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第二話 「男児優先」の末路と、隣国の要求


あの日、裏庭に凍てつくような静寂を残して三人が去ってから、私の世界は一変した。


 いえ、正確には「元に戻った」と言うべきなのだろうけど……


 いつも通り登校しても、校門前でいつも私を待ってくれていた眩いばかりの金髪が揺れていることはない。


 廊下を歩いていても、不意に背後から頭を撫でられることも、重い荷物を無言でひったくられることもない。


 食堂のいつもの席は、今は私一人には広すぎて、冷たい石の感触だけが伝わってくる。


「……おはようございます」


 すれ違う生徒たちに会釈をしても、返ってくるのは冷ややかな失笑か、露骨な無視だ。


 三ツ星という「最強の盾」を失った私への扱いは、瞬く間に以前よりも酷いものへと様変わりしていた。


「あら、ごめんなさい。地味すぎて、そこにマットが敷いてあるのかと思ったわ」

 

 わざとらしく私の足を踏みつけ、マリアンヌ様が取り巻きを引き連れて笑う。


 あの日、三人に拒絶された彼女のプライドは、修復不可能なまでに傷ついたのだろう。


 その怒りの矛先は、当然のように「仲介役」という愚かな真似をした私に向けられた。


「……いえ、お気になさらず」


 私は俯き、汚れを払うこともせずに僅かに足を引きずりながら歩き出す。


 ズキズキと次第に強くなる足の痛みよりも、今は胸の奥に広がる空虚な痛みが勝っていた。


 彼らはもう、私を守っては……くれない。


 当然だよね、私がどれほど酷く彼らの真心を踏みにじり、あろうことか「他の女と仲良くして」と突き放したのだから。


 自業自得よね、自分がどれほど彼らに守られてきたのか今更自覚するなんて、どれだけ愚かなのか。


 これが本来の私の場所なんだわ……


 そう自分に言い聞かせるけれど、ふとした瞬間に、アレクセイの優しい微笑みや、ギルバートのぶっきらぼうな配慮、シリルの悪戯っぽい囁きを思い出しては、視界が滲んでしまう。


 彼らは私を「ご令嬢方から寄せられる求婚の虫除けに使っている」と思い込もうとしていたけれど、本当は、彼らの温もりに誰よりも依存していたのは、私自身だったのだ。


 誰も居ないな廊下の壁に背中を預けて、ズルズルと廊下のカーペットへ膝を抱えるようにして座り込んだ。


 土足で歩く廊下に直接腰を下ろすなんて令嬢としては失格も良いところ。


「逢いたいよ……」


 ポツリと漏れた本音は、降り出した雨音にかき消されて消えていった。

 

 一方その頃、ステラ王国の王城では、建国以来最大の危機が訪れようとしていた。


 原因は、山脈を隔てた隣国「バルドール帝国」からの不穏な動き。


 バルドール帝国――かつては広大な領土と強力な軍隊を誇った軍事国家だ。


 しかし、数十年前から大陸を襲った「女児出生率の低下」という呪いに対して、彼らが取った政策はあまりにも愚かだった。


「戦えぬ女は不要。男こそが富であり、力だ」


 時の皇帝が宣言した「男児優先政策」。


 限られた食料と資源はすべて男児に回され、女児は家畜同然の扱いを受けた。


 女が生まれれば嘆き、男が生まれれば祝う。


 そんな歪んだ価値観が浸透した結果、女性たちは次々と死に絶え、あるいは命懸けで国外へ脱出した。  


 今やバルドール帝国は、男ばかりが溢れ、次の世代を産む女性が貴族層にさえ一人もいないという「終わりの国」と化していた。


「陛下、バルドールからの親書でございます。……いえ、これはもはや脅迫状です」


 王城の会議室、重苦しい沈黙の中で宰相が声を絞り出す。


 円卓を囲む閣僚たち、そしてそこには、学園を休み王太子補佐として出席していたアレクセイ、父親である騎士団長に同行したギルバート、魔導師団の代表として招かれたシリルの姿もあった。


 三人の表情は、学園で見せるものとは似ても似つかない。

 

 冷徹、冷酷、そして底知れない虚無を湛えた「支配者」の顔だ。

 

 親書の内容は、あまりにも身勝手なものだった。


『我が帝国の存続のため、ステラ王国の女性十名を献上せよ。  特に対象として、伯爵令嬢ロジーナを指名する。  彼女は三人の寵愛を失い、今や国にとっても不要な「余りもの」であると聞き及んでいる。  彼女を差し出せば、今後十年の不干渉を約束しよう……拒めば、全軍をもって山を越え、貴国を蹂躙し、すべての女を略奪する』


「……ふざけるな」


 怒りに呻くように絞り出された短く低い声を発しながらギルバートの拳がテーブルを叩きつけた。


 重厚な黒檀の机に、ピキリと深い亀裂が入る。


「我が国の至宝を、あのようなゴミ溜めに差し出せだと? どの口がそれを言う」


 普段は冷静なシリルの周囲では、抑えきれない魔力がパチパチと青白い火花を散らし、窓ガラスがガタガタと悲鳴を上げている。

 

「ロジーナが……『余りもの』? 三人の寵愛を失った……?」


 アレクセイが、親書を手に取ったまま、クスクスと笑い始めた。


 その笑いは、聞く者の背筋を凍らせるような、狂気を孕んだ響きだった。


 幼い頃から才能に溢れ、実の親ですら抑え込むのに手を焼くこの三人は一定の年齢の者達にとって、悪童として二つ名を欲しいままにしていた。

 

 今の学園での彼等の姿を知っている者達には想像すら出来ないのではないだろうか?


 その三人の悪童を無意識に懐柔し、落ち着かせている鎮静剤が誰なのかを、この場に集まった保護者や被害者たちはよく知っている。


 そう、決して刺激してはならない逆鱗が誰であるかなど暗黙の了解なのだ。

 

「……なるほど。バルドールの連中は、死に場所を自分で選びたいらしい。それも、最も惨たらしく、救いのない死に方を」


 彼らがロジーナを遠ざけていたのは、彼女の言葉に傷ついたからだけではない。


 あまりにも彼女を守りすぎたために、彼女が自分たちの価値を理解できなくなっているのだと気づき、一度突き放すことで、彼女自身に「自分がいかに大切にされているか」を分からせようとする、究極の「教育しつけ」のつもりだった。


 しかし、そのわずかな隙を、飢えた狼に狙われた。


 しかも、彼らが誰よりも大切に、世界で一番甘やかしたかった少女を、あろうことか「ゴミ」扱いで生贄に指名したのだ。


「そうだね、さすがにおとなしくし過ぎたかな?」


 ニコニコと微笑んでいるものの、その瞳には仄暗い怒りを映し出す。


「なんでロジーナなんだよ、あのアバズレ令嬢をくれてやれば良いんだ、あの女ならどこでも上手くやれるだろう?」


 物騒で不敬をものともしない悪童……いや悪鬼と化した三人の殺気が渦巻く。


「落ち着け馬鹿者共が」


 騎士団長が一喝する。


「そうですよ、最愛の女性を貶されて腹が立つのはわかりますが、元はと言えばつけ入る隙を与えたお前たちの怠慢です」


 シリルの母親で前魔導師団団長がシリルをたしなめる。


「なんにせよ、こんな無茶な要求を飲むわけにはいかない、仮に令嬢を差し出したとして、彼の国がまともな待遇をするとは到底考えられんからな」


 アレクセイの父親である外務大臣が息子を毛虫でも見るような目で見つめながら深いため息を吐き出した。


「陛下、この三人をさっさと戦場へ出してしまいましょう。 国内で暴れられれば被害は更に大きくなります、なんなら隣国を更地にしてロジーナ嬢を女王として厄介者は纏めて国外へ出すことを保護者として強く推薦いたします」


「えぇ、ロジーナ嬢は良い子ですからね、無体な政治はしないでしょうし」


 シリルの母親も手放しで同意する。


「うむ、それが最善かもしれぬな」


 三者三様、ヤル気しかない悪鬼共から視線を外し、無礼な他国とは言え、彼等の八つ当たりの的になるであろう国に同情しそうになり、国王は考えを振り払った。  

  

 そんな緊迫した状況など露知らず、私は図書室の奥で、埃を被った資料の整理を続けていた。


 日が落ち、辺りが暗くなっても、誰も私を呼びに来ない。


 以前なら、シリルが魔法の灯火を浮かべて迎えに来てくれた。ギルバート様が「遅い」と怒りながらも、私を背負って帰ってくれた。


「……もう、無理よね」


 窓の外を見上げると、隣国の方向にある空が、まるで血で塗り拡げたような不気味な赤色に染まっている。


 戦の気配を私は幼い頃から感じていた。


 無意識に察知していた。


 その時、図書室の扉が激しく開かれた。


「ロジーナ! ここにいたのね!」


 入ってきたのは、マリアンヌ様だった。


 彼女の顔は蒼白で、いつもの傲慢さは影を潜めている。

 

「逃げなさい! ……いえ、もう遅いかもしれないけれど。隣国の軍が、国境を越えたって報せが入ったわ!」


「え……? 隣国が?」


「バルドールよ! 奴ら、狂ったように攻めてきているわ。それも……貴女を指名して、『ロジーナを出せ』って叫んでいるんですって!」


 心臓が、跳ね上がった。  なぜ、私? 地味で、価値のない私を?


「貴女、あの三人から見捨てられたんでしょう!? だからよ! 弱った獲物を狙うように、バルドールの男たちが……ああ、おぞましい! あんな野蛮な国に行けば、貴女なんて一日も持たずにボロボロにされて……」


 マリアンヌ様は、私への嫌悪感よりも「女性がモノのように扱われる恐怖」に震えていた。


 彼女にとっても、他国の軍が攻めてくることは、絶対的な恐怖なのだ。

 

 私は、震える足で立ち上がった。  


 私のせいだ。私が……私が彼らを遠ざけたから、隙を見せてしまったんだわ


 もし、私が彼らの側にいれば。  彼らの愛を真っ直ぐに受け止めていれば、隣国もこんな無謀なことはしなかったかもしれない。  私の卑屈さが、この国を戦火に巻き込もうとしている。


「……私が行けば、戦いは止まるんでしょうか」


「バカなこと言わないで! 貴女が行ったところで、奴らが満足するはずないわ!」


 マリアンヌ様の叫びも虚しく、学園全体を震わせるような轟音が響いた。

 

 バルドール帝国の先遣隊が、学園の防壁を魔法砲で撃ち抜いたのだ。


 「女を差し出せ!」


 下卑た怒号が、夕闇の校庭に響き渡る。  


 私は、恐怖で立ち竦むマリアンヌ様を庇うように前に出た。


 ドアマットの自分にできることは、せいぜい誰かの盾になることくらいだ。


 図書室の窓から見える校庭には、薄汚れた鎧を纏ったバルドールの兵士たちが、欲望を剥き出しにして雪崩れ込んでいた。


「おい、あの女か! 栗色の髪、榛色の瞳……あの地味な女が、ステラの宝と言われた三ツ星の女か!」


「ハッ、期待外れだ。だが、女は女だ。俺たちの世継ぎを産む道具にしてやる!」


 下品な笑い声と共に、一人の兵士が図書室の窓を目掛けて槍を構える。


 私は死を覚悟して目を閉じた。


 ――その瞬間。


 ドォォォォォン!!!

 

 雷鳴……いや、それは雷などという生易しいものではなかった。


 天空から降り注いだのは、黄金の光の柱と、漆黒の斬撃。


 そして、すべてを焼き尽くす紅蓮の炎。


「……誰の許可を得て、その汚い口を回している?」


 空から舞い降りたのは、黄金の翼を具現化させたアレクセイ様だった。


 その背後には、影から滲み出るように現れたギルバート様と、空中に魔法陣を幾重にも展開したシリル。


 三人の姿を見た瞬間、バルドールの兵士たちの顔から血の気が引いた。


「み、三ツ星……!? なぜここに! 貴様ら、あの女を見捨てたのではなかったのか!」


「見捨てた?」


 ギルバート様が、大剣を肩に担ぎ、一歩前へ出る。


 その一歩ごとに、地面が爆ぜ、兵士たちが恐怖で後退りする。


「……勘違いするな。俺たちは、彼女に少しだけ『自由』を与えていただけだ。お前たちのような汚物に見せるためじゃない」


「ロジーナ」


 シリルが、空中で優雅に足を組み、私を見下ろした。


   その瞳には、あの日見た絶望よりも深い、どろりとした執着が渦巻いている。


「怖かっただろう? ……でも、もう大丈夫。僕たちが、この世界の害虫をすべて駆除してあげるからね」


 アレクセイ様が、ゆっくりと私の方へ手を伸ばす。

 

 窓ガラスの破片を魔法で防ぎながら、彼は聖母のような慈愛と、魔王のような冷酷さを同時に湛えた笑みを浮かべた。


「ロジーナ、君はそこで見ていればいい。君を欲しがった愚か者たちが、どうやってこの世から消えていくのかを」

 

 アレクセイ様が指を弾くと同時に、空に浮かぶ黄金の翼が数千の光の剣へと変化した。


「……全軍に告ぐ。バルドール帝国という名は、今日この瞬間をもって歴史から抹消する。――一匹も、残すな」


 三人の「最強」が、ロジーナを守るために、文字通り国を焼きに行く決意を固めた瞬間だった。


 ロジーナは、彼らのあまりの迫力に圧倒されながらも、まだ気づいていなかった。  


 隣国を滅ぼした後の彼らの矛先が、自分を「突き放そうとした」彼女自身に、甘く重く向けられるであろうことに。

 

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