第三話 奪われる恐怖と、愛の自覚
それは「戦争」と呼ぶには、あまりにも一方的で無慈悲な光景だった。
学園の校庭に雪崩れ込んだバルドール帝国の先遣隊は、ステラ王国が誇る最強の三人――「三ツ星」の姿を見た瞬間、自分たちが「飢えた狼」ではなく「まな板の上の肉」であったことを悟ったはずだ。
「……汚らわしい。その足で、彼女が歩く学び舎を踏み荒らしたのか」
アレクセイの冷徹な声が響く。
彼が天空に掲げた聖剣から放たれた黄金の奔流は、校庭を埋め尽くしていた兵士たちを文字通り「消滅」させた。
血の一滴さえ残さない、慈悲なき光の裁き。
かつて私に優しく微笑んでいたあの碧眼は、今や氷の海よりも冷たく、敵を射抜いている。
「シリル、逃げ道を塞げ。一人でも山を越えさせるな。……一族郎党、誰一人として生かしてはおかん」
ギルバートの殺気を隠すつもりのない咆哮に肌がひりつく。
彼は愛用の大剣を振るうまでもなく、身に纏う黒い闘気だけで周囲の空気を圧死させていた。
彼の足元では、バルドールの兵士たちが呼吸を忘れ、恐怖のあまり失禁して転がっている。
「言われるまでもないよ……『深淵の檻』」
シリルの指先から溢れ出した漆黒の魔力が、学園全体を包み込む巨大な半球状の結界を形成した。
外への逃走を許さず、内側を完全に隔離する絶望の檻。
彼は優雅に宙を舞い、パニックに陥る敵軍を見下ろして、三日月のような美しい笑みを浮かべていた。
「ロジーナに恐怖を与えた罪は重いよ? 君たちの魂が砕け散るまで、僕の魔法で弄んであげよう」
図書室の窓からその光景を見ていた私は、震えが止まらなかった。
私が知っている「幼馴染」の姿は、どこにもない。
彼らは今、この国を守る英雄ではなく、一人の少女を侮辱されたことに狂い、世界を焼き尽くそうとする残酷で美しい「災厄」そのものだった。
「……ロジーナ」
気づけば、アレクセイが窓の外から室内に降り立っていた。
返り血一つ浴びていない完璧な美貌。
けれど、その瞳に宿る熱量は、私を焼き殺さんばかりに強烈だった。
「ひっ……」
思わず後ずさりしてしまった私を、彼は逃がさなかった。
力強い腕が私の腰を引き寄せ、逃げ場を奪うと鉄のような硬さと、心臓の鼓動が伝わってくるほどに密着してくる。
「怖いか? ……それとも、俺が嫌いになったか?」
「あ、アレクセイ……みんな、どうして、こんな……」
「どうしてだと?」
アレクセイ様の指が、私の顎を強引に持ち上げた。
逃げようのない視線の交差する。
彼の碧眼の奥には、ドロドロとした執着と、泣き出しそうなほどの悲痛な色が混ざり合っていた。
「君が、自分をゴミ同然に扱わせたからだ。……あのような汚物共に、君を差し出すなどという妄想を抱かせた。それは、俺たちの愛がまだ足りなかったということだ。……違うか?」
「愛……? だって、みんなは私を『虫除け』に……」
「まだそんな馬鹿げたことを言っているのか!!」
アレクセイ様の怒号が、図書室の静寂を切り裂いた。
感情に煽られて制御を手放したせいで放たれた魔力の余波を受け、背後の本棚が衝撃でガタガタと鳴る。
その隣に、いつの間にかギルバートとシリルも立っていた。
「ロジーナ、お前……本当に、死ぬまで気づかないつもりかよ」
ギルバートが、私の手首を掴んだ。
痛みを感じる一歩手前の、ギリギリの強さ。
「『虫除け』? 笑わせるな。俺たちが、お前のそばにいるためにどれだけの敵を排除し、どれだけの縁談を握りつぶしてきたと思っている」
「……僕たちが、マリアンヌなんていう女に興味を持つと思った?」
シリルが私の頬を、ひんやりとした指先でなぞる。
誰もが見惚れるような美しい笑みを浮かべているはずなのに、その瞳は全く笑っていない。
「君が『他の女を』と言った瞬間、僕の心臓がどれだけ凍りついたか、想像したことはある? ……君を、あの場で壊してしまいたい衝動を抑えるのが、どれだけ大変だったか」
三人の言葉が、濁流のように私の中に流れ込んでくる。
今まで「都合よく」解釈してきた彼らの行動と過保護な送り迎え、他の男を寄せ付けない威圧と私にだけ向けられる甘い……囁き。
それらはすべて、彼らの「義務」でも「暇つぶし」でもなく、ただひたすらに、一人の女性としての私を求めていた結果だったのだ。
「そんな……私、地味で、取り柄もなくて、ドアマット令嬢なんて呼ばれてて……」
「誰がそんなことを言った……ああ、あの兵士たちか。あるいは、マリアンヌか」
アレクセイが、私の耳元を擽るように囁く。ゾクゾクとする低めのその声は、甘い毒のように脳を痺れさせた。
「君が自分をどう思っていようと関係ない……君は、俺たちが人生をかけて愛すと決めた、唯一の宝だ。この国そのものよりも重く、神の命よりも尊い……それを理解できないというのなら、何度でも、何十年かけてでも、分からせてやる」
私の頭の中が霞がかったように真っ白になる、彼らは本気だろう。
冗談でも、練習でも、隠れ蓑でもない。
私という、なんの価値もないはずの少女を、心から――狂おしいほどに欲してくれている。
「……気づくのが、遅すぎたね、ロジーナ」
シリルが私の首筋に顔を埋め、熱い吐息が肌を焼く。
「でも、もう逃がさないよ。……バルドールの連中が、君を『女』として求めた。その事実だけで、あの国は滅びるに値する。……君という存在を、自分たちの種を繋ぐ道具だと思い込んだ代償は、高くつくよ」
その時、校庭から地を揺らすような軍靴の音が聞こえてきた。
ステラ王国の正規軍ではない。
アレクセイの直属部隊、そしてギルバートが率いる最強の重騎士団。
「……出陣だ」
アレクセイが私を解放した。
けれど、その手はしっかりと私の右手を握ったままだ。
「ロジーナ、君は王城の、俺の寝室で待っていなさい……外の音は一切聞こえないように、シリルが結界を張る。君はただ、俺たちが戻るのを待っていればいい」
「みんな、本当に行くの……? 隣国を、本当に……」
「焼きに行く……根切りにするまで、止まるつもりはない」
ギルバートが大剣を背負い直す。
その瞳には、かつて見たことのないほど獰猛な「男」の光が宿っていた。
「誰が俺たちのものに触れようとしたか、あいつらの骨に刻み込んでやる」
彼らが去った後、私は魔法によって固く閉ざされた部屋の中で、一人震えていた。
バルドール帝国の兵士たちが言った「女は道具だ」という言葉の恐怖。
そして、それ以上に私を揺さぶったのは、三人の狂おしいまでの「愛」の重さだった。
私は……なんてことをしてしまったんだろう
彼らは、私が自分を卑下するたびに、どれほど傷ついていたのだろう。
私が彼らを他の女性に押し付けたとき、彼らはどれほどの絶望を感じたのだろうか?
彼らにとって、私は「ドアマット」などではなかった。
荒ぶる彼らをこの世に繋ぎ止め、守るべき意味を与える、唯一の光だったらしい。
窓の向こうで、赤い火の手が上がっているのが見える。
隣国へ向かう、最強の三ツ星たち。
もし、彼らが戦いから戻ってきたとき、私は以前のような「地味な幼馴染」の仮面を被ってはいられないだろう。
彼らの愛は、もはや隠されていない。
私を一人占めし、誰の目にも触れさせず、自分たちだけの檻に閉じ込めてしまいたいという、狂気的なまでの情熱。
私に受け止めきれるのだろうか? 彼等の愛は重すぎる、怖い……でも……
今まで感じたことのない胸の鼓動。
恐怖の裏側に、じんわりと広がる熱。
必要とされること愛されることが、ここに居て良いのだと言ってくれている気がする。
「誰でもいい」ではなく、「私でなければならない」という重圧。
それは、自由を奪われる恐怖であると同時に、生まれて初めて「居場所」を見つけた安堵でもあった。
「……みんな。お願い、無事で戻ってきて」
私は、三人の温もりが残る自分の指先を見つめ、祈った。
たとえ彼らが戻ってきたとき、私が彼らだけの「籠の鳥」になることが決まっていたとしても。
私は、彼らの帰りを、誰よりも強く求めている自分に気づいてしまったのだから。




