事は大きな意味がある。
でもあたしの提案は、ノエルから即座に拒否される。
「やだよ。魔物に遭遇したら、とても僕じゃ逃げられない。」
ノエルの言葉に、あたしだけでなくパーティメンバー全員が苦笑いする。
身を隠す場所の多いザレー大森林と違い、ここヘスラ火山の6合目以上は、稀に散在する岩くらいしか身を隠す場所はない。
なので飛ぶのが下手なノエルなど、飛行系の魔物に遭遇したら一巻の終わりだろう。
ノエルより飛行能力の高いトンビのハーヴェイでさえ、6合目に登ってからは主人のクリスタが偵察に出すのを嫌がり、あまり遠くまで飛ばさないようにしているくらいなのだ。
「あたしが魔力探知の魔法を使う?それとも、ノエル君に透明化の魔法をかける?」
カミラが、おそらく善意からそう問いかける。
(カミラってゾラより魔力は高いけど、この周辺の魔物の相手をするには微妙なレベルなんだよなぁ。)
ノエルのボヤく念話があたしに届く。
透明化の魔法は、現状に違和感を感じていない相手には効果が絶大だが、飛ぶのが下手なノエルだと羽音を派手に立ててしまうので、相手に違和感を与えてしまう可能性が高い。
違和感を感じた相手が透明化の魔法を看破できるかは、その相手の魔法抵抗力と術者の魔力との力量差で決まるが、カミラの魔力だとこの周辺の魔物相手だと分が悪いかもしれない。
階層破りの魔物には十中八九喝破されるだろうし、チキンなノエルはやりたがらないだろう。
ちなみに言葉ではなくわざわざ念話を用いたのは、カミラに例の如く惚れかかっているせいなのかもしれない。
カミラはノエルのどストライクの儚げな美貌の持ち主ではないが、クールビューティな容貌なのに人当たりが優しい所が、思春期男子メンタルのノエルに響いているのは容易に想像出来る。
「それもいいけど、もう一つ試したい事があるんのよね。」
まさしく駄目な身内を見る目でノエルを眺めていると、マヤが再び発言する。
「なんですか?」
ちょっと胡散臭そうにルカが尋ねる。
情報を小出しにしているようで、更に印象が悪くなったのかもしれない。
「あたしは失敗したけど、ゾラなら出来るかも?」
マヤは馴れ馴れしくあたしの肩に腕を回しながら言う。
相変わらずこの女の距離感はおかしい。
そして相変わらずマヤの仄かな汗の匂いに動揺するあたし。
胡散臭いと思っているにもかかわらず、どうしても意識してしまう辺り、ノエルの事を残念に思う資格はあたしにはないな。
この主人にしてこの使い魔といった所か。
「どうしてゾラなの?」
ルカの胡散臭いモノを見る視線が、あたしにも飛び火する。
いや、あたしは巻き込まれただけなので、そういう視線は向けないで欲しいのだが。
「魔力ならカミラの方が高いはずだから、探知魔法をかけるなら彼女の方が適任だと思うけど?」
マヤのペースに巻き込まれたくないので、あたしは皆の注目をカミラに向けようとする。
「いやいや、探知魔法じゃないよ。まあ、ちょっとした思い付きで、根拠がある訳じゃないから、失敗して当たり前の気楽な気分でやってみて。」
マヤは軽い口調で言うが、彼女の意図が全く分からないので、やっぱり警戒してしまう。
「どうすればいい?」
「まあ、あたしも具体的なやり方の見当がついてる訳じゃないんだけど、もし、普段使っていないクラスの能力とかがあれば、探知魔法とか関係なくそれを開放する感覚で。」
「何、それ?」
マヤのフワッとした物言いに、クリスタが少し呆れたように言う。
ただまあ、あたし自身にはそんな具体性を欠いた言い方でも心当たりがあった。
ただ、この状況で役に立つ能力とも思えなかったが。
15歳でクラスを得てから、一度も役に立った事が無い4番目のクラスの、使い道のよく分からない能力を片端から試してみる事にする。
すると、マヤの言うとおり失敗して当たり前の気持ちで、さして集中せずにやってみたのに、いきなりハッキリと手応えらしきモノを感じてしまった。
「へぇっ?!」
あたしが思わず上げた声に全員の注目が集まるが、あたしはそれどころではなかった。
確かに何かの手応えをかなり強力に感じたが、強力に感じたにもかかわらずその手応えの具体的な正体が何なのか、あたしには全く分からず軽くパニックになる。
「え、何、どうしたの?」
あたしのパニックが伝染したように、クリスタが動揺して尋ねてくる。
「あら、ホントに何か感じたの?やっぱり、あなた……。」
一方マヤは人差し指を唇に当てる芝居がかった仕草をしながら、わざとらしい口調で意味有り気な事をドヤ顔で言う。
カミラは事態が掴めないといった様子で忙しく周りの人達の様子を伺っている。
そんなちょっとしたカオスな状況下で胡散臭げにマヤを観察していたルカが、あたしに視線を向け冷静な口調で問いかけてくる。
「結局の所、ゾラ、あなた何か感じたの?」
「何かは感じた。その何かは分からないけど……。」
自分でも意味不明と思うが、そうとしか言いようがない事を言うと、元からあたしからまともな答えが返ってくる事を期待してはいなかったのか、ルカはあっさりとマヤに視線を戻す。
「あなたには分かっているのでしょう?」
「いやいや、ほとんど当てずっぽうよ。」
「当てずっぽう?」
マヤの返事に、ルカは疑わし気に聞き返す。
「魔法のアイテムってさ、特定の能力に反応する事がままあるのよね。具体的には種族だったり、クラスだったり、特定の資質だったり。ゾラはそういう資質がたくさんあるから、もし本当に魔法のアイテムがあるなら一番引っ掛かりやすいのはゾラかなって思っただけ。」
「それが偶然当たっただけ?」
「そうそう。」
マヤの返事に、ルカも黙り込む。
マヤがあまりに澱みなくスラスラと話すので話に信憑性を感じたのか、これ以上追求しても何も出てこないと諦めたのかは分からないが、ともかくここでの押し問答は益がないと判断したようだ。
「ともかく、ゾラが何かを感じたという場所まで行ってみましょう。ゾラ、先頭に立ってくれる?今の所、正確な位置を把握出来るのはあなただけだから。」
「わ、分かった。」
未だ、動揺の為に地に足がついていない状態のあたしをよそに、ルカはキビキビと指示を出す。
「カミラはゾラのサポートを。クリスタは殿で、背後を中心に、出来る限り全体を警戒して。キルスティンもクリスタのサポートにつけます。ハーヴェイも、あまり遠くまで飛ばさなくていいから、上空からの監視をお願いします。私はマヤさんの護衛に回ります。皆、きちんと自分の役割を果たして下さい。」
リーダーとはかくあるべき、という見本のようなルカの態度に押されるようにして、皆気持ちを引き締め直す。
でもあたしだけは、具体的な正体が有耶無耶なのにもかかわらず、その存在感だけはハッキリと主張する何かに強い不安を感じ、落ち着かない気持ちのまま脚を踏み出した。




