完話 三つの星と、たった一つの答え
大陸の歴史において、これほどまでに短期間で、かつ徹底的に一つの国家が崩壊した例は他にないだろう。
かつて広大な領土と軍事力を誇ったバルドール帝国は、たった一夜にして地図からその名を消した。
山脈を越えて進軍したステラ王国の精鋭――否、三人の「怪物」たちは、もはや戦争をしていたのではなく、それは一方的な「害虫駆除」でしかなかった。
黄金の光で城壁を焼き切り、漆黒の斬撃で軍勢を分断し、紅蓮の炎ですべての欲望を灰に帰す。
「女を差し出せ」と叫んだ皇帝も、ロジーナを「余りもの」と嘲笑った使者も、自分たちが何を怒らせたのかを理解する間もなく、その存在を消滅させられた。
戦場に立った兵士たちは語る。
三人の瞳には、国を守る英雄の誇りなど微塵もなく、ただ「愛する者を侮辱された狂気」だけが宿っていたと……
そして三日後、ステラ王国の王都は勝利を祝う歓喜……というよりは、帰還した三人の凄まじい威圧感に対する「畏怖」に包まれていた。
私は、アレクセイの寝室にある豪奢な天蓋付きベッドの上で、目を覚ました。
窓の外からは、遠くから凱旋を告げる鐘の音が聞こえてくる。
「……あ」
身を起こそうとした瞬間、体がひどく重く感じられた。
シリルがかけた「安眠と保護の魔法」の余韻だろうか、それともこの部屋全体に満ちている、主であるアレクセイの強烈な魔力のせいだろうか。
部屋を見渡せば、どこを見ても金と宝石で飾られた贅の極み。
それなのに成金趣味にならずに品があるのは部屋の主のセンスゆえか、なんにせよドアマット令嬢と呼ばれ、図書室の隅で埃にまみれていた私には、あまりにも不釣り合いな空間だ。
よかった、みんな、無事に戻ってきたんだわ……
安堵と同時に、言いようのない緊張が走る。
あの日彼らが見せた「本当の顔」、あんなに激しく、狂おしく、重苦しい愛を向けられて、私はこれからどうやって生きていけばいいのか。
その時、重厚な扉が音もなく開いた。
「――起きたのかい、僕たちの小さなお姫様」
最初に入ってきたのは、シリルだった。
戦いから戻ったばかりのはずなのに、彼の服には返り血どころか皺一つない。
けれど、その銀髪からは微かに焦げた魔力の匂いが漂っていた。
「シリル……」
「そんなに怯えないでおくれ……まぁ、僕たちがちょっとやりすぎてしまったのは認めるけれど」
シリルがベッドの脇に腰を下ろし、優しくすくい上げた私の指先にそっと唇を寄せた。
その瞳は、以前のような「悪戯っぽい少年」のものではなく、獲物を完全に囲い込んだ「蛇」のそれだ。
「……バルドールはもうないよ。君を汚い言葉で呼び、道具のように扱おうとした人間は、一人残らずこの世からいなくなった……嬉しいだろう?」
嬉しい、という言葉に、私は言葉を詰まらせた。
一国を滅ぼしてまで私を守ったその事実に、背筋が震える。
「どけシリル、お前だけ先に甘えるな」
次に現れたのは、ギルバートだった。
彼は鎧を脱ぎ、ラフなシャツ姿だったが、剥き出しになった腕の筋肉がまだ戦いの高揚で脈打っているのが見えた。
彼は無作法に私の腰を抱き寄せ、そのまま自分の膝の上へと引き上げた。
「ギ、ギルバート!?」
「逃げるな……この三日間、お前の感触がなくて、俺がどれだけ苛立っていたか分かっているのか」
首筋に押し付けられた彼の顔が熱い。
まるで焼けるような熱をはらんだ彼は、私の肩に歯を立て、痕を刻むように強く噛んだ。
「痛っ……」
「痛みで刻んでおかないと、お前はまたすぐに『自分なんて価値がない』なんて言い出す……お前は俺たちのものだ。他国と戦争をしてでも、神から奪い返してでも、手放さない俺たちの『心臓』なんだよ」
最後に、アレクセイがゆっくりと歩み寄ってきた。
彼は手にした王冠をサイドテーブルに置くと、跪いて私の両手を包み込んだ。
「ロジーナ……長い間、不甲斐ない思いをさせて済まなかった」
「アレクセイ……? どうして、謝るのですか? 私は、みんなを怒らせて、ひどいことをしたのに」
「違う……君に『ドアマット』なんて名を与え、自分に価値がないと思わせるほど放置してしまった、俺たちの落ち度だ」
「……君が自ら私たちに好意を持ってくれるように見守るだけでは足りなかった。 君が逃げられないほどに、世界を君の愛だけで塗り潰すべきだったんだね」
アレクセイが、私の瞳を真っ直ぐに見つめる。
その碧眼には、もはや「王太子補佐としての義務」など微塵も感じられない。
そこにあるのは、一人の女性を独占し、支配したいと願う、純粋で暴力的な欲望。
「この国では、女性が希少だ。ゆえに、一人の女性が複数の夫を持つことは珍しくない……だが、俺たちは他の男を混ぜるつもりはない」
アレクセイの言葉に、ギルバートとシリルが頷く。
「俺と、ギルバートと、シリル……この三人だけで、君を共有し、君のすべてを愛し抜く……誰一人、他の男を君の視界に入れることさえ許さない」
「それって……」
「結婚だよ、ロジーナ」
シリルが私の耳たぶを甘く噛む。
「三ツ星すべてがお前の夫だ……お前が望もうと望むまいと、もう決まったことだ」
ギルバートが不敵に笑う。
「国王陛下も、貴族たちも、誰も反対させない……反対する奴がいれば、隣国と同じ末路を辿るだけだからね」
アレクセイが楽しげに話しているけれど、内容が大概物騒で、私は、三人の男たちの熱量に圧倒されていた。
以前の私なら「私なんて、そんな……」と逃げ出していたけれど、彼らの瞳を見れば分かる。
彼らは、私が「はい」と言わなければ、この国さえも焼き尽くしかねない危うさを孕んでいる。
彼らを救えるのは、彼らにこの狂おしい愛の行き場を与えられるのは、世界で私一人だけなのだ。
「……私で、いいんですか?」
震える声で尋ねると、三人が同時に笑った。
それは、あの日裏庭で見せた絶望的な顔とは正反対の、歓喜に満ちた笑み。
「お前がいい、んじゃない……お前以外は、生きてる価値がないんだよ」
ギルバートが、私の唇を力強く奪った。
アレクセイが私の右手に、シリルが左手に、誓いのキスを落とす。
その瞬間、私の中の「ドアマット令嬢」は死んだ。
愛されることに怯え、誰かの踏み台になることでしか存在を許されないと思っていた少女は、もうどこにもいない。
一ヶ月後。 王都の大聖堂にて、前代未聞の「一妻三夫」の結婚式が執り行われた。
純白のウェディングドレスに身を包んだ私は、三人の「騎士」に囲まれてバージンロードを歩く。
参列した令嬢たちは、かつての蔑みの目ではなく、魂を抜かれたような羨望と恐怖の入り混じった表情で私を見守っていた。
マリアンヌ様は、最前列で震えながら、私と目が合うなり深く頭を下げた。
彼女は理解したのだ、私がただの「地味な女」ではなく、大陸最強の三人を狂わせ、一つの国を滅ぼさせた「傾国の美女」であったことを。
祭壇の前で、三人が私に指輪を嵌める。
「愛している、ロジーナ……君のすべてを、俺に捧げてくれ」
アレクセイが、私の額に口付ける。
「もう二度と、自分を安い女だと思うな……お前は、俺たちの神だ」
ギルバートが、私の腰を抱き寄せる。
「一生かけて、僕たちの愛の重さを教えてあげるよ……逃げようなんて、思わないことだね」
シリルが、私のヴェールを優しく跳ね上げる。
私は、三人の瞳の中に映る、自分自身の姿を見た。 そこには、今まで見たこともないほど誇らしげで、そして少しだけ「悪い女」のような微笑みを浮かべた私の顔があった。
「はい。……私も、皆様を愛しています」
その言葉が引き金だった。
三人の瞳に、歓喜の炎が灯る。
これから始まる生活は、きっと穏やかなだけではないだろう。
彼らの愛は重く、激しく、時には私を閉じ込めようとするかもしれない……けれど、ドアマットとして踏みつけられる日々よりも、この甘く贅沢な監獄の方が、私にはずっと相応しい。
秋波に気が付けなかった少女は、今、自らが太陽となって三つの星を従える。
大陸の端にある小さな国で、かつて「雑草」と呼ばれた少女は、歴史に名を残す「最愛の妻」となった。
その傍らには、彼女のために世界を敵に回した、最強の三人が常に寄り添い続けている。
結婚から数年、ステラ王国は、近隣諸国から「絶対に手を出してはいけない国」として恐れられ、同時に、世界で最も女性が幸福な国として繁栄していた。
王城の奥深く、一般の者が立ち入ることを禁じられた秘密の花園。
そこでは、三人の夫に文字通り「甘やかされすぎて歩くことさえままならない」ロジーナの、幸せな悲鳴が今日も響いている。
「アレクセイ、ギルバート、シリル……! お願い、今日はお仕事に行ってください……!」
「ダメだよ。今日は君の誕生日の前日祭の、予行演習の日なんだから」
「……仕事なら昨日、一ヶ月分終わらせてきた」
「ロジーナ、動くな……君の足が地面に着くのは、俺の許しがある時だけだ」
ドアマット令嬢は、もう二度と、誰の靴も拭くことはない。
彼女が踏みしめるのは、三人の夫が捧げる、愛という名のレッドカーペットだけなのだから。
(完)




